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反対派を2つに分け、いがみ合わせる作戦?=国や企業がよく使う手法に注意! [社会政治]

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反対派を2つに分け、いがみ合わせる作戦?=国や企業がよく使う手法に注意!

歴史から学ぶーと良くいうが、学校の歴史で学んだことってほとんど役に立ってない?いやいや、歴史の事実を情報として記憶するだけだから役に立たないのだよ。最近、よく思うのが支配者が国民を統治するための手法。支配者は数少ない。国民は圧倒的多数。反乱が起きれば簡単に絞首刑だ。が、支配者層はずる賢い。自分たちに不満や怒りを向けない手法を使う。

その1つが、大きな勢力を2つに分けていがみ合わせること。そうやって支配者層(政府、企業等)ではなく、互いに憎しみ合い、争い、自分たちに怒りが向かないようにする。戦国時代。織田信長は宗教団体の抵抗で苦労した。特に石山本願寺。それを見ていた秀吉は、その後、本願寺を西と東に分けてしまう。そのことで両者がライバル心を持ち、いがみ合わせて、矛先を自分たちに向けないようにしたのだ。その効果は的面。両者は今日でもいがみ続けていると聞く。

同じ手法が東西ドイツ。ナチスドイツの台頭で危険極まりなかった国。連行軍は2つに分けることで、押さえ込んだのだ。国鉄民営化の時に、JR東海、JR西日本、と分けたのも近い手法だ。国鉄は親方日の丸で膨大な赤字を垂れ流していた。それを民営化し、それぞれを競わせることで、国が赤字補填をせずに済み、むしろ税金を収める企業にしたのである。これはいい例だが、この手法を取らずとも、同じ構図に陥り争う人たちがいる。

反原発運動でも、同じ場所で抗議行動をしながら、2つのグループがいがみあっている話をよく聞いた。どちらも「原発を無くそう」と主張するのに、わずかな違いから仲違い。また、僕が「朝日のあたる家」を作った時も反原発の人たち、一部ではあるが、一番批判をしていた。その多くは年配の人たち。チェルノブイリ時代から反対している層。「俺たちは昔から反対している」「今頃何だ!」「努力が足りない」「反対する資格はない!」と言うもの。原発反対をしながら若い層をバッシング。無意味だと思えた。

近親憎悪と言うのか、人はすぐに線を引いて似たもの同士で批判し憎み合う。支配者層はその習性を利用して、国民同士をいがみ合わせて、怒りの矛先が自分たちに向かいないようにする。チッソの裁判、原発事故訴訟でも、原告側を分断し、いがみ合わせる手法を取っていたと聞く。それにより原告たちを疲弊させ、怒りを失わせ、諦めさせる作戦。同じことは今もまさに行われている。

国が弾圧するのではなく、マスコミの誘導で国民自身に国民をバッシングさせ、発言させてないようにして、真実を隠し。支配者層の安泰を図る。自粛警察もその一環。でも、多くの国民はその手法に気づかず、簡単に誘導され、自主的に自らの首を閉めることを始める。


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日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法? [日本の教育]

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日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法?

日本人は愚かだ!ーとよく聞く。昨年は東京都知事にミドリのおばさんを選んでしまう。直接選挙法ではないが、総理はあの人だ。あれだけ問題起こして、あの人まだ議員しているの?という輩も多い。それは彼ら彼女らの選挙区で投票する人が数多くいるから。多くが政治家を批判をするが、そんなダメ議員を選んだのは国民。だから「日本人は愚か」ということになるのだろう。

でも、そこで終わってはいけない。「なぜ、日本人は愚かなのか?」を考えてみよう。日本人はバカなのか? そんなことはない。一時は世界1の経済大国になったし、電気製品、自動車は優秀なものを作っていた。文盲率もアメリカに比べてもずっと低い。勤勉。長時間働く。バスや電車が来る時間も正確。アメリカは時間通りに来ないことが多い。いろんな国の人と話したが、その辺は世界的に凄いレベルだ。

そう考えると「日本人は愚か」とは思えない。むしろ「優秀」だ。そんな優秀な国民がなぜ、ミドリのおばさんや、あの総理を選んでしまうのだろう。自分たちのためにはならない。むしろ国民を搾取、利用する人たち。それを選んでしまうのはやはり「愚か」と思える。では、具体的にどこが愚かなのか?分析する。

日本人は勤勉だし、器用。よく学びよく働く。背景にあるのは学校教育だろう。その教育というのは「与えられたことを確実にこなす」人間を育てること。あれこれ記憶する力。教えたことを再現する能力。つまり、優秀な会社員を育成するためのもの。どんな仕事であろうと、その工程を理解、把握し、与えられた作業をミスしないでこなすための練習が学校教育なのだ。

しかし、そこに抜け落ちているもの。自分で「考える力」を育てる教育だ。与えられたことをする、指示されたことを遂行するのでなく、自分で状況を判断し、問題を把握し、選択、決断、行動する力は教育で育てない。なぜなら、そんな力が育つと会社に逆うこともあり得る。命令が間違っていれば、不利益をもたらすものなら、従わず、反発する。だが、会社側は間違った指示でも疑わずに、反発せずに従って欲しい。

だから、学校では、そのような力を育てないようにしているのだ。要は会社ロボットを育てるということ。指示されたことを疑わない。拒否しない。素直に従う。上からの命令を守る大人にするため。言われないことはしない。勝手な行動は取らない。学校ではそんな従順なロボットになる教育をしている。

上からの命令。会社トップ。政府。マスコミからの指示を素直に受け入れ、従う。反感を持っても「小池百合子、当確」とかマスコミが報じると「どうせ、そうだろうな」と投票しない。「問題あるけど、現役だしな」と投票してしまう。深く考えようとしない。他の候補を調べない。テレビによく出ている小池だけしか知らない。だから、あんなのが当選。

つまり、日本人は労働者や技術者としては有能なのだが、自分で考える力が弱い。教育によって育てられていない。そのため自分で状況把握ができない。物事の本質が見抜けない。だからマスコミに誘導される。これって江戸時代と同じ手法。

農民には読み書きを教えず、情報や知識を得られないようにして、ひたすら米を作らせたのと同じだ。そのバージョンアップ版。当時、一部の侍が多くの農民を支配したように、今は考える力を奪うことで、一部の政治家、企業トップが国民を支配しやすくしている(その誘導役がマスコミ=国民の味方の振りをしながら誘導する)戦争をする時も、似たような手を使うしね。そういうことではないかな?


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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね [再掲載]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね

自分のことってなかなか分からないものだ。が、50代になった頃から少しずつ自分ってこう言うタイプ?と思えることがある。

高校時代。毎日が地獄だった。最低の日々。勉強が嫌ということではない。勉強に意味がないと思えたのだ。10年以上勉強しても話せない英語。社会に出て使わない数学の公式。年号を覚えるだけの歴史。もっと意味あることを教えろ!と感じていた。が、教師たちはいう。

「お前は勉強するのが嫌だから、そんなことを言っているだけだ」「怠け者の言い訳」「楽をしたいだけだ!」

でも、今、映画を撮るとき。原発問題でも沖縄戦でも作品に必要なことは徹底して調べる。かなり勉強した。つまり、教師の言うように勉強するのが嫌だったのではなく、意味のないことをするのが嫌だったのだ。与えられた学科や題材を学ぶことに意味が見出せなかったのだ。だからやる気が起こらなかった。

また、学校生活も好きではなかった。毎朝、8時半に登校。6時間の授業を受け。月曜から土曜まで。制服を着て、厳しい校則があり、成績で順位をつける。

そんな学校システムに不満があったのだ。効率的でない。無駄が多い。生徒のためより管理しやすいための校則。意味が見出せなかった。そして教師たちは「お前は怠け者だ」「勉強とは嫌なことでも、我慢して続けるもの。自分を律するものだ」と言っていた。

今となっては分かるが、それは与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育成するための教育であったこと。意味や効率を考えない、ひたすら従うだけの会社員を育てるためのものだった。それを抵抗なく受け入れられれば、日本社会で会社員になれる。その意味で僕は不適合者であり、会社員にはなれないのは当然。だから、今は一般とは違う世界ー映画業界で仕事をしているということなのだろう。

10代から与えられたことをするのは嫌。無意味なことはしたくない。でも、興味を持てば意味を見出せば人の倍やる。「給料分、以上の仕事はしない」と言う会社員の友人の気持ちは分からない。過労で倒れるまで働くので、理解ある友人からは「あまり頑張るなよ」と言われる。あの頃教師からは「怠け者」「楽したいだけだ」と言われたが、そうではなかった。ただ、親を含めて大人は誰も理解してくれず、自分が何者か?分からなかった。今、50代を過ぎ、少しづつ自分が分かって来た。


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よく分かる!!映画「Fukushima50」のホントと嘘? [Fukushima50を検証]

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①菅総理が福1を訪れたためにベントが遅れた=嘘。(安倍議員が流したデマでした)ベントがあまりに遅れて情報も入らないので総理は現地へ行った。吉田所長は総理が来てもベントするつもりだった。

②官邸が海水の注入を止めた=嘘。東電の指示です。

③東電は「撤退します」と官邸に電話して、その後、菅総理に止められた=ホント

④東電職員50人が原発事故を止め、日本を救った=嘘(偶然と奇跡で爆発が止まった。奮闘はしたが、注水は無意味。事故は今も続き、放射能が出続けている)

⑤吉田所長は日本を救った=嘘。そもそも、彼が防波堤の改修案を潰したために津波が敷地内に入り全電源停止を招いた。

⑥吉田所長は頑張った=ホント。そもそもの責任は彼にあるが、(あるからこそ)事故の対応は頑張った。菅総理も信頼できる人物と感じた。

⑦安倍総理に責任がある=ホント。福1の安全対策について2006年の国会で質問されて「全電源喪失はあり得ない」と主張。対策を講じなかった。そのために事故が起きた。

⑧菅総理と官邸が事故対応を邪魔した=嘘。情報を官邸に上げず、秘密主義の東電が一番の問題でした。

映画にダマされないように注意しよう!東電は日本を救った英雄ではない。あの状況で頑張ったのは、映画で悪役として描いた菅総理である



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原発事故を描いて話題になった「朝日のあたる家」とはどう言う映画か? [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」は2013年3月に撮影され、同年9月から日本全国の映画館、シネコンで公開された映画です。今年3月まで7ヶ月間のロングラン。北海道から九州まで上映された。

原発事故に巻き込まれた家族の物語。でも、テーマは「原発反対」ではなく「家族の絆」今、日本人が一番大切なものは何かを問う作品。映画後半は涙の連続。へたな恋愛映画の10倍泣けると評判になったほど。場内では声を上げて泣く客も観られ、家族映画としての評価も高い。

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加藤登紀子さん。大林宣彦監督、岩井俊二監督、田中康夫さん。世田谷区長、伊豆の国市市長、小田原市長他、多くの著名人が絶賛。今は議員となった山本太郎さんも出演。ドイツ、ロサンゼルス、アリゾナ、シンガポール、でも上映。絶賛された話題作。

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その「朝日のあたる家」は映画館上映を終了。現在は自主上映を受け付けている。昨年は新潟県長岡市で開催される長岡アジア映画祭で招待上映された。その後は新宿シネマートで1日だけのアンコール上映。そして熊本、ニュージーランドでの上映会が行われた。日本人がうしなった、家族がなくした大切なものが見つかる映画です。

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レンタル上映募集中=> http://www.shibuyapro.net/映画-朝日のあたる家-フィルムレンタルの御案内/



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日本のテレビはもう真実を伝えることはできない。 でも、出版界はまだまだ真実を伝えている。 そこから見えて来るものが多い。 [再掲載]

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日本のテレビはもう真実を伝えることはできない。

政権や大企業のためのフェイクニュース。偽善の募金番組で儲けることしか考えてない。

でも、出版界はまだまだ真実を伝えている。

そこから見えて来るものが多い。




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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ー抗議で立つシーンから、泣きっぱなしでした。 [【再掲載】]

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 「朝日のあたる家」の素敵な感想を見つけました!

(東京、かおるこさんのブログより)

観る前に予想していたのは、原発事故に対する怖さとか、被害を受けた人の悲しみを感じる映画になっているだろうということでした。

観てみて一番感じたのは、家族に対する、大切という思いと、失いたくない、という思いでした。
家族って、本当に大切な、人にとって核になる部分で。
幸せの最小単位で。

だから、それを壊した原発事故は、同じことを繰り返しちゃいけない、と思いました。
でも、今も国は同じことを繰り返そうとしている。
その国の歩みを止められないデモは、無力かもしれないけど、でも声を上げ続けることをやめちゃいけない。

大切なものを大切だと認めて、守りたいと思うだけで、そうしてみんなが行動するだけで、変わっていくんじゃないかな、と思いました。
そのきっかけになる力のある作品だと思います。

前半は、ほんとに笑いの絶えない家族で、楽しいシーンもいっぱいでした。
それが地震、原発事故で避難することになって。
あいまいな国の説明や、理不尽なことが次々に起きて。

避難所で、「帰宅してから除染を可及的速やかに開始する」という役人の説明に、
子を持つ母親が次々と無言の抗議で立ち上がるシーンから、ずっと泣きっぱなしでした。

母親の強い愛とか、ひとりだけ自宅に戻って除染を続ける父親のやりきれない想いとか、
放射性物質に侵されて、自分が30歳まで生きられないことを少しずつ受け入れる子供たちとか。 
 

 つづきはこちらで=>
  http://ameblo.jp/ka-ko112/entry-11563980476.html



 「朝日のあたる家」公式HP=> http://www.asahinoataruie.jp



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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係 [【再掲載】]

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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係

学生時代。音楽雑誌とかを読んでいると、デビッド・ボウイも、プリンスも、ミック・ジャガーも仕事以外で人前には現れず、コンサート時にしかマスコミのインタビューも受けないという話が載っていた。マスコミやファンにプライベートが阻害されるので人前に出ないのだ。

日本の矢沢永吉も週刊誌に山中湖の家を激写されたことで、連日ファンが集まった。家族は外にも出られない。妻はノイローゼ。結局、数億の豪邸には1年ほどしか住まずに引っ越し。有名人ならでは苦悩がある。

だが、それは有名人だけではない。僕のような映画監督レベルでも近いことがある。通常監督は撮影後にロケ地で挨拶回りはしない。製作担当が回るのが慣習。でも、感謝の気持ちを伝えたくて同行していた。懐中電灯1個借りても挨拶に行った。が、次に街を訪れた時には打ち合わせをする主要メンバーのみに会う。すると、懐中電灯の方が「何でウチに挨拶に来ない!」と激怒したという。

常識で考えれば、何度も挨拶に行くケースではない。でも、その人は「監督がわざわざ挨拶に来てくれた。感動した。懐中電灯1個なのにいい人だ。これからも応援しよう!」と思ってくれた。親しい友人のように感じたという。なのに次は訪ねて来ない。「裏切られた!」「利用された!」「騙された!」その方は本来、とてもいい人。感受性豊かであり、芸術を理解する。でも、思い込みが強いので「親しい友人」と考えてしまった。そして「裏切られた」と思ってしまった。

残念なことだ。ただ、その人を批判したくない。悪意ではなく好意だったのだ。ではどうすればよかったのか? 挨拶に行くべきではなかったのだ。そのことがきっかけで起こったトラブル。その時は喜んでくれても、過剰に期待されたり、勘違いが起こったりするのなら、行くべきではない。だから映画界では監督が挨拶回りをしない慣習ができたのかもしれない。似たようなことは何度もあった。その度に悪意のない人が傷ついたり、いわれもないことで批判されたり。周りにも迷惑をかけた。

ミックやボウイ。そして矢沢もレベルは違えど、誰かと関わることで似たようなことがあり、やがて人前に出なくなったのだろう。ファンが喜んでくれるからと思っても、結果トラブルになったり、誰かが嫌な思いをする。芸能人は孤独というが、孤独でいないと迷惑をかけるということ。

芸能人だけでなく、一般でも言えることだ。若い女性がどこかの飲み会で男性に親切にする。その男は自分に気があると思い、その子を追い回す。ストーカーのようになるかもしれない。同情してある人の悩みを聞く。「親切な人だ」と、その後、何かあると電話して来られて、どうでもいい話を長時間される。電話を切ろうとすると、「裏切られた」と言われるかもしれない。良かれと思ったことで悩まされることになる。誰も悪くないのに、困ったことになる。人との距離の置き方。ミックに学ぶ必要がある。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「リアリティのない映画だーという人?」 [【再掲載】]

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 こんな感想をくれた人がいる。

「物語は福島のあとの原発事故なのに、人々の反応が福島のときと同じ。2度目なのだからもっと敏感になり、もっと恐怖を感じ。慌てふためくはず。リアリティがなく、見ていられない!」

 年配の方がくれた感想だ。この方は原発問題に詳しく、反原発を掲げている。福島の事故以降に勉強し、危機感を持ったのだろう。「次、事故が起きたら大変だ!俺はそう思うのに、映画の中の人たちはあまりにも警戒心がない。福島のときと同じ反応。おかしい!あり得ない!」と思ったのだ。

 しかし、もし、2度目の原発事故が起きたなら、

映画の中の登場人物こそがまさにリアルな反応となるだろう。というのも、僕は「朝日」の宣伝キャンペーンで日本中を飛びまわっている。その先々でお会いした方々。もうビックリするほど原発事故について関心がない。

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 一部ではない、ほとんどの方といっていいほど「もう収束したんでしょう?」「避難は解除になったよね」という。それどころか「関心ない」「関係ない」「それより景気が大事!」という方が圧倒的。福島から離れるほどに、そんな方が多かった。

 もっと驚いたのが反原発を掲げている人たちなのに「朝日」を見て「ここまで酷いと思わなかった」「知らないことが多かった」と言う人が結構いたこと。「朝日」で描いたエピソードはスクープした事実ではなく、新聞やテレビですでに紹介されたものばかり。原発事故に関心があるのに、それすらも知らない人が多くいたということ。

 そしてあれほどテレビ、新聞ではウソが平然と流されたのに、

今もそれらマスコミを信じる人がとても多い。(もちろん、事実を伝える社もあるが、相変わらず提灯持ちも多数)思い出してほしい「汚染水はコントロールされている」と首相が世界に発言しても、それを信じないのは国民の60%に過ぎない。あとの40%は信用しているということ。乱暴に計算しても4000万人は信じているのだ。

 この現状から分わかること。もし、2度目の原発事故が起こってもテレビではすぐに事実を伝えず。福島と同じように「メルトダウンはしてない」と報道。避難が遅れ。市民も「大丈夫だろう。テレビで言ってないから」と安心。福島と同じ展開となる可能性は大なのだ。先の大雪でも総理は天ぷらを食い。都知事は”問題ない”と発言するほど危機管理ができてない。

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 山梨が雪で閉ざされても、NHKはオリンピック中継を止めない。また、ロケ地の湖西市近辺で取材したときも、多くの人が「ここは浜岡原発から60キロ離れているから大丈夫」と言い切っていた。飯舘村=>福島第一原発も60キロと伝えると、初めて「へーーー」というが、やはりリアリティがないようだ。

 柏崎刈羽原発から30キロ圏内の方とお話したときも

「原発の近所に住んでいる人。ほんと大変よね? 可哀想だわ〜」

とまるで他人事のように話すおばさんの言葉が印象的だった。自分が被害に遭うかも?という認識がまるでない。でも、それが多数の市民の感覚なのだ。

 先の反原発の年配の方。しっかりと原発問題を勉強されているが、自分が「危険」と思ったら=日本中の人が同じふうに感じる、と思い込んでいる。実際は僕が日本各地で見聞きした意見に現れている。「原発事故は終わった」「危険なのは福島や原発の近隣だけ」「私たちには直接関係ない」と思っている人が大多数なのである。映画を批判する前にまず、まわりの人たちの「思い」を訊いてみるべきだろう。

 つまり、次の原発事故が起こったら「朝日のあたる家」と同じ展開になる可能性が高い。もし、違う展開があるとすれば、福島以上の規模の事故となり。逃げる間もなく多くの人が、今度こそ大量の死亡者が出て、どこかの政治家が「原発事故で死亡者は出てない」とはもう言えない事態になること。

 そのときはもう、日本という国自体が終わるときか?

 国土の多くが汚染され、やはり日本という国が終わる始まりとなるか?どちらかだと思える。

 まるでSF映画。でも、それが現実。驚くほど多くの人が福島の現実を把握しておらず。「収束した!」と思い込んでいる。だからこそ「朝日のあたる家」を見てもらいたいのだ。そこに描かれているのは、あなたの町で明日起こる現実だと伝えたいから。


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金持ちになることが目的だった時代の終焉。本当に大切なものは何か? [【再掲載】]

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僕の映画のテーマは「親子に伝える大切なこと」

何を描けば、親子がハッピーになれるのか? それを追い求めてきた。近年、そのテーマは同時に「幸せとは何か?」でもあると思えて来た。

よく言われる人の幸せ、日本人の場合は「経済的成功」だ。金持ちになり、何不自由なく暮らすこと。大きな家に住み。美味しいものを食べ、海外旅行にも行ける。外車に乗り。裕福な暮らしができる。だからこそ、日本人は戦後、一生懸命働いた。が、バブルで経済大国となり、世界一の金持ち国家となったとき。日本人は本当にハッピーだったか?

確かに物は何でも手に入った。マンションどころか億ションがバンバン売れた。が、何か足りない。何が満たされないものを多くの人は感じていただろう。それは何か? 何度も書いた話だが、日本人は戦後。大きな選択を迫られたのだ。

2つの価値観。「どちらを選ぶか?」物量作戦のアメリカに敗れたことで日本人は、物があることが強い、それが幸せにつながると考えた。

金持ちになれば、何でも買える。

どんな物でも買える。だから、経済的成功こそが幸せと解釈して、そちらの道に進んだ。が、バブル経済で頂点に立ち、感じたこと。お金だけではハッピーになれない。何かが違う。何かが足りない。

そう、それこそが、戦後の選択で捨てたものなのだ。昔は日本のどこにでもあった、誰もが持っているもの。当たり前のもの。だから、その大切さが分からなかった。

それが「絆」だ。親子の絆。友達の絆。近所の絆。多くの絆があった。が、経済大国に突き進むために日本人はそれをないがしろにした。しかし、幸せになると思えた「物」が絆を引き裂いて行く。

子供たちが勉強するようにと、一戸建ての家を建て、子供部屋を作る。子供は部屋に篭り、コミニュケーションをしない。携帯電話で誰と話しているのか?分からない。

ビデオデッキは好きなときにテレビ番組が観れるが、家族みんなで見ることがなくなる。電子レンジは便利だが、家族一緒にご飯をしなくても、暖かい料理が食べられる。物は日本人の生活を助けたが、家族を分断して行った。

金持ちになるために、我が子をいい大学へ行かせたい。

そのことで子供たちは友達が受験のライバルになり、大学で人を差別するようになる。遅くまで塾に行き、親は遅くまで働く。家族で夕飯を食べられない家庭が増える。経済的な成功のために、日本人は家族との時間を犠牲にして来た。

そして311。原発事故。エネルギーの需給というより金儲けのために推進してきた原発が大きな事故を起こし、爆発した。これは金と物を追い求めた時代の崩壊を意味するのではないか?と思える。

原発事故の被害は単に家や物を奪ったということだけではない。故郷を、友達を、仲間を思い出の場所を奪い、家族をバラバラにした。これが「金」と「物」を追い求めて来た結果なのだと痛感した。

そして大事なのは物ではない。物はまた買うことができる。が、失った故郷は買えない。近所の友達、職場の仲間。そして家族の絆も買うことができない。それらの人たちがいたから、助けられ、貧しくてもハッピーになれたのではないか?

一緒に喜んでくれる家族や仲間がいるから嬉しいのではないか? 被災者の人にインタビューした。一時帰宅では何を取ってきたのですか?と。彼らはこう答えた。「家族のアルバム。そして子供たちの卒業証書。子供たちが、幼い頃に描いた絵」お金で買えないものばかり。

そう、お金で買えないものはたくさんある。

そんな親子が一緒に過ごす時間を削って、日本人は働き、勉強。「金」を稼いで「物」を手に入れるためにがんばってきたのだ。

18世紀に産業革命でイギリスは躍進したが、その後はダメ。そのあとに続いたアメリカも今では、厳しい状況にいる。日本も同じだ。国も生き物と同じで、上り坂を上がっていくが、いつかは落ちていく。そう、日本が経済大国だった時代はもう終わった。

これからは「金」や「物」だけではない、新しい価値観を掲げることで進んでいくしかないだろう。そこにはきっと、別の「幸せ」があるに違いない。それこそが大人が、子供たちに伝える「大切」なことではないか?

なのに、今も、大人たちは金儲けに必死で再びバブルを夢見ている。

未だに過去の価値観を追い求めている。以前のように日本全体で金持ちなることができないので、一部の金持ちが、庶民を踏みつけにして、犠牲にしてでも、もっともっと儲けようとしているのが、今の日本の企業と政治である。

でも、もう過去の価値観にすがりつくのはやめよう。そして、経済大国でなくても、金持ちでなくても、人々がハッピーになれる国を目指すべきではないか? そんなことを考えている....。


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