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この記事。印象操作がある。フェイクニュースと同じ手法だ。 [れいわ新選組応援]

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この記事。印象操作がある。フェイクニュースと同じ手法だ。

山本太郎に対する批判記事。読むと白を黒と読者を誘導するフェイクニュースと同じ表現法がいくつもある。まあ、そういう記事は多いが、この記事を書いたは「れいわ」を応援してきたジャーナリストだ。ただ、次号では「苦言であった」というようなことを書いている。が、それをストレートに受け止め辛い。この記事。とても苦言とは思えない。記事を検証してみた。

文中より「半世紀余りにわたって永田町を見つめてきた老練ジャーナリストは『山本太郎の政治生命はこれで終わったね』とサジを投げた」

この表現。なぜ、名前を出さない? 「半世紀余りにわたって永田町を見つめてきた老練ジャーナリスト」と言う表現。「すごい人が山本太郎を否定しているだよ」と言う意味だ。が、ジャーナリストが発言するなら匿名にする必要はない。なぜ、隠すのか? 

スシローが総理批判をするなら匿名にせぬと、もう寿司をご馳走になれないから分かるが、ジャーナリストが山本太郎を批判して困ることはないだろう。それも半世紀に渡って永田町を見つめてきた老練の人だ。太郎が怖い訳が無い。何ら支障もないだろう。なのになぜ?と考えると、本当にこの人物は存在するのか?と思えてくる。筆者が批判するだけでなく「偉い人も否定しているんだよ」という強調のための創作ではないか?

これも以前に書いたが、その後が「とサジを投げた」と言う表現。なぜ、この表現を使うのか?「サジを投げた」言うのは「見放した」と言う意味。老練の人がもし実在するとすれば「これで終わった」と言っただけであり「今後は応援しない」「注目もしない」とは言っていない。つまり、「サジを投げた」表現は筆者による推測。それも「サジを投げたようだ」ではなく「サジを投げた」と断定。なぜ、老練の人の心中を筆者は知っているのか?これも否定を強調するためのに、推測ではなくより強い断定を用いたのだと思える。やはりその老練さんは存在しないのではないか?

この種の表現が文中にいくつもあり、次の号で「前回は苦言だった」というような弁解しているが、苦言というより筆者自身が他人の言葉を借りて(創作して?)「山本太郎はもうダメだ!」と否定したい記事のように思える。アンチ「れいわ」であればよく分かる記事だが、筆者は「れいわ」を応援するジャーナリスト。「次に政権を取る可能性がある」とまで、昨年の記者会見で言っていた。どのような思い出この記事を書いたのか? 苦言とは思えない。意味不明。。以上の点を注意して記事を読めば、あれこれ疑問を感じるはずだ。

これ=>https://tanakaryusaku.jp/2020/07/00023285?fbclid=IwAR3e8gc0m-ihugBY2f4nL6PMJW-1Dx0yJ0F7zldw3ahLV23sVstE06fib4E


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都知事選の問題は小池ではなく、都民自身だった?=「YouTube見る暇が無い」? [都知事選 2020]

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都知事選の問題は小池ではなく、都民自身だった?=「YouTube見る暇が無い」?

ボランティアで山本太郎を応援。ポスターを貼りに行った方がこんなコメントをくれた。

「『新ポスターはお断りします』の声を何度も聞きました。山本太郎を応援して来た家、もしくは個人商店ばかりです。なぜですか?『最近の太郎さんの発言やポスターをキャッチコピーがネットやらない人には理解しにくい』『お金印(ス)れ!ってどうゆう意味ですか?』『底上げってどうゆう意味ですか?』『私らは商売しててネットYouTube見てる暇がないのですよ!』」

いろいろ考えねばならない指摘だ。まず、今回の状況を思い出してみよう。テレビはオリンピック・スポンサーに気を使い討論なし。新聞もスポンサーなので太郎叩きの記事多し。そんな中でネットを見る余裕のない人にどう伝えるのか? だから街頭演説をした。太郎さんはそこで情報拡散を聴衆に訴えかけた。が、小池作戦の前に拡散はできなかった。それが今回の残念な構図。

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次に注目したいのは「商売していてYouTubeみる暇がない」という言葉。引っかかる。「会社が忙しくて帰宅したら報道ステもNEWS23も終わっている」という友人がいる。けど、そんな人でも通勤電車でスマホでネットは見れる。商売の人だって客が来ない時間帯。トイレに入るとき、風呂に入るときに、スマホで動画やニュースを見る時間があるはず。5分なら1日のどこかで取れる。「商売していて暇がない」という人は時間ではなく、そもそもネットを見ない層ではないか? 

また「お金刷れ」「底上げ」で疑問に思ったなら、それこそネットで調べるべきだ。調べすにポスターを貼りに来たボランティアに疑問や怒りをぶつけるのは筋違い。過去の太郎発言で支持したとしても今回は都知事選、コロナ禍で以前とは事情が違う。新しい公約や提案を知ろうとせずに、疑問を調べず「どういう意味?」というのは怠慢と言える。

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候補者は公約を伝える努力。そして有権者はその公約を知り考え選ぶ努力をするべき。それを「忙しいから」と過去の発言と今回聞きかじった言葉を比較して不信感を持つ。それは有権者側の努力不足だ。「忙しい」「ネット見れない」「ネットはしない」「テレビも見れない」「新聞読めない」というなら、それはある意味で「おんぶに抱っこ」を求めているのと同じ。

選挙は「新商品を買ってください!」という話ではない。自分たちの生活をより良くするための政治家を選ぶこと。なのに「ネットしない」「忙しくて見れない」は有権者側の怠慢。都民が「自分たちは何をすべきか?」を考えることが第1歩。もし、「忙しい」「ネット見れない」「太郎の発言おかしい」「でも、調べない」「小池嫌い」「投票したい人いない」「棄権」だとしたら、それは小池に一票と同じ。まさに小池作戦にハマったということだ。

ここしばらくの都知事選を見ていて感じるのは、都民の努力不足。怠慢。自分たちの生活がかかっているのに「時間がない」「過去の発言しか知らない」では、小池都政が続くのは当然。その意味でテレビ討論を封印した小池作戦は大成功と言える。また、忙しさを理由に答えを探そうともしなかったのなら、あと4年小池都政に耐えるのも仕方ないこと。第二波が来ても何もしないであろう都知事に耐えるのは都民の選択なのだから。

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もちろん、候補者がその種の層にアピールすることも大事。だが、都民は情報をくれるのを待つのではなく、自分から進んで情報を取りに行くべき。自分たちの生活のことなのだから。「忙しいからネット見れない」では生活が良くならない。例えば「商売で忙しい」だったら1日、店を休む。「そんなことしたら収入が減る!」というだろう。でも、小池都政が続けば、もっと大きな代償を支払うことになる。店1日締めた以上の損害を被ることになるとは考えない。目先のことで精一杯。

店閉めなくても、風呂でスマホを見ればいい。街頭演説の動画ー5分見れば違ってくる。それすらをしないのは、怠慢と言えるのでは無いか?今回、テレビが封じられても、多くの都民がネットで検索。「山本太郎」や「宇都宮健児」の公約や人柄を調べて投票すれば、小池を降ろすこともできた。それをしなかったから、「テレビ討論ないから!」ということで、他候補を知る努力をしな買った結果が、小池都政を選んだ。我慢の選択したのと同様なのだ。まずそこに都民が気づくことがスタートではないか?


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リモート・ドラマ「同窓会」大好評! 6000回再生達成 [2020]




リモート・ドラマ「同窓会」大好評!

「感動した」「泣けた」「昼に観たら目が腫れて外出できない」「同窓会がしたくなった」と多くの感動の声が届いている。

こんな時期に何か多くの人が元気になれることがしたくて、参加した企画だった。その思いが多くの人に届いたようで嬉しい。とにかく俳優陣が素晴らしい。全員第1線で活躍するベテランの方々。僕が1週間で書いたシナリオを読み、2回のリハーサルで本番に挑んだ。というと、お手軽にできたように思うが、まあ、そこまでの準備が大変。

リモート・ドラマなんて俳優さんは初めて。僕も初めて。まず、システム、用法、使用法から勉強せねばならない。従来のドラマでできてもzoomではできないこと。また、その逆もある。特性を把握することが大事。また、シナリオも従来のドラマと同じ発想でではダメ。演じる側もドラマや舞台とは違った制約や背景がある。

僕の場合は説明しても分かってもらえないが、監督と脚本家と編集の3つを1日に代わる代わるやらねばならないのが一番苦しい。監督モードと編集モードは別。通常は切り替えに1週間以上かかる。それを1日に何度もやるのは、神経が切れそうになる。しかし、俳優陣のお陰で完成度は高く、感動の波が広がっているようだ。

ご覧になった方。ぜひ、YouTubeのコメント欄に感想を書き込んで欲しい。コメントは彼ら彼女らが直接読む。ダイレクトに届くので、ぜひぜひ、感想をお願いしたい。

https://youtu.be/W6WVR4OomRQ



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なぜ彼らは否定し合ったのか? その根底にあるもの=戦時中を思い出させた都知事選? [都知事選 2020]

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なぜ彼らは否定し合ったのか?=戦時中を思い出させた都知事選?

今回の都知事選。最大の敵である小池百合子を批判せずに、ライバル候補者を批判。誹謗中傷する人が多かったのはなぜか? もちろん、自分が支持する候補への応援の一環ではあるが、それなら小池を批判するのが得策。また、ライバルの批判より支持する候補の魅力を訴える方が知らない人たちにはアピールする。

他の候補を中傷した場合。「へーーそんなに酷い奴なのか?」と思い、その候補に投票するのを止める人もいるが、逆に「あんな風に誹謗中傷する人が支持する候補って嫌だなあ〜」と思われマイナスになる場合もある。にも関わらず、ライバル候補への批判や中傷が多かったのは、それらの人たちは冷静さを失い、支持候補への熱い思いよりも、「ライバル候補が許せない」という憎しみを持ってしまったからではないか?

ただ、気にになるのは、その種の発言が多かった人たちが支持したのは、庶民の味方であり、どちらも多くの人に支持される実績ある候補。嫌われる自公の議員たちではない。評価はしても誹謗中傷する背景はあまりない。にも関わらず、汚い言葉で批判する人がいたというのは「憎悪」が背景にあったと思える。では、そんな庶民派の候補たちへの憎悪は、どこから生まれて来たのか?そこを考えたい。

思い出すのは「近親憎悪」ー国語辞典で意味を調べた。「親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと」つまり、近い価値観を持つからこそ、小さな違いが気になり、許せなくなるということだ。一般から見たら小さな違いなのだが、自分たちの価値観、理想。「これしかない!」ーある候補者に理想が重なる。「この人しかいない。他はダメだ!」逆に、ライバル候補には理想が一部重ならない。「こいつはダメだ。100点じゃない」でも、悪意はない。熱い理想に燃える人たち。何もせずに文句をいうだけの、選挙にも行かない連中とは違う。

ただ、熱いから、理想に燃えるからこそ。小さな違いが許せず。こうでなければならないという価値観を持ってしまい、100点を取らないと全否定という極端な発想に縛られてしまったのではないか? これは選挙や原発だけの話ではない。映画ファンの世界でも「映画は***でなければならない。ハリウッド映画なんて映画とは言えない」という高尚なマニアがいる。「スピルバーグなんてクソだ。ベルイマンのような作品を映画と呼ぶんだよ」という友人もいた。彼の価値観でしかないのだが、「でも、俺はルーカスの映画が好き」というと「お前は何も分かってないな。最低だ。2度とうちに来るな!」と縁を切られたこともある。

高校時代を思い出す。僕の周りは親も、教師も、同級生も「成績がいい」=「素晴らしい人」「成績が悪い」=「人として最低」という価値観だった。「成績が全てではない」というと「勉強が嫌だから言い訳するんだ!」と言われた。「落ちこぼれ」と言われた。これが戦時中だと、子供達はこう考えた。「大人になったら立派な兵隊さんになり日本を守る」そんな時代に「戦争なんて無意味だ」というと「非国民!」とのししられた。「戦争に勝つ!」が絶対的な価値観だったのだ。

そんな風に一つの価値観を絶対視することは危険。なのに、平和を願う候補たちを支持しながら、自分の価値観から離れられず、他者を否定、誹謗中傷するのはどういうことだろう? 戦時中の価値観とどう違うのか? 「こうでなければならない!」「我に正義あり」それはもう価値観ではなく、危険な思想だと思える。が、熱くなり真剣になると、それに気づかなくなる。まさに戦中の国民と同じ?と感じてしまう。


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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない? [コロナウイルス]

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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない?
                

緊急事態宣言ー「店を閉めろ! 外出するな!家で過ごせ! 人に会うな!」と自粛要請。スーパーではトイレットペーパーやマスクが売り切れ。政府は国民にあれしろ!これしろ!という割には「アベノマスクを2枚配布。1人10万の給付」その上、緊急事態宣言が終わっても、それらが届かない家庭が多い。

マスクも小さ過ぎる。虫が入っている。役に立たない。そんなものに200億円以上も使った。1ヶ月も店を閉めれば赤字。数百万円単位。10万円もらっても焼け石に水。収入ゼロ、家賃が払えない。廃業、倒産、自殺に追い込まれた人もいる。政府は一体何をしているのか? そんな現実を見ていて思い出したのは、75年前の沖縄戦だ…。

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3年がかりで当時を知る体験者から取材、ドキュメンタリー映画を製作した。そこで知った当時の政府方針も今と変わりないもの。米軍上陸に備えて、沖縄県民の14歳から70歳までを動員。飛行場の建設。防空壕作り、軍の手伝いをさせた。本土でもそこまではしていない。なぜか? 

沖縄に送られた第32軍は10万人ほど。対するアメリカ軍は50万人を超える。「1人5人殺せば勝てる!」と言われた。気合いで勝てというのだ。その足りない兵隊数を補充するため、沖縄県民が根こそぎ動員された。コロナ対策でいうならPCR検査拡充もせず、民間に自粛要請。国民の犠牲の上に感染を止めようとした現政府がダブる。

戦闘中も住民に武器弾薬の運搬をさせた。軍の手伝いを強要。そのことで多くが戦闘に巻き込まれた。最終的に県民の3分の1が死亡。さらに軍は住民を自分たちが隠れるために防空壕から住民を追い出したり、食料を奪ったり。そして自決まで迫った。なぜか? 同じ日本人が沖縄県民に対してなぜ、死を強要したのか? 

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体験者が語る「2個の手榴弾を役場から渡された。1個はアメリカ兵と出会ったら投げろ。もう1個は自決に使え...」当時の教えは「生きて虜囚の辱めを受けず」捕虜になって辱めを受けるのなら、その前に自決せよという意味。だが、この戦陣訓の本当の意味は「アメリカ軍の捕虜になり尋問され軍の配置や場所等を喋られては困る。だから死ね....」というもの。軍の都合。ここからも当時の日本軍、政府の考え方は「国民を守る」ではなく「国民は使い捨て」「犠牲にしてもいい...」だと思える。

実際、沖縄に派遣された第32軍の目的ー政府からの命令は「沖縄県民を守ること」ではなく、米軍を沖縄に釘付けにし、持久戦に持ち込み、体力や兵力を奪い、少しでも本土上陸を遅らせることにあった。その間に本土決戦の準備。そんな時間を稼ぐことこそ沖縄に送られた第32軍の使命だった。

コロナ禍も同様。国民にあれこれ犠牲を強いる。役にも立たないマスクに遅すぎる給付金。国民が苦しむのを高いところから見つめるだけ。財務省の金は使わずに温存しようという考え。消費税さえ下げなかった。交付前には「リーマンショック級の事態が起これば延期する」と言っていたのに、それ以上の緊急事態になったのに下げなかった。沖縄戦時でも県民を踏みつけ犠牲にし、本土を守ろうとした...。

戦後75年。沖縄戦を見つめることは、過去を振り返るだけではなく今、日本が抱える問題を見つめることにも繋がる。いよいよ。7月25日から東京公開。新宿Ksシネマにて。全国は順次ロードショー。


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった? [都知事選 2020]


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった?

今回の都知事選。何度も書いたがライバル候補を批判するだけならいいが、誹謗中傷する支持者たちが多く残念だった。それがネトウヨレベルの人たちなら分かるが、日頃は鋭い意見をツイートしている人まで、そのレベルに下がっていた。そして罵詈雑言をいうのではなく、間違った情報による批判。デマをもとにした発言。それがとても悲しかった。現政権を批判するときは、正確な情報を探し出し発信したり、「なるほど!」という指摘をするのになぜ、あんなレベルになってしまったのか?

また、事実を踏まえていない人もおり、彼らは「熱さ」と「思い込み」だけで応援しているのではないか?という気もした。一方、当選した小池の支持者はというとネットでの応援者はほとんど見られず、テレビでの感染対策パフォーマンスで「知事、頑張ってるなあ」と評価した人と、あとは組織票ではないか? もちろん、候補者の公約に賛同し、まっすぐに応援し、ライバル候補を中傷したりしないマットーな方が圧倒的多数なのだが、いつもはリテラシーある一部の人たちが何かを無くしているように感じた。

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思い出すこと。「朝日のあたる家」を作ったとき。一番注意したのは原発推進派からの攻撃だった。「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画は撮れない」と言われていた。それを覚悟で監督。なんらかしらの圧力、嫌がらせはあると思っていた。しかし、意外なところからの批判に驚かされる。原発反対を訴える人たちから一番批判が多かった。「不勉強だ!」「内部被曝が描かれていない!」「福島の事故と同じ展開。ありえない!」(あえて、そういているのだが)そんな批判を数多く見かけた。中には直接、僕自身に言いに来る人たちもいた。

誤解なきように言うが、一番応援してくれたのも原発反対の人たち。彼ら彼女らの応援なしにあの映画の成功はなかった。どの町でもチケットを売ってくれる人、宣伝してくれる人、メディアに告知してくれる人。本当に支えられた。が、同じく原発反対!と唱える人たち。こちらは少数ではあるが、その人たちがあれこれ批判していた。推進派からの批判もあったが、反対派からの批判が遥かに多かった。「朝日」は原発事故の悲劇を全国に伝えるものだ。それを同じ意思を持つ一部の人たちがなぜ、批判するのか?当時は理解できなかった。

その後、分かったこと。一部の人たち。彼らには「原発の反対はこうあるべきだ!」という頑な思いがあった。ある人は「危険性を訴えるだけではダメだ。これからは内部被曝の怖さを伝えねばならないのに、この映画はまるで触れていない。これでは意味がない!」と考えた。またある人は「この映画で描かれたことは全部知っている。こんな初心者向きの映画では何の意味もない。努力が足りない!」と不満を持った。多くの人が原発に対する知識がない時期。基本的なことを伝えることが大事と僕は考えたのだが、その人は自分の知識を基準にしてそれ以下だからダメだと判断したのだ。

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また、別の人は「俺はチェルノブイリから反原発を訴えているんだ。それが福島で事故があった途端に映画にしやがって、遅いんだよ!」と怒る。が、あの当時、僕はまだ学生であり監督業には就いていない。批判するなら映画会社にどうぞ!と思える。何より当時は今以上に原発映画はタブーの時代。なのに、長年、原発に触れない映画、テレビに対する怒りを僕の作品にぶつけていた。

こうして見ていくと、原発事故を描くこと自体を批判しているのではなく、その描く対象、レベル、時期を批判していた。言葉にはしないが原発事故を映画にすることは良しとする。「まだまだ努力が必要がですね〜。そんなことじゃダメだな!」という意味だ。ただ、この目線は教師が生徒に対するものと同じ。師匠が弟子を叱責するときのものに近い。熱い思いのある人たちなので「もっと努力しろ!」と言いたいのだろう。だが、彼らは師匠でも先生でもない。勘違いをしている。

確かに彼らの方が早い段階から原発を反対してきただろう。チェルノブイリ以降から、福島の後でも非常に深く勉強し、知識を持っている。それなら文句を言う前に、チェルノブイリ直後に自分たちで原発映画を作ればよかったのだ。「朝日」の後にでも自分たちが気に入る原発映画を作ればいいのだ。僕は金持ちだからあれが作れたのではない。多くの人の協力で寄付を集めて制作した。どこの企業からも一切の投資は受けていない。彼らも同じようにやればいい。監督を雇って撮らせればいい。誰もそれをせず「あれがない!」「これが足りない!」「努力が足りない!」と高いところから批判するばかり。

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「こども食堂」と同じ構図。貧しい子供達のために無料で食事を提供するこども食堂。その店に近所の大人たちがやってきて「手作りの料理にすべきだ」「自然食品がいい」「勉強も教えるべきだ」と自分たちは何もせずに、あれこれ提案と指示ばかりする。やがて食堂のオヤジは愛想尽きて「こども食堂」をやめてしまう。何もしないくせに口だけ出す。そして自分たちは正しいことをしているつもりでいる。「朝日」を批判した反原発オヤジたちも同じ背景だった。

話が長くなったが、都知事選に戻る。今回、リテラシーがありながらライバル候補をあれこれ批判していた人たち。同じところに陥っていると思える。ライバル候補の公約や言葉の中に、自分が望む全てがないと批判。先の「朝日」批判も、都知事選の誹謗中傷も、どちらも100点を求めている。あの候補は90点だからダメだ。あの公約は10点減点。「はい。アウト!」みたいな感じ。何の見返りも求めず、完全にクリーンで、自分の理想通りの公約を掲げ、一切の誤解を持たせない。そんな候補を求めているように見えた。そのレベルに達していないと否定。攻撃。批判。同じ目的を持つ仲間を潰しているだけではないか? 候補者には100%の理想を求める必要はない。現実の中でできる何かを探し、70点でもまず勝たせて、応援によって理想に近づける。そういったことも大事ではないか?




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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開劇場の20館目が決定! 109シネマズ広島 7/31(金)〜 [沖縄戦]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開劇場の20館目が決定!

109シネマズ広島 7/31(金)〜8/16(日)2週+3日の変則ですが


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ドアーズの「モリソンホテル」ここがジャケットの場所!! [LA 想い出の旅]

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ドアーズの「モリソンホテル」ここがジャケットの場所!!

ネットというのは凄い。Facebookを見ているとあのドアーズのアルバム「モリソンホテル」のジャケットとなった建物の1972年の写真がアップされていた。おーー。ドアーズはストーンズ、THE WHO、スプリングスティーンらに継ぐお気に入りバンド。あの「地獄の黙示録」の挿入歌(主題歌?)「ジ・エンド」を歌ったバンドである。

そのボーカルがジムモリソン。UCLAで学び。当時、コッポラと同級生だったそうだ。このアルバムのタイトルは「モリソンホテル」。ジャケットは高校時代から知っている。が、きっとモリソンにかけてセットで作ったのだろうと思っていたら、実在するホテルで撮影していた。名前も本当にモリソンホテルという。

それもLA。まあ、ドアーズはLAのバンドだし、あのウイスキーアGOGOにも出演している。場所はどこかと見ると、1246 S. Hope Street 大学時代はLAにいたので、これだけで分かる。Hope St.はダウンタウンを南北に横切る通り。1246はどの辺か?とグーグルマップで調べてみたらサンタモニカBlの少し上。おーUSC(僕が通った大学)から近いじゃん! その気になれば歩いて行ける!

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が、全然知らなかった!車なら5分10分の距離だ。で、さらにグーグルストリートビューで見てみると、ホテルはもう廃業しているものの建物は残っている。ジャケット写真を比べると確かにここだ! あー、ここにジムモリソンたちが来てジャケット撮影したのかー。留学中に行けばよかった〜。でも、当時はそんなこと全く分からないのよね。ちなみに、この「モリソンホテル」のA面は「ハードロックカフェ」B面が「モリソンホテル」と呼ばれる。そのA面からあのレストランチェーンは「ハードロックカフェ」と名付けたそうだ。

アメリカを旅してその店見つけるたびに、訪れたあの店。Tシャツもいっぱい持っていた。が、その経緯も全然知らなかった...現在の様子が下写真。

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今回の都知事選を総括。一体、誰が得をしたのか? なぜ、マスコミは沈黙したのか? [都知事選 2020]

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今回の都知事選を総括。一体、誰が得をしたのか? なぜ、マスコミは沈黙したのか?

小池勝利の一因。テレビ討論等をせず、他の候補をテレビに出さなかったことだろう。そのことで彼らを露出させず、都民に印象付けない。同時に討論で山本太郎や宇都宮健児に鋭い指摘をされて、反論できない情けない姿を都民に晒さずに済む。それよりも連日、テレビに出て英語を交えた能書きを垂れ、フリップを掲げる方が「知事、頑張ってるなあ!」という印象をアピールできる。そのためにテレビ討論を避けたのだ。

街頭演説をしないのも同様。それをテレビに取材されて、勢いある太郎候補や論客の宇都宮候補と並べて放送されたら、やはり見劣りする。しかし、テレビは制約があり各候補の放送は同じ分数、秒数でなくてはならない。演説をしない小池。彼女の映像無くして他の候補だけを映し出すと不公平。だから放送できないという事情もある。それでも初期は小池分だけはネット映像を使い放送したが、不公平感を指摘されたのか?すぐに見なくなくなった。小池作戦は機能したのだ。

そして多くのマスコミによる小池応援。読売、毎日、朝日、日経という新聞は全てオリンピック・スポンサー。万が一、太郎候補や宇都宮候補が勝ち中止にされたら敵わない。そこで直接ではないが、彼らのイメージを悪くするネガティブキャンペーンを行なった。こき下ろす記事を流した。さらに、マスコミ以外にも大手企業がスポンサー。テレビはそれらに気を使い、都知事選報道を自粛。ほんの僅かに触れる程度で終わらせた。

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そうすればスポンサーから睨まれない。同時に小池作戦を強く後押しするものである。そのため都民は候補者の街頭演説を聞きに行く、ネットで彼らの公約を確認するという努力をしなければ候補者の主張を知ることもできなかった。ネットの時代とは言われるが、まだまだテレビは強い。影響力はある。

そのテレビ。さらに新聞社等が一致団結。オリンピックのために(というより儲けるために)小池作戦に協力。他の候補を封じ込めたのが今回の都知事選である。ある意味で原発推進と同じ、多くの大企業やマスコミが束になって進め、マイナス情報を全て封印してしまう。国民は事態を知ることができず、一部の情報に誘導される。問題があることにすら気づかない。同じ構図なのだ。

もちろん小池勝利の理由はそれだけではないが、そこが今回の特徴と言える。ただ、面白いのはそこまでして大企業やマスコミが守ろうとしたオリンピック、中止になるだろう。1年後にコロナ感染が終息。ワクチンが開発されているはずがない。実はすでに中止は決定されているという情報もある。

なぜ、それを発表できないか?というと、スポンサーが莫大な投資をしている。大きな迷惑をかけることになる。多くの儲けを失うことになる。そのために時間をかけて小出しに中止を感じさせる情報を出し「やっぱ無理かな〜」という空気を作り、世論も「仕方ないよな」となったあたりで発表という段取りではないか? 

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だとすると、この都知事選とは何だったのだろう? できるはずもないオリンピックのために大企業とマスコミが一致団結し、都民のことなど眼中になり小池が当選。都民の生活を真剣に考える候補たちが落選。都民は詳しい情報を与えられることもなく、次の都知事が決まった。

さらに言うと、その知事=小池は次の国政選挙で知事を辞めて出馬する可能性が高い。多くの報道陣が「任期を最後まで勤めますね?」と質問したが(池上質問が秀悦だったが)小池は一度もそれに答えていない。あとで「嘘をついた」と批判されないためであり、やはり国政を目指すつもりだからだ。こうして彼女に投票した360万人は裏切られる。色々と考えることの多い都知事選だった。


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