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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない? [コロナウイルス]

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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない?
                

緊急事態宣言ー「店を閉めろ! 外出するな!家で過ごせ! 人に会うな!」と自粛要請。スーパーではトイレットペーパーやマスクが売り切れ。政府は国民にあれしろ!これしろ!という割には「アベノマスクを2枚配布。1人10万の給付」その上、緊急事態宣言が終わっても、それらが届かない家庭が多い。

マスクも小さ過ぎる。虫が入っている。役に立たない。そんなものに200億円以上も使った。1ヶ月も店を閉めれば赤字。数百万円単位。10万円もらっても焼け石に水。収入ゼロ、家賃が払えない。廃業、倒産、自殺に追い込まれた人もいる。政府は一体何をしているのか? そんな現実を見ていて思い出したのは、75年前の沖縄戦だ…。

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3年がかりで当時を知る体験者から取材、ドキュメンタリー映画を製作した。そこで知った当時の政府方針も今と変わりないもの。米軍上陸に備えて、沖縄県民の14歳から70歳までを動員。飛行場の建設。防空壕作り、軍の手伝いをさせた。本土でもそこまではしていない。なぜか? 

沖縄に送られた第32軍は10万人ほど。対するアメリカ軍は50万人を超える。「1人5人殺せば勝てる!」と言われた。気合いで勝てというのだ。その足りない兵隊数を補充するため、沖縄県民が根こそぎ動員された。コロナ対策でいうならPCR検査拡充もせず、民間に自粛要請。国民の犠牲の上に感染を止めようとした現政府がダブる。

戦闘中も住民に武器弾薬の運搬をさせた。軍の手伝いを強要。そのことで多くが戦闘に巻き込まれた。最終的に県民の3分の1が死亡。さらに軍は住民を自分たちが隠れるために防空壕から住民を追い出したり、食料を奪ったり。そして自決まで迫った。なぜか? 同じ日本人が沖縄県民に対してなぜ、死を強要したのか? 

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体験者が語る「2個の手榴弾を役場から渡された。1個はアメリカ兵と出会ったら投げろ。もう1個は自決に使え...」当時の教えは「生きて虜囚の辱めを受けず」捕虜になって辱めを受けるのなら、その前に自決せよという意味。だが、この戦陣訓の本当の意味は「アメリカ軍の捕虜になり尋問され軍の配置や場所等を喋られては困る。だから死ね....」というもの。軍の都合。ここからも当時の日本軍、政府の考え方は「国民を守る」ではなく「国民は使い捨て」「犠牲にしてもいい...」だと思える。

実際、沖縄に派遣された第32軍の目的ー政府からの命令は「沖縄県民を守ること」ではなく、米軍を沖縄に釘付けにし、持久戦に持ち込み、体力や兵力を奪い、少しでも本土上陸を遅らせることにあった。その間に本土決戦の準備。そんな時間を稼ぐことこそ沖縄に送られた第32軍の使命だった。

コロナ禍も同様。国民にあれこれ犠牲を強いる。役にも立たないマスクに遅すぎる給付金。国民が苦しむのを高いところから見つめるだけ。財務省の金は使わずに温存しようという考え。消費税さえ下げなかった。交付前には「リーマンショック級の事態が起これば延期する」と言っていたのに、それ以上の緊急事態になったのに下げなかった。沖縄戦時でも県民を踏みつけ犠牲にし、本土を守ろうとした...。

戦後75年。沖縄戦を見つめることは、過去を振り返るだけではなく今、日本が抱える問題を見つめることにも繋がる。いよいよ。7月25日から東京公開。新宿Ksシネマにて。全国は順次ロードショー。


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった? [都知事選 2020]


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった?

今回の都知事選。何度も書いたがライバル候補を批判するだけならいいが、誹謗中傷する支持者たちが多く残念だった。それがネトウヨレベルの人たちなら分かるが、日頃は鋭い意見をツイートしている人まで、そのレベルに下がっていた。そして罵詈雑言をいうのではなく、間違った情報による批判。デマをもとにした発言。それがとても悲しかった。現政権を批判するときは、正確な情報を探し出し発信したり、「なるほど!」という指摘をするのになぜ、あんなレベルになってしまったのか?

また、事実を踏まえていない人もおり、彼らは「熱さ」と「思い込み」だけで応援しているのではないか?という気もした。一方、当選した小池の支持者はというとネットでの応援者はほとんど見られず、テレビでの感染対策パフォーマンスで「知事、頑張ってるなあ」と評価した人と、あとは組織票ではないか? もちろん、候補者の公約に賛同し、まっすぐに応援し、ライバル候補を中傷したりしないマットーな方が圧倒的多数なのだが、いつもはリテラシーある一部の人たちが何かを無くしているように感じた。

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思い出すこと。「朝日のあたる家」を作ったとき。一番注意したのは原発推進派からの攻撃だった。「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画は撮れない」と言われていた。それを覚悟で監督。なんらかしらの圧力、嫌がらせはあると思っていた。しかし、意外なところからの批判に驚かされる。原発反対を訴える人たちから一番批判が多かった。「不勉強だ!」「内部被曝が描かれていない!」「福島の事故と同じ展開。ありえない!」(あえて、そういているのだが)そんな批判を数多く見かけた。中には直接、僕自身に言いに来る人たちもいた。

誤解なきように言うが、一番応援してくれたのも原発反対の人たち。彼ら彼女らの応援なしにあの映画の成功はなかった。どの町でもチケットを売ってくれる人、宣伝してくれる人、メディアに告知してくれる人。本当に支えられた。が、同じく原発反対!と唱える人たち。こちらは少数ではあるが、その人たちがあれこれ批判していた。推進派からの批判もあったが、反対派からの批判が遥かに多かった。「朝日」は原発事故の悲劇を全国に伝えるものだ。それを同じ意思を持つ一部の人たちがなぜ、批判するのか?当時は理解できなかった。

その後、分かったこと。一部の人たち。彼らには「原発の反対はこうあるべきだ!」という頑な思いがあった。ある人は「危険性を訴えるだけではダメだ。これからは内部被曝の怖さを伝えねばならないのに、この映画はまるで触れていない。これでは意味がない!」と考えた。またある人は「この映画で描かれたことは全部知っている。こんな初心者向きの映画では何の意味もない。努力が足りない!」と不満を持った。多くの人が原発に対する知識がない時期。基本的なことを伝えることが大事と僕は考えたのだが、その人は自分の知識を基準にしてそれ以下だからダメだと判断したのだ。

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また、別の人は「俺はチェルノブイリから反原発を訴えているんだ。それが福島で事故があった途端に映画にしやがって、遅いんだよ!」と怒る。が、あの当時、僕はまだ学生であり監督業には就いていない。批判するなら映画会社にどうぞ!と思える。何より当時は今以上に原発映画はタブーの時代。なのに、長年、原発に触れない映画、テレビに対する怒りを僕の作品にぶつけていた。

こうして見ていくと、原発事故を描くこと自体を批判しているのではなく、その描く対象、レベル、時期を批判していた。言葉にはしないが原発事故を映画にすることは良しとする。「まだまだ努力が必要がですね〜。そんなことじゃダメだな!」という意味だ。ただ、この目線は教師が生徒に対するものと同じ。師匠が弟子を叱責するときのものに近い。熱い思いのある人たちなので「もっと努力しろ!」と言いたいのだろう。だが、彼らは師匠でも先生でもない。勘違いをしている。

確かに彼らの方が早い段階から原発を反対してきただろう。チェルノブイリ以降から、福島の後でも非常に深く勉強し、知識を持っている。それなら文句を言う前に、チェルノブイリ直後に自分たちで原発映画を作ればよかったのだ。「朝日」の後にでも自分たちが気に入る原発映画を作ればいいのだ。僕は金持ちだからあれが作れたのではない。多くの人の協力で寄付を集めて制作した。どこの企業からも一切の投資は受けていない。彼らも同じようにやればいい。監督を雇って撮らせればいい。誰もそれをせず「あれがない!」「これが足りない!」「努力が足りない!」と高いところから批判するばかり。

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「こども食堂」と同じ構図。貧しい子供達のために無料で食事を提供するこども食堂。その店に近所の大人たちがやってきて「手作りの料理にすべきだ」「自然食品がいい」「勉強も教えるべきだ」と自分たちは何もせずに、あれこれ提案と指示ばかりする。やがて食堂のオヤジは愛想尽きて「こども食堂」をやめてしまう。何もしないくせに口だけ出す。そして自分たちは正しいことをしているつもりでいる。「朝日」を批判した反原発オヤジたちも同じ背景だった。

話が長くなったが、都知事選に戻る。今回、リテラシーがありながらライバル候補をあれこれ批判していた人たち。同じところに陥っていると思える。ライバル候補の公約や言葉の中に、自分が望む全てがないと批判。先の「朝日」批判も、都知事選の誹謗中傷も、どちらも100点を求めている。あの候補は90点だからダメだ。あの公約は10点減点。「はい。アウト!」みたいな感じ。何の見返りも求めず、完全にクリーンで、自分の理想通りの公約を掲げ、一切の誤解を持たせない。そんな候補を求めているように見えた。そのレベルに達していないと否定。攻撃。批判。同じ目的を持つ仲間を潰しているだけではないか? 候補者には100%の理想を求める必要はない。現実の中でできる何かを探し、70点でもまず勝たせて、応援によって理想に近づける。そういったことも大事ではないか?




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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開劇場の20館目が決定! 109シネマズ広島 7/31(金)〜 [沖縄戦]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開劇場の20館目が決定!

109シネマズ広島 7/31(金)〜8/16(日)2週+3日の変則ですが


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