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【40代を過ぎた頃から感性のアンテナが錆びて行くのを痛感?】 [my opinion]

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【40代を過ぎた頃から感性のアンテナが錆びて行くのを痛感?】

20代から付き合いのある友人たち。或いは学生時代からの友人から、いろいろと影響を受けた。最近、また読み直している「ワイルド7」はクラスメートが教えてくれた。ビートルズも確かクラスメート。ローリングストーンズは高校時代の友人。

泉谷しげるも、矢沢永吉も、渡辺美里も友人から教えられた。それらを僕が聴いていると、また別の友人がそれを聴き出すということがあり。そんなことが友人関係を育てて行ったように思える。カルチャーだけではない。CDプレイヤーを一番の買ったのは僕で、友人たちも負けじと購入。LDも競走だった。

映画も「ヒッチコックのリバイバルが凄い!」と誰かがいうと、友人たちはこぞって見に行った。「大林宣彦監督の映画が面白い!」となると、友人たちは知らない間にチェックしていた。そんな競走がいい刺激となり、新しいものを観よう。新しい情報を仕入れようという行動に繋がった。

が、ある後輩はこういう。「太田さんの友人たちって主体性がないんですね?」分かっていない。後輩はブームになるとすぐに追いかける日本人気質を重ねたのだろうが、友人たちはブームには関係なく、「面白い!」「凄い!」と思ったらメジャーでもマイナーでもすぐに受入れ、それを確認する。流行を先取りして自慢していた層とは違う。

むしろ、その後輩は新しいものが出て来ても、批判して、受け入れようとはせず。若いのにCDよりもテープ。新作よりも白黒映画にこだわり。同じ映画を繰り返し見ていた。若いのに「新しいものを受け入れるのは安易」と批判し、古世界に居続けることに固執。そして結局、追いかけていた夢を果たせず,会社員となった。

あとから考えると、新しいものを受け入れる能力がない人はやはりクリエイティブな仕事はできない。その意味で、僕はまわりの友人が面白いもの、新しいものをいろいろ探して来て教えてくれたので、大いに助けられた。

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だが、パソコンだけはかなり遅いスタートとなった。多くの友人がパソコンを使いこなしている時期にようやく、メールというものを知り、その威力を思い知る。生活スタイルまで変えてしまうものだった。それまで友人と連絡するときは、電話だけ。携帯が普及するまでは自宅の電話に連絡。本人を呼んでもらう。それも時間帯を気にして。

なのにメールはいつでもOK。おまけに瞬時に送れる。相手が忙しいか?どうか?心配する必要もないし。文章でやり取りするので保存が効き。待ち合わせの場所を忘れたりすることもない。おまけに、ネットでいろんな情報をゲットできる。「ぴあ」を観なくても映画上映情報も分かる。新聞を読まなくてもニュースが読める。ブログで自分の思いを多くの人に伝えられる。動画までOK。

僕より早くパソコンを始めていた友人たちは、そんな進んだ環境で生活していた訳で、自分がいかに忘れられた時代を生きていたか?を思い知った。テレビでは伝えない情報までネットは伝えてくれる。同じ、現代社会に生きていながら、ネットをやっているのと、いないのでは別世界に生きているようなものだと思える。

が、そこまでだった。90年代にパソコン生活を始めてから、友人たちから****が凄い!という情報が途絶える。年齢的なものだろう。友人たちは40代となった。新しいものをどんどん吸収した20代とは違い、未知なるものを受け入れるのを拒否するようになってきた。ツイッターが台頭しても誰もやらないFacebookも同様。もちろん、数人はやっているのだけど、多くの友人は「別のやらなくても困らない」という。

偉そうには言えない。僕もそれらを始めるのに時間がかかった。また、把握するにも月日が必要だった。自身でも感じる。脳の老化で新しいものを受け入れるのが困難になっている。でも、映画という仕事をするなら、それではいけない。話題の海外ドラマも観た。


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ふと気づくと同世代の友人たちは、その辺をほとんど見ていない。「24」「プリズンブレイク」「ヒーローズ」「ロスト」「ウォーキング・デッド」ここ10年アメリカのテレビドラマが凄いパワーで、これまでの歴史を塗り替える展開をしているが、同世代で見ている友人はほぼいない。話ができるのは若い後輩たちだけ。

でも、そこで謎が解けて来た。子供頃、大人と話をすると、古い映画やドラマの話しかせず。新しい映画のことを訊いても、「あんなものは駄目だ」「昔の***の焼き直しだ」としか言わない。映画の仕事をするようになってからも、先輩たちは新しい映画には批判的で「昔の映画はよかった....」と繰り返す。撮影でも古い方法論を振り回し。僕がハリウッド方式で撮影すると「邪道だ」「無駄が多い」と批判した。

つまり、人は歳を取ると新しいものが受け入れられなくなり、それどころか新しいものを嫌悪し、批判しがちということ。文化面だけでなく、技術でも同じ。友人で今もパソコンなんて必要ないという奴もいる。携帯もガラケーで十分という。それはそれで個人の哲学とも思えるが、時代から置き去りにされることは確実だ。

それで生きて行ける環境ならいいが、情報や文化というのは時代の反映であり、それらから遠ざかると、時代が向かう方向が分からなくなり遭難(?)するだろう。しかし、年齢の問題。僕自身、感性のアンテナは錆び付いていて、昔のような感度はない。

気をつけないと、先輩たちのように、古い方法論を振り回し、「これが王道だ。新しいものは邪道だ」と自分の感受性が鈍くなっていることに気づかず。自分を正当化するかもしれない。そのときは時代から置いて行かれ、自分の作品が通用しなくなるということ。これからは、それが最も厳しい戦いとなるのかもしれない。

これは映画関係者でなくても、会社員でも、商売でも、喫茶店でも、弁当屋でも生き延びて行くという意味では同じだと思う。感性のアンテナが錆びないような努力を続けること大事だと思う。2015年3月





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森友学園事件 疑惑の3日間を再確認ーここに全ての答えがあるはず! [事件]

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●森友問題。時系列を振り返る。

2014年4月、12月ー昭恵夫人が幼稚園訪問。

2015年9月3日ー安倍首相、財務省の岡本官房長、迫田理財局長と面会。午後2時〜

      4日ー安倍首相、国会を休んで大阪へ。「ミヤネ屋」他に出演
              夕方、東京へ

              午前10時〜森友学園側の業者と近畿財務局が面談 

      5日ー昭恵夫人、幼稚園で講演、名誉校長に。百万円寄付。

    11月17日ー谷秘書よりFAX 。





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「日本会議の研究」読んでいます。 [2017]

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「日本会議の研究」読んでいます。







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籠池喚問から週明け。マスコミの反応を考えてみる [事件]

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●新聞には「当事者の言い分が食い違い過ぎ、真相はまさしく薮の中」と書いているが「薮の中」ではない。籠池氏は偽証罪が問われる喚問で「100万円もらった」証言したのに、昭恵夫人の招致を与党は拒否。本人でない誰かが書いたFacebookで説明。どちらの疑惑が深いかは明快。薮の中ではない。

●ついこの間までマスコミは政府批判を止めていた。批判したキャスターたちは皆、降板。コメンテーターは誰かのお友達になった。それが森友問題で批判を再開したメディアがいくつもある。もし、事件が解明できなければ再びマスコミは沈黙するだろう。政府公報局は批判し、正しきメディアは応援したい。

●原発問題で政府寄りの局は「国を二分する議論」という。実際は反対派が半数を超えている。関係勢力を気にした表現にしているのだ。森友問題も同じ、多くの国民は「夫人怪しい!」と思っている。なのに多くのマスコミは「真相は藪の中」という。誰への気遣いか?知らない振りはやめてほしい。


●集団的自衛権のとき、憲法学者の多くが違憲と主張。官房長官は「支持する学者はたくさんいる」といったが実は3人だった。にも関わらず強行採決。森友問題も同じ。籠池FAXはどう読んでも政治関与を証明している。それを「ゼロ回答」と主張。強引な解釈で理不尽に進める政権はもう終わりにしてほしい

●森友問題ー関心があり、朝のワイドショー4番組。夜のニュース番組3つを録画。全てチェック。現段階で一番熱心に事件を追うのは「モーニングショー」。でも他では絶対に報道しない情報を伝えるのがネットの「オプエド」。最近は毎日見ている。ぜひ!


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●森友問題。真相はどうか?を別にしてもいい機会。政権関係者たちのことがリアルに分かる。防衛大臣はすぐ記憶をなくし、官房長官は秘書が勝手にやったといい、総理夫人は教育勅語の学校に感動、関係者は超格安で土地を買える。喚問した議員たちはあんな感じ。えーーこんな人たちの政権だったんだあ〜。


●「道徳」の教科書。パン屋はダメで和菓子はOK?「我が国の郷土・・・」というのが理由とのこと。その日本国万歳!的な方針と森友学園とは何か共通するものがある。もし、開校されあのまま学園を総理が絶賛。文科省は忖度し公立校にも同じ方針を導入。戦前の教育に逆戻り?あ、それが目的だった?

●安倍内閣は集団的自衛権の議論でも、筋の通らぬ理屈を数の力で強行に押し切ってきた。が、多くの国民は情報が少なく何を揉めているか理解できない部分があった。ただ、森友問題は違う。ワイドショーなどで詳しく説明されているので、与党の説明がいかに矛盾した理不尽なものか痛感。大事な部分である

●以前マスコミは2手に分かれていた広報派と批判派だ。だが、批判派は徹底的な攻撃を受け、批判的なキャスターを降板、お友達評論家を後がまに据えることとなる。完全な敗北。それがまた批判を始めた「この件で内閣を総辞職に追い込める!今、戦わないと大本営発表のままだ!」そんな決意のはずだ。

●森友報道を見ていると、未だに政府擁護の局。正面切って批判の局。様子を見ながら小出しに批判する局。お友達評論家を立てて批判をかわそうとしたり、コメンテーターに擁護させたり。でも、もう少し風向きが変われば、擁護の局でさえ、獲物に襲いかかるだろう。それがマスコミだ。風向きもっと変われ!

●ワイドショーの森友学園問題。必ずコメンテーターに政府擁護役を用意している。寿司友ではなく、お笑い芸人だったり、テレビ・ディレクターだったり。なぜか、その人たちが夫人擁護を高らかに叫ぶ。強い違和感。なのに番組自体は追求を止めない。なるほど、エクスキューズね?





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