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今、子供たちに伝えるべきは何なのか? =騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は? [日本の教育]

今、子供たちに伝えるべきは何なのか?
=騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は?

(2019年6月 再掲載)

学生時代。NHKの「若い広場」では「受験戦争」とか「学校」とかをテーマに討論する真面目な番組があった。「何のために勉強をするのか?」という話で、ある生徒が言った。

「何だかんだ言っても自分のためじゃないかなあ。勉強は嫌だけど、好きなことばかりやってられないし、自分を鍛えると言うことだと僕は考えています」

一方でアメリカ人は「楽しむ」と言うことを大事にする。「Aer you enjoing?」(楽しんでいるかい?)とよくいう。だが、日本では「楽しむ」と言うことに罪悪感を持つ部分がある。皆が働いているときに、俺だけ遊んでいていいのか?というような。

「遊んでばかりいたらダメだ。勉強(仕事)しなきゃ!」

そんな強迫観念はないだろうか? 僕より若い世代になる程、その意識が少なくなっているとは思うが、「遊ぶこと」「楽しむこと」はいけないことで「努力する」「学ぶ」「頑張る」と言うことが人として大切なこと。と言う意識が日本人には強い気がする。

だからこそ、戦後、お父さんたちは夜遅くまで働いて、日本を経済大国した。優秀な電化製品を次々に開発して、世界マーケットをを独占した。当時は漫画を見てもスポ根ものが盛ん。ひたすら努力と練習を続ける星飛雄馬がいて、ボクシングに青春をかける矢吹丈がいた。そんな漫画を読んで育った僕らの世代は「遊んでいてはいけない」「努力しなきゃ」と言う思いが強いのだろう。

勉強することは努力すること。自分を鍛えることと思い込んでしまったのではないか? 花形満が体を壊してでも鉄バットで大リーグボール1号を打つ練習をしたり(よく分からない方は読み飛ばしてください)星飛雄馬が腕の筋が切れるのを承知で、大リーグボール3号を投げたり(説明大変なので気にしないでください)力石徹が体重を落とすために倉庫に寝泊まりしたり(先と同じです)

そんな努力を「苦しくても頑張る!」と言う解釈にして、大人は遅くまで仕事をし、子供たちは勉強をした。ある先生がよく金八先生を真似て言っていたこと。

「勉強と言う字はー勉めてー強くなるーと書く。それが勉強だ」

「嫌だと思っても、勉めてやるから強くなる」

それは飛雄馬であり、丈であり、力石だ。そこまで子供が考えてはないが、無意識に感じた。そして大人たちは司馬遼太郎の小説の武将や勤皇の志士たちに自分を重ねた。

先の「若い広場」の生徒の発言。今、考えれば、勉強は「自分のため」ではなく、国が経済大国を目指す重要な戦力(優秀なサラリマン)となるための訓練だった。与えられたことを確実にする優秀なサラリマーンになる努力させられていることに気づかず。「自分のため」と思い込んでいたのだろう。

国のため、経済大国を目指すため、それ自体は悪いことではない。が、そのために猫も杓子も動員、国のためではなく、自分のためと思い込んでいる。思い込まされていることが恐ろしい。それは戦時中と同じ構図。だが、良い大学=>一流会社=>安定した生活という流れはもう過去のもの。これからは「与えられことをするだけの会社員」では通用しない。大人は、親は、子供達に何を伝えればいいのか?


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なぜ、人はカテゴリー分けしたがるのか?=「考える力」のない人。他人を踏みつけて優越感を持ちたい人? [my opinion]

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「戦争論」結局、全部読んだ。著者がかなり個人的な思いで戦争を解釈した作品ではあるが、それも一つの意見。他と比較することで見えてくるものあるので、興味深い作品ではあった。ただ、巻頭から「右翼だ」「左翼だ」「リベラルだ」とカテゴリー分けがやたら出てくる。多分、戦争を理解する上で著者は、そこから入ったのだろう。映画を知らない人が映画を語るときに「文芸作品」「恋愛映画」「スリラー」「サスペンス」「SF」とカテゴリー分けして把握しがちなのと同様。

しかし、以前にも書いたがカテゴリー分けはあまり意味がない。そういうと「分類することで理解できる側面もある!」と言われたことがあるが、そうではない。分類は自分なりに分けること。カテゴリー分けはすでに作られたカテゴリーに嵌めて分けるこという。そのカテゴリーが古くなり過ぎて現代には通用しなくても、無理にでも当てはめがち。そこから誤解が生まれ、齟齬が出て、間違った認識が生まれる。

れいわ 新選組が登場した時も、あるフリージャーナリストが「左派ポピュリズムの台頭」とタイトルをつけて記事を書いた。カテゴリー分け仕切れないので組み合わせで来た。そんな発想だから記事は的外れなもの。総じてカテゴリー分けする人は、鋭くない。だから、巻頭から「右だ」「左だ」という先の漫画は、その時点で著者は現実を把握し描くことができないのではないか?と思えた。念のために「新・戦争論」まで全巻読んだが、予感は正解。かなり歪んだ視点で戦争を描いていた。

同じことはネットの世界にも言える。「左翼だ」「反日だ」と批判するのが「ネトウヨ」(この表現自体も問題だと思うが、他に形容できないので使う)彼らもまた鋭い人たちではないので、そういったカテゴリー分けを使いたがる。そういえばネトウヨを産んだのが「戦争論」とも言われる。なるほど、繋がるものだ。カテゴリー分けしたがる人をもう少し解説すると「鋭くない」だけでなく、「考える力」が乏しく。物事を「見る力」も貧しい。自分で分析、把握する力がない。だから、過去に作られたカテゴリーに当てはめて理解しようとする。

楽して、考えずに、物事を把握したい、ある種、怠け者とも言えるタイプが多いのだろう。さらに言えば、考える努力をしないで、有意な立場に立ちたいという思いを持つ人も多いようだ。つまり、カテゴリー分けには分類とは別に「蔑称」としての意味もあるからだ。「左翼」というのは「反政府」「反抗的」「良からぬ国民」という意味も含む。何か国に対して不満をいうと「お前は左翼だ」という使い方をする。それは「不穏分子」というレッテルを貼ることにもなる。

原発事故直後も、原発を反対する人たちを「プロ市民」「放射脳」「黒い奴ら」と批判する者がいた。そんなカテゴリーを作り、レッテルを貼り貶め、バカにする。それがカテゴリー分けのある一面でもある。同じことは戦時中にも行われた。「非国民」「売国奴」国の政策に従わない者をそう呼んでバッシング。カテゴリー分けはレッテルを張り、差別する。貶める。批判するということにも繋がる。

そうやって差別する側に立つには、カテゴリー分けするのが有利。「あいつは左だ」「あの野郎は反日だ」そう言ってレッテル貼り、自分には叩いていい正義がある。と感じ攻撃する。「反日だから叩いてもいい」「ポピュリズムだから信用してはいけない」という大義名分を持つことができる。もし、「あいつはいやな野郎だから」という理由なら、個人的な嗜好で叩いていると思われる。でも相手を「左翼」と設定するなら「世の中のためだ」と自分を納得させることができる。安心して正義中毒になれる。

なぜ、攻撃するかというと、以前にも書いたが、日常で何かの不満、ストレスがある。それを発散させたい。が、会社で八つ当たりはできな。そこに政府批判をする人=「左翼だ」「なら叩いてもいい」「あいつは左翼なのだから」とコメント欄に誹謗中傷を書き込む。客観的に見たら大人として恥ずかしいことをコメントしているのだが、「左翼だから何をしてもいい」という思いが生まれる。その上、ネットでは実名も出ない。顔もバレない。安全地帯から攻撃できる。要はストレス解消。

カテゴリー分けするのは、そのようなタイプが多い。また、先のジャーナリストのように時代の推移に付いて行けない人もいる。いずれにして、その種の人は、問題あるので注意している。最近、彼ららがよく使うのが「陰謀論者」ーこれも楽して優越感を持てるレッテルだ。しかし、本当は自分の目で見て、考えて、相手を、現実を把握すべきなのだ。過去の価値観に当てはめても答えは出ない。それができないなら、過去に生きるしかなくなる。


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また、ひとつ発見。なるほどー。ごじつ、記事で説明。 [トランプ問題]

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また、ひとつ発見。なるほどー。

後日、記事で説明。


現在のチャプターは

トランプvs金正恩ー面談に至るまでの経緯!

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世界情勢を考える上で、一番勉強になるのが堤未果さんの本。 [2021]

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世界情勢を考える上で、

一番勉強になるのが堤未果さんの本。

写真の本は全部読みました。


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一口カツ定食 [2021]

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一口カツ定食


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マグロアゴ定食 [2021]

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マグロアゴ定食




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日本人はなぜテレビを見なくなったのか?=局の怠慢、慢心。没落するのが当然の背景? [my opinion]

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テレビは長らく大きな力を持って来たが、やはり、その立場にあぐらをかき努力を怠った。その間に時代は変わり、視聴者のニーズも変わる。にも関わらず今も昔と同じスタイルを変えようとしない。終焉を迎えるのも当然のだ。昔はその番組見たさに学校が終わったら飛んで帰る!と言うことがあった。が、仕事でどうしても帰れないと言うこともある。登場したのはビデオデッキ。タイマー録画できる。

これは視聴者側の努力。「その番組が見たい!」と言う強い思いがあった。しかし、テレビ局は安易な番組作りを始める。人気タレントを並べるだけ。似たようなドラマを繰り返し放送する。また、テレビというのは最大公約数的な番組が多い。多くの人が楽しめるもの=視聴率が取れる。が、2000年代に入り趣味嗜好の多様化が進む。

例えばスポーツ。昔は野球だけで皆、喜んだ。それがサッカーがブームになる。プロレスも多様化し、全日本と新日本だけではなくなった。誰もが喜ぶ番組というのがなくなり、小さなサークルがたくさん出来て行った。ドラマでも昔は木村拓哉や中山美穂が出れば視聴率が取れたが、今は誰が出たからと番組を見るということが減っている。

そんな趣味の多様化にテレビというメディは対応出来なくなって行く。それにも関わらず人気俳優に依存するドラマ。人気タレントにお任せのバラエティ。クオリティはどんどん下がって行く。趣味の多様化にも対応できない。多くが見たい!と思うもの自体が存在しなくなる。高視聴率が取れないのも当然。

そのことで細分化に対応できるCATVや衛星放送が登場する。時代劇専門、日本映画専門、スポーツ専門、科学番組専門、どれも昔のテレビのような視聴率は取れない。が、様々な趣味の人たち、小さなグループには支持された。こうして従来の番組から離れて行く。

そして視聴者はタイマー録画するほどの番組がないことに気づく。また、オンタイムで見れない番組を録画して見れること。80年代は便利!と感じたが、次第に面倒になる。新聞で見たい番組を探し、日時をセットする。あとで気づいても、もう見れない。

昔なら「仕方ない」だったが、現代人は忙しい。朝から晩まで安い賃金で働く。土日も仕事ということがある。新聞を読む暇もない。テレビガイドを買うのももったいない。そんな人たちに「番組を見たければ毎日、新聞をチェックして、タイマー録画しな!」というのがテレビ局側の姿勢。しかし、町では買い物したい時に買い物ができる真夜中も営業するスーパーやコンビニがある。銀行のATMだって今は24時間引き出せる。なぜ、テレビだけが視聴者が局の姿勢に合わせて、努力せねばならないのか?

局の怠慢。何を放送しても高視聴率を取っていた頃のスタイルを変えず、努力を怠っているということ。その上、番組レベルも下がっている。そんな時に登場したのがamazonやNETFelixだ。見たい時に、見たい番組が、どこでも見れる。スマホやiPadでもOK。電車の中でも見れる。様々なジャンルの番組がある。テレビでは放送されていない面白いドラマ。現代の日本人事情に対応。金を払っても見たいと思う。

こうして地上波のテレビは無料でも見たくない。録画してまで見ないということになる。シンプルにテレビ局の怠慢、慢心だ。この20年の生活スタイルの変化にも対応せず、番組レベルの向上にも努めず。タレントに頼り、大きな圧力には屈して、視聴者よりスポンサーにばかり顔が向いていたこと。それが不要のメディアにしてしまったのだ。

さらにYouTubeの台頭。「報道ステ」よりユーチューバーNEWSの方が面白い。そして、視聴者は何が事実で何がデマなのか?を考えながら見るようなる。その意味でもテレビはもう見る価値がないと言える。いつの時代も努力しない者は淘汰される。



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緊急事態バックの中身を公開。 [2021]

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先程、紹介した緊急事態バックの中身を公開。

右上はラジオと懐中電灯が一緒になったもの。手動でグルグルすると電池なしでラジが聴ける。真ん中の水。これはコンビニで売っていない長期保存が効くタイプ。右下はガイガーカウンター。左上の水玉袋はシャツと靴下。「食」は箸やナイフフォーク。




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トランプ氏弾劾、再び無罪評決 [トランプ問題]

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ま、あの事件を検証すれば当然そうなるのだが、白を黒に変えるのが彼らのやり方。あんな杜撰な不正選挙で世界を騙すことができた。それが議会で通用しなくなったのは、彼らの力が衰えてきたという証でもある。逆襲が進んでいるのだ。


https://this.kiji.is/733398306810757120?c=39546741839462401&fbclid=IwAR1hP4c7NVwqGlYl_18gmdoP1yV_O5Pw73oHj1sBZOCXyNJP46QYccvIOg4

 【ワシントン共同】米議会襲撃を巡る共和党のトランプ前大統領の「反乱扇動」の責任の有無が問われた上院の弾劾裁判は13日、トランプ氏に無罪評決を言い渡した。支持者らをあおって襲撃を引き起こしたとの批判が高まったが、採決で、扇動を認め有罪にするための賛成票が必要数の出席議員の3分の2に届かなかった。トランプ氏は大統領経験者として初となる2回目の弾劾裁判で再び無罪となった。

 民主、共和両党が同数の上院(定数100)で、共和党から7人が造反して賛成に回り、賛成57、反対43だった。トランプ氏は無罪評決を受け歓迎する声明を出し、再起を期す考えを表明した。



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マスコミは「真実を伝える」が使命ではない。強い者に従う=マジか?でも、事件があるとバレるものだね [トランプ問題]

[新月]マスコミは「真実を伝える」が使命ではない。強い者に従う=マジか?でも、事件があるとバレるものだね

ある事件をきっかけに、その正体がハッキリすることがある。例えば「君のためなら命は惜しくない」という彼氏。地震でグラッと来たら彼女を置いて逃げた。そのことで彼の本心が分かる。

原発事故でマスコミは東電発表を垂れ流し、メルトダウンの事実を疑わず、伝えなかった。放射能が東京に降り注ぐことを伝えたのは、ある雑誌だけだった。それどころか「**市は放射線量が高いというデマがツイートが流れている、注意してください」と報じたY新聞。だが、高線量は事実だった。僕もその街に行きガイガーカウンターで測定。確認した。なぜ、事実隠蔽までするのか?マスコミは「真実を伝えること」こそが使命ではないのか?多くの人が失望した。

原発事故で分かったのは、マスコミは真実を伝えるのが使命ではなく、広告を出してくれる大手企業を応援し、守るのが彼らの仕事。だから、毎年、数百億円の広告費を出す電力会社、原発ムラを担う大企業がこれからも原発推進ができるように、そして多額の広告費がもらえるために事実を伝えず、危険を黙認し、事故を過小評価、「大丈夫ですよ?」「事故は大したことありません」と報道したのだ。

次の発覚は安倍政権事件。最初、マスコミは批判を続けていたが、官邸からの圧力で批判的なキャスターは次々に降板。やがて、どの社も批判しなくなった。最初から政権べったりのマスコミもいたが、最後まで批判を続けたのは「日刊G」くらい。高額の広告費をくれる大企業が困ることは報じないが、圧力をかけてくる政権も批判しない。このことで日本人はマスコミは報道機関ではなく、広報機関。強い者に従う。それがマスコミだと理解した。

事件が起こると正体が分かる。昨年末の大統領選も同様だ。原子力ムラも批判できない。むしろ応援する。政権も批判できない。それがなぜ、日本の政権より、原子力ムラよりも強大なアメリカ合衆国大統領を批判するのか? 先の事件を反省「やはり、巨悪を許してはいけない!」と思い直したのか? ありえない。強い者に従う。それがマスコミ。強い人たちを応援し、守るのが広報部の仕事。

なのになぜ、世界で一番大きな権力を持つ大統領を批判するのか?答えはすぐに分かる。どれもこれもフェイクニュース。事実ではないことを報じている。原発事故の時と同じ。「放射能は漏れていない」「事故は大事に至っていない」「事故は収束した」嘘だらけだった。大統領についての批判も同様。的外れとかではなく、嘘。フェイクニュースだらけ。その検証は以前に何度も行った。

そして原発事故以降にハッキリしたのは、マスコミの仕事とは「真実を伝えない」「強い者のために嘘を報道」「スポンサーに都合の悪いことを言わない」今回もまさにそれ。世界最強の権力を持つ大統領を批判し、嘘を報じるのは、大統領以上の力と金のある存在がいるから。その人たちに従っている。彼らのプロジェクトを推進するのが今回のマスコミの使命ーならば筋が通る。

原発事故を小さく見せ、致命的な問題を隠したのは、原子力ムラが今後も原発を推進できるようにするため。だとしたら、今回は何か? 大統領以上の力を持つ巨大組織。そこが推進することは何か? 原発以上に儲かるもの。一つしかない。戦争だ。戦争を推進するグループだとすると全ての辻褄が合う。戦争をすることで儲かる企業がたくさんある。ロッキード、グラマンのように戦闘機を作る会社。戦車、軍用車、銃、爆弾、レーダー、地雷、軍服、靴、食糧。ガソリン、コンピュター。様々な企業が潤う。さらにコカコーラ、マルボロ等まで。

原子力ムラも巨大だが、それ以上に巨大なグループだ。それをアメリカの第34代大統領アイゼンハワーは「軍産複合体」と呼び、退任時にスピーチで国民に注意を呼びかけた。そんな彼らは政界に対する大きな力を持ち、10年に1度大きな戦争をして大儲け。その彼らに立ち向かったのが第35代大統領ケネディである。そして暗殺された。その後は、彼らに貢献するため大統領たちは戦争を続けた。というより、彼らが大統領を選んできたのだ。

軍産複合体は大統領を凌ぐ力を持つ。そう分かると、先の件が理解できる。マスコミは強い者のための広報組織。大統領を批判するのなら、もっと強い者から指示が出ている。それが軍産複合体。マフィアより、ヤクザより、安倍政権より巨大な権力を持つ団体のために、フェイクニュースを流しているのだ。そのターゲットがトランプ大統領。あれ?大統領は複合体が選ぶんじゃないの? 逆らえばケネディのように暗殺されるんじゃない?

そう考えると次の答えが分かる。トランプは在任中、戦争をしなかった近代始めての大統領だ。戦争をしないと彼らは儲からない。怒り狂う。そんな奴は潰せ!というだろう。その指示でマスコミが動いた。トランプを貶めようとする。これも筋が通る。そうなると、なぜ、トランプは大統領になれたのか? 4年前を思い出そう。対抗馬は誰だったか? 民主党のヒラリーだ。そう、彼女こそ、複合体が大統領に指名したかった候補。だが、敗れた。その雪辱戦が今回。だから、マスコミを騒動員して攻撃する。

だから、マスコミは原子力ムラや安倍政権以上の力を持つ大統領でも批判ができるのだ。世界でもっと強い力が持つ団体からの指示なのだから。いや、少し違うな。正確に言おう。マスコミはそんな団体の一部。広報部。戦争をしない大統領を批判し、引き摺り下ろす係だ。米マスコミも同様。そして先のヒラリーはオバマ政権の国務長官。しっかり戦争をした優等生。当時の副大統領は誰か?それが今回の候補となったバイデンだ。つまり、ヒラリー、オバマと共にしっかり戦争をやり、稼いでくれた人物。トランプではなく彼を大統領にしたかったのだ。

この先、4年。また、トランプに大統領をされては敵わない。干上がってしまう。だから、総力を上げ、マスコミを総動員してバイデン を勝たそうとした。こう考えると全てに筋が通る。その団体、軍産複合体のことを最近では「ディープ・ステイツ」とか「カバール」と呼ぶ。決して謎の秘密組織ではない。戦争で大儲けする企業の集合体。日本で言うと経団連+日本会議のような集まり。その広報部がマスコミ。テレビ局。新聞社。そしてネットの大企業。F社、G社、T社らも含まれる。マスコミとはそう言う存在なのね。


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