生活の安定化?貧しくても思うように生きるか?映画監督の場合。 [映画業界物語]
生活の安定化?貧しくても思うように生きるか?映画監督の場合。
映画監督業は長時間労働。1年間休みなし。ブラック企業を超える仕事だ。なのに低賃金で多くが生活苦。金持ちなのは日本で5人くらい?
ただ、難しいのは文化芸術というカテゴリー。生活が安定しないからと、製作会社等に就職。契約社員になった友人がいる。そこで演出、監督業を続ける。確実に仕事がもらえて月給が出る。そこで売れて、やがてフリーになり撮りたい映画を撮る!と考えた。
ところが、生活が安定すると、やりたくもない仕事ばかりやらされる。いいものが撮れなくなる。だが、フリーに戻れば生活苦。友人は葛藤した。やがて感性が腐ってしまい、平凡なものしか撮れなくなる。やりたい仕事ができないので、やる気もなくす。と言ってフリーに戻り再び生活苦と闘うのは怖い。
こうして多くの若手監督、あるいは監督志望の人たちは家畜のようになり、朽ち果てて行く。生活が安定しないと不安だ。でも、社員になるとクリエイティビティを失って行く。不安や不満を抱え、怒りに燃えるから作品が作れる。安定して落ち着くと、素晴らしい作品を作ろう!と言う思いも薄らいで行く。会社の仕事を優先にせねばならず、作りたいものを作る時間もとれなくなる、
また、売れっ子女優が彼女の監督。彼女が稼いでくれるので生活には困らない。凄い映画を撮る人なのに、気づくと30年映画を撮ってない。やはり生活が安定すると、別のものを失うのか? 監督業はやるせない。
戦争悲劇を伝えるためには、ドキュメンタリーでは不十分だ? [沖縄戦]
戦争悲劇を伝えるためには、ドキュメンタリーでは不十分だ?
録画したNHKスペシャルを見た。沖縄戦の特集は少ないので、太平洋戦争時の他の戦闘も録画し見ている。先日は「インパール作戦」本当に酷いとしか言えない戦闘。しかし、ドキュメンタリーではその過酷さが伝わりにくい。1000人死んだと言われても実感できない。当時の戦闘を記録した映像はなく、再現ドラマもない。証言とナレーションだけで戦闘を伝える。
僕はあれこれ沖縄戦を勉強中なので、まだ想像するが、戦争に興味ない人が番組を見ても退屈なだけで実感できないのではないか? 実際、「乙女たちの沖縄戦」を見た人から「ドキュメンタリー部分が長すぎる!」という声を聞いた。これは長いというより、沖縄戦に興味がない人だということ。ただ、そんな観客でもドラマパートは良かったという。それだけにドキュメンタリーパートが長かったという意味なのだ。
僕がよくいうことだが「ドキュメンタリーの作り手がーこれは大切な歴史だから退屈でも我慢してみなさいーという姿勢で映画を作ってはいけない。興味のない人たちも夢中で見てしまう作品にすることが大切」その意味で「長い」という指摘も考えねばならない。と言って短くするということではない。ドラマなら見る。証言だけだと見づらい。想像できない。だから「長い」と感じる。
ドラマは興味がなくても、予備知識がなくても見られる。実感できる。ドキュメンタリー映画はその部分が難しい。本日、「アバター」という映画を見た。SFもので遠い惑星での物語だが、本質はベトナム戦争。アメリカ軍がいかに無謀で残忍であるか?をベトナム側から描いたような作品。惑星の青い住人が無慈悲に殺害されていく戦闘場面。涙なしに見れらない。まさにベトナム戦争である。
それを見ながら、沖縄戦もダブった。軍と行動を共にしたことで沖縄住民の多くが攻撃の犠牲となった。が、それをNHKのように被害者数を上げても実感できない。やはり「アバター」のように、残虐な光景を映像で見せてこそ、観客は打ちのめされ、涙を流し、「やめてくれ!」と願う。沖縄戦を伝えるなら、それが必要なのだ。
これまでに2本の沖縄戦ドキュメンタリーを監督した。どちらも高い評価を頂いている。が、本当の苦しみや悲しみが観客に伝わっているのだろうか? 「沖縄の人。大変だったねえ〜」では十分ではない。「もう本当に酷すぎる。戦争は絶対に止めねば!」と観客が心の底から願ってこそ、意味ある作品になる。
沖縄戦の事実を曲げて、戦争犯罪人を偉人として描いている映画もある。「知事は多くの住民を救った!」ーという事実ではない映画を作ることに、どんな意味があるのか? 大切なのは「何の罪もない沖縄住民が軍と政府に翻弄され、4人に1人が犠牲になった。その戦争とはどういうものであるか?」を映画で伝えることではないか?
それを伝えるには、やはりドキュメンタリーではなく、劇映画でなくてはならないだろう。数年前にあるスポンサーから沖縄戦関係の映画製作を頼まれ何ケ月も準備したのに、撮影直前で投げ出した。多くの関係者に迷惑をかけたが、何ら補償なし!基本的に企業、映画会社も沖縄戦を映画化することに賛同しない。戦争したい勢力に忖度しているのか? 嘘を交え政府側を美化した映画にしか金を出さない。
だが、沖縄戦を伝えるには劇映画が有効。「アバター」レベルとは言わないが、映像で見せないと沖縄戦に関心のない人たちに、その凄惨と地獄を伝えることはできないだろう。何とか命尽きるまでに、そんな映画を撮りたい。撮らねばならない!
具がいっぱいの味噌汁作戦。3日目。 [2022]
具がいっぱいの味噌汁作戦。3日目。
本当に少しずつだが回復に向かっている。目眩というか頭痛。数週間、これに悩まされていた。真っ直ぐ歩けない!というほどではないが、時々クラっと来る。特にパソコンを使っている時に来る。やはり目の神経が関係しているのだろう。
病院ではないが、医療関係の人に診てもらった。どちらかというと東洋医学。「心臓が弱ってますね〜」と言われる。えーー死期が近いのか!と思ったが「ストレスですね〜」とのこと。確かに! この8ヶ月。困ったちゃんに振り回され毎日、イライライライラしていた。複数の困ったちゃんズは次々にトラブルを起こし、やるべきことをやらず、やってはいけないことを次々にした。
その後始末と謝罪を僕がする。時間と労力を奪われ本来の仕事に差しさわる。と何度も書いたが、やはりそれらが心臓に負担をかけていたのだ。「足の筋肉もかなり退化してますね」とも指摘される。自宅入院状態の1ヶ月。歩いて行くのは近所のスーパーだけ。それでなくても脱都会生活で歩くことが減った。やはり都会に住む方が歩く。体力もつく。
そんなことで切り札。具の多い味噌汁作戦3日目。(1日2回)今朝も作った。写真で紹介しようと思ったが、思い出す。何年も前だが、その日に食べたものを写真で紹介したら、あれこれうるさい奴らが寄ってきた。「野菜が足りませんよ!」「和食にした方がいいですよ」「肉も大事です」とお前は嫁か!母親か!というコメントが大量に来た。
忙しく食事に気を遣えない時期で、簡単に食べるものしか食べれないという「忙しい」を伝える記事。なのに「野菜が足りませんよ」とコメントして何になる!「だったら野菜送れ!」と言いたくなるが、その種の輩はあれこれ言うだけ。記事を読めば忙しくてサラダを自分で作ったり、その種の店に行く余裕もなく、駅ぞば、ハンバーガーが続いていることがわかる。
それを「野菜が足りませんよ〜」それでなくても映画制作中はイライラの連続。ストレスが倍増!「何もしない奴があれこれ口を出すな!」と、以後「野菜が足りませんよ」とコメントしたら誰であろうと即、「友達削除」と宣言した。それ以来、食事の写真は上げないようにしたが、最近は理解が進み。過去の食事写真はあげることがある。(その日の食事ではない)
ここしばらくは体調不良を心配してくれている人が多いので、本日の朝ごはんを紹介する。「**が足りない」は要らないのよろしく。この味噌汁作戦が効果ありかどうか?は分からないが、この数日で目眩がかなり軽減。原因が分からないが、悪い酒を飲んだ後、特に昔の安ワインを飲むと翌朝、頭が痛いことがあったが、それに近い感覚がある。
何か危険な化学物質を盛られたか? 血圧も安全値だし、熱も正常。原因が分からない。何とか10月前半には復活したい。なので関係者の皆様、あれこれ連絡は控えてもらえると助かる。今すぐ動く必要はないのに「**はどうしようか?」「**の準備は?」とか質問されると、またストレスになり再び体調が悪化するかもしれない。
メッセンジャーで「具合はどうですか?」「病院行った方が」も絶対に止めてほしい。返事するために時間とエネルギーを使っていては、静養にならない。往々にして親切心は嫌がらせになる。こちらから連絡するまでお待ち頂けるとありがたい。1週間以上、記事更新はなくなったら「死んだな!」あるいは「病院にh運ばれたな!」と思ってほしい。生きていれば2〜3日空いてもまた記事をアップする。
ここしばらく共産党に対する疑問が次々に出て来る。 [社会政治]
幸せはすぐそばにある?気づかないだけ? [2022]
幸せはすぐそばにある?気づかないだけ?
体調の悪い時期は日が暮れると体力が尽きて、酒を飲んだら即、睡眠!という老人のような生活。まさに自宅入院状態。それが回復してくると、夜の9時10時を過ぎても眠れない。と言って体力がないから、DVDやネトフリで2時間ものの映画を見ることもできない。
仕方ないので30分で見れる「フランダースの犬」を見るが、これが辛い話だと、最後まで見られない。ネロ。健気過ぎる。金物屋ええ加減にセー! 現在はリハビリ期間だが、いつものように「戦いの呼び声」が聞こえて来た。いつまでも冬眠生活を続けてもいられない。
今回は本当に健康の大切さを痛感している。徒歩5分のマーケットまで行くのが本当に大変なこと。思い知った日々。80代になればそれが日常になるのだろう。嫁も子供いない。その頃はどうなっているのか? 死んでいれば問題ないが、寝たきりで1人暮らしならどうだろう? 仕事もできず、そのまま孤独死?
まあ、そこまで生き延びることはないと思うが、例え生活保護を受けて生きていたとしても、スーパーに行くだけで精一杯の生活。アパートの階段を上がる時に踏み外して転げ落ちて「エクソシスト」のカラス神父のように事故死?体調が悪いと、そんなことばかり考えてしまう。しかし、遠い未来の話ではない。あと10年、20年で現実となる。
結局、金より名誉より健康なのだ。健康を害すると気持ちまで暗くなる。希望が持てなくなる。ガンになった知人。性格が変わり、嫉妬深くなり、文句ばかり言うようになったが、病は人をも変えてしまう。スーパーにスキップして行ける。階段を普通に上がれる。2時間の映画を努力なしに見れる。そして新作映画を監督できる。それって幸せなことなのかもしれない。
「向日葵の丘」のテーマでもあったが、幸せというのは今、すぐそこにあるもの。ただ、多くはそれに気づかないだけ。そんなこと、改めて考えたりする。今日は味噌汁を2杯飲んだ。野菜もたくさん入れた。明日用の野菜も買ってある。今日は0時まで起きている。復活の日は近いはずだ。
映画「アバター」素晴らしい。涙が止まらない。ーSFではない文芸作品だ。 [映画感想]
アバター。本当に素晴らしい。涙が止まらない。ーSFではない文芸作品だ。
公開時に観ていたが、今見るとさらに意味が分かる。これはSF映画ではない。「アラビアのロレンス」と並ぶ文芸作品。同時に戦争映画でもあり、ベトナム戦争をベトナム側から描いた物語なのだ。
そして沖縄戦もダブる。青い住民たちが県民に見える。抵抗しない彼らを攻撃するアメリカ軍。さまざまな歴史がこの映画にダブる。後半、悲しみと感動で涙が止まらない。年末に続編が公開だが、その前にぜひ観て欲しい。今年一番の感動作。