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取材のための交通費、宿泊費。いつ行くのが安く済むのか?  [2022]

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取材のための交通費、宿泊費。いつ行くのが安く済むのか? 

どの宿泊施設が安くて快適で、スタッフが仕事しやすいか?も考えながら、時期を選び、費用の計算もする。本来はP、APの仕事だが、これを僕がやることで、1人分のギャラを節約出来る。その分で本編のクオリティ上げられる。ただ、僕は2人分の仕事をする?!



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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?! [映画業界物語]

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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?!

体調というのも本当に少しずつしか回復しないものだ。現在は脱都会生活6年目。新宿、渋谷まではかなり時間がかかる。そこまで行く体力がまだない。あるスタジオにHDDを届けなければならないので、近日中に代々木アタックをせねばならない。

映画製作というのは撮影ばかりではない。その準備、資料探し、読み込み。構成。その辺をしっかりとやった上で撮影する。また、ドキュメンタリーの場合、一気に全てを撮影しないことが多い。ある段階で取材内容を振り返り、当初の構成で行けるか?を振り返ることも必要。

特に僕の場合。テレビ番組のようにガチガチの企画書を作り、取材も始まっていないのに結論を決めるようなことはしない。ドキュメンタリーは生き物。作りながら形を変えて行く。プラモデルではない。むしろ子育てに近い。最初、親が「将来は新聞記者になってほしい!」と思って、その種の教育をしていても、次第に子供自身(作品)が意思を持ち行動を始める。

それを無理やり親の意思を強制しても、親子断絶が起こるだけ(あるいは子供が我慢して歪んで行く)子供が生まれた時の時代背景と、大学を出て就職というときの社会はかなり違う。そこに昔からの親の願いを押し付けるべきではない。時代遅れで、古い価値観を振り回すだけだ。

ドキュメンタリーも同じ。スタート時の時代背景は1年も経たずに変化してしまう。例えば、この春に安倍総理に関する悪行を追う作品を作り始めたとしても、夏には暗殺。それ以上、悪行はできないので、もう追求できない。テーマを別の切り口にせねばならない。清和会を追求する作品だとしても、壺問題でガタガタ。消滅しそうだ。

そんなふうに短い月日で社会情勢は大きく変わる。求められるものも違ってくる。人々の声や風をしっかりと感じ取り、それを作品に反映することが大事なのだ。

「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回、沖縄に行った。一度の取材で4〜5人にインタビュー。帰京したら、その人について、その事件について勉強。最初は白紙で取材に挑むのだが、帰れば徹底して調べる。最初からしっかり勉強して行くと、先入観を持ってしまう。

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また、情報や知識がないことで、取材相手も初歩から分かりやすく話をしてくれる。これは重要。映画館に来てくれる観客と同じ知識量でインタビューすることで、観客も見やすくなる。インタビュアーがあれこれ知った上で質問しても、その前提が観客には分からない。専門的なドキュメンタリーでは時々、それに陥ってしまうことがある。知識がある観客しか見られなくなる。

しかし、知識がないと作品を仕上げることはできない。ナレーション原稿も書けない。だから毎回、取材後に徹底して勉強。背景を説明する場面を作る。記録映像や現在の風景。地図。それらにナレーションやテロップを入れる。沖縄戦の知識なしにそれら作業はできない。

そして基本は時系列で沖縄戦を紹介しながらも、一部は前後させてある。タランティーノの「パルプフィクション」もそうだが、時間の流れを前後させることで興味を引くという手法。ドキュメンタリーの場合。多くが教科書的であり、作家は「退屈でも大切な歴史だから、我慢してしっかりと見なさい!」と観客に求めがち。だが、なぜ、入場料を払い映画館まで来た人たちに、そんなことを強制するのか?

もし、テレビ放送なら、DVDなら、ケーブルなら、途中で見るのをやめてしまう。大切な歴史というのなら、最後まで見てしまう演出と構成で作ればいい。その努力をせずに「大切な歴史だから」と客に我慢を強要するのは努力不足としか思えない。だが、こちとら劇映画の監督。観客を退屈させるのは罪悪とさえ思っている。ドキュメンタリーであっても最後まで客を惹きつける作品を目指す。

もちろん、改ざんや脚色はご法度。最近、その種の劇映画が続けて制作されているが、過度な改ざんは劇映画でも許されるものではない。それでは大本営発表と同じ。誘導と印象操作でしかない。特に沖縄戦は難しい題材。勝手な思い込みや想像だけで作るべきではない。

ドキュメンタリー映画に戻る。シナリオがあり、撮影した映像をその通りに繋いで行く劇映画とは違う。毎回の取材があるたびに、その素材を吟味して、構成や流れをさらに考えること、大切なのだ。「沖縄戦」の時は、そんな感じで、取材と取材の合間も、資料読み込みと構成を考えていたこと。思い出す。



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