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先日のランチ。ミニセットです。 [2022]

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先日のランチ。ミニセットです。



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(401)(402)映画のキャスティングってどう決めるの?=テレビドラマの場合!太田組の場合 [YouTube]



(401)映画のキャスティングってどう決めるの?(前)=テレビドラマの場合!



(402) 映画のキャスティングってどう決めるの?(後)=太田組の場合!



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いつか神経が切れる日? それがこの業界! [映画業界物語]

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いつか神経が切れる日? それがこの業界!

過労でダウンした時は、もう疲れ果てていて思考力ゼロ。ひたすら眠り、養生する。体力の限界を超えて休まずに仕事したので、倒れたのだ。週末に2日休むのが通常の生活。それを1年間ー休まずに働くと、週2日の休日。1ヶ月で8日。年にして96日。それを終了時に強制的に取ることになる。だから寝たきりになる。僕の場合。それが過労だと思える。

「俺だって3年くらい休みなしだよ!」という友人もいるが、その手の人は世渡り上手。何だかんでちゃんと休む。その日は仕事ちょっぴりにする。無茶はしない。批判ではない。大事なことだ。それがアーティステックな性格だと、本当に倒れるまで仕事してしまう。作品作りというのは「これで十分」ということはない。「より良くしたい!もっと面白くならないか?」と全力投球してしまうのだ。

ある時、親しい友人から「監督。もしかしたらうつ病かもしれないよ。そうなってもおかしくないだけの大変な状態だったしね」と言われた。過労とうつ病の症状は似ている。どちらも何もできない。何かしようという気にならない。一度、心療内科に行った。が、「違いますよ!」と医者に笑われた。僕が「寝込んでいても、ここぞ!というときは精神力で起き上がって出かける。そんなことしているから、いつまでも良くならないんです」と話すと、医者は「うつ病なら、どんなに気力を振り絞っても、そんなことはできない。あなたは単なる過労です」と言われた。

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しかし、過労で気力を振り絞り仕事に行くと、過労死が待っていることがある。朝元気に出かけた夫が、夜に会社から電話で「亡くなった」と連絡。以前はよくニュースになった過労死という現実。僕の場合「乙女たちの沖縄戦」公開がほぼ終了でダウンした。現在進行中の仕事も第2章が終わったところで、ほっとしたことが大きい。それで過労死には至らなかったのだろう。

そんな中、今更ながら気がついたこと。肉体的、体力的なこと、疲労もあるが、精神的なことも大きいようだ。これまでの監督生活を振り返る。監督業は経済、時間、天気、暑さ、寒さとの戦い。その上で素晴らしい作品を作るのが使命。だが、約束を果たさぬ取引先。無神経な会社。責任感のないスタッフ。プロとは言えない俳優。そんな人たちとの対応もあり神経が擦り切れる。

近年は素晴らしいスタッフが集まり、大いに助けられている。何も言わなくても良い仕事をしてくれる。だが、時々、そうではない人たちと仕事せねばならないこともある。原発、沖縄、基地問題。そんなトラブルを避けて通れない。原発事故を題材とした映画「朝日のあたる家」もそうだった。原発推進から誹謗中傷あるのは覚悟していた。が、一番、批判してきたのは反原発を掲げる人たち。重箱の隅を突くような指摘。方法論が違う。***をやるべきだ。**が描かれていない。勉強不足だ!無知なだな!「映画作る資格がない」等々。

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原発事故の被害に遭われた方に取材した時も「あなた方、マスコミは酷い!」と批判された。いや、僕はマスコミじゃないけど、、と思うが、被害者からすると取材して来る人は全てマスコミに映る。彼ら彼女らのテレビ、新聞に対する怒り、憎悪をぶつけられる。「許さない!」「酷い」「反省しろ!」容赦ない罵倒をされたこともある。こちらは、そんな人たちの悲しみを伝える映画を作ろうとしているのに、そんな対応。

しかし、それが被災者なのだ。怒りの持って行き場がない。取材に来るやつは全て同じだ。私たちの悲しみで商売している!表面しか伝えない。そんな憤りも分かる。その種のマスコミも多い。ただ、こちらは真剣に原発問題を伝えようとしているのに、憎しみをぶつけられ、やってもいないことで批判、反省を求められても困る。が、心傷ついた被災者に余裕はない。冷静になれというのも無理だろう。黙って耐えて、その言葉に耳を傾けることが大切だ。ただ、そんな日々は本当に厳しい。心がズタズタになる。

好意的な対応をしてくれる人。協力的な方もいる。「自分達の思いを伝えてくれてありがたい」とも言ってくれる。それでも、被災者の話を聞くと、打ちのめされる。何の罪もない人たちが東電や国の無責任のために仕事も、故郷も、家も失い。家族がバラバラになる。その話を聞くだけでも、1日何もできなくなる。「大変ですね〜」なんて、とても言えない。沖縄戦でも同様に、1日にお1人以上の話は聞けない。現実の悲しみとはそういうものだ。

その種の話を毎日聞く。心がボロボロになる。もちろん、被災者の人たちはもっと大変な思いを毎日している。悲しみを伝えるには、同じ思いを共有せねばならない。取材が続く。すると原発でも沖縄戦でも、馬鹿なことを言い出す関係者が出てくる。勉強もせず、あーだこーだ!口出しするだけの者。ドキュメンタリー制作に参加したことない奴が、あれこれ指示を始める。

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ボクシングの試合で、ボコボコに殴られている選手に対して、セコンドがボクシングをまるで知らず「回し蹴りで行け!何で、そこに気づかないんだ!」と指示するようなもの。相手の選手ではなく、セコンドにパンチを入れたくなる。それに近いようなことが取材現場でも起こる。

そんな日々が続くと体力だけでなく、精神的に消耗する。長期間続ければ、それこそうつ病になる可能性もある。うつ病というのは「もう限界。これ以上、苦しい思いを続けると心が壊れる!」という時に、体が強制停止する状態。先の友人はそんな僕の現場を知っていたので「大変な状態だったしね」と言ったのだ。

振り返ると、この9ヶ月間も近いことがあった。以前ほどのバカヤローはいない。スポンサーも制作会社も以前とは違う。スタッフも良くやってくれる。だが、困ったちゃんが複数登場して、やらなくてもいいことを次々にやってくれて、僕が謝って回った。トラブルの後始末をした。

2本のプロジェクトが同時進行。取材先のホテルから深夜に謝罪や説明メールを出した。本来なら翌日の取材のため睡眠を取る。あるいは翌日の取材の準備や確認をする時間。要は睡眠時間を削らねば、本来の仕事に影響する。さらにイライラが続き、血圧が上がる。その辺を思い出し、これは疲れるわ〜と再確認。

昔は毎回、そんな感じ。一番の原因がプロデュサーと制作会社だったりした。その辺は順番に排除。作品作りに専念できる時代が続いていたので忘れていたが、その種の問題に対応することで心が擦り切れて行くことを思い出す。同時に、天気の心配。経費のこと。宿泊地を考慮。飛行機をどうするか? 応援してくれる人への挨拶。お礼状。気難しい人へのアプローチ。お礼参り。完成後の報告。その辺も神経をすり減らす。それだけで十分にボロボロなのだが、そこに「困ったちゃんズ」登場ということなのだ。

その種の治療というか、ケア。気づいた。人と会わないこと。連絡をしないこと。神経を使わないこと。気遣いをしないこと。数日ではない。できれば1ヶ月以上、そんな状態で過ごすことで、擦り切れた神経が正常になって来る。立場違えど、俳優も似たような経験をしている人が多いはず。

俳優業も物凄く神経を使い、気遣いをせねばならない仕事。元々、彼ら彼女らは通常以上に過敏で神経質。繊細で傷つきやすい感性。だから、あの有名俳優のように銀座のバーで馬鹿騒ぎをしてしまう。非常識なことをする。だが、それが彼に取って「壊れそうな心」を修復する作業なのだろう。もちろん世間は容認しないが、彼の気持ちも分からないではない。

結局、俳優は酒でウサを晴らすか? 新興宗教に入るか? 休業して精神科で治療受けるか?死を選ぶか? そんな展開になる背景、彼の事件で感じる。そういう世界なのだ。


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