「乙女たちの沖縄戦」@沖縄市。女優の森田朋依が舞台挨拶! [乙女たちの沖縄戦]
マスク動画~YT削除事件。そして「島守の塔」歴史捏造映画。同業者の仕事にはなるべく口を出したくないが、この映画は「F50」「新聞記者」と並び、表現者として許されないので、あれこれ言いたくなる。
同時に昨日は「乙女たちの沖縄戦」沖縄市公開中。女優の森田朋依がまた自腹で舞台挨拶に行った。本来なら僕も同行したいところだが、体調最悪の上に、三連休の高い交通費を払う余裕がない。それでなくても「乙女」完成のために3ヶ月無給で作業。当然のことだが2ヶ月近い宣伝期間、ノーギャラで参加。沖縄行きの余裕なし。悔しい。
そして、ただただ、森田の情熱に感心。せめてネットで宣伝と! ベッドの上で、天井を見つめながらiPadで舞台挨拶情報を何度もツイート。Facebook、ブログでも告知。本来なら「制作会社、お前らの仕事やぞ!」と文句を言いたいところだが、すでに宣伝費もゼロ。チラシとポスターもよくできたなあ!というレベル。製作費は文化庁からの支援だ。
「文化庁。もっと金出せよ」という思いもあるが、そのレベルでも感謝せねばならない。通常は映画会社も企業も沖縄戦題材には金を出さない。その程度でも出してもらえたからこそ、どーにか映画ができた。その額で作品を作り上げたスタッフ、キャストの力も大きい。皆の力で作れないはずの映画を作り上げたのだ。
今回の企画は依頼。僕はドキュメンタリー編の演出。ドラマ編の脚本を担当した。だが、終戦記念日が近づくと毎年、マスコミは「ひめゆり」しか取り上げない中で、スポットを浴びることがなかった「白梅」を大々的に取り上げられた作品を作れたことは大きい。
ひめゆりの事実は伝えるべきもの。だが、彼女たちだけが特別な訳ではない。多くの女子学徒が同じような地獄に、送り込まれたのだ。その歴史的事実を伝えられたこと。製作費の額ではなく、やり抜かなければならない意味を感じた。
ということで、張り切って宣伝。また無理をしてしまい、本日も体調が悪い。今日はおとなしくしている。
(407)「乙女たちの沖縄戦」舞台挨拶@沖縄市 森田朋依登壇 [乙女たちの沖縄戦]
私の投稿動画が削除された件=人は自分が被害に遭わなければ、他人事? [my opinion]
昨日、配信予定だった動画がYT社に削除された。マスクの無意味さを考える内容。要は「WHOの発表と違う、デマ。だから削除!」と言うこと。だが、マスクはウイルスを通してしまう。感染を防げないのは科学的な事実。それを無理やりデマと決めつけ配信前に削除するのは、言論弾圧であり、言論統制である。
現在はテレビ、新聞も同様。背後にいる人たち(スポンサー)に都合の悪い情報や意見は取り上げず排除。都合のいいーつまり、国民を誘導するために有効なー情報や意見を報道しているのが現在はマスコミ。そしてビックテック。
そんな記事をブログ、Twitterに上げたのだが、ほとんど反応がなかった。コメントも3つくらい。それも問題視しているものは1つだけ。そもそもが関心を示さなかった。FBにも記事を上げ、コメントはいくつか来たが、論点が「マスクの無意味性」についての賛同であり、強制的な削除されたことに触れるものは1つくらいだった。
今回のことは言論封鎖。戦時中と同じことが行われた。しかし、そこに関心を示さない人たち? 考えてみた。「最近よく聞く話だよ。珍しくないね」「あーあ、やられたんだ〜お気の毒」という感じか? それとも「コメントしたら俺もマークされるかも?」「危ない監督なんだ。距離を置こう」ということだろうか?
YT側に対する批判は一つもない。もしかして情報統制の社会を多くが受け入れてしまい、当たり前のことだと思っているのか? あるいは「俺にはどーすることもできないから、関わらないようにしたい」という表れなのか? いずれにしても戦時中の日本人と同じ反応。「触らぬ神に祟りなし」である。思い出すのはニーメーラーの有名な詩だ。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから」
情報統制があったことを知っても何も反応しない。あの時の再現か? ただ、偉そうなことは言えない。動画の削除は以前から聞いていた。直接の知り合いではないが、毎日見ていたYouTube動画が突然に削除されることがあった。
その当時は大統領選の話題だったが、最近は567、枠店の話をすると消されると聞く。が、僕自身はリアリティを持ててなかった。それが実際にマスクの話をして、配信前に消される。その理由もおかしなもの。完全に情報統制。言論封鎖である。ビッグテックはこの数年、国民をある種の方向に誘導していることは多くが知っている。国民に拡散してほしくない情報は削除。その一環なのだ。
理屈として情報としては分かっていたが、自身の動画が消されると言論弾圧とは何か?を痛感。巨大な力で押し潰されることを体感した。もしかしたら、記事を読んだ人たちも同じではないか?「監督の動画削除された?へーー」それで終わり。言論封鎖を実感できない。その危険性を感じることができない。だから、YT社への批判コメントもなく、現状の恐ろしさを論じることもない。
沖縄戦をー思い出す。言葉では説明しきれない、あらゆる地獄が繰り広げられた戦争。でも、興味がないと知ろうとしない。NHKスペシャル見ても「へー大変だったんだねえ」としか感じない。「だって、沖縄。遠いし関係ないし」という思いが根底にあるのだろう。同じように「だって私、YouTubeやってないし〜」「関係ないから」「消される話。よくあることだし」という感覚なのだろう。
それよりマスクの方が関心がある。だから、そちらのコメントばかり。なるほど、ニーメーラの指摘通り。多くの人は直接自分が被害を受けないことを実感するのは難しいのだ。それを利用したのが戦争。少しずつ情報統制を進めて、国民が反対しないように、他人事だと思わせておく。自身も関係することに国民が気づいたときは手遅れ。ニーメーラーの詩のようになる。
「そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
それが大手企業、国のやり方。そして国民は何度でも同じ手に引っかかる。僕を含めて、自身が痛い目に遭うまでは関心を持たない。
こちらで削除動画が見れます!=>https://www.facebook.com/takafumi.ota.52/posts/pfbid0y9Lc6C1XfQKu9tBtyTSdzC413xdyqsrQv65ruCpRJECni5LLzA9WrGUxp8DjXJHAl
Y社からの連絡(クリックすると大きくなります)