「大怪獣のあとしまつ」が酷評な理由と背景? [映画感想]
「大怪獣のあとしまつ」が酷評な理由と背景?
「大怪獣のあとしまつ」が酷評な理由と背景?
なぜ酷評が多いのか?多くが「シンゴジラ」的作品を期待して観に行ったから。なのに、この映画はコメディというより喜劇。それも舞台演劇の表現を使った喜劇。だから、物凄い肩透かしと違和感を持ってしまい、何じゃこれは!となった。
本来は舞台に椅子だけ並べて大道具は使わず、総理と閣僚たちが怪獣の後始末を議論するスタイルの作品なのだ。怪獣は出て来ず(せいぜい、スクリーンにスライドか映像を映し出す演出)俳優たちの芝居だけで見せる。マイナーな舞台をよく見る方ならすぐ想像できるよくあるタイプ。
閣僚たちの行き違い、押し付け合い、責任逃れ、政治家たちを揶揄した物語が展開。笑わせるという趣向。この映画はさらに物語とは関係のない会話で笑わせようとする。演技も舞台的で大袈裟。俳優は喜劇ができる芸達者がキャスティングされている。が、映画でそのスタイルの芝居をすると違和感が半端なくなり、さらに笑えなくなる。
わかりやすくいうと、宝塚歌劇の芝居をそのまま映画にするようなもの。あの演技は劇場で見るから独特の世界観を感じるが、現実の中でやると大袈裟でリアリティのないものになる。白々しく、違和感と疑問が先に立ち、引いてしまう。それをやっているのがこの作品。
ただ、似たような手法を使う人はいる。古くは大島渚監督。映画の中で舞台演劇的な表現で、あれこれ議論する物語にしてある。また、三谷幸喜監督も元々は舞台の脚本家であり演出家なので、映画を撮っても舞台演劇的な物語になる。「古畑任三郎」だって舞台でできる。
とは言え、それら監督は映画にする上で俳優に舞台的な演技を強くは要求していない。映像向けの演技をさせている。(「古畑」ではあえて田村正和にだけ舞台的な演技をさせ、違和感をあえて出しているが、他は皆、ドラマの演技。今泉も舞台的だけどね)
だが、この作品では多くの俳優に舞台そのままの、現実ではあり得ない演技をさせている。同時に通常の映画演技をしている俳優もいる。そこに「古畑」のような整合性や意味はなく、見ていて混乱。違和感が凄い。
それも製作費のかかったセットでCGも駆使して怪獣も出てくる。観客は当然、「シンゴジラ」的な物語だと思ってみる。なのに舞台演劇手法。なんだこりゃ!となってしまう。また、製作サイドは怪獣に対する「思い」はないだろう。ラストも「怪獣を倒した奴が後片付けするのがいいんじゃない?」的な皮肉なもの。
製作は東映と松竹だが、東宝のゴジラ。大映のガメラを茶化した部分もある。できればギララ(松竹所属)を出して欲しかったが、関係者に怪獣が好きな人がいないのではないか?ラストは「ウルトラマン」のパロディ。それで「なるほど!」とか思わないし、「ははは、そうだよな?」にもならない。怪獣ものに興味のない人の発想なのだ。
だが、多くが「シンゴジラ」的映画と思い見に行く、怪獣が好きな人たち。だから、怪獣愛のない物語に余計に失望。反感を持ってしまうというのもあったと思える。そもそも予告編で「死んだ怪獣をどうするか?描いた作品はなかった」と謳っていたが「ウルトラマン・ティガ」では、20年以上前にそれを描いている。その事実を知らないところからも、怪獣が好きな人たちが作ったものではないと思える。
監督の経歴を調べると、やはり舞台演劇をやっていた人。また、シニカルなドラマ・スタイルで、吉本的な「ガハハ」という笑いではなく、何か変だな?的なシュールな笑いを描く人。だから、余計に一般観客には分かりにくい。さらに宣伝部は「喜劇」であることを隠し宣伝したという。多くが「シンゴジラ」を期待して見に行った、超期待はずれ。というより騙されたような結果。酷評になった。
僕は最初、怪獣を原発事故に例えているのか?と考えた。それを政治家たちが右往左往する喜劇にしたと予想した。が、この映画にその種の社会性や政治性はなく。責任のなすりつけ合いをする閣僚を皮肉るだけであり、怪獣の後始末という題材が生きていない。これが原発とかウイルスならまだ今日性があるが怪獣にした意味が分からない。
以前に「東京原発」という映画があったが、その路線だと思えば理解しやすい。同じように閣僚たちが右往左往して議論する物語。ただ、あの映画は東京に原発を作るという皮肉な社会性があったが、こちらはそれがない。なぜ、怪獣になったのか? 製作サイドに怪獣好きはいないようだし、首を捻る。何のために作ったのか? もし怪獣映画が好きなら、「あまりの酷評なので見てみよう」などと思わず、「スパイダーマン」を見てほしい。百倍面白い。
仕事が進まないので禁断のアレ?を注入! [2022]
仕事が進まないので禁断のアレ?を注入!
編集が進まない。申告準備に力を入れて終わらせたことで、「編集モード」に戻れない。これはもう奥の手を使うしかないか!あれだ。あれを使おう。禁断のあれ。あれしかない!と言ってもヒロポンとかドラッグではない。お菓子だ。僕は日頃、まずお菓子は食べない。食べたい!とも思わない。甘いものは苦手だ。
だが、時々、甘いものが食べたくなる。そんな時は疲れているか?脳を酷使しているときだ。脳のエネルギーは炭水化物のみ。だから甘い物が食べたくなる。それとお菓子はポテトチップでも、かりんとうでも小さく、つまんで食べる。その時の噛むという行為が脳に刺激を与えて、活発化させる。集中力が上がる。忍者が追い詰められた時に巻物を咥えるののも同じ効果だと言われている。
ただ、気になるのはカロリー半年掛で10キロも痩せたのに、お菓子をバンバン食べてら元の木阿弥? しかし、今は編集モードに入ることが大事だ。というわけで、あれこれお菓子を食べながら作業してみた。そういえば美術部さんも、小道具作りの時、いつも何やら食べながら作業している。やはり集中するにはプラスなのだろう。
昨日はうまく行った。効果が上がり編集が進む。が、見るからに体に悪そうな油を使ったポテトチップとか、絶対に健康によくない。かりんとうはカロリー超高そうだ。あと、鬼滅菓子を買ってあったので、それも食べる。映画を見ながらポップコーンを食べるような感じか? 意外に捗る。が、翌日、1キロ近くも体重が増えた。やはりカロリー高い。
これで1週間も編集すると? しかし、ドラッグ打つよりは健康に悪くないはず。まあ、役者がそんなもの使ってでも良い芝居をしようとする気持ちも少しわかる。まあ、こちらはスナック菓子だが。本日もその手で行こうとしたが、調子が出ない。同じ手は2度使えないのか? でも、頑張る!