「明日にかける橋」の感想。沖縄 Mさん(女性) [映画感想]
僕の監督作を見てくれた沖縄のMさん。感想です!
「明日にかける橋」の感想。沖縄 Mさん(女性)
ーーーー弟のお葬式のシーンですでに泣いてしまい、その後ずっと辛かったです。太田監督の映画はとにかく泣かせますね。そういう風に意図して作ってるのでしょうかか?それとも作るとそうなっちゃうのでしょうか?
でも、「ストロベリーフィールズ」では運命に抗えなかった女の子たちが、今度は「未来を自分の手で変える」と決断して行動したところで、胸をなでおろすことができました。
主人公と同じく、自分も高校時代、勉強して良い大学に行くことの意味が見出せなかったです。夢の職業は叶いそうもなかったし、学歴でその後の人生が大きく左右されること分かっていたけど、大人が言うように「とりあえず勉強して良い大学、良い会社に入る」と言う考えに同意できず、ものすごくモヤモヤしていました。
社会人になってしばらくすると、猛勉して一流大学に入った女友達が次々と結婚し、仕事を辞めてしまうのを見て「何のためにあんなに勉強して良い大学行ったんだ?」などと思ったりもしました。
話がそれましたが、映画に戻り・・・主人公が洋楽が好きなところ、父親の事業がつぶれてしまうところなど、自分と重なることも多かった主人公に、親近感を持ちながら観ていました。
太田監督の映画を観るといつも、自分の高校時代と重ねて、色々な思いを巡らせています。ちょっと大げさに言うと、自分の人生を見つめ直すような感じでしょうか。
主人公(鈴木杏)たちが過去(1989年)に戻った後半は、時間と運命との闘いにハラハラドキドキ。祈るような気持ちで観ていました。途中、「ストロベリーフィールズ」を思い出して、「同じ監督の作品だし、やっぱり悲しい最後なのかな」と不安になり、昔見たタイムスリップ映画「バタフライ・エフェクト」も思い出して、あの映画も悲しい結末だったし、やっぱり未来を変えてハッピーエンドは無いのかもと落ち込み・・・。
10代の頃には気づかなかった両親の自分への思いやりを目にしたシーンや、お父さん(板尾創路)と話すシーンは、本当に泣けました。自分も死んじゃった祖父母にこうやって会って、大人として2人と話してみたいなと、ちょっとうらやましくなったり。
後輩(草刈麻有)がみゆきに「未来に戻ってももう(お父さんには)会えないんだよ」と言った言葉も、とても心に残っています。ここでもまた、気持ちを伝えることの大切さや伝えられなかったことの後悔がうずまいて「太田監督ワールドだな~」と。
過去に戻った主人公たちの行動で未来(つまり現代!)が変わり、現代に戻った後のラストが素晴らしい展開になっていました。「運命は決まってなんかいない。自分たちで行動して変えて行ける。」「世間ではバブルが終わり幸せも終わったように見えても、みゆきは大切なものを失わずに幸せになった。世間の幸せとみゆきの幸せは違うのだ。」と思ったのでした。
バブルがはじけて、大企業がどんどんつぶれて、隆盛を極めた日本の経済がダメになる。どんなきらびやかな世界もいつかは終わる。同じように暗黒社会にも終わりがある。だから私たちはあきらめずに未来を変える努力をしなきゃと勇気をもらって見終わることができました。きっとこれも、太田監督からのメッセージなのだろうと。
今は本当に暗黒社会だと私は思っています。でも行動することで未来は変わる。そう信じているし、この映画もそのことを伝えて応援してくれていると思っています。運命は決まってなんかいない。自分たちで行動して変えて行くんだと。
太田隆文監督作品。第4弾! 感動の家族物語
1989年にタイムスリップ。みゆき、家族を救え!
出演 鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明
監督 太田隆文
監督ブログ=>https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
予告編=>https://youtu.be/MacNc2k56wQ
「明日にかける橋」感想 沖縄 Mさん(女性) [2022]
弟のお葬式のシーンですでに泣いてしまい、その後ずっと辛かったです。太田監督の映画はとにかく泣かせますね。そういう風に意図して作ってるのでしょうかか?それとも作るとそうなっちゃうのでしょうか?
でも、「ストロベリーフィールズ」では運命に抗えなかった女の子たちが、今度は「未来を自分の手で変える」と決断して行動したところで、胸をなでおろすことができました。
主人公と同じく、自分も高校時代、勉強して良い大学に行くことの意味が見出せなかったです。夢の職業は叶いそうもなかったし、学歴でその後の人生が大きく左右されること分かっていたけど、大人が言うように「とりあえず勉強して良い大学、良い会社に入る」と言う考えに同意できず、ものすごくモヤモヤしていました。
社会人になってしばらくすると、猛勉して一流大学に入った女友達が次々と結婚し、仕事を辞めてしまうのを見て「何のためにあんなに勉強して良い大学行ったんだ?」などと思ったりもしました。
話がそれましたが、映画に戻り・・・主人公が洋楽が好きなところ、父親の事業がつぶれてしまうところなど、自分と重なることも多かった主人公に、親近感を持ちながら観ていました。
太田監督の映画を観るといつも、自分の高校時代と重ねて、色々な思いを巡らせています。ちょっと大げさに言うと、自分の人生を見つめ直すような感じでしょうか。
主人公(鈴木杏)たちが過去(1989年)に戻った後半は、時間と運命との闘いにハラハラドキドキ。祈るような気持ちで観ていました。途中、「ストロベリーフィールズ」を思い出して、「同じ監督の作品だし、やっぱり悲しい最後なのかな」と不安になり、昔見たタイムスリップ映画「バタフライ・エフェクト」も思い出して、あの映画も悲しい結末だったし、やっぱり未来を変えてハッピーエンドは無いのかもと落ち込み・・・。
10代の頃には気づかなかった両親の自分への思いやりを目にしたシーンや、お父さん(板尾創路)と話すシーンは、本当に泣けました。自分も死んじゃった祖父母にこうやって会って、大人として2人と話してみたいなと、ちょっとうらやましくなったり。
後輩(草刈麻有)がみゆきに「未来に戻ってももう(お父さんには)会えないんだよ」と言った言葉も、とても心に残っています。ここでもまた、気持ちを伝えることの大切さや伝えられなかったことの後悔がうずまいて「太田監督ワールドだな~」と。
過去に戻った主人公たちの行動で未来(つまり現代!)が変わり、現代に戻った後のラストが素晴らしい展開になっていました。「運命は決まってなんかいない。自分たちで行動して変えて行ける。」「世間ではバブルが終わり幸せも終わったように見えても、みゆきは大切なものを失わずに幸せになった。世間の幸せとみゆきの幸せは違うのだ。」と思ったのでした。
バブルがはじけて、大企業がどんどんつぶれて、隆盛を極めた日本の経済がダメになる。どんなきらびやかな世界もいつかは終わる。同じように暗黒社会にも終わりがある。だから私たちはあきらめずに未来を変える努力をしなきゃと勇気をもらって見終わることができました。きっとこれも、太田監督からのメッセージなのだろうと。
今は本当に暗黒社会だと私は思っています。でも行動することで未来は変わる。そう信じているし、この映画もそのことを伝えて応援してくれていると思っています。運命は決まってなんかいない。自分たちで行動して変えて行くんだと。
編集作業。いよいよ次のステップ-詰め編集 [2022]
編集作業。いよいよ次のステップ。-詰め編集
お菓子作戦が功を成したのか?ようやく粗編が終わった。粗編とは順番通りに大まかに繋ぐこと。これで全体の流れが見えてくる。ドラマの場合はストーリーがあるので、順番は決まっているが、ドキュメンタリーの場合は違う。
基本、シナリオのようなものはあるが、その通りに全てが取材できないことがある。思いもかけない取材ができることもあるし。予定していたものが撮れないこともある。あるいは予定していた取材対象が予想以上にいい話をしてくれる場合。そうでない場合もある。ドキュメンタリーなので、予定通りには行かない。
それらを考慮せずに当初のシナリオ通り繋いだら、盛り上がりにかけたり、最初だけが盛り上がったり。流れが悪くなったりと色々問題が起きる。そこで粗編をしながら、その辺を探る。どのパートをオープニングに?どれをクライマックスにするか?
また、1時間インタビューしたからと、それをそのまま見せると観客は退屈する。質問ごとに短く切り出して、順番も取材順ではなく、見やすいように前後を入れ替える。また、他の人のインタビューと混ぜて、行ったり来たりする編集もある。
「沖縄戦」ではテンポを出すために、間にいろんな映像を挟んだ。直接、ご本人から話を聞くなら30分くらい聞けるが、映像で見ると30秒もしない間に退屈する。それをどうやって興味を繋ぎ止めるか?も大事。
その辺を往々にしてドキュメンタリー作家は「大切な話なので退屈しても、我慢して聴きなさい」という姿勢で対応しがち。それは違う。観客に努力を求めるのではなく、作家が工夫して退屈しない編集をすべきなのだ。
その映画の題材に興味がある人ばかりではない。学校で見ることもある。興味ないけど友達に連れられて来た人もいる。そんな人たちも興味深く見れるような作品にすることが大事。なのに局や会社は最初のシナリオや企画書にこどわり「予定と違う!」「この場面がない!」などと騒ぎがち。そして当初通りの編集を要求する。アホだね!
取材は水もの。追加撮影できない限りは、あるものでどう見せるか?を考えるべきなのだ。そして事実ではないもの。取材できなかったものをテロップで誤魔化してはいけない。それをやったのが先のNHKのテロップ捏造事件。ドキュメンタリーは作り手の責任が問われる。ただ、捏造はいけないが演出は必要。ドキュメントだと言って撮影した映像を繋ぐだけでは作品とは言えない。
あれこれ書いたが、1ヶ月係で粗編が終わった。今回は本当に苦しかった。ここから「詰つめ編集」ー現在3時間30分ほどあるものを1時間ほどに詰めていく。さらにあと2時間ほど、その他の素材がある。メインの映像はもう取り込んでいるので、3時間半を詰めて編集。その間のいいところに、他の映像を2時間分から選んでインサートする。
ここからが本当の戦い。これを始めると本当に何も手がつかなくなる。HDDも容量大きめのものー6T B。FCXはデータ量が馬鹿でかくなるので、大きめのものを用意。そしてここからは人と話せない。話すことができなくなる。だから、「ウエストサイド・ストーリー」は昨日見ておいた。あと「ゴーストバスターズ」も見ておきたい。細かいことでも気になると集中できない。それ見たら本格的なスタートだ。
「ワクの説明書を読み、なぜ恐怖や疑問を感じないのか?」の後日談 [コロナウイルス]
「ワクの説明書を読み、なぜ恐怖や疑問を感じないのか?」の後日談
接種後に1500人前後が亡くなっている。「関連性はない」というが、健康だった人たちが接種後に急死したというだけでも疑問が残る。また、肝心の効果が上がっていない。2回も打ったのに感染した人たちが数多く存在。それをマスコミも政府も隠すことなく、3回目が必要と言い出した。さらに4回目も!そんな接種した人たちに「手紙。読みました?」と聞いてみたが、読んだ人は1人もいなかった。
また接種しても感染することが分かったのに、3回目を打つという人たちまでいる。これはダイエット食品を試したけど効果なし!と分かったのに、またさらに半年分購入するというようなもの。まともな人なら「もう買わない!」というだろう。それを大人しく受け入れるのはなぜか?
マスコミが煽った567の恐怖に怯え、多くの国民が判断力を失っているということ。羽毛布団の詐欺商法と同じ。その空間の中で正常な判断ができなくなる演出をするので、高いもの自ら進んで買ってしまう。同じことが世界で起きていると思えば理解しやすい。
ただ、打ちたい人は打ってばいい。1500人の死亡者も別の原因かもしれない。しかし、同調圧力で、会社ぐるみで、拒否する人たちを追い込み「あなたはなぜ、打たないのですか?」「あんただけ良ければいいのですか?」などと問い詰めたり、強制すべきではない。インフルエンザで、そんなことをいう人がいたか?今回よりもっともっと多くが感染し死亡しているのだ。ここまで騒いだか? それを考えれば現代は冷静さを失い、狂乱しているといえる。
区や市から来たあの手紙を読み返しても、納得できる人は打てばいい。疑問を感じた人はやめればいい。感染防止にはならないことは、すでに証明されている。それでも信じ続け3回目、4回目を打ちたい人は打てばいい。ただ、他人に強制するな。家族を巻き込むな。他人のFBにあれこれ批判コメントを書くな。あなただけが黙って打てばいい。
(昨年の夏。記事)
https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2021-08-20?fbclid=IwAR0D3FIgczsS2FErqSxeoxiDjev-fGS-1Jk68E0-Uh9u105RwHt9_gvWw40
上の記事を書いてから1年が経っていない。、
愚かな日本人=ワクチンの説明書を読み、なぜ恐怖や疑問を感じないのか?(再掲載) [再掲載]
昨日、届いた予防接種のお知らせ。あれこれ噂を聞いているが開封して説明書を読んだ。
「感染予防効果は十分には明らかになっていません」
「これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります」
以上、2つの記述が引っかかった。最初の方「予防効果は十分に明らかになっていません」なぜ、明かになっていないものを接種するのか?「567ウイルスは実態は十分に明らかになっていません」なら理解できる。が、それを予防するためのものの効果が「明らかになっていません」では日本語としておかしいだろう。枠てんは最初からあるものではなく、感染予防のために作られたもの。それが「明らかになっていない」という表現はおかしい。意味不明。そんな説明をされて接種をする気にはならない。ウイルス以上に怖い。
2番目の「これまでに明らかになっていない症状が出る可能性」ーこちらも負けじと怖い。そして意味不明の記述だ。「これまでに明らかになっていない」とはいつ以前の話か? 新型567に対する枠てんなのだから、ウイルスが存在しない5年10年前のことではないだろう。ということは、接種が始まって発覚した症状ということしかない。だが、そこで分かった症状も明記されていない。なんていい加減なんだ。聞いた限りで紹介すると発熱とか、痛み、腫れがある。それらとは違う症状が出る可能性があるということだろう。
例えば、免疫が不全になる。妊娠できなくなる。失明する。痴呆症になる。そんな「これまでに明らかになっていない症状」が出る可能性があるという説明だ。つまり、そんな弊害や後遺症の可能性があるけど、打つね?ということなのだ。「先のことは分からんというたんやさかに、あんたがどうなっても文句言うなよ」と言う意味だ。
おまけに先の説明「予防効果は十分に明らかになっていません」=「効かんかもしれへんで〜」と言う意味だ。もっと言えば、「ワシはよー分からん。あんたが死んでも責任取れへんからなあ」と言うことだ。こんな無責任な説明書はない。その辺の問題点や疑問を明確にしてから接種を始めるべき。「臨床実験が行われていない」「動物実験では検体の犬、猫等は全て死亡した」と聞くが、それは事実であろうと思えてくる。
そして1番の問題は、この説明書を受け取ったにも関わらず接種を受ける人たち。これを読んで疑問を感じないのか?危険を察知できないのか? わかりやすく言うと「死んでも文句言うなよ」と言う警告。それを読まずに接種したら、契約書を読まずにサインするのと同じ。読んだ上で接種するのなら、覚悟の上と言うことだろう。
報道だけでなく、いろんな情報を精査して考えることが大事。この記事を読み、何かに気づく人もいるだろう。そんな人たちに向けて記事を書き続ける。