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「朝日のあたる家」完成披露上映会レポート(2)ー2013年ー [再掲載]

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「朝日のあたる家」湖西市披露上映会/その2

 BY 映画評論家 永田よりのり

 午後1時の上映に入りきれないほどの観客が集まったために、急遽2回目の上映が決められた後、当初から予定されていた午後7時の回のために会場前から湖西市民会館の周囲に並んだ人たちの数は、僕がざっと数えただけで約350人ほど。

 満席になった夜7時の上映前にも舞台挨拶が行われた。
 登壇したのは太田隆文監督、出演者の並樹史朗、平沢いずみ、橋本わかな、そしてこの舞台挨拶だけのために来場した山本太郎の5人。

 監督の思いは「このパンフレットの中に書いてあるので、役者の方たちに話を聞いてください」と、マイクを俳優陣に渡す。
 それぞれに思いを語っていく中、山本太郎は時に笑いを、時に真摯に、その思いを語った。
 山本太郎は2011年の3月11日以降の福島原発事故を受け、原発再稼働の反対を唱えたこことで、一時芸能界からその露出を消した。いわゆる原子力発電所の広告費を受けている媒体などから〃干された〃のだ。

 それでも彼は映画で描かれたような世界を作ってはいけない、と運動を続けている。
 その思いも語りながら、市民の寄付で映画が出来上がり、観客に届けられることを感謝した。
 もしかしたら、この日一番の拍手が起きたかもしれない。
 上映開始後、山本太郎はスタッフの車に送られて帰路に着いた。出来ればこの映画を作ったスタッフたちともっと同じ時間を共有していたかったに違いない。

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 上映終了は午後9時半過ぎ。それから会場の片付けをスタッフが行う。僕も少しだけ片付けを手伝い、夜10時過ぎから撮影の宿泊所にもなった望洋荘での懇親会に参加した。
 監督、出演者が挨拶を行い、スタッフが用意したくすだまを割る時には、並樹木史朗が万歳三唱をして盛り上がった。

 僕が今日は泊まらないで帰ると言うと、スタッフらは「部屋空いてるんだから雑魚寝でも泊まっていけばいいのに」と残念がってくれたのが嬉しかった。
 原稿を書いたパンフレットの本人たちのインタビューページに、並木史朗、橋本わかな、平沢いずみらにサインをしていただき、色々な話をしながら時間を過ごした。
 夜も更けて三々五々、スタッフたちがその場所を離れていく。

 きっと呑み続けていればいつまでも呑んでいられる。
 しかし、翌日も上映会はあるのだ。
 今日でイヴェントが全て終わったわけではない。
 聞けば前日から徹夜で参加しているスタッフもいる。
 名残惜しく、去り難い気持ちを抱えながら、皆が翌日へ思いを馳せる。

 日曜日になった頃、僕はボランティアスタッフのみなさんにいただいたおみやげを抱えて(皆が僕のブログも読んでくれていて、歓迎してくれるのが何よりも有り難かった。勢いで8月か9月に浜松で我がバンド・サウナズのライヴも決まってしまったのだった)担当編集者と、配給宣伝員を乗せて車を出発させた。

 自宅に着いたのは日曜日の朝6時頃。
 往復で約700キロの走破だった。
 その後、日曜日の上映会も合わせて「朝日のあたる家」を観に集まった人たちは3000人を超えたことが判明した。

 6月29、30日の披露上映会は大成功だったと言っていいだろう。
 まずひとつの区切りがついたような気がする。
 しかしながら、この映画を湖西市だけの上映で終わらせてはいけない、と僕は思う。
 今後東京都内や、他の地方でも上映できるような態勢作りが急がれるだろう。

 そして、この映画を観たならば、何かがその人の中に残るはずなのだ。
 それが少しづつ何かを変えて、動かしていくようになれば、と僕は願う。
 次にこの映画のことを書けるのはいつだろうか。

 出来れば早い時期にまた、何かを書くことになれば、それは「朝日のあたる家」が次の動きを見せているということだ。
 その日が早くあることを願っている。 

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「ドキュメンタリー沖縄戦」太田監督が語る。@シアタードーナツ動画 [沖縄戦]



「ドキュメンタリー沖縄戦」太田監督が語る。

沖縄の映画館シアタードーナツ動画。ぜひ!

「多くの日本人が沖縄戦を知らない理由」

2020年10月


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「熱くならない。批判しない」 80年代イズムに影響された若者たちは今も! [原発問題]

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(2020年3月記事再掲載)

先日書いた記事ー「熱くならない。批判しない」がカッコいいと80年代に若者に浸透させたのが、コピーライターの糸井さん。「政治?興味ないなあ」がクールだぜーと、若い人は政治に関心をなくす。そのことで政治家たちが好き勝手、日本はこんな国になった。という記事を書いたら、多くの読者から「腑に落ちた」「目から鱗」というコメント多数頂いた。で、もう少し書いてみる。

ある先輩から「Facebookに愚痴を書くな!」と叱られたことがある。愚痴ではない。批評であり、批判だ。それを先輩は「愚痴」と解釈した。「愚痴」は言っても仕方のないことを言うこと。「批判、批評」は問題点を挙げて、その理由を考えること。そこから解決策や代案を導き出すためのもの。それを先輩は「愚痴だ」と決めつける。また、こんな人もいる「俺は人の悪口は言わない主義だ」「人の悪口を言う奴は最低だ」「私は政治の話はしません」「政治の話をする奴は気をつけないとな」等々。まとめると「批判するのは恥ずかしい。良くない」に集約できる。

「悪口」=「批判」=「愚痴」=「文句」は同じものだという、解釈でもある。嫌なことがあっても我慢。文句は言わない。耐える。それが大事。カッコイイと思う人もいるだろう。しかし、「悪口」「愚痴」と「批判」「批評」は別物だ。20年近くも不況が続くのは政治が悪いから。批判してなぜ、いけないのか? 企業は莫大な額を貯めこんでいるのに、それを社員に還元しない。批判して何が悪い?

多くの人に前回書いた糸井イズムが浸透していて、批判=文句=愚痴=「カッコ悪い」と思い込んでいるようだ。「文句を言わない」「愚痴を言わない」さらに「批判しない」「批評しない」それって喜ぶのは政府と企業だけ。それは何をされても文句を言わない、子羊のような国民と言うこと。

批判どころか、意見を言わない日本人も多い。そんな友人に聞いたらこう答えた。「あれこれ考えると、文句を言いたくなる。でも、言っても無駄。何も変わらない。だから考えないようにする」そしてこうもいう「私、原発とか興味ないから。政治? 関係ないし」友人はそれがかっこいいと思っているようだが、単なるアホ。人間であることをやめている。そんな風に「考えない」=「批判しない」=「カッコイイ」に結び付けたのが糸井イズム。それで多くの若者が何も考えず、批判もしなくなった。

つまり、支配者側に都合のいい仔羊なのだ。「国民は何も考えるな、意見を言うな、批判をするな、ただ従えばイイ」それを推進したのが糸井イズム。これ、新興宗教が良く使う洗脳と同じ。オウムでも、どこでもやっている。様々な教義や修行で信者の考える力を奪い。教祖の言うことだけを聞くように洗脳する。だからオウム信者はサリンをまいた。会社員は安月給で過労死するまで働く。それと同じ洗脳が80年代行われていたと感じる。一昨日、糸井さんはこんなツイートをした。

「人間は、たぶんとても弱いのだ。いまこの時期の、人びとのこころには、『自由は苦しい、制約を決めてくれ』という願いが、そこはかとなく漂っているような気がする」

怖い...。「管理され、命令され、従えば楽だよ」「何も考えずに支配されなさい」と言っているのだ。んー確信犯だったのか...。日本人の急務は糸井イズムからの脱去だろう。その真逆で生きているのが山本太郎だ。熱くなる。そして批判する。その考え方こそがこれからの日本を築くはずだ。


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「fukushima50」 を絶賛したあの人のことー批判しない、熱くならないがカッコいい? [原発問題]

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ー再掲載、2020年3月の記事ー

糸井重里さんは80年代。僕らの世代のヒーロー的存在だった。何よりコピーライターという新しいカッコいい仕事を認知、広めたた人だ。パルコの「おいしい生活」ウッディアレンを起用したCMが話題になったが、あのコピーが糸井さんである。

本人が出演、当時の人気女優・石原真理子と共演したポカリスエットのCM。NHKの若者向け番組「YOU」の司会。また、矢沢永吉の「成り上がり」も彼がインタビューし、まとめた本。彼は80年代の若者の憧れであり、オピニオンリーダーだった。その後、美人女優と結婚。金も、名誉も、美女も手に入れ、若い世代は「彼みたいになりたい!」と多くがコピーライターを目指した。

「渋谷で石を投げればコピーライター志望に当たる」と言われたほど。が、そんな彼が近年、コピーライター業を辞め「ほぼ日刊イトイ新聞」の発行をするようになってから、批判されるのをよく聞く。過去に彼が作ったコピー「まず総理から」ー戦争を揶揄した有名なものだが、「あれは無理やり書かされた」というような言い訳をしているとの話。また、今回も「Fukushima50」を「2時間ずっと泣いていた」という絶賛のツイートを出して炎上するなど。体制寄りの発言が目立つ。

友人に聞くと、あの新聞は政府がスポンサーだとかで、批判的なことを言えない立場らしい。もともと、コピーライターというのは企業をヨイショする仕事。「裏切った」とかいうことではない。が、あるツイートを見て、80年代から引っかかっていたものが解明できた。糸井さんを個人的には知らないし、嫌いではない。が、なぜか引っかかるものがあった。その理由が分かった。

ある方のツイート。「批判せず、熱くならないのがカッコいいというのが彼のスタイル」と指摘。なるほど。それが80年代。特に僕ら20歳前後の若者にウケた。僕らの上が「スポ根世代」涙と汗と努力!で、勉強もスポーツも頑張ろう!」というスタイル。その上が全共闘世代。いずれも一生懸命。でも、そんな人たちが頑張り、経済大国日本を築いた。

なのに戦争を知らない、貧しさを知らない僕らの世代は、オヤジたちを見て、汗と涙はカッコ悪いと感じた。そのくせにオヤジたちが築いた経済大国を謳歌した。渋谷や六本木に行き、都会暮らしを満喫。「汗まみれになる仕事は嫌だ。カッコ悪い」そんな時に登場したの糸井重里。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」ー共感した。「批判せず」というのは政治のこと。だから、僕らの世代は「政治なんか興味ないねー」はカッコいいと思っていた。

でも、それは政治家たちの思う壺。そのために日本は大いなる搾取の国になって行く。経済が伸びていた頃は弊害がなかった。「熱くならない。汗を流さない」で大丈夫。だからペン1本で短い文を書いて人気者になれるコピーライターに憧れる。もちろん、本当はそんな簡単な仕事じゃないけど、若者たちはそこまで知らない。同じ理由で大手企業に就職したい。恥ずかしくない会社で働きたい。カッコよく生きたい。

DCブランド・ブームもその頃。一流ブランドを着るだけで自分も一流になった気分になる。熱くならず、汗をかかず、カッコよく生きる。そんな若者たちの思いを体現したのが糸井重里だった。決してモデルのようなイケメンではないが「あのくらいなら俺も大丈夫かも?」と思わせる。テレビやCMで活躍。若者の憧れ。リッチでカッコいい!そして文化人!

ただ、彼は非常に努力家だと聞く。一行のコピーのために電話帳何冊分の厚さの企画書を書く。若者たちはそれを知らない。表面だけに憧れる。また、糸井さん自身も熱くなり戦う人ではなかっただろう。政権が戦争をしたがれば、それを察して「あのコピーは無理やり書かされた」といい、思想操作する危険な原発映画を絶賛する。まさに「批判せず」だ。先にツイッターで指摘していたが、彼は「いじめを黙認する先生」なのだ。

その後の日本。不況が20年近くも続き、アジアの貧困国に落ちぶれた。もう「批判せず、熱くならないのがカッコいい」なんて言ってられない。単に政治家に利用されている都合のいいだけの存在。糸井重里が意図したか、時代がそうさせたかは分からないが、熱くならない、批判しない生き方に憧れた日本人たちが、政治家たちを野放しにして、この国をダメにしたのだ。

ようやく、それに気づく人が現れる。「批判し、熱くなるのがカッコいい」それが山本太郎なのだ。ただ、糸井世代は未だにそれがカッコ悪いと感じてしまう。否定し、認めようとしない。糸井イズムから抜け出せない。でも、今の時代に必要なのは太郎イズム。批判し、熱くならないと、政治家たちに利用され、搾取され、さらなる貧困へと突き落とされる。れいわ新選組の人気。日本人はようやくそこに気づき始めたのだと思える。


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