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「熱くならない。批判しない」 80年代イズムに影響された若者たちは今も! [原発問題]

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(2020年3月記事再掲載)

先日書いた記事ー「熱くならない。批判しない」がカッコいいと80年代に若者に浸透させたのが、コピーライターの糸井さん。「政治?興味ないなあ」がクールだぜーと、若い人は政治に関心をなくす。そのことで政治家たちが好き勝手、日本はこんな国になった。という記事を書いたら、多くの読者から「腑に落ちた」「目から鱗」というコメント多数頂いた。で、もう少し書いてみる。

ある先輩から「Facebookに愚痴を書くな!」と叱られたことがある。愚痴ではない。批評であり、批判だ。それを先輩は「愚痴」と解釈した。「愚痴」は言っても仕方のないことを言うこと。「批判、批評」は問題点を挙げて、その理由を考えること。そこから解決策や代案を導き出すためのもの。それを先輩は「愚痴だ」と決めつける。また、こんな人もいる「俺は人の悪口は言わない主義だ」「人の悪口を言う奴は最低だ」「私は政治の話はしません」「政治の話をする奴は気をつけないとな」等々。まとめると「批判するのは恥ずかしい。良くない」に集約できる。

「悪口」=「批判」=「愚痴」=「文句」は同じものだという、解釈でもある。嫌なことがあっても我慢。文句は言わない。耐える。それが大事。カッコイイと思う人もいるだろう。しかし、「悪口」「愚痴」と「批判」「批評」は別物だ。20年近くも不況が続くのは政治が悪いから。批判してなぜ、いけないのか? 企業は莫大な額を貯めこんでいるのに、それを社員に還元しない。批判して何が悪い?

多くの人に前回書いた糸井イズムが浸透していて、批判=文句=愚痴=「カッコ悪い」と思い込んでいるようだ。「文句を言わない」「愚痴を言わない」さらに「批判しない」「批評しない」それって喜ぶのは政府と企業だけ。それは何をされても文句を言わない、子羊のような国民と言うこと。

批判どころか、意見を言わない日本人も多い。そんな友人に聞いたらこう答えた。「あれこれ考えると、文句を言いたくなる。でも、言っても無駄。何も変わらない。だから考えないようにする」そしてこうもいう「私、原発とか興味ないから。政治? 関係ないし」友人はそれがかっこいいと思っているようだが、単なるアホ。人間であることをやめている。そんな風に「考えない」=「批判しない」=「カッコイイ」に結び付けたのが糸井イズム。それで多くの若者が何も考えず、批判もしなくなった。

つまり、支配者側に都合のいい仔羊なのだ。「国民は何も考えるな、意見を言うな、批判をするな、ただ従えばイイ」それを推進したのが糸井イズム。これ、新興宗教が良く使う洗脳と同じ。オウムでも、どこでもやっている。様々な教義や修行で信者の考える力を奪い。教祖の言うことだけを聞くように洗脳する。だからオウム信者はサリンをまいた。会社員は安月給で過労死するまで働く。それと同じ洗脳が80年代行われていたと感じる。一昨日、糸井さんはこんなツイートをした。

「人間は、たぶんとても弱いのだ。いまこの時期の、人びとのこころには、『自由は苦しい、制約を決めてくれ』という願いが、そこはかとなく漂っているような気がする」

怖い...。「管理され、命令され、従えば楽だよ」「何も考えずに支配されなさい」と言っているのだ。んー確信犯だったのか...。日本人の急務は糸井イズムからの脱去だろう。その真逆で生きているのが山本太郎だ。熱くなる。そして批判する。その考え方こそがこれからの日本を築くはずだ。


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