もうひとつの業界タブーを破れば、原発映画はもっと作られる! [原発問題]
もうひとつの業界タブーを破れば、原発映画はもっと作られる!
2014年3月23日の記事
·
何度も書いたが「朝日のあたる家」を作ると言ったとき、映画界の先輩たちからこう言われた。”原発映画は映画界でタブーなんだ。どこの会社も製作費を出さない。映画にするのは無理だ!””原発映画なんて監督したら二度と商業映画を撮れなくなるぞ!”脅しではなく、好意からの忠告だった。しかし、それに従うことはなく、これを遺作にする!と決意。原発事故を題材とした映画”朝日”を製作、そして監督した。
先輩たちがいうのは正解で、どこの企業も製作費を出してはくれなかった。でも、市民の皆さんの協力で、寄付を集め製作することができた。それどころかヒットメーカーの園子恩監督も先んじて原発事故の映画を撮ったので、2013年の日本では福島の事故を意識した映画が2本も誕生した。”朝日”は海外でも展開。ドイツ。シンガポールでも上映された。これで先輩のいう”原発映画は作れない”というタブーは破られた。
ハリウッドでもある時期、ベトナム戦争を題材とした映画はタブーだった。それを破ったのが”ゴッドファーザー”のフランシス・コッポラ監督”地獄の黙示録”だ。さらにオリバーストーン監督の”プラトーン”のヒットで、ハリウッドはベトナム戦争映画ブームとなり、これまで隠されてきた事実が映画によって世界に晒された。
だが、日本。僕の知る後輩監督たち。”太田さん。凄いですね!””25館公開かあーうらやましいなあ”とはいうけど、原発事故の映画を撮ろうとしない。とても残念なのは、原発に反対している監督でさえ、その手の作品を企画すらしようとしない。なぜ、ハリウッドのように広がらないのか? 理由を考えた。そう。先輩に言われたもうひとつの言葉。”原発映画なんか撮ると二度と商業映画を撮れないぞ”それに皆、怯えているのだ。
原発題材の映画を撮れば、全国で上映。ヒットする可能性があることは証明されている。園子恩監督はあれ以降も新作を撮っているではないる。でも、彼はヒットメーカーだし例外だ...と思うのだろう。後輩たちは原発映画を撮らない。芸能人が原発問題に触れないのと同じ。”山本太郎のように干されてしまう!”その恐怖に縛られているのだ。では、どうすればいいのか? テレビでは当分、原発事故を題材としたドラマは作られない。映画しかない。が、後に続くものはいない。
それならばまた、そのタブーを破ればいい。原発映画を撮った僕が再び商業映画を撮ればいいのだ。”太田監督は原発映画を撮ったのに、何ら問題なく。また、以前のような商業映画を撮っている! 原発映画を撮っても大丈夫なんだ....”と思わせること。もっと言えば、その次回作が大ヒットすれば、”原発映画を撮った監督はブレイクする!”というジンクスができるかもしれない。そうなると、若手監督は思うだろう。”だったら、俺も原発事故の映画を監督しようかな!”そうやって、原発事故の現実を伝える映画が増えれば、少しずつ何かが変わるはずだ。
もちろん、僕が商業映画を撮れるか?どうか?まだ分からない。でも、原発事故が絡まない。これまでの作品”ストロベリーフィールズ”や”青い青い空”のような青春映画を撮れば。若手は安心し、勇気を持つだろう。そう、再びタブーを破ることで、大きな変革への第1歩に繋がるはずだ。
追記ー2021
ということで2017年に「明日にかける橋」を監督、さらに「朝日」を撮ったことで「ドキュメンタリー沖縄戦」の監督依頼が来た。原発映画を撮っても干されることなく、むしろ知名度が上がり、応援してくれる人も増えた。「朝日」の後、数本の原発事故の映画が撮られたが、まだまだ数本だ。ただ、昨年には「東電職員が日本を救った」というフィクション映画が登場。これは逆の動きだと思うけどね。
この人が保証すると不幸が訪れる?! [原発問題]
映画「Fukushima50」が隠した事実=大津波の対策を潰したのは吉田所長!だから津波が防波堤を越え、日本が危機に? [再掲載]
大津波の対策を潰したのは吉田所長!=ということは、彼のために全電源喪失が起き日本を危機にした?
添田孝史著「原発事故と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書)を読むと、東電がいかにいい加減で隠蔽体質の強い組織であるか?が説明されている。朝日新聞の科学記者(科学的な知識を持ち事故を取材する記者)によって書かれたものだ。
大津波が来ることは311以前から何度も指摘されており、保安院からも注意を受けていた。にも関わらず、東電側は費用がかかる対策をしたく無いので先延ばし、無視、別の資料を作り検討し直しということを繰り返していた。
つまり大津波は「想定外」ではなく「1000年に1度の大津波」でもなく、想定されていたものであり、その対策を東電と福島第一原発側が怠っただけなのだ。さらに、想定された大津波の対策を拒否し、握りつぶした人物こそ、映画のメインキャラの1人。渡辺謙が演じた吉田所長その人なのである。
決死の活躍で、部下たちと共に原発を守り、事故対策をする姿が描かれていたが、その事故を起こすきっかけを作ったのが吉田所長その人。当時は所長ではなかったが、彼は津波の専門家では無い。にも関わらず「大津波は来ない」と対策を拒否した。原発事故で本人がその責任を取ることなった。つまり、彼は映画で描かれたように「日本を救うために頑張った」のではなく、自身が津波対策をしなかったために、日本を危機に陥れ、部下の命を危険に晒したのである。
その罪深い人物の、そんな背景を一切描かず、隠して、英雄として描いたのが「Fukushima50」という映画。隠蔽、改ざん、嘘で固めて、やるべきことをやらない。映画も東電も同じ体質なのだ。
俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08