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「朝日のあたる家」が映画館公開された頃 2013年 [原発問題]

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公式hp=> http://asahinoataruie.jp
予告編ー https://youtu.be/rP2ztda0kpg

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「ドキュメンタリー沖縄戦」太田監督が語る。@シアタードーナツ動画 [沖縄戦]



「ドキュメンタリー沖縄戦」太田監督が語る。

沖縄の映画館シアタードーナツ動画。ぜひ!

「多くの日本人が沖縄戦を知らない理由」

2020年10月


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「熱くならない。批判しない」 80年代イズムに影響された若者たちは今も! [原発問題]

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(2020年3月記事再掲載)

先日書いた記事ー「熱くならない。批判しない」がカッコいいと80年代に若者に浸透させたのが、コピーライターの糸井さん。「政治?興味ないなあ」がクールだぜーと、若い人は政治に関心をなくす。そのことで政治家たちが好き勝手、日本はこんな国になった。という記事を書いたら、多くの読者から「腑に落ちた」「目から鱗」というコメント多数頂いた。で、もう少し書いてみる。

ある先輩から「Facebookに愚痴を書くな!」と叱られたことがある。愚痴ではない。批評であり、批判だ。それを先輩は「愚痴」と解釈した。「愚痴」は言っても仕方のないことを言うこと。「批判、批評」は問題点を挙げて、その理由を考えること。そこから解決策や代案を導き出すためのもの。それを先輩は「愚痴だ」と決めつける。また、こんな人もいる「俺は人の悪口は言わない主義だ」「人の悪口を言う奴は最低だ」「私は政治の話はしません」「政治の話をする奴は気をつけないとな」等々。まとめると「批判するのは恥ずかしい。良くない」に集約できる。

「悪口」=「批判」=「愚痴」=「文句」は同じものだという、解釈でもある。嫌なことがあっても我慢。文句は言わない。耐える。それが大事。カッコイイと思う人もいるだろう。しかし、「悪口」「愚痴」と「批判」「批評」は別物だ。20年近くも不況が続くのは政治が悪いから。批判してなぜ、いけないのか? 企業は莫大な額を貯めこんでいるのに、それを社員に還元しない。批判して何が悪い?

多くの人に前回書いた糸井イズムが浸透していて、批判=文句=愚痴=「カッコ悪い」と思い込んでいるようだ。「文句を言わない」「愚痴を言わない」さらに「批判しない」「批評しない」それって喜ぶのは政府と企業だけ。それは何をされても文句を言わない、子羊のような国民と言うこと。

批判どころか、意見を言わない日本人も多い。そんな友人に聞いたらこう答えた。「あれこれ考えると、文句を言いたくなる。でも、言っても無駄。何も変わらない。だから考えないようにする」そしてこうもいう「私、原発とか興味ないから。政治? 関係ないし」友人はそれがかっこいいと思っているようだが、単なるアホ。人間であることをやめている。そんな風に「考えない」=「批判しない」=「カッコイイ」に結び付けたのが糸井イズム。それで多くの若者が何も考えず、批判もしなくなった。

つまり、支配者側に都合のいい仔羊なのだ。「国民は何も考えるな、意見を言うな、批判をするな、ただ従えばイイ」それを推進したのが糸井イズム。これ、新興宗教が良く使う洗脳と同じ。オウムでも、どこでもやっている。様々な教義や修行で信者の考える力を奪い。教祖の言うことだけを聞くように洗脳する。だからオウム信者はサリンをまいた。会社員は安月給で過労死するまで働く。それと同じ洗脳が80年代行われていたと感じる。一昨日、糸井さんはこんなツイートをした。

「人間は、たぶんとても弱いのだ。いまこの時期の、人びとのこころには、『自由は苦しい、制約を決めてくれ』という願いが、そこはかとなく漂っているような気がする」

怖い...。「管理され、命令され、従えば楽だよ」「何も考えずに支配されなさい」と言っているのだ。んー確信犯だったのか...。日本人の急務は糸井イズムからの脱去だろう。その真逆で生きているのが山本太郎だ。熱くなる。そして批判する。その考え方こそがこれからの日本を築くはずだ。


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「fukushima50」 を絶賛したあの人のことー批判しない、熱くならないがカッコいい? [原発問題]

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ー再掲載、2020年3月の記事ー

糸井重里さんは80年代。僕らの世代のヒーロー的存在だった。何よりコピーライターという新しいカッコいい仕事を認知、広めたた人だ。パルコの「おいしい生活」ウッディアレンを起用したCMが話題になったが、あのコピーが糸井さんである。

本人が出演、当時の人気女優・石原真理子と共演したポカリスエットのCM。NHKの若者向け番組「YOU」の司会。また、矢沢永吉の「成り上がり」も彼がインタビューし、まとめた本。彼は80年代の若者の憧れであり、オピニオンリーダーだった。その後、美人女優と結婚。金も、名誉も、美女も手に入れ、若い世代は「彼みたいになりたい!」と多くがコピーライターを目指した。

「渋谷で石を投げればコピーライター志望に当たる」と言われたほど。が、そんな彼が近年、コピーライター業を辞め「ほぼ日刊イトイ新聞」の発行をするようになってから、批判されるのをよく聞く。過去に彼が作ったコピー「まず総理から」ー戦争を揶揄した有名なものだが、「あれは無理やり書かされた」というような言い訳をしているとの話。また、今回も「Fukushima50」を「2時間ずっと泣いていた」という絶賛のツイートを出して炎上するなど。体制寄りの発言が目立つ。

友人に聞くと、あの新聞は政府がスポンサーだとかで、批判的なことを言えない立場らしい。もともと、コピーライターというのは企業をヨイショする仕事。「裏切った」とかいうことではない。が、あるツイートを見て、80年代から引っかかっていたものが解明できた。糸井さんを個人的には知らないし、嫌いではない。が、なぜか引っかかるものがあった。その理由が分かった。

ある方のツイート。「批判せず、熱くならないのがカッコいいというのが彼のスタイル」と指摘。なるほど。それが80年代。特に僕ら20歳前後の若者にウケた。僕らの上が「スポ根世代」涙と汗と努力!で、勉強もスポーツも頑張ろう!」というスタイル。その上が全共闘世代。いずれも一生懸命。でも、そんな人たちが頑張り、経済大国日本を築いた。

なのに戦争を知らない、貧しさを知らない僕らの世代は、オヤジたちを見て、汗と涙はカッコ悪いと感じた。そのくせにオヤジたちが築いた経済大国を謳歌した。渋谷や六本木に行き、都会暮らしを満喫。「汗まみれになる仕事は嫌だ。カッコ悪い」そんな時に登場したの糸井重里。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」ー共感した。「批判せず」というのは政治のこと。だから、僕らの世代は「政治なんか興味ないねー」はカッコいいと思っていた。

でも、それは政治家たちの思う壺。そのために日本は大いなる搾取の国になって行く。経済が伸びていた頃は弊害がなかった。「熱くならない。汗を流さない」で大丈夫。だからペン1本で短い文を書いて人気者になれるコピーライターに憧れる。もちろん、本当はそんな簡単な仕事じゃないけど、若者たちはそこまで知らない。同じ理由で大手企業に就職したい。恥ずかしくない会社で働きたい。カッコよく生きたい。

DCブランド・ブームもその頃。一流ブランドを着るだけで自分も一流になった気分になる。熱くならず、汗をかかず、カッコよく生きる。そんな若者たちの思いを体現したのが糸井重里だった。決してモデルのようなイケメンではないが「あのくらいなら俺も大丈夫かも?」と思わせる。テレビやCMで活躍。若者の憧れ。リッチでカッコいい!そして文化人!

ただ、彼は非常に努力家だと聞く。一行のコピーのために電話帳何冊分の厚さの企画書を書く。若者たちはそれを知らない。表面だけに憧れる。また、糸井さん自身も熱くなり戦う人ではなかっただろう。政権が戦争をしたがれば、それを察して「あのコピーは無理やり書かされた」といい、思想操作する危険な原発映画を絶賛する。まさに「批判せず」だ。先にツイッターで指摘していたが、彼は「いじめを黙認する先生」なのだ。

その後の日本。不況が20年近くも続き、アジアの貧困国に落ちぶれた。もう「批判せず、熱くならないのがカッコいい」なんて言ってられない。単に政治家に利用されている都合のいいだけの存在。糸井重里が意図したか、時代がそうさせたかは分からないが、熱くならない、批判しない生き方に憧れた日本人たちが、政治家たちを野放しにして、この国をダメにしたのだ。

ようやく、それに気づく人が現れる。「批判し、熱くなるのがカッコいい」それが山本太郎なのだ。ただ、糸井世代は未だにそれがカッコ悪いと感じてしまう。否定し、認めようとしない。糸井イズムから抜け出せない。でも、今の時代に必要なのは太郎イズム。批判し、熱くならないと、政治家たちに利用され、搾取され、さらなる貧困へと突き落とされる。れいわ新選組の人気。日本人はようやくそこに気づき始めたのだと思える。


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原爆事故の悲しみを描いた映画「朝日のあたる家」予告編ロングバージョン [原発問題]



原発事故の悲しみを描いた映画「朝日のあたる家」

大手映画チェーンからは上映拒否を受けたが、全国23館の独立系映画館が次々に手を上げて公開。大ヒット。その後、世界6カ国で上映。ロスアンゼルスの映画祭では優秀賞受賞。日本各地で自主上映が2年ほど続いた。が、テレビでは未だに放映されていない。

(2013年)山本太郎、いしだ壱成、出演。太田隆文監督作品。

宅配ゲオでDVDレンタル中。販売はamazon、楽天で。

公式hp=> http://asahinoataruie.jp 予告編= https://youtu.be/f-8nbq4fhhQ

世界六ヵ国で上映。日本が23の映画館で公開。


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「朝日のあたる家」完成披露上映会レポート(1)2013年 [再掲載]

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 By 永田よしのり(映画評論家)

「朝日のあたる家」静岡県湖西市にて披露上映会/その1


 6月29日土曜日と6月30日日曜日、静岡県湖西市にて、太田隆文監督の最新作で、湖西市民支援により出来上がった「朝日のあたる家」の、日本での初上映、披露上映会が開催された。

 僕も昨年の7月、監督から脚本を読ませていただいて以来この映画の製作現場に立ち会ってきた(脚本を初めて読んでから、キャスティング、撮影、0号試写、パンフレット原稿まで)。自身もアテレコで参加させていただいたりもした。

 映画の成り立ちの最初から最後までに付き合うことはほぼ初めて。僕はほとんどの場合が撮影現場に初めておじゃまして、その後インタビューやら現場ルポやらを書くことが多い。

 そういう意味では、映画が一般に上映されるという最後の瞬間(実は映画はそこからが出発でもあるのだが)に立ち会わないわけにはいかない。これでそこに居なければ今までの過程を見届けてきたことに収まりがつかない。

 6月29日土曜日、早朝5時半に自宅を車で出発。

 僕の担当編集者を途中でピックアップして、2人で湖西市に向けて車を走らせる。

 さすが土曜日の早朝、東名高速道路はどこも渋滞に引っ掛からず、スムーズに上映が行われる湖西市民会館に到着したのが、午前11時半頃。

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 撮影現場で知り合った映画ボランティアスタッフに連絡して、入場チケットを受け取り、開始前の慌ただしい中、太田監督とも顔を合わせ、僕らは上映を待つことに。

 この日は1日2回、午後1時と午後7時の上映が予定、その前後に参加した市民俳優らや、監督、出演俳優らの舞台挨拶も。

 入場した観客らは、陳列された映画で使われた小道具や、販売されているパンフレットやシナリオを手に取る。サインが入っているものもあり、シナリオはこの日でほぼ完売、パンフレットも好調な売れ行きのようだった(手前みそだが、パンフレットのほとんどを僕が原稿執筆。その文字数は約30000文字)。

 この日1回目の上映、午後1時前には場内は満席。1回目の上映に入れない人たちのために、急遽予定になかった午後4時過ぎからの上映がアナウンスされた。それでも一刻も早く映画を観たい気持ちからか、100人ほどの人が立ち見で劇場に残っていた。

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 少し残念だったのは、やはり宣伝やイヴェントのプロが最前線で仕切っていないこと。続々と入場して来る観客の多さに対応仕切れずに少なからずパニック状態に陥っていた。早めに現状に対応して入場制限をかけるなりすれば良かったのだが(差し出がましいとは思ったが、僕は早めに対応するようにスタッフに進言したのだが)、

 その対応が遅れたために憤慨した観客も多少はいたようだ。それでも急遽の追加上映を決めてアナウンスしたことは迅速的確な対応と言えるだろう。都内でスケジュールがガチガチに決まっている劇場では、そうした対応はまず出来ない。入れない観客は次回以降に回されるのは常であることを考えると、そうした対応ができたのは地方市民会館だからこそのユーティリティーだったと思う。

 市民俳優と監督との挨拶が終わって、いよいよ本編の上映。

 僕は0号試写を観ているが、音楽も入り、全てが完成した形で観るのは今回が初めて。音楽が入ることによって、役者たちの演技や情景描写などの演出・編集に更なる効果が加わることは言うまでもない。そこに太田監督の使うカットバック演出が様々な意味を持つ。

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 カットバックとは、映画の中での時間軸、場所をいくつかの組み合わせによって見せて行くこと。たとえば同じ場所、時間で描いて見せること。違う場所、時間で描く。同じ場所、違う時間で見せる。違う場所、同じ時間で見せるという4つが大きく分けるとある。

 その時間軸と場所の組み合わせで、観客はそこで何が起きているのか、他の場所では何が起きているのか、を理解し、想像していくことになる。

 映画は冒頭では、主人公となる平田家のごく他愛もない日常の風景を描写。このあたりでは観客は平田家の日常を共感しながら微笑ましく受け止めていく。それは地元で撮影された映画だからか、普段あまり映画を劇場などで観ないからか、「ああ、あそこは~の場所だね」とか、「可愛い娘だねえ」などと、自分の家のお茶の間のように感想を言いあっていることからも分かる。そうして映画を楽しんでいることが微笑ましくさえある。

 僕は映画館でのマナーなどをよく書くが、こうした地方での上映ではけしてじっと黙って映画を観なくても良いと思っている。もちろん常軌を逸した言動は困るのだが、地方では昔の映画を観に来ていた観客の風景があるような気がするのだ。入場前に長い列を作って並んでいる人たちの顔を見ていると、色々な期待でわくわくしているような顔があちこちにあった。

 それは〃映画だけが娯楽だった時代〃の風景のような。

 そんな気もするのだ。

 映画では地震が起き、原子力発電所に事故が起きてから日常は少しづつ崩壊していくことになる。その様子を観客は固唾を呑むように見守っていく。

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 終わりに近づくにつれ、周辺ではすすり泣く声が聞こえ始める。その頃には口を開く者など誰もいない。ただただ画面の中で起きていくことを集中して受け止めているのだろう。

 上映が終了。エンドクレジットには協力した湖西市民たちの名前が列記されていく。その数は100人や200人ではないために、延々と続いていくようだ。自分の名前を確認しに来た人もいるに違いない。そして監督・太田隆文の名前が消えた後、少しづつ拍手が起こり始め、それがしばらく続いた。

 少し時間を置いてから、監督と出演者陣(この日は平田家の家族、並樹史朗、平沢いずみ、橋本わかなの3人が登壇/残念なことに母親役の斉藤とも子は別の予定がずいぶん前から決まっていたためにこの日は不参加だった)の舞台挨拶が行われた。

 並樹さんは映画の中でのアドリブよろしく、お茶目な様子で観客を笑わせ、そこに監督がツッコミを入れ、平沢いずみと橋本わかなは映画の中の関係性そのままの姉妹の感じで観客への感謝を伝えた。

 舞台挨拶が終わり、控室へ顔を出す。

 扉を開けるとちょうど平沢いずみが立っていて、僕に声をかけてくれた。

 「あー、永田さん、お久しぶりです!」

 僕は彼女の着ていたブルーのワンピースを「今日の服、可愛いね」と言うと「いやー、そうですかあ!」と笑っていた。彼女のナチュラルな笑顔はとても可愛らしいと思う。

 まだ夜の回にも舞台挨拶があり、忙しそうに行動しているスタッフらに一言挨拶を済ませ、また夜の回の舞台挨拶までに戻って来ることを約束して、とりあえず僕らは市民会館を一度後にする。

 午後4時少し前。

 まだ2時間半ほどの時間を利用して、浜松市西区にある中華そばと餃子で地元民に愛されているという「浅草軒分店」に。

 夕方だというのにひっきりなしにお客が来る店で、僕と担当編集者のSは、中華そばの大盛と餃子を堪能した。

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 浜名湖の堤防で食後に缶コーヒーを飲みながら海風にあたる至福の時間を少し過ごし、再び午後6時少し過ぎに湖西市民会館に戻る。すると会場前に早くも300人以上の、会場を待つ人達の列が。

 「これは夜も満席になるだろうな」

 そう思いながら、僕らは再び市民会館の中に入ったのだった。(以下/その2へ続く)

 転載元=> http://ameblo.jp/blues-yoshi/entry-11563739512.html

 (ご本人の承諾を得て転載)

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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(下)土手を削って低い位置に原発を建設。津波が来たら自然災害? [再掲載]

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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(下)

想定外の高さの津波というより、土手を削って低い位置に原発を建設。津波が来たら自然災害と被害者ぶった東電。当時、総理だった菅直人がドイツのテレビ取材で答えたもの。


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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(中)総理が現場を訪れた理由。 [再掲載]

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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(中)

菅直人がドイツのテレビ取材で答えたもの。現場を訪れた理由。その背景を映画では説明せず、総理のせいでベントが遅れたという事実でないことを描いている



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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(上)映画で総理が苛立っている背景が説明されていない [再掲載]

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映画「Fukushima 50 」で描かれてない事実(上)

菅直人がドイツのテレビ取材で答えたもの。が、東電が情報を上げず、秘密主義であったことが理由。映画では総理が苛立つ場面のみを描いている。

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韓国映画「パンドラ」=「Fukushima50」より日本人はこちらを観るべきだ [再掲載]

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韓国映画「パンドラ」=「Fukushima50」より日本人はこちらを観るべきだ

2020年3月の記事より

3・11なので原発事故の映画を見ようと、Netflixで韓国映画「パンドラ」を見ている。日本では公開されていないいわくつきの作品。福島第一原発の事故をモデルに、もっと酷い状況になればどうなっていたか?という想定で作られた映画。

韓国も原発大国。僕が「朝日のあたる家」を作った時に、韓国のネットでも紹介記事が出た。その韓国での原発映画は非常によく出てきていて、金もかかっている。強い想いも感じる。あまりに辛い内容なので途中で休憩してし、この記事を書いている。

「朝日」を作る時、企業はどこも出資してくれなかった。市民の寄付だけで作った。なのに韓国では億単位の製作をかけて原発映画を作っている。かなり踏み込んだ描写がある。そのリアルな映像に圧倒される。物語も日本の原発事故を踏襲。電力会社は政府も隠蔽に走り、事実を伝えない。そのことで多くの被害を出す。

一方、日本。現在公開中の「Fukushima50」は深刻な被害は描かず、「悪いのは菅直人だ。悪夢の民主党時代の出来事。東電も被害者だ。現場は命がけで頑張った。日本を救った!」と嘘を交え、すり替えた物語を作り、それを多くの観客が感動。有名なコピーライターは「2時間泣きっ放し」とツイートする。この違いは一体何のか? 事故が起きたのは日本だ。なのに隠蔽ばかり。

まさにコロナウイルスと同じ。1日に1万人の検査をする韓国。日本はあーだこーだと理由をつけて、検査せず、今になり、ようやく、検査数が増えだした。その間にも何人もの患者が死に、死んでから認定する。原発映画と同じ。この日本という国はどうなっているんだ?映画もコロナ対応も韓国の方が数段進んでいる。なぜ、日本はこうなのか?悔しい。ほんに悔しい。

「パンドラ」を見ながら、福島もこうなったかもしれないと感じる。F50の活躍で大惨事を止めた訳ではない。彼らは爆発も止められず、様々な奇跡が大惨事を止めただけなのだ。それを描かず.....。英雄扱い。本当に情けない。韓国でこんな映画が作れるのに、日本は.....ぜひ、韓国映画の「パンドラ」観て欲しい。奇跡が起きなければ福島もこうなっていた。それが描かれている。被害があの程度で済んだのは決してF50のお陰ではない。




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