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僕の新作映画「明日にかける橋1989年」の公式HP [2017]

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(HP本文より)
映画製作には製作費が必要であり、製作費は映画の規模や出演する役者によって大きく変わります。今回の内容と、主演に考えている女優さんを使った場合、最低でも1億円~2億円の費用が掛かります。しかし市民によるボランティア応援、スタッフ&キャストによる削減等出来る事を協力者全員で行う事で実質3000万円ほどで製作する事が可能になりました。(この映画規模ではかなり破格です。)
これは市民が一丸になり、この映画を完成させようと努力する事から、監督や演者及びスタッフも協力的になりお金ではない価値観で動いてくれるのです。

【製作費の集め方】
 製作費最低3000万円は、すべて市民及び地元企業からの協賛で賄おうとしております。協賛金は1000円から募集、10,000円以上でエンドロールに名前掲載等金額によって様々な協賛特典が付きます。(別紙参照)また、映画の中のシーンに協賛企業(店舗)の看板や商品を、いやらしくない形で映画の中に取り込む等の特典もあり、協賛金を集めやすくするシステムになっています。今、話題のクラウドファンディングも活用していきますが、協力者全員で協賛金を集める事が大事になってきます。 


 HP=>http://ffc2017.main.jp



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原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」(山本太郎・出演)衛星&ケーブルテレビが次々に放映拒否! [2017]

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「朝日のあたる家」公開時も多くの映画館から上映拒否された。

DVDもメーカーは手を上げず、ようやく心ある会社が発売してくれた。

DVDの次は衛星放送、ケーブルテレビでの放映だ。

が、局が次々に放映拒否。

苦戦している。

放送は多くの人に見てもらえる。

映画専門の局等にアプローチを続ける。

 公式HP=>http://www.asahinoataruie.jp


「朝日のあたる家」映画館上映拒否だった頃=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2013-08-10-5


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えーーー原発事故の悲劇を描き話題になった映画「朝日のあたる家」(山本太郎さんも出演)DVDのレンタルが終了!? [2017]

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間もなく「朝日のあたる家」DVDのレンタルが終了します。

TSUTAYA等のレンタル店は基本1年しか店頭に置いてくれません。

大ヒットした作品で回転率が高ければ何年でも置いてくれますが

通常の映画。小品は1年で廃棄されます。

ま、次々に新作のDVDが出るので、棚がなくなるということなのですが...。

すでに店頭にはない店もありますが、今なら取り寄せでレンタルすることができます。

原発事故に巻き込まれた家族の物語。

山本太郎さん、いしだ壱成さんも出演!

この機会にぜひご覧ください。

公式HP=>http://www.asahinoataruie.jp


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「臭いものに蓋をする”ように目を背けてはいけません」 [【再掲載】]

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 「朝日のあたる家」を大阪で見てくれた女性の感想です。

 その一部を引用させて頂きます。

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 この映画で描かれていることは過去の出来事ではなく、

 今この瞬間もその恐怖や不安を抱えて生活していらっしゃる方々が

 たくさんいるというのは紛れもない事実であり、

 ”臭いものに蓋をする”ように目を背けてはいけません。

 全文はこちらで=>

http://ameblo.jp/lotusxmercy/entry-11626381338.html?fb_action_ids=521976877876621&fb_action_types=og.likes&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=288381481237582


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー「いつも写真が嫌いな私が みんなで写真を撮ろうよ。」 [【再掲載】]

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 先のメッセージをくれた神奈川の主婦さん

 FBにも記事を書いてくれた。

 こちらも涙が零れる

 「朝日のあたる家」がんばって作ってよかったと思える瞬間

 ありがとうございます。

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家族写真にいいね!をくださったみなさまへ

昨年 横浜で観た観た 映画「朝日のあたる家」。
何度か この映画について書いたことがあるので 覚えていただいているかもしれません。この写真はその時の思いからのものでした。映画を観た日に まだ慣れないツイートをぜひしよう!と思って実行したのも、自分の行動としてはいがいなものでした。  

「観ましたか? 観ませんか? 観ましょう。 観てください!

観ましたか? 観ませんか? 観ましょう。 観てください!同じことが起こる可能性は大きい!自分のこととして考えるためにも必見! 「朝日のあたる家」横浜ジャック&ベティ 8日(金)まで上映。」 

必死で考えた140字。

慣れないことを夢中でしました。 それくらい 心に残る作品だったのです。
私たちの何気ない日常が、どれだけ不確かなものであるのか、胸に抱えながら帰宅しました。今、幸せだと感じることにも何の根拠もないのではないのか・・あの日から、いつもそのことが頭から離れません。今年の初詣で いつも写真が嫌いな私が 

「みんなで写真を撮ろうよ。」

と口にしたのも、その思いからです。 

今日こうしていることも永遠ではないのだ。守りたいものはたくさんある。しかし、守り切れずに大きく人生が変わることは誰の身にも起こりうる。「これがいつまでも続くとは限らない。今日のこの時を大切にしなければ。縁起でもないけれど、来年同じ写真が撮れるとはかぎらないから・・」と言ったのも 

あの映画のシーンが頭にあったから。

当たり前だと思っていた日常が 当たり前ではないこと! 多くの人の思いと努力によって守られていたものだということに改めて気がつきます。原発事故は特別のことではない。私たちのすぐそばにある。私の出身地は大分県です。帰省のたびに「あんたたちは大変やね。」と言われることもあります。

でも、大分の目と鼻の先には伊方原発があるのです。一昨年別府からフェリーで四国に渡った時にはすぐ近くを別府を発って間もなく見ました。 どうして福島を遠いところのことと感じているのだろう。 すぐ近くにあるじゃない・・・

私はこの日常を大切にしたい。

守りたい。来年も同じように家族で写真が撮りたい。だって、こんなささやかな願いが叶えられない人がたくさんいるのだから。二度と家に帰れない人が大勢いるのだから。

私が思うことが少しずつ家族にも伝わっているような気がする。普通に暮らすことは当たり前ではない。みんなで守らなければいつ壊れるのかもしれない。そして、帰れなくなった家と集まることさえできなくなった人たちのことを忘れず 今日を大切にしよう。

大分で警鐘を鳴らし続けているFB友もいる。

みんな よそのことだと思わないで。

今の私たちの暮らしは とても不安定なものだということ、怖がらずにちょっと見てみよう。

今日の穏やかな日常 守りたいもの。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ー泣きすぎて脱力感半端ない。全国の映画館で断られるのは当然 [【再掲載】]

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 朝日のあたる家ー札幌公開で見つけた感想

 ご紹介させてください。

framboise @framboise731 2月19日
「朝日のあたる家」見てきた…泣きすぎて脱力感半端ない。あれが全国の映画館で断られるのは当然だわ。原発で誰が得をしてるのかはっきり言ってるし、一般市民の悲しみがリアルすぎるほどリアル。現実(とネットで見聞きした状況)そのまんまだもん。絶対見るべき映画だよ、もっと全国で広まれー!

脱原発に一票チーム北海道5区 @shinchannoujyou 49分
@ompfarm @magicalmako お疲れ様です。昨日、朝日のあたる家。見て来ました。無関心層には、なかなか見てもらえ無いでしょうかね。初日はほぼ満席状態でした。

Mint(脱原発に一票) @orcamie 2月21日
映画[朝日のあたる家]明日から札幌シアターキノにて公開。北海道初上陸。これは原発事故に翻弄される家族の物語。スターウオーズ並みのエンドクリップが長いのはスポンサーが無名の市民達だから。この映画は福島の時系列を忠実に再現。公式HP: http://asahinoataruie.jp/trailer.html

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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想を読みたい方はこちら! [【再掲載】]

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 都知事選の争点にもなっている原発問題。

 その原発事故を正面から描いた話題の映画

 ”朝日のあたる家”

 その映画のいろんな感想を読むができます=>
http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304025926-1

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原発事故を題材にした家族映画「朝日のあたる家」自主上映会での感想。④ [【再掲載】]

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原発事故を題材にした家族映画「朝日のあたる家」自主上映会での感想。④
今回は4回目 ”★感想文16~21”のご紹介です。

湖西市を舞台とした映画「朝日のあたる家」を観た方々の感想文が多数寄せられましたので、昨日(初回)に続き 第2回目のご紹介をさせていただきます。

この感想文は 5/11静岡県母親大会(於:湖西高校)で 第20分科会として行われた同映画の上映会に参加した110名(満席)の方々から感想文を書いていただいたものです(変更は加えず ワード化したものです)

第4回目 感想文16~感想文21ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★感想文 16
今は停止中の原発が再稼働したら 起こるであろう事故、そして 福島の現実。こんなにも危険があるのに 何故 政府は再稼働しようとするのか? こんなにも苦しみ 悲しみ ひどい状態に置かれている国民がいることを どう思っているのか? 政府及び電力会社は あまりに現実を見ていない。イヤ現実から目をそらしている。この映画は そういう人にこそ 観て欲しい。テレビも新聞も 本当のことを報道して欲しい。あまりにやるせなく 胸が苦しい。(浜松 60代)

★感想文 17
日常生活を守る大切さを 実感させてくれる映画でした。有難うございました。よく作ってくれました。(浜松 70代)

★感想文 18
浜松民商婦人部リーダー○○さんと 7-8人の仲間たちに加わり この映画を観ました。私は 第40回静大アリーナでの時代から94.99.02.05.14年と5回目の参加なので 今回は20分科会を選んでよかったと思いました。5回の内の3回は主人と一緒でしたが 昨年の2月(主人は)あの世に旅立って行きました。大切な人を失ってみて あたりまえにあった日々が どんなに尊いものだったかを 再度痛感し この映画の内容と重なり 涙が止まらなくて困りました。一人でも多くの人達に 観る機会があることを 切に願うものです。(浜松 70代)

★感想文 19
この映画を企画・作成されたみなさん ご苦労様でした。原発再稼働を公言されている人を 許せないと思います。「幸せって何だろう?」と言う台詞がありました。私の望んでいる幸せは 映画と同じ。家族が元気で暮らせる事。幸せは目に見えないもので壊されるんですネ。(浜松 70代)


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「朝日のあたる家」ドイツのサイトで紹介記事 [【再掲載】]

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 「朝日のあたる家」韓国、台湾メディアに続き、ドイツのメディアでも紹介!

 ネットの翻訳ページで訳してみました。

 日本語としておかしいですが、何となく意味は分かります。

 要は「映画会社から出資を受けられず、市民からの寄付で原発事故の映画を作った」

 という記事のようです。

 短い文章ですが、そこに市民は強い関心を寄せているのに、

 日本の大手企業は原発事故に関して背を向けている現実を紹介しているようです。

 以下、翻訳。

 Takafumi Otaは手段を組織することができませんでした、のために、彼の/福島のスーパー地区の後の難民の生活に関するそのフィルム。
彼/それは、フィルム「朝日のあたる家」用にクラウドソーシング-Aufrufes 100.000ドルのおかげでともに行いました。

 記事元=>http://www.blogs.ausgestrahlt.de/fukushima/in-japan-film-ueber-fukushima/

 動画ニュースも!=> http://www.zeit.de/video/2014-01/3001024917001/kino-japanischer-regisseur-finanziert-anti-atomkraft-film-ueber-crowdsourcing#autoplay
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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー上映拒否した映画館。呆れた言い訳? [【再掲載】]

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 先に掲載した”朝日のあたる家”上映拒否の話。ある方から、こんなメッセージを頂いた。

 ”あの映画館は思いのあるところ。原発の映画だからと断ったりするはずがありません。何かの間違いです。私が直接、館主に会って、上映をお願いしてきます”

 その方は原発を反対している人。”朝日”の上映を望んでくれている。訪問後に再び連絡を頂いた。概要は以下の通り。

 1 映画配給会社の系列の関係で上映できない(詳しくは話せないと言っていた)

 2「朝日のあたる家」の内容に問題があると判断したわけではない

 3 反原発団体が上映するなら、劇場を有料で貸す。

 いやはや、呆れてしまった。(1)の系列の関係で上映できないは明らかなウソ! 配給会社にも確かめた。”上映してほしい”と劇場側にお願いしたが、半年後に”上映できない”との返事があったとのこと。系列問題など存在せず。劇場側の意思で断られた。

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 つまり、上映したい!といえば、何ら問題がなく、上映できたのだ。そもそも、劇場側のいう”系列問題”というは、それは古い時代に東宝系、松竹系、東映系と分かれていて東宝の映画は松竹の映画館では上映できない。ということがあった。

 が、今では東宝のシネコンで松竹映画は上映され、系列問題は存在しない。そんなありもしない理由で”上映できない”と回答をしている。”詳しくは話せない”というのも、詳しく話すとウソがバレるからだ。

 劇場がやる気があれば”朝日”を上映できる立場にある。では、なぜ、そんなウソを着いたのか?劇場を訪ね。上映を再度懇願した方が反原発支持者だからだ。

 回答の(2)で上げているが、”内容に問題があると判断したわけではない”がそれを物語る。原発が題材だから断ったのではないといいたいのだが、系列の問題がない以上。上映はできる。もし、内容的に満足しないものなら、劇場側が”朝日”の試写を観た直後に断るはず。系列問題があるなら、そもそも試写は見ないし、半年も答えを保留する必要はない。

 客入りが心配というのもあり得ない。その劇場の近隣の町で記録的な大ヒットになっているから。それも、近所の原発の再稼働申請が行われたとたんに断ったきた。これはもう”朝日”が原発題材の映画だからとしか思えない。

 それも反原発支持の方に聞かれたので、ウソをいって対面を繕ったのだ。原発題材の映画だから拒否したことがバレると信頼を失う。反原発団体から批判されるのを怖れたからだ。


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 だから、”系列の問題で上映できない”と言い訳、推進派からクレームが来るのが怖くて上映できないと言えなくて、ウソを言ったのだ。が、そもそも”朝日”は原発が題材ではあるが、原発反対がテーマではない。何度も書くが、原発事故を背景にすることで、家族の幸せとは何か? 絆とは何か?を考える映画だ。なのに、原発題材というだけで、怖れ、偏見を持ち、拒否する映画館が数多くいる。

 中でも今回の劇場。信じられないのは、自ら原発関連映画は上映しなくせに、上映を懇願にいった反原発支持者の方に上映するなら、会場を貸すというのである。

 近隣の地区では”朝日”を公開して記録的なヒットした映画館がある。拒否した映画館にも、ものスゴイ数のリクエストが来ている。大ヒット間違いなし。だから、上映したいが、原発問題が絡む映画なので関係者からクレームがあると怖い。だから、反原発団体に主催させて上映させて、何かのときに責任を逃れる立場で儲けようということだ。

 呆れてものも言えなかった。どちらかにしてほしい。拒否なら拒否。その代わり大きな収入を失う。勇気を持って上映するなら、確実に大ヒット。映画館には巨額の収入を得る。なのに、推進派は怖い。でも、儲けたい。反対派の人にウソをついて、自主上映をさせようとする。呆れるしかなかった。

 上映を懇願に行った方にも、劇場側がウソをいっていること。伝えた。そして、心ない劇場では絶対に自主上映しないようにお願いした。公共の施設で上映すれば、その劇場の10分の1以下の費用で上映できるからだ。



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 この件。詳しく書いたのは、映画館だけでなく、多くの会社や企業。団体が同じようなパターンで、原発を避けて通ろうとしているからだ。原発問題に関わると、何か言われるかもしれない。クレームがくるかもしれない。怖い。だから、避けて通る。でも、それでは恥ずかしい。だから、ウソの理由で関われないと説明する。

 本当は推進派が怖くて、関われないだけ。同時に反原発の人たちも怖い。だから、またウソを着く。そんな人たち、そんな会社がまだまだ多く存在する。結果として推進派を容認。応援しているのと同じ。

 だからこそ、”朝日のあたる家”の上映を続けて、本当にことを伝え続けること大切。その映画館が上映しないなら、その地区の人たちと協力し合って自主上映をする。映画館で上映する以上の観客を動員してみせる。

 本当に怖いのは推進派ではない。その劇場から遠くない場所にある”世界で最も危険な原発”であること。原発問題を超えて、子供たちのために大人が今、やるべきことは何なのか? それをみんなで考える機会を作ることこそが大事なのだ。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「苦しみ、悲しみ、怒りを刻むために観ておきたい映画」 [【再掲載】]

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 豊橋特別上映会で「朝日のあたる家」感想。

 SHさん。

 まさに僕が伝えたかったことを書いてくれている!

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 映画「朝日のあたる家」豊橋での特別上映会があり、

 家族で観てきました。

 イチゴ農家のお父さん、家族を大事にしてるお母さん、

 田舎に嫌気がさし家から大学に通いつつも、卒業後は東京へ出たいと願う長女、

 無邪気に明るい次女。

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 原発から60キロのまちで、この家族と、地域の人たちが、

 地震による原発事故によって追い詰められ、避難生活を強いられ、

 ふるさとをはなれていく様子を描いた映画です。

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 幸せとは何か、

 そして(長女が嫌っていたはずの)ふるさとへの思いが、描かれてゆきます。

 全体通じて、福島第一原発の事故の時にあった、被災者の皆さんの大変なご苦労と、

 政府や御用学者などの対応の不誠実さ、

 そして被災された皆さんの苦悩がしっかりと再現されますね。

 すべて、実際に起こっていた「真実」に基づくエピソードだったと思います。

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 薄れることを懸念されている、苦しみ悲しみそして怒りを、

 しっかりと刻むためにも観ておきたい映画だと...感じました。

 最近いつも、私たちに今問われているのは

 「想像力と共感力」ではないかと思うんですね。

 インターネットもこれだけ発達をし、どこで、何が起こっているのか、

 文字面では簡単に情報を得ることができる時代です。

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 だけど、その中で一人一人の人が、どんな境遇におかれているのか、

 どんな思いを感じているのか、

 そこに思いを馳せることがあまりにも薄れてしまっているように思うのです。

 自分と違う状況の誰かに思いを馳せること。

 その人たち含めて、すべての人たちが幸せに生きていけるような世の中にしていくこと。

 震災後2年半を迎えようとしている日本で、失ってはいけない視点だと思うんです。

 興味のあるみなさんは、ぜひ見に行ってください。

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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ー原発事故の悲惨さを思い起こす映画でした。 [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」の感想をブログに書いてくれました。

http://monogusa-fumifumi.cocolog-shizuoka.com/blog/2013/07/post-92f4.html


福島原発事故から2年以上の月日がたち、

人の心から、当時の気持ちが風化しつつあります。

原発事故の悲惨さを思い起こす映画でした。

改めて原発事故の悲惨さを思い起こし、

今尚苦しんでいる福島県民の思いに心を馳せ、

原発再稼動の是非を考えて欲しいものです。

(つづきは上のアドレスから)



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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「マスゴミが垂れ流す大本営発表を信じ切っている人に観て貰いたい」 [【再掲載】]

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 豊橋特別上映を見てくれたステイメンさんのブログに書かれた感想

 許可を頂き、こちらで紹介させて頂く。

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 今日、妻とふたりで

 豊橋市民文化会館で行われた映画「朝日のあたる家」の

 特別上映会に行ってきました。

 この映画は、静岡にある浜岡原発(劇中は山岡原発)が地震によってメルトダウンし、

 何の罪もない住民が被曝し、

 子供たちの病気もあり、

 やむなく故郷を去らざるを得なくなったところで終わっており、

 恐らく福島でも同じ状況が起きていると容易に想像できました。

 感想は、とても一言二言では言い尽くせるものではありません!

 私の如きボキャブラリーが貧困が人間では、

 あの映画をとても言い表すことは出来ないと思います。

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 しかしたとえこの映画そのものはフィクションであっても、

 福島第一では収束の目途が全く立たない中で、

 今もなお15万人以上の住民が避難生活を続けています。

 そして、日本国内には福島でメルトダウンした4基も含め

 54基ものの商業用原発が存在しており、

 いつ何時同じような事態を生じるかもしれないのです!

 つまり、地震大国でもある日本においては、

 「安全な場所」など存在しないと考えるべきですし、

 福島第一で問題となっている高濃度放射能汚染水のダダ漏れも含めれば、

 「食べて支援」なども論外であると思います!

 あの福島第一原発事故以降、脱原発派に転向した私としては、

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 この映画をもっと多くの人に観て貰いたい。

 特にマスゴミが垂れ流す「大本営発表」を信じ切っている人と全ての

 原発立地自体の関係者に是非とも観て貰いたい。

 心の底からそう思います。

 そして、多くの人が故郷を喪い自らの命を絶たざるを得ない事態でありながら、

 「成長戦略の一環」というお題目で原発プラントの輸出を促進し、

 「電力不足」と称して国内原発の再稼働を謀っている国賊安倍一味に対し、

 改めて強い怒りを覚えます!

 いずれにせよ、子供達と日本の未来を考えるならば、

 脱原発の実現は最低条件であり、

 そのために今後とも微力を尽くしていきたいと考えています!

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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー客が入る見込みないから、上映拒否されたんだよ」と言う人たち [【再掲載】]

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 「私は原発問題に関しては中立」=「他人事。私には関係ない」的な思いの人が結構いること。以前に書いた。その逆で、誰かが何かを主張すると、それを否定したくて溜まらない人も多くいる。

 すぐに思い出すのは山本太郎さんを批判した人々。福島のこと。原発のこと。子供たちのこと。彼が主張することは、どれひとつとして間違っていないのに彼の存在自体を批判する声を多く聞いた。

 「朝日のあたる家」が映画館から次々に上映拒否を食らったときも同じ。こんなコメントが投稿された。

 *****************************

 上映拒否とかいってるけど、映画があまりにも詰まらないので、前売り券が売れる見込みが無い。だから、映画館館が上映しないだけでしょ?­それを「上映拒否された!表現の自由の侵害だ!」とか言って­る奴ってどこまでアホなの?

 「赤字垂れ流しても、俺の崇高な映画を見ろ!」って意味な­の?それ自体が表現の自由侵害なんだよ。そーゆーことを平気で主張する馬鹿がいるから、反原発派は政権取れ­ないんだよ。

 ******************************

 一体、どんな人なのか? どんな職業で、何歳で、どんな思いで毎日を行きているのか? 文章から分かるのは、映画自体より反原発を訴える人たちをバカだと思っていること。苛立つので、一言いってやらねば!という気持ちであること。しかし、この手の人。調べてみると、その理由が分かって来る......。

 反原発活動を批判する人たち。反原発活動で迷惑を受けていることはまずない。「見ていてウザイ」というだけで批判している。なぜ、そんな風に思うのか? その手の人に聞くと、こんな答えが返って来た。 

 「オレだって毎日、働いて、安い月給で苦労してんだよ。

 何が反原発だ。何がデモだ。そんなことしてられる暇人はいいよな。原発事故は福島だろ? 関係ねえんだよ。危険危険ってヒステリーなんだよ。オレはそれどころじゃねえよ。ほんとウザイ連中だよ、死ね....」

 つまり、彼等は福島の原発事故がどれだけ危険で他の原発も同じような事故を起こすこと。福島だけでなく日本全土が危険であること。知らないで、原発推進派のマスコミが流す大本営発表を鵜呑みにしている。

 だから、原発事故を他人事だと思うことができ「ウザイ」などといってられる。(同時に、反原活動をする人が決して経済的に恵まれていたり時間的に余裕があって活動している訳ではないことも想像できていない)

 結局「私は中立です」という人と同じ。事実を知らないから「中立」といえる。事実を知らないから「ムカつく」などと思える。全てはテレビが伝えない「福島で何が起こったか?」を知るところからスタートしなければ反原発を主張する人も、それを批判する人も次に原発事故が起これば、一緒にお陀仏。

 それを中立の人にも、反反原発の人にも伝えるのが「朝日のあたる家」。僕なりの戦いである。

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子供たちのためにできること。まず、親が本当の現実を知ること。 [【再掲載】]

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僕の映画のテーマは当初「子供たちに伝える大切なこと」。

なので、子供たちの気持ちを知るべく、中学生や高校生からも話を聞いた。教育関係者も取材。世間ではよく「今時の若者は...」なんていうけど、彼ら彼女らと話すと、凄く真剣にものごとを考えていた。

むしろ問題なのは親。親がバカだから子供たちが、悩み苦しんでいることが分かって来た。それからテーマは「親子に伝える大切なこと」になった。親の考え方が狭く、世間に振り回されているので、子供が苦労することが多いのが現実だと思えた。

では、親はなぜ考え方が狭く、世間に振り回されるのか? それを考えて行くと「教育システム」に問題があることが分かって来た。以前にも書いたが、日本の教育は「優秀なサラリーマンロボット」を育てるためのもの。与えられたことを確実にやり、上に逆らわず、余計なことを考えない歯車のような大人を大量に育てることで、それを原動力として企業を飛躍させようというのが目的。その優秀な歯車を選ぶ手段が偏差値であり、大学受験なのだ。

その方法論は成功して、日本は経済大国になった。

が、やがてバブルは崩壊。通用しなくなった。もはや言われたことを確実にするだけのサラリーマンロボットでは、厳しい経済戦争に勝ち抜いていけない。だから、替えの効く歯車は企業が危機的状態になると、使い捨てられる時代になってしまった。

しかし、日本の教育は未だに「サラリーマン・ロボット」の育生。自分で考えることができる人材が必要とされている時代に、まだ過去の価値観で教育を続けている。多くの親たちは気づかず、自分たちの時代と同じように、いい大学に行き、優秀なサラリーマン・ロボットに我が子をなれば、「将来は安泰!」と信じている。だから今も「勉強勉強!」と子供たちに、うるさくいい、よりよい大学に行かせようとする。

でも、それでは子供たちを幸せにすることはできない。価値観がどんどん変わり、未来が見えない時代に、考えるより暗記を中心とした教育を受けた子供たちでは、自分で考えて、困難を超えて行くことはできないからだ。

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そう考えると、親もバカだが、

国にも問題があることが分かってくる。が、僕は青春映画ばかり作って来て、「政治」に関しては不勉強。そこで、以前から、なぜ、国は時代遅れの「教育」を未だに続けているのか? いつか調べてみようと思っていた。そんなときに311が起こり。日本は大変なことになった。

中でも、よく分からなかったのが、原発事故。直後にテレビを見ていると大きな惨事にはならなかったと思えた。が、いろんな著名人が声を上げ、町角では大々的なデモが行われるようになった。そこで、仕事とは関係なしに、原発事故を勉強。心の底には高校時代に見た「チャイナ・シンドローム」の記憶。日本では事故は起きない、と言われていて起きた福島の事故。あの映画と同じ背景があるのではないか?というのも関心を持った要因だ。

このあとのことは、このFacebook、「朝日のあたる家」監督日記に何度も詳しく書いてきた。あっと驚くタメゴロー! こんなことが日本では行われ、様々な大企業がそこに関わり、膨大な利益を得て、政治をも動かしていたことを知り驚愕した。

学生時代に読んだ劇画。「愛と誠」

や「男組」そして「スケバン刑事」に出てくる政界財界を操る黒幕のような存在。「あれは劇画だとは思うが、現実はどうなんだろう?」とよく考えていたが、個人ではないが、日本の政治を動かすといっていい企業や団体が存在したことを知り、大きなショックを受けた。

日本と言う国は一部の人が大儲けするために、多くの庶民に厳しい負担をさせて、或いは犠牲にして成り立っていること。実感。それは今も続けられる時代遅れの「教育」と同じ背景でもあった。企業や金持ちだけが得をするためのシステム。江戸時代と同じ、一部のサムライのために、多くの農民が苦労して働く。それが日本という国。

ただ、それを気づかれないように巧妙にテレビや新聞を使って誘導している。そして一部の企業や団体だけが潤い、庶民に苦労をさせようという国作りをしようとしているのが、どこかの党なのである。

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といっても、一般の人は

「そんなスパイ映画の陰謀論みたいなこと。ある訳ないじゃん!」

といいそうだが、ネットをやっている多くの人はもう気づいている。アメリカだって同じ構図。日本も民主主義になったとはいえ、江戸時代と似たような状態なのだ。

それが分かりづらいなら、

日本全体がブラック企業だと思ってもらえればいい。

儲かるのはトップだけ、労働者は過労で死ぬまで長時間働かされるのに、安い給料しかもらえない。今、日本という国はそんなブラック企業を超えることをやろうとしている。

では、具体的に説明するとどうなるのか? それを何回かに分けて記事にしていく。親がバカだと、結局、子供を不幸にする。親がまず、賢くならなければならない。

そのためには、自分たちが生活する環境や状況を把握せねばならない。ダマされていることに気づかないといけない。それをまず、知らなければ親子共に不幸になり、「何でこんなことになったの! 私は何も悪くないのに」と後悔することになる。その前に、現実を知ってほしい。(つづく)


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「この映画の本当の価値は、残酷なまでのリアリティだと思う」 [【再掲載】]

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 いつも素敵なコメントをくれる

 和歌山の梅茶さんから、また投稿を頂いたのでご紹介。

 **************************


BY梅茶 日時 2013-12-08 07:29

 私の娘も、この映画を見てくれました。

  彼女はいわゆるアニメおたく…。 あまり普通の映画を見ることは少ないです。

 そしてシャイなので、あまり感動を口にすることもありません。

 けれど、この映画が、あの場面で終わっていたこと…、

 そこに彼女は悶々としたようです。

 あそこで終わること…、

 置き去りにされたように感じたのか、 報われない家族に心痛めたのか…、

 何も解決できない現状に恐怖を覚えたのか…。

 涙を誘う映画ではあるけれど、 この映画の本当の価値は、

 この、残酷なまでのリアリティ、だと思うのです。

 なにも解決されない、できない現実…。

 映画がここまで、悶々とさせられるものだったことが、

  彼女には新しい体験だったようです。

 快い体験ではないかもしれません。

  カタルシスも得られないでしょう。

  けれど、この体験は、無駄になることはない…、

 そう信じています。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ーフィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。 [【再掲載】]

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 シアターキノでご覧になった方の「長崎昭子のブログ」より RT @PompinNiocki:


 役者・山本太郎、すばらしかった。それ以上にお父さん役の並木史郎、何気ない優しさと気弱さと、不安、怒り、やるせなさ…ものすごく伝わってきた。すばらしい役者さん。 #朝日のあたる家 . RT
@PompinNiocki:

  映画「朝日のあたる家」おそらく予算がないために映画として残念な部分もあったけれど、それを補って余りある内容だった。フィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。鳥肌たちっぱなし。

 
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原発事故の現実。皆が思うほど伝わってはいない [【再掲載】]

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 昨年は本当に「朝日のあたる家」に始まり

 「朝日のあたる家」に終わった1年。いや、まだ「朝日」日本縦断公開は続くのだが、いろいろと思い出すことがある。このFBでもいろんなことを綴ったが、日本中をまわり、様々な人と出会って感じたことも多い。

 この情報時代にいかに事実が地方に届いていないか?痛感。もはや原発問題はタブーではなく、テレビ新聞でもかなりなことを報道している。にも関わらず、多くの人が事実誤認をしていること。「電気が足りない」「原発がなくなると経済が立ち行かない」と思っている。テレビ番組のキャスターですらこんな発言をする。

 「原発がなくなると江戸時代に戻る」 

 そして何度も書いたが「福島の事故はもう収束した」「事故は大したことなかった」と信じている人も多い。さらに原発に関心ある人でさえ、そんな人が数多くいることを知らないという現実。「朝日」を観て「二度目の事故でこんな呑気に反応をするのはおかしい」と指摘する人が一部いたが、実はそれが現実。まだまだ、

 原発事故を取り巻く状況を知らない人。

 もの凄い数いるのだ。

 何よりも驚いたのは原発がある町では、未だに表立って「原発は危ない!」といえない空気があるということ。原発がある町ほど、福島の悲劇を痛感すると思っていたが、本当に人ごと。「この町は関係ないし〜」という人がもの凄くいる。

 ある原発立地県で「朝日の」前売り券をボランティアで売ってくれた方がいたが、1枚も買ってもらえなかったと嘆いていた。「何で原発事故の映画なんか観なきゃいけないの?関係ないでしょう?」てな感じだったらしい。単に原発の恩恵を受けているからではなく。こう考えている。

 「福島の事故は別の国で起きたこと」

 こうして原発に詳しい人はどんどん詳しくなり。そうでない人はますます福島への関心を失い。詳しい人たちは集まって原発ドキュメンタリー上映会をして、「そうだ!原発はいけない」と確認し合う。でも、その輪が大きく広がることはなく。毎回同じメンバーで確認を繰り返す。

 関心のない人は「脱原発より景気」と選挙で推進派を圧勝させてしまう。原発事故の現実は報道されても、それを受け止めているのは一部の人たちだけであり。これでは報道されないのも同じ。つまり、関心ある人は「誰もが原発の怖さを実感している」と思い込んでいるが、現実は違うということ。

 そこからスタートしなければ、いくら声高々に主張しても状況を変えることはできない。専門的なドキュメンタリーも必要だが、

 まず、福島で何が起こったか?

 専門的にはならない形で伝えることが必要だと思える。そんな寂しい現実を昨年1年で知った。その意味でまだまだ「朝日のあたる家」を多くの人に観てもらわなければ...と感じている。

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「朝日のあたる家」を応援してくれる人が、気づかぬ内にネガティブ・キャンペーン?! [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」は今年3月に、映画館ーシネコン公開が終わり、

直後にレンタル上映が解禁になった。それをネットで告知。これで一般の方、サークルや団体でも自主上映してもらえる。その記事を読んだある方が、僕の記事をシェア。コメントを添えていた。

「やはり映画館では上映できなかった。それで自主上映に踏み切ったのですね。 悔しい気持ちはよく分かります。でも、地道にがんばっていると、必ずいいことはあります。諦めずにがんばってくださいね!」

はあ? 日本全国27館の映画館で公開が終わったから自主上映募集をしたんだよ! ちゃんと告知を読んで? と、その人のFacebookに丁寧な文章で御返事。説明をしたが、反応なし。たぶん、本当にたまにしかパソコンを開かない方なのだろう。未だに「勘違いでした。すみません」という返事はない。

この人。勝手な思い込みで

「映画館上映はできないかった」という情報が日本中に発信されてしまった。それを読んだ人は「ああ、この映画はマイナーだから、映画館で上映されなかったんだ...」と思ってしまう。よくない!

「朝日」は全国の映画館、シネコンで公開。各地でヒット。海外でもアメリカ、ドイツ、ニュージーランド、シンガポール等でも上映。多くの人が見てくれた。なのに勘違いおじさんの記事を読んだ人は「やっぱり映画館では上映できなかったんだ.....」と事実ではないことが伝わる。

誹謗中傷の記事より、タチが悪い!

例えば菓子メーカーが新製品のチョコレートを出し、大ヒットした。にも関わらず「あのチョコは売れなかったんだね。応援してんだけどなあー」とネットで発信するのと同じ。つまり営業妨害だ。シェアしたおじさんに悪気はないが、これはネガティブキャンペーンと同じ。マイナスイメージを振りまいているのだ。他にもこんなツイートがあった。

 「自主制作映画ー朝日のあたる家。***ホールで上映。ぜひ、ご覧ください!」

 
「朝日」は自主映画ではない。プロの俳優とスタッフが作り、映画館で上映される商業映画である。自主映画というのは基本学生やアマチュアの映画好きの人たちが、製作費を自腹で出して作る映画のこと。基本、映画館では上映されず、自分たちでホールを借りて上映する。原発だけでなく、人権、差別問題を扱う作品にはその手の自主制作が多い。ツイッターの主は事実を確認することなく、そう思い込んだのだろう。

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だが、その手の映画。大切な主張はしているが、

説教臭いものが多い。自主制作というだけで「見たくない!」という人も多い。「朝日」はそうではなく、一般の商業映画として、普通の娯楽映画にしてある。

なのに「自主制作映画」と、事実でないことを付け加えてツイートされるのも、ネガティブキャンペーンと同じ。「朝日」は家族の物語。主義主張を押し付ける教育映画ではない。なのに「お説教映画」と思い敬遠する人も少なからずいる。その種のツイートも映画を歪めてしまう。そして、悲しいのは、そのツイートの主もまた、本当に映画を応援してくれている人であるということ。

「朝日」は多くの方の応援で、日本を超えて世界に

発信できた映画だ。今も感謝している。が、そんな中の一部の人たちが、本人が意図しないのにネガティブキャンペーンをしていること。本当に悲しい。それでなくても悪意を持って批判する人、誹謗中傷を続ける人たちが多くいる。

なのに、応援してくれる人が「よかれ」と思って、映画のイメージダウンに力を入れる。本当に悲しい。そんなコメントやツイートを見つけたら、説明メールを送るのだが、僕1人ではとても追いつかない。もし、その種の文章やコメント等見かけたら、ぜひ、説明あげてほしい。

そんなことで、ここ数ヶ月。心を痛めている。よろしくお願いします。

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「朝日のあたる家」予告編ロングバージョンを見た方の感想 [【再掲載】]

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静岡県、柳さんからのコメント

はじめて、この映画を見たときのことを思い出しました。あの時やはり私は唖然、愕然として泣くも泣いたけど、驚きの方が大きかったことを思い出しました。

その現実に、そしてその現実を映画にしてくれた監督さんがいるということに、ものすごいショックを受けました。そんな人がこの世にいるということに、という感じ。この監督さん命狙われたりしないのかしら、なんて余計な?心配したことを覚えています^^;

そして短い方の予告編は見てたはずなので、ある程度の心構えはできていたはずなのに本編では大ショック・・ということは、やはりこのロング編は刺激強烈「動かす何か」があるのかなと。そうだ。これもっともっと、シェアします!!

ショック=現実だよ!伝わりやすいように思います。ありがとうございます!!(^^)//

予告編=>http://youtu.be/rP2ztda0kpg





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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」に寄せられた感想(3) [【再掲載】]

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tomomi ‏@oddity_pure 10月11日
生徒 原爆も原発も一緒でしょ? 先生 原爆は戦争をする為に使う武器。原発は電気を造るもの ・・・って原発も原爆も要は一緒なのに、先生もっと勉強して欲しい・・・ 朝日のあたる家より・・・

kumiko sekioka #脱被曝 ‏@kumiko_sekioka 10月10日
昨日、「朝日のあたる家」を観てきた。いろいろと追体験し苦しくなる場面もあった。そんな中、太郎さんの登場場面では「今」に引き戻された。あれは台本があったのたろうか?太郎のセリフは常日頃彼が語っていることであり、視線の先には被曝に晒されている子どもたちがいるように思えた。

wako ‏@wako_66 10月10日
「朝日のあたる家」太田隆文監督と切通理作さん(批評家)との対談は興味深く、「世界大戦争」や「ゴジラ1」を観たくなった。しかし、ドラえもんには原子炉があって、食べたものを原子レベルにまで分解してエネルギーを作り出すとは。。(UやPuなど核分裂でエネルギーを作っているわけではない。)


映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「特に子供たちに観てほしいと思った。このタイミングで皆さんに観てもらいたいけれど、今の子供達だけじゃなく、何十年後先の子供達が、福島第一原発事故ってなんだったんだろうと不審に思った時に残り続ける映画になるんじゃないかなと思う」

映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「こういうストレートな作品があっていいんだよな。ドキュメンタリーとかはあったけれどフィクションとしては多分ないですよね。こういう作品をこのタイミングで残せ、後世に語り継がれていくものとして非常に重要な映画なんじゃないかと思う」

平和への道@彡トシピコ彡 ‏@toshipiko1 10月10日
「朝日のあたる家」よかったです。観た価値がありました。現実に添ったドキュメンタリー映画で、原発事故にあった家族の悲しさが描かれています。涙が出るくらい。チャンスのある人は、是非!観てください。#原発ゼロ @asahinoataru_ie

REIJI WAKAYA ‏@g69w 10月10日
映画『朝日のあたる家』の太田監督とおしどりマコさんケンさん夫妻、それぞれの伝え方で私達に意識の『今』を伝えてくれました。#69の会 http://instagram.com/p/fRNpRzv7YT/



miyako_nskw ‏@yukimisabou 10月9日
『朝日のあたる家』@渋谷UPLINK。冒頭、物語世界にひきこむ風光明媚な景色が、ラストでは胸をしめつける光景となり迫ってきた。原発事故により悲劇に見舞われた家族の時間、日常の輝き。希望をどこにみつけていくのか、移住しても終わりはこない、やるせなく静かな訴えがそこにはあった。


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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】 [【再掲載】]

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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】

 映画撮影では地元の方にとてもお世話になる。僕の場合は地元支援で映画製作を何本もしている。だから余計に応援を頂く。同じように、地元の支援で映画を作った後輩がいる。ある街で映画を作ろうとしたとき。Bさんという人が応援してくれた。

「この街も不況で大変だ。映画で街をPRして観光客に来てもらう! そのためには映画はとても有効なPRになる。応援するよ!」

 地元の人を何人も紹介してくれたり、飯を食わせてくれた。こうもいってくれる。

「オレが経営するレストランがあるんけど、撮影で使うなら、タダでいいよ!」

 ありがたい存在だったが、後輩監督が街の事情を知るに連れ、Bさんの事情も分かって来た。彼は地元でレストランを経営していた。不況で客が来ない。近所には全国チーェーンの大手ファミレスがある。多くの客を奪われている。

 だから、映画撮影をすることで宣伝。店をアピールしたい!という思惑があったのだ。確かに映画でロケ地になれば注目されるし、映画ファンはロケ地巡りと称して店に来てくれるだろう。雑誌や新聞等で紹介されることもある。

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 ただ、後輩は映画にとても厳しい。

 プロデュサーが女優のAさんを使えといっても、レコード会社が売り出し中の歌手C子の曲を使えば、協賛金を出すと提案してもOKしない。その作品のプラスになるのなら受けるが、そうでなければ、どんなに高額の支援をしてくれても断る奴だ。

 それが映画を駄目にする一番よくあるパターンだからだ。低予算の映画でも、映画というと、いろんなメリットが生まれるので、あちこちから、その手のアプローチが来る。が、そのことで映画の中身が歪られたり、クオリティが落ちるのであれば絶対に受けてはならない。

 なのにプロデュサーに嫌われたくなくて、物語に相応しくない俳優をキャスティングしたり、映画のイメージに合わない主題歌を流したりする監督もいる。いろんな圧力がかかり、仕方なしに受け入れる監督も多い。

 「なんで、あんな歌が最後に流れんの? 感動が台無し!」

「あの女優は違うだろ? 何で出したの?」と思う映画は、そんな事情が背景にあることが多い。ロケ地も同じだ。自治体から「**公園を売り出し中なので撮ってほしい」とか、地元の団体から「商店街でロケしてほしい」とか、リクエストが来る。

 が、それで映画がよくなるならいいが、物語に合わない場所を無理に受け入れても、その店や公園も映えない。映画も駄目になる。だから、断るのだが、そのことで、その人たちとの関係が崩れたり、トラブルになることもある。後輩はまさに、そんな立場に陥ったのである。

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 Bさんも次第に主張が変わって来た。

 最初は「うちの店で撮影してもいいぞ」だったのが「うちの店で撮影するだろ?」になり、他では「うちの店で撮影することになったんだ!」というようになる。どうも既成事実を作り、撮影しない訳にはいかないように仕向けているようだ。

 友人を紹介したり、飯を食わせたりしたのも恩を売って断れないようにしていたことも分かって来た。しかし、彼のレストランはあまりにも平凡で、その映画には合わない。さらにBさんの友人から「あのレストランで撮った方がいいよ」「彼とは揉めない方がいいよ。あとあと大変だから」と言われる。

 ただ、Bさんが応援してくれたのは事実。自分の店のアピールが目的ではあったが、応援は応援だ。が、撮影を断ればBさんの性格からして、いろいろと揉めるだろう。

 後輩は悩んだ。

 製作が正式に決まり、いろいろと考えて後輩は断った。理由はやはり映画に合わないから。そう伝えると、Bさんは態度を180度変えた。あちこちでこう言い触れ回った。

「あの監督は薄情だ。いろいろ応援してやったのに、映画製作が決まっても挨拶なしだよ。何だったんだよなあ〜。オレの友人もいろいろと応援したのによーほんとバカ見たぜ」

 彼はロケ地として選ばれなかったことは言わず、そう言って回った。それに彼がしたのは地元の人を数人紹介したこと。誰も映画製作に寄与していない。あとは一度、ランチをごちそうしたことのみ。多くの人が彼以上にいろんな形で映画を応援してくれている。見返りを求めず、様々な形で支援してくれた。あることないこといい触れ回るのはBさんグループだけ。

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 映画は無事に完成。地元では大ヒットとなり、

 多くの人が喜んでくれた。ただ、事情を知らない地元応援団がBさんの店にポスターを貼ってほしいと頼んでも、彼は頑に拒否。「あの監督だけは許せない、恩知らず!」と言い続けている。後輩はいう。

「Bさんも悪い人ではない。レストランをアピールしたいのも分かる。店の前まで行けば、通りを歩く人は皆、近所の大手チェーンのファミレスに入っていく。何とかしたい!という気持ちは理解する。でも、今回の映画はレストランが重要な舞台。Bさんの店では成り立たない。なぜ、個人ではなく街のための映画だと分かってくれないのだろう…」

 僕も同じタイプの人たちと何度も会った。さして応援してない人ほど、あとになって「オレが面倒見てやったんだ」といい、あれこれ見返りを求めてくる。「応援してやったんだから、今度はオレのいうことを聞け」とか言ってくる。

 が、それもおかしい。映画を作ったのは街のためであり、僕自身は毎回、借金が残るだけ。なのに個人に見返りを求めてくる。でも、そんな要求をして来る人は毎回いる。後輩にもBさんだけでなく似たようなこと言う人。批判する人がいるという。だから、こう話した。

「映画を作るには、多くの人の応援が必要。

 でも、メリットのなかった人は批判しがち。そして応援してくれても、あとになって批判する人もいる。けど、憎んではいけない。映画の世界は分かりづらく、誤解もされやすい。説明してもわかってもらえない部分もある。その町のためにがんばっても、理解されないことが多い。

 ただ、いつか分かってくれると信じて、その街で映画が撮れたことを感謝すること。僕らの仕事で全ての人に喜んでもらことはできない。できるのは、いい映画を作り、応援してくれた人たちに感動してもらうこと。町の魅力を再発見してもらうこと...映画屋にできるのは、そんなことぐらいなんだ...」


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宮崎駿監督はなぜ「風立ちぬ」を引退作に選んだのかー原子力ムラとの決別? [【再掲載】]

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今までのようなファンタジーではなかった「風立ちぬ」

なぜ、そんな作品を宮崎監督は引退作にしたのか? だいぶん前にそれを書こうとしたが、なかなかチャンスがなかった。編集も落ち着いたので、それを書いてみる。これはあくまでも僕の推理であり、ご本人に訊いた訳ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。

まず、なぜ、今回はファンタジーではなく。戦中に飛行機を作る現実的な物語を選んだのか? 宮崎監督はいう「この時代。ファンタジーはもう通用しない」それは凄く納得する意見だった。

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つまり、平和な時代でこそ、

荒唐無稽なファンタジーの世界でドキドキして、夢想することができるが、今の時代。特に311以降は現実がファンタジーを超える困難が続出している。悪夢のような時代。その中でファンタジーを観ることは無意味であるというのだろう。

ファンタジーは現実逃避のジャンル。2時間の間。その世界に浸り、現実の嫌なことを忘れる。映画が終わると平和な現実に戻り。また平凡な生活を送る。だが、映画以上の悪夢が現実の中で続いている。そんな時代に映画館で現実逃避をしていてどうする? 今こそ、厳しい現実を見つめ。どう生きるか?を考えなければならない、映画はその助けとなるべき存在ではないか? 僕は宮崎監督の台詞をそう解釈した。

今は現実を見つめる時代。

劇中では関東大震災から太平洋戦争までが描かれる、まさに今の日本ではないか? 東日本大震災があり、今また戦争に向かって秘密保護法や集団的自衛権を持ち出し「戦争の出来る国」になろうとしている。

そこで「風立ちぬ」とはどういう物語か? 思いだそう。簡単にいうと、飛行機が大好きな設計士の主人公が、大嫌いな戦争が勃発したことで、夢が叶い飛行機が作れるようになる。という物語だ。もう、分かったと思う。物語背景が現実を反映しているように、主人公にも反映がある。

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映画というのは基本、主人公は監督の分身である。監督の思いが主人公を通して観客に伝えられる。その意味でこれまでの宮崎作品は女の子が主人公だったが、「風立ちぬ」では男性なので、宮崎監督自身がダイレクトに投影されていると思える。そうすると、答えが見えてくる。

宮崎監督の発言を思い出そう。

「原発でない電気で映画を作りたい」

と発言したのを始め、彼は反原発を訴えていることで有名だ。そんな彼と「風立ちぬ」の主人公は大きな共通点がある。主人公は飛行機が好きだが、戦争は嫌い。けれど、その戦争のおかげで飛行機が作れる。宮崎監督はアニメーションは大好き。でも、原発は嫌い。けれど、、、、、、、、、そう、スポンサーの多くは原発推進企業なのだ。

あのテレビ局も、あの広告代理店も、皆、推進派。そんな企業からお金を出してもらい、自然の大切さ、子供たちへの思いを語り続けて来た宮崎監督は、まさに「風立ちぬ」の主人公そのもの。この作品を引退作に選んだのも。その思いを描くためではないか? そして引退宣言も。体力的なことより。そんな企業から金を出してもらって映画を作ること自体を止めたかったのではないか? 本当はこういいたかったのではないか? 

「原発推進企業でない会社のお金で映画を作りたい」

だから、映画を見ている間中。宮崎監督の思いを感じ、涙が何度も溢れた。人殺しのための戦争のお陰で飛行機を作れる主人公。原発推進企業のお陰で映画を作れる宮崎監督。本人にとって、こんな苦しいことはないだろう。

だからこそ、終わらせよう。

最後にその思いを伝えよう。それが「風立ちぬ」という作品だったのではないか?






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「朝日のあたる家」韓国メディアでニュース配信。英語圏向け記事も! [【再掲載】]

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 映画「朝日のあたる家」

 世界に広がっています。

 先にご紹介した台湾メディアの記事に続き、以下の言語、国でも紹介されています。

  台湾=>http://www.lihpao.com/?action-viewnews-itemid-133576###

 環境前線:由眾人集資完成的核災電影朝日之家

 以下から動画が見られます。

http://www.newslook.com/videos/644929-a-japanese-director-takes-on-the-nuclear-lobby

 英文での紹介記事
 
 http://nuclear-news.net/2014/01/02/a-japanese-director-takes-on-the-nuclear-lobby/

 記事頭の部分だけ、ネットの翻訳サイトで訳してみました。

 彼は、福島の後の原発問題に疑問を持ち、映画化のための製作費を必要としました。しかし、どの企業も彼のプロジェクトに従来の方法で資金提供することに興味を持ちませんでした。
 日本の映画産業も無視。「それは、主な映画会社だけでなく。私の計画に対する関心を示さなかったDVD会社(映画に投資することに、通常興味を持っている)も同じでした」と52歳の太田監督(賞賛された2006年の映画(カンヌ国際映画祭出品)「ストロベリー・フィールズ」を)はそう言います。「先輩監督は私に伝えました「原発事故の映画なんて作ったら、お前は二度と商業映画を撮れなくなるぞ」"


 韓国での紹介記事

http://www.vop.co.kr/A00000702632.html


 これは以前にインタビューを受けたもの。記事最初の部分だけ、
 ネットの翻訳サイトで訳してみました。こんな感じです。

韓国政府はいつも日本、福島原子力発電所汚染水流出によって国内に及ぼす影響はないと強調する。 先月26日原子力安全委員会では国立水産科学院が国内最南端東シナ海駅、鬱陵島(ウルルンド)などの海水成分を調べてみると放射性物質が発見されなかったという結果も発表した。 だが、国民は不安だ。 日本国内でも韓国やはり福島原子力発電所事故のような仕事が起きない可能性はないと話す。 記者は日本国内で原子力発電所事故を眺める多様な声を聞きたかった。 そうするうちに福島原子力発電所事故を背景に映画を作った太田隆文監督に会った。 彼は韓国国民に警告した。 "福島事故のような事故が韓国で起きても変でないこと"と話だ。


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僕がFacebookをやめた理由③ 「野菜が足りませんよ」事件? [【再掲載】]

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 前回、説明したのは「Facebook」は「ブログ」より人と人の距離が近いということ。相手の経歴、顔写真(出してない人もいるが)、性別、年齢、職業、趣味、住む町まで分かる。

 コメントした人がどんな人か?分かる。

そして「友達」承認した人しか連絡は来ないので安心。ブログだとコメントをくれても皆、ハンドルネームなので誰だか分からない。よって、無神経な中傷批判も多くなる。Facebookはその辺、信頼性が高く安心。

 だが、長年使っていると問題が見えてくる。

 ブログの場合。悪意ある批判がときどき来るが、相手が何者か?は分からない。反撃できない安全に場所にいて、攻撃してくる。それに対してFacebookは身元が分かるので悪意ある攻撃はし辛い(それでもするヤツはいたけど)のだが、「友達」が2000人を超えたあたりから別の問題が出て来た。最初の事件。僕がランチで食べたものを毎日アップしていたときのこと。

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 「朝日のあたる家」の横浜公開中で、連日、横浜に通う。ランチときはいつも品川駅。そばやハンバーガーばかり食べていた。その写真を見たFacebook「友達」が

 「野菜が足りませんよー」

 とコメントした。僕の健康を気にしてくれているんだなあ。と、嬉しく思う。が、その人は「野菜足りない」コメントを毎日して来る。

 「今日も野菜がないですね?」「明日は野菜を食べましょう」「昨日も野菜不足ですよ〜」

 最初は親切だと思うが、母親ではないのだ。毎日、言われても適わない。おまけに品川駅では野菜サラダが食べれるような店もない。野菜不足を僕が自覚していないなら、何度もコメントすることにも意味があるだろう。だが、それは分かっている。野菜を食べる店まで行く時間がないだけだ。にも関わらず、他の「友達」ー会ったこともない人たち何十人もが同じコメントをするようになる。

 「野菜が足りませんよ!」「野菜は大切です!」「野菜を食べよー」

 これも最初は多くの人が心配してくれているのだと思ったので、野菜サラダを食べたとき、その写真をアップした。ら、こうだ。

 「緑黄色野菜が足りませんね」

 「繊維質の野菜も食べよう」「ドレッシングはかけないで」で、緑黄色野菜の入った、繊維質の野菜が入ったサラダの写真をアップ。すると

 「野菜ばかりでなく、肉も食べよう〜」

 「糖分も大切!」「水分は十分にとってますか?」

 毎日、毎日、10人20人から同様のコメントが1日に何回も届くようになる。


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 中にはおもしろがってコメントしている人もいる。こちらはいい加減うんざり。

 「今後、野菜は足りませんコメントは禁止! 」

 という記事まで書いた。が、コメントをくれる人たちに悪意はなく、批判をしている訳ではない。もともと好意でスタートしているということ。

 「監督、がんばっているなあ。野菜が不足しているなあ。気づいてないのかな? 教えてあげよう」

 そんな気持ちから来ているが、彼ら彼女らは僕が毎日、三食、何を食べているか?は知らない。ランチの写真を見ただけだ。もしかしたら夕飯で野菜を食べているかもしれない。が、そんなことは考えず、「野菜が足りない」とコメントする。

 品川駅で野菜をしっかり食べられる店はないと書いても、「野菜を食べよう!」とコメントする。つまり、1枚の写真を見ただけで、あれこれ口を出す。誰かが言い出すと他の多くも参加してくる。野菜だけでなく、肉も、糖分も、水もと言い出す。連日、そんなことを書きこまれたら、こちらはうんざりする。

 それでなくても神経をすり減らす宣伝活動だ。

 野菜のことをコメントする余裕と労力があるなら、「朝日のあたる家を見よう!」と自身のFacebookに書いてくれる方がよほどありがたい。なのに「野菜を食べよう」と毎日、コメントすることが僕のためになると思い込んでいるのだ。

 つまり、好意のつもりでも、何ら本人のためになってない。むしろ嫌がらせに近くなっている。もっと、応援してほしいことは他にあるのに、プラスにならないことを延々と続ける。それでいて「友達」たちは「監督を応援している!」と思っている。基本はありがたい話だ。しかし、無意味。そして悲しい。


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 この種の問題はブログでは起こりにくい。ブログではふざけたハンドルネームで誹謗中傷コメントをして来ても、遠慮なく削除できる。だが、「野菜食べよう」グループは悪意がない。好意なのだ。その後、騒動が治まり「野菜が足りないコメントは禁止。即、削除します」と定期的に告知するようにした。だが、同じコメントが来た。告知通りに削除。すると、その人から怒りのコメント。

 「心配して注意して上げたのに、なぜ削除するんですか! 

 そもそも、あんな貧しい食事の写真をアップすれば、誰だって心配になるのが当然です!」

 その人は何度も出している「禁止告知」を見ていないようだ。しかし、貧しい食事(ハンバーガー)の写真をアップしたら、何をコメントしてもいいのか? 「心配」という言葉のもとに、会ったこともない人の、食生活について、あれこれいっていいのか? でも、同時に、こうも言う人もいるだろう。

「その人は告知を知らなかったんだから仕方ないだろう?」

「悪気はないんだから、まず、経過を伝えて、次から削除すればいいだろう」

 そのためにどれだけの時間がかかるのか? 宣伝作業は過酷。睡眠時間を削って仕事をしている。だからこそ、野菜をしっかり食べる機会もない。そんなときに、事情を知らない人が好意とは言え、あれこれ指摘してきたことに、時間をかけて丁寧に応える余裕はない。

 といって放置しておくと、また先のように「野菜が足りない」コメントする人が増えて行く。つまり、悪意はなく、好意とはいえ、それが結果として、仕事の邪魔をしている、時間を取ることになってしまう。


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 これがブログならコメントを放置すればいい。承認せねば誰も読めない。が、Facebookのコメントは全て公開される。それを見た他の人もコメントしてくる。何より気軽にコメントできる。ブログだと面倒だが、Facebookなら簡単。

 だから「あ、野菜足りないなあ。ひとこと言って上げよう」とコメントできてしまう。ブログだとその程度でコメントする人は少ない。つまり、その気軽さがおせっかいに繋がる。それが近所の人や会社の同僚ならいいが、会ったこともないFacebook友達に同様のアプローチをする。

 好意、親切=>大きなお世話、嫌がらせ 

 になってしまうことがある。その「友達」たちが「好意」や「親切」でコメントしていることは理解している。それだけに悲しい。同じような理由で、友人でFacebookを辞めたヤツが何人もいる。そして問題なのは「野菜が足りない」コメントだけではない。

 「薬は飲んではいけません」「目薬は危険ですよ」「運動不足ですね」

 「ジムで体を鍛えた方がいいですよ」「うがいは毎日していますか?」「さっさと仕事しろ」

 そんなことをコメントしてくる人が、とても多い。これらも好意なのだが、会ったこともない人たちに言われて嬉しいものではない。これらはまだ丁寧な表現だが、誰だお前は?というのも多い。

 「目薬。俺嫌いなんだよね」「そんな考え方しているようじゃダメだよ」「考え過ぎじゃないの?」

 さらには、記事をしっかり読まずに、当て外れな批判をして来る人。完全に勘違いな反論をして来る人。「監督のために言って上げてんんですよ!」とコメントするが、あんた顔写真も出してないし、年齢も分からない、覆面して意見言ってるのと同じだよ?ということも結構ある。

 そのたびに返答していては時間が取られて仕事に支障を来す。それでなくてもこの4年間。時間がなく、1人で7人分の仕事をし、結局、過労で倒れた。仕事の上でも、誤解や行き違いがあり、そのやり取りに追われているのに、ネット世界での関わりで同じことをせねばならないのは厳しい....。そんなことがFacebookでは、ときどき起こっていた。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2015-12-28-3

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組織のトップがバカだと、会社や国まで滅ぼしてしまう? [【再掲載】]

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もう5年以上前になるが、ある製作会社からシナリオを依頼された。会いに行くと小さな会社だが、社長は若くて、まっとーな人。業界によくいる怪しげなタイプではなく、やる気のある出来る!というタイプだ。社員もそこそこいるし、これまでも映画も何本か製作していた。

スポーツものを書いてほしい。「セント・エルモス・ファイヤー」のような感動の青春映画を作りたいという。そして僕の担当プロデュサーが紹介され、彼と共に作業を進めることなる。出版でいうと、編集者と作家の関係である。

ところが、その社長、次第に????ということが分かって来た。シナリオの第1稿が上がり、社長に見せると、こう言われた。「真逆なんだよー。今回のイメージは『アニマルハウス』なんだよ」と以前とは180度違うことを言い出した。その映画は感動の青春ドラマではなく、笑いの連続というおちゃらけ映画。

なぜ、方向性が変わったのか? 質問するが、的外れな答えばかり。訊いたことには答えず、「製作開始まで時間がない」と言うばかり。その上、同席した担当Pがこう言い出す。「僕は何度も注意したんですが、太田さんが勝手にシナリオの方向性を変えてしまったんです!」

はあ? 「セントエルモス・ファイヤー」方向で、何度も話合ったでしょう? 「アニマルハウス」なんて話。一度もしていないじゃない?と言いたかったが、Pまで社長と同じことを言い出した。そもそも、僕は青春映画が専門。コメディは書いたことはない。もし「アニマル」なら僕には依頼をするはずがないのだ。

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が、Pは会議が終わると何ごともなかったように、「まあ、文句をいっても始まらない。時間ないから、がんばりましょう」と笑顔でいう。しだいに分かった来たのは、その社長。ちょっと精神状態がよくないようだということだ。

ありもしないことを思い込んだり、絶対にできないことを出来ると信じたり、自分に逆らう者に圧力をかけたり。だから、社長が明らかに間違っていることでも社員であるPは、批判できず迎合してしまう。「そんなテーマの映画を今作ってどうするの?」というものを「これこそヒット作になる!」と思い込んで必死で進めようとする。

誰も止める人がいない。止めると会社から追い出される。友人たちに聞くと「あの会社で仕事をしたらダメ。社長が変人なので関わったら負け」と言われた。その情報。先に聞いておけば良かった。結局、その映画は潰れ、僕は半年近く、シナリオを何度も直したのに、中止の連絡さえなく、ギャラも払おうとしない。

何ヶ月も連絡を続け、ようやく社長を捕まえたら「お金はないの!」といわれ、殴ってやろうかと思った。けど、そんなことの多い社長で、不払いの連続。成立した映画はほんの数作だけだという。それから1年くらいで、その会社は倒産した。

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ま、当然だ。社長の話はかなりな部分が妄想や思い込み。話もコロコロ変わるのに、自身でそれに気付いていない。そして、他者に対して無神経。数ヶ月も働いたのにギャラも払わない。聞くと、その担当Pも契約制で月給をもらっている訳ではなく、撮影がスタートしたらギャラが出るということだ。

それになのにPは、社長が180度違うことをいっても、何ら指摘せず、それに従う。社長からの信頼を失わないように、僕自身の落ち度でシナリオが違う方向に行ったかのように批判、自己保身に走った。しかし、組織にいると、そんなふうになってしまうのかもしれない。

ある百貨店。社長の放漫経営で経営破綻した。誰も社長を止められず、会社が崩壊した。やはり、上がバカでも、なかなか、身の回りの者はそれを止めることができず。全てを失うまで何もできないものなのかもしれない。

会社だけでなく、国、政府であっても同じ。明らかに筋の通らぬ発言を繰り返し、間違った方向に暴走するトップであっても、まわりは必死で追随。外から見ていると滑稽なのだが、彼らはトツプに嫌われまいとする。関係者も寿司や天ぷらを振る舞われると批判しなくなる。

第二次世界大戦のドイツがまさにそれ、狂った指導者のもとで多くの不幸を招いた。同じことが身近な国でも起きようとしている。国民との約束を「新しい判断」という言葉で平気破る。狂ったトップはまわりをまきこみ、組織ごと。国ごと、崩壊させてしまう。なのに今そこにある危機に気付いていない人が意外に多い。



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「あの党はもう支持できない。だから、白紙投票する!」という男 [【再掲載】]

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(2014-12-12 記事より)

サラリーマンのC君。50代。なかなか、勉強家。「集団的自衛権」も、「特定秘密保護法」もちゃんと理解している。原発に特別な関心がある訳ではないが「もう、さすがに原発は駄目だ。止める方向で行かないといけない」と断言する。原発が動かなくても電気が足りていることは、すでに証明されている。福島の事故でどれだけ危険であるかもよく分かった。だから、やめるべきだという。

だが、そんなC君。前回の選挙までは、毎回あの党に投票して来た。「何だかんだいっても、あの党しかない。政権を担える力があるのは、あそこだけだ。政権交代があって余計にそれを痛感した。民主党では無理だ」そう痛感していたという。しかし、この2年間を見ていて「特定秘密保護法」「消費税のUP」「原発再稼働」そんな政党を見てみて、もうさすがに駄目だ。あの党に投票すべきではないと思った。

「だったら、どこに投票する?」と訊いてみた。「そうなんだ。それが問題。あの党も駄目だけど、他はもっと駄目。日本をよくしてくれそうな、信頼できそうな党がひとつない」これには共感できる。そして、何よりあの党が一番駄目なことも同感だ。が、そのあとのC君発言に驚かされる。


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「だから、選挙では白票を入れる。支持政党なしであることを伝えるよ」

何それ? そんなことをしたら、棄権するのと同じ。結果、組織票の強いあの党に1票を入れるのと同じだ。それをC君に説明したら、こうだ。

「けど、支持できない。駄目な党に投票する気にはならない」

でも、あの党はもう駄目だと思ってんだろう? どこか、あの党に勝てる党に入れてこそ意味が出てくる。そう説明すると、

「だったら、自分の名前を書いて投票する!それが俺なりの抗議だ!」

それも無意味。結果、あの党を支持するのと同じ。今回、大事なのはあの党が駄目だと思ったら、他で勝てる党に投票することが大事。もし、支持する党があればいいが、その党が勝てる見込みがないなら。支持できなくても、勝てそうな党に入れること。それが、あの党の議席を少しでも減らし、暴走を止めることになる。もし、暴走を止めたいなら白紙投票をしてはいけない。といったのだが、彼はこうだ。

「支持もしていない、ろくでもない党の名前なんて書けない! だから、俺は白紙で投票する! 自分の思いを曲げて投票するつもりはない」

.............ため息。彼のいうことは分かる。意思を曲げたくない。あの党に対する抗議として白票を投じたい。それも分かる。が、C君の行動はあの党を応援するのと同じなのだ。投票所まで行こうが、それは棄権と同じ。日本の未来をちゃんと考え、あの党が暴走し、おかしなことになることを理解しているのに、その最後の行動が、結局「支持」と同じ。悲しいことだ。


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少し前でネットで話題になった広告。「支持政党がなければ白紙投票しよう」その無意味さと作意は早い段階で見破られて、あちこちで問題が指摘された。きっと、白紙投票が増えれば喜ぶ人たちのまわし者がキャンペーンをしたのだろうと言われている。「あんな広告にダマされる奴いるのかな?」というコメントも何度も見た。が、それがまさにC君だ。彼はネットをやらないので、その広告は知らない。が、やっていることはまさに広告通り。

つまり、あの白紙キャンペーンはあながち的外れではなく、それを実践してしまう人がたくさんいるからこそ、狙い打ちしたものだったと思える。「白紙投票で意思を示そう」=「あの党の応援」になっていること。日本の状況を理解するC君でさえ、嵌ってしまったのだから。この手の人も意外に多いのではないだろうか? 

「あの党を止めねば!」と思う人は、絶対に白紙投票や棄権ではなく。どこか勝てそうな党に1票を入れてほしい。何もしなければ、それは即、あの党支持ということになる。






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【新興宗教に嵌った友人の結末? 本質を見抜く目を持つことが大事な時代】 [【再掲載】]

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 新興宗教に嵌っている友人がいた。そんな彼から何年にも渡り、勧誘を受けた。「入信すれば夢が敵う。災いが遠ざかる」らしい。その友人は悪い奴ではない。だが、僕は昔から宗教が嫌い。初詣も行かない。お祈りもしない。クリスマスも祝わない。だが、友人はめげることなく、ことあるごとに勧誘。その宗教がいかに素晴らしいものか?を説明してきた。

 だが、僕はひねくれ者だ。聞けば聞くほどうさん臭く、矛盾点も多く。信用できないと感じる。さらに教義の疑問点を訊いても明確な答えが得られない。「次まで勉強してくる」と友人いう。次の機会を楽しみにしていたのに、その後、彼は説明をしない。「前回、質問した答えはどうなった?」と訊くと「何だっけ?」というので、さらに不信感が募る。友人の努力の結果。その団体を僕はかなり毛嫌いするようになった。

 彼が信じる教団だけでなく、僕は宗教というのは非常に疑わしいものだと思っている。どんなに神様、仏様に願いを伝えても実現しないことがほとんど。また、その宗教を信じていない人を神や仏は助けないのか? 信心する人しかケアしないのか? 神も仏もそんなに利己的なのか? そう考えるともうアウト。もちろん、人が何を信じるのも自由。それを否定はしないが、それを何年にも渡って、勧誘されるのは敵わなかった。

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 そんなとき、思い出した事がある。戦後教育について。いい成績を取り、一流大学に行き、一流企業に入り。安定した生活を送るというのも。多くの日本人は、多くの親はそれを絶対的な価値観だと信じて、子供たちに押し付けて来た。宗教でいえば「**を信じれば救われる」とか「奇跡が起こる」というようなものだと感じた。細かく言えば違うが、僕にはそう思えたものだ。

 でも、「一流神話」は次第に機能しなくなってきた。一流と言われる企業や会社が倒産したり、経営不振になったり、社員が大量にリストラされたり、そこにいても安定した生活が送れなくなってきた。なのに今も「一流企業へ!」と子供たちに必死で勉強をさせる親たちがいる。「お祈りをすれば幸せになれる」教える宗教が僕の中ではダブる。もはや、一流大学を出たからと安泰に時代ではないのに、多くの親たちが戦後教育システムの信仰をやめようとしない。

 話は戻るが、その後、新興宗教に嵌る友人。「入信すれば夢が敵う。災いが遠ざかる」と言っていたが、入信しない僕は夢が叶って映画監督となった。様々な災いも乗り越えて来た。なのに信心深い友人の夢の方は叶うことなかった....。思うのは、彼が毎日、お経を上げている時間。夢を実現するための努力に当ていれば違う未来が見えたかもしれないということ。

 ま、教育と宗教を同一線上では語れないが、僕の目にはどちらも滑稽に映る。宗教も教育も「将来いいことがあるから」「不幸を避けることができるから」「安心できるから」という漠然とした理由だけで信じてしまい、そのために膨大なエネルギーと月日を費やしている。そして、人々は自分たちの信じる価値観は絶対的なものだと、まわりの人たちにも押し付け、信じない人を否定する。


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 同じことが「自民党神話」にも言えるだろう。戦後は自民に任せておけば経済発展できた。しかし、暴走する内閣。戦争ができる国になり、ウソをつきまくる首相。国民との約束は平気で破る。景気はよくならない。原発事故は今も収束せぬのに再稼働。なのに「自民党神話」に傾倒する人たちがまだ存在し、投票してしまう。これも信仰に見えてしまう。宗教も、教育も、政治も同じではないか? 本当に意味があることを見抜く目が問われる時代なのだ。

 それが本当に意味あるのか? 多角的に検証すること大事。今の教育もすでに意味をなしていない。それを信じて子供たちを役に立たない教育システムに委ねる親たちは、妖しい宗教団体に子供たちを預けているように見えてしまう。国民に害しか及ぼさない政党をいつまでも信じて投票するのも、同様だと僕には思えている….。

 ちなみに「だったらウチの教団の話を一度聞いてほしい。うちは違うよ!ぜひ」というコメントだけはご容赦くだされ。




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報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある? [【再掲載】]

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このところ、報道の中立公正についての意見をよく見かける。報道するときは客観的に、冷静に、伝えることが大事。偏った見方をしたり、一方的な伝え方をするべきではない。といわれる。が、果たしてそうだろうか? 昔から引っかかっていたのだが、最近特にそのことがいわれる。Facebookを読んでいても「客観的報道をしろ」とか「報道で意見はいりません」とか書く人がよくいる。

しかし、そもそも、客観的な報道なんて出来るものなのか? 例えば公害問題を記事にするとき、その記者が子供の頃に公害で苦しんでいたら、どーしても批判的な記事を書く。だが、公害問題に悩まされたことがなく、日本のためには経済復興こそが大事と願う記者であれば、「必要悪」と考えるかもしれない。

その時点でもう公正中立ではなくなっている。全ての事柄に利害関係や思想がなく、客観的に見ることのできる人なんているだろうか? 何より日本という国に住み、そこで育つだけで、日本的な価値観を持ってしまう。そんな記者が価値観の違う他の国のことを客観的に見れるのだろうか?

外側から見れば許せない事件でも、内側から関係者からすれば悲しい事情のある仕方ない事件だったりする。それを客観的に見たことだけを伝えて、事情の分からぬ視聴者が「許せない」と思うだけの報道に問題はないのか?

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その事件なりに踏み込めば、もう客観的な報道などできなくなる。被害者の気持ち。加害者の事情。それを客観的に伝えられるだろうか? どうしても一般の人は被害者に同情する。加害者を責める。だから、報道もすぐに「凶悪な犯人」「哀れな犠牲者」の構図で伝える。が、もうその段階で中立公正ではない。そもそも公正中立なんて不可能なのだ。では、どうすればいいのか?

意見を述べるべき。記者が自身の意見を書くべき。日本の新聞は記者名を明記しないことが多いが、要は署名で記事を書くことだ。自分が見た事件、現実をどう思ったのか?を伝える。自分の視点で伝える。酷いのか? 許せないのか? 悲しいのか? 感動したのか? 笑ったのか? 泣いたのか? 何が問題だと感じたのか? 自分が見たことを自分の考えてと共に伝える。

「そんなことをすると感情的になり事実が歪められ、真実が伝わらない」という人もいるが、すでに海外の新聞、特にアメリカではかなり以前から署名記事は常識だ。また今の時代。報道メディアは1社ではない。いくつもある。テレビ、新聞、雑誌、ネット。さまさまなメディアが事件を取材する。当然、いろんな意見が出る。それを読み比べることで、真実はどこにあるか? 自分で考えるべきなのだ。

「このAさんという記者は公害問題に怒りを感じているから、この記事も少し感情的だな」「Bさんはいつも鋭い記事を書くが、E新聞のこの意見が今回は正解ではないか?」とか比較することで、真実が見えて来る。つまり、ある法案審議を例にとれば「私は賛成です。なぜなら」「僕は反対です。これは危険過ぎる」と意見をいう方が、違いが出て、客観的に報道より比較しやすく、分かりやすくなるのだ。

実際、リテラシーのある人はすでに、報道をそういう形で受け取っているだろう。「A新聞は政府よりだから、政府に都合のいい意見をいうだろう」「Bテレビは反米だから、アメリカ批判が入っているな」とか「週刊Cは大手企業がスポンサーだから、国民より企業を優先しているな」という理解の仕方をしている。

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だが、多くの人は今も「テレビが言っているから正しい。新聞に書いてあるから真実だ」と思っている。そして意見をいう報道機関があれば「偏向報道だ」「公正中立にやれ」と怒るが、日本人のいう公正中立というのは、外面だけを伝えるものであり、それでは真実は見えて来ない。また、非常にダマされやすいことにもなる。

アメリカのニュースキャスター。多くは自分の意見をいう。が、日本はキャスターシステムを取り入れたのに、意見をいうと「私見を挟むな」と批判する視聴者がいる。意見を言わないのはアナウンサーであり、キャスターは意見をいう存在なのである。「公正中立」をあれこれいう人の多くは、その辺も分かっていないことが多い。

これからの時代。大切なのはそれぞれが意見を持つこと。発言することだと考える。意見が違えば、そこから考えることができる。が、中立公正などというと、それが真実だと思い込み。意見が出て来ない。つまり、客観的報道というのは、視聴者や読者に考えるきっかけを持たせない危険性がある。

中立公正といい、本当に大切なことを見えなくして、一部の人が都合のいい政策を進めてしまう。なのに視聴者自身が「公正中立」と叫ぶ姿は、誰かの思う壷だと感じてしまう。このところ言われている「公正中立」というのは政府に都合のいい報道であり、批判的なものを「偏向報道」と言っているだけに思えている。





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「なぜ、大人たちは戦争に反対しなかったの?」と質問した小学生。そこから日本が見えてくる? [【再掲載】]

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僕が小学生の頃だから、1960年代後半。

こんな授業があった。東京大空襲の手記や広島原爆を経験した人の書いた本を先生が読み、クラスで話し合うという授業があった。子供心にも戦争の悲惨さを強く感じ、いろいろと考える時間であった。そんなとき、生徒の1人が質問した。

「先生! 戦争は多くの人が死んでしまう、いけないことが分かっているのに、なぜ、大人は戦争に反対しなかったのですか?」

確かにそうだ。授業で先生は何度も「戦争をやってはいけません」と話していた。なのに、当時の大人はなぜ、そんなことが分からなかったのか? と子供心にも思えた。先生は戦中に青春時代を過ごした人で、戦争体験者だったが、答えに困っていた。

「そーねー。それが分からない人たちも大勢いて、反対できなくなったのよ」

意味が分からない。先の生徒がさらに訊く「だって戦争はいけないことなんでしょう?  いけないことをいけないと言えないのはおかしいですぅ!」」

その後、映画やドラマで当時の日本が

どんな状況だったか?を知る。軍部が暴走。日本が戦争に進み、国民が反対すれば「非国民」と呼ばれて逮捕されたこと。だが、それでも戦争中の国民の心理というのは、もう一息分からなかった。いかにして国民はそんな状態に至ったのか?

それを実感したのが高校時代。僕は大阪の進学校に通い。暗黒の時代(?)を送っていた。中学時代まで成績がよかったのだが、高校でアメリカ映画をバンバン見ていて勉強をしなくなった。参考書を読むより、「スクリーン」や「キネマ旬報」を繰り返し読む。そして何より、なぜ、勉強しなければならないか?に疑問を持っていた。

中学、高校と6年も英語を勉強するのに会話ができない! 数学では、連立方程式、集合、微分積分。そんなことが将来役に立つのか? 大好きだった日本史も、何年にどんな事件があり、それに関わったのは誰で、何年に交付された法律がこれ!と事実関係を覚えるだけのもの。古文に漢文。ほとんどが大人になってから役立つものではなかった。

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が、僕以外の同級生たちは無駄だと思っても

与えられたことを真剣にやり、テストでいい成績を取るのに必死。そして、成績のいい者を一目置き、悪い者を蔑む。個別面談のときに、担任に訊いた。

「なぜ、役に立たない勉強をするのですか? もっと自分たちの将来のプラスになる勉強はできないのですか?」

当時から僕はアメリカ留学を考えており、英語はしっかり勉強したかったのだが、中学のときにあったLL教室の授業もなくなり、文法と和訳の勉強ばかり。大学を卒業した人と話しても、英会話はできない人がほとんど。英語教育は機能していないと痛感。すると担任は不満げにこういった。

 「お前、そんなに勉強が嫌か! 文句ばかりいうて、要は楽したいだけとちゃうんか? 努力するのが嫌なだけやろ?」

驚いた。教師というのは生徒を教え、育てることが仕事。なのに質問には答えず、「楽したいだけ」と決めつけて怒り出す。どういう人なんだ? しかし、担任だけでなかった。

勉強する意味を感じられない僕の成績が、どんどん下がる。クラスメートたちから「あいつは落ち零れやからの〜」と言われるようになった。「だったら、お前らは何のために勉強している?」と訊いても「大学受験のためや〜」としか答えられない。「連立方程式が将来役に立つのか?」と訊いても「受験勉強って、そんなもんやろ?」としか答えない。教師も生徒もおかしい!

将来、数学者になる、古文の研究をするのなら分かるが、

ほとんどの生徒はそれ以外の仕事に就くだろう。なのに、6年も間、将来役に立たない勉強を続けている。役に立たないと分かっていても、率先して勉強し、少しでもいい成績を取ることに必死となり、駄目な生徒を「落ち零れ」と蔑む。受験戦争と呼ばれた時代のことだ。

「ん? 何かこういう構図。どこかであったな?」

そうだ、小学校での授業だ。無意味で、国民に何のメリットがないことを知りながら、誰も「戦争反対!」と言わない。反対すれば「非国民」と批判される。どう考えてもおかしいのに、誰も疑問を持たない。同じ構図ではないか? 「受験戦争」と「戦争」が奇しくもダブった。そしてあのとき分からなかった、戦時中の状況を痛感する。

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たぶん高校時代も、僕と同じように役に立たない勉強に矛盾を感じていた生徒もいるだろう。でも、言い出せなかったのではないか? 言っても、先の担任と同じように「楽したいだけだろう? 努力するのが嫌なんだろう!」と批判されるだけ。だから、黙って、嫌々勉強する。戦時中も「戦争なんておかしい。国民が苦しむだけ」といえない。「非国民!」と怒鳴られるだけ。だから、徴兵された兵隊を笑顔で戦地に送り出す。

この2つの構図。同じ方法論で形成されたことも後々分かった。

両方ともに、国策である。戦争は、日本がアジアに進出するため(当時はアジアを解放するためとの主張)。受験戦争は経済復興のために優秀なサラリーマンを大量に育生するため。そのための選別システムが受験だった。

国はそれぞれを推進するために、制度を作り、年月をかけて、キャンペーンを続け、国民を取り込もうとした。ここまでは分かる。が、驚くことは、その制度に国民は見事なくらいに乗っかってしまい、考えれば「無意味」と思える「戦争」も「受験戦争」も盲目に支持してしまったのだ。

それに反対する人は「非国民」「落ち零れ」と呼ばれ蔑まれる環境が出来上がる。だから「無意味」と分かっていても、誰も「反対」とは言わない。それどころか、国民が一丸となって、突き進み、成果を上げてしまったのだ。

そして、いずれも一部の人だけが経済的な成功で潤うだけ。

その他の大多数は踏みつけられ、傷つきながら働くことになる。具体的に言えば、戦争は国民を兵士にして戦い、財閥が大儲けした。受験戦争は、優秀なサラリーマンを労働力にして大企業が大儲け。

「集団的自衛権」が「日本を戦争する国にする法案だ」と反対が続出したとき、こんな声を多く聞いた。

「日本が戦争になるなんてあり得ない! 考え過ぎじゃないの?」

小学生時代のクラスメートと同じだ。「戦争はいけないことです。やってはいけない。そんなことも分からない大人はいません」と思うから、あり得ないというだろう。

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だが、そういっていた小学生たちは高校生になり、受験戦争に巻き込まれ、役にも立たない勉強を受け入れ、疑問を持たない。勉強をしない子たちを「落ち零れ」と批判するようになり、企業が求める能力を判別するための受験に振り回されたのだ。親たちは子供たちを受験戦争に送り込む。それが正しいことだと信じて。我が子を戦地に送り出した親たちと同じように。

もう一度戦争をしたい人たちがいたならば、年月をかけ、制度を作り、キャンペーンを行なえば、簡単に国民は乗せられて、再び戦争を始めるのではないか? 国が推進する制度というのは恐ろしい。国民は簡単に乗せられてしまう。本当に子供たちのためになることって何だろう? 親は何をすべきなのか? そんなことを考えてしまう。2015−12

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20年前「オウムに入る奴の気持ちは分からない」といっていた友人の今。 信者だけでなく、日本人は皆、マインドコントロール? [【再掲載】]

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今からちょうど20年前。

1995年。地下鉄サリン事件が発生。その首謀者であるオウム真理教関係のニュースが連日、テレビでは流れた。その中で気になったのが、「マインドコントロール」という言葉。

ワイドショー等では、信者たちは麻原彰晃にマインドコントロールで操られて、様々な事件に関与したと報道。その常識を超えた事件の数々に視聴者は驚愕した。

が、僕の周りはこんな人が多かった。

「何であんな怪しい宗教に入るんだろう?」

「あんな宗教に入る奴の気が知れない」

「俺なんかオウムには絶対に入らない自信があるな!」

確かに、常識で考えれば、あんな宗教団体に入ることはないだろう。が、友人たちはなぜ「入信しない自信がある」というのか?その根拠は何だろう。訊いてみると「入る訳ないじゃん!」としか言わなかった。

もうひとつ気になったのが、

テレビで流される「マインドコントロール」という言葉。それがどのように行なわれたか? 詳しく説明する番組はあまりなかった。思い出すのは「仮面ライダー」。怪人が出す電波で、市民が操られ破壊工作をする。

しかし、そんなことが現実にあるとは思えない。信者が催眠術で操られたということではない。準備万端、サリンを製造して、地下鉄に乗り、撒く。それは催眠状態ではできない。明らかに自意識を持って、行動しているはずだ。

マインドをコントロールされたというより、尊師と呼ばれた麻原彰晃の考えに共鳴して、その指示に従い事件を起こしたというのが正解ではないか? つまり、過激派と同じパターン。

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なぜ、マインドコントロールという言葉を使い、

報道したのか?と当時は考えていた。未だに信者たちの心境というのは明確に理解できないが、それから20年。最近の日本を見ていて感じることがある。

福島第一原発の事故。自民党の圧勝(?)集団的自衛権、消費税UP、アベノミクス。ネットを利用している人はそのからくり、真実、問題点を理解していると思う。でも、それ以外の人々。

原発事故は収束し、多くの人が自民を支持したので政権与党になったと思い、日本が戦争をする国にはならないと信じ、消費税のUPも仕方のないことと思っている人が数多くいる。

 詳しくはこちらを=> http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-11-27

何でそんなことを信じてしまうのか? 

それは真実を伝えないマスコミ。ディスインフォメーションが大量に流され、問題点には出来る限り触れず、風化させようとする。被害が出れば風評被害と決めつけ、放射能は安全ですキャンペーンをする。

消費税UPも、社会福祉に使われるから仕方ないと思っている人が多いが、実は企業への税金を安くしたことへの補填に、ほとんどが使われていることは知られていない。(詳しくは=> http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-11-28

サラリーマンの友人たちに、どんなに説明しても「原発事故はもう収束したんだよ。野田総理が収束宣言したろ?」と反論されるし、「放射能のことは騒ぎ過ぎだよ。気にし過ぎだな」と平然という。=> http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-11-27

そして集団的自衛権と個別的自衛権をごっちゃにして、論じる。=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11-1

何だか、オウムの信者を思い出す...

彼らは高学歴な者が多かった。なぜ、そんな人たちが麻原の言葉を安易に信じて国家転覆まで考えたのか? 不思議だった。同じように、先の発言をする人々も、それなりの学歴があり、それなりの企業で仕事をしている。

にも関わらず、どちらも現実が見えておらず、キケンなことを信じ込んでいる。どんなに説明しても頑、理解しようとしない。ダマされているというより、マインドコントロールされているといった方がいいような気がしてくる。

やはり現実にありえるんだ.......今の日本人。オウム信者のように思える。

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そこに先日も記事にした件が関わってくる。日本の教育システムだ。何度も書いたが、「暗記」中心。「考える」という訓練をしない。「意見や感想」を述べるという勉強をしない。与えられたことをひたすらこなす。厳しい校則で、勤勉であることを求められる。

その結果、矛盾したことでも、疑問を持たず。

上からの指示には逆らわず。嫌なことでもおとなしく従う。「考えても仕方がない」と考えるのを止める。難しい連立方程式は解けても、世の中の矛盾を考えようとはしない。

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つまり、学歴は高くても、考えることをしない大人が大量に育てられた。それによって企業は大きな収益を上げて日本は経済大国になった。が、同じことをしてきた後追いのアジアの企業に抜かれてしまった。

もう、今まで通りにはいかない。なのに、高度経済成長時代と同じことしているのが、この国だ。でも、もう1億総中流にはなれない。だから、一部の金持ちがより金持ちになるという政策が進められている。貧乏人はより貧乏に。

しかし、多くの人はそれに気づかず、

再びバブルが来ることを期待して、怪しげな経済政策を受け入れ支持。企業減税が目的の消費税UPにも耐えて、それを進める政党に怒りを感じながら、投票拒否をすることで、結果的に、その政党を応援してしまう。

マスコミは「圧勝」と報じたが、実はごくごく一部の人が投票しただけ。多くが棄権したことで、あの党は政権が取れたのだ。

そう考えて行くとオウム真理教の信者と、今の日本人はとても 似ていると思えてくる。「オウムになんか絶対に入らない自信がある」といってた友人。今は「原発事故は収束した」といっている。なるほど、そうやって人は気づかぬ内にマインドコントロールされてしまうのか?と感じる。

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太平洋戦争前もそうだったと聞く。

知らない内に「戦争」「戦争」となり、疑問を持とうものなら「非国民」と言われ。何も発言できなくなった。そして国民一丸となり戦争に突き進む。誰ももう止められない。

大手企業に勤めていた友人も「うちは大丈夫だよ」とバブル崩壊後も疑問さえ持たなかったが、その会社は倒産し、彼は職を失った。やはり、思うのだが、今、日本人に一番必要なものは「考える力」ではないか? 疑問を持つこと。現実を見つめること。真実を見抜くこと。

しかし、14年に渡る教育で「考える」という力が育てられいない。与えられることを受け止めるだけでは、最後に泣くことになるだろう。考えて、考えて、「本当に大切なことは何なのか?」「自分は何をすべきか?」それを見つけることが、21世紀を生き抜く上で必要なのだと思える。





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【正義を掲げ、他人を誹謗中傷している人。でも、悪意ゼロってなぜ?】 [【再掲載】]

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【正義を掲げ、他人を誹謗中傷している人。それに気づかないタイプ?】


イスラム国人質事件が話題となったとき。僕も何度か記事を書いたのだが、こんなダイレクトメッセージが来た。

「Facebookは子供も見ます。パッと目に飛び込んで来ます。残酷な写真が掲載されいると、子供はショックを受け、心に傷がつきます。ですので、イスラム国関連の記事はアップしないでください」

?????? おかしい! 僕は残酷な写真を掲載してはいない。次に「Facebookは子供も見ます」というが、記事は「友達」にならないと見れない。僕の「友達」で未成年はいない。子供が見るなら親のパソコンを無断で使って、Facebookを開き、僕のページを探さないと記事は読めない。

つまり、残酷な写真も使用せず。余程のことがないと見ることができない記事を「子供がショックを受ける」「書かないでください」というのだ。メッセージして来たのはどんな人なのか?と調べてみると、40代の主婦。顔写真も出ているし、名前も偽名ではないようだ。タイムラインを見てもごく普通の主婦である。これまで、僕の記事に対して「いいね」もくれている。他人の記事に対してあれこれいちゃもんを付けるタイプではない。

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では、なぜ、その主婦が「記事をアップしないでください」なんて、非常識なことを要求して来たのか?真相はこうだろう。その主婦は僕の記事を頻繁に読んでくれていた。賛同できる部分も多く、好感を持ってくれた。そんなとき、イスラム国事件。テレビでは放送されない残酷な写真がネットで流れた。それをアップするFacebook記事もある。そんな中、僕もイスラム国事件を記事にする。「ああ、監督まで、あの残虐な事件のことを書いている」ーーーここで、その残虐な写真を確認せずに「きっと監督もあんな写真を掲載しているはずだ」と思い込んだ。

そして、Facebookの機能も忘れて「もし、子供が見たらショックを受ける!」と考えた。子供が見る可能性は極めて低いのに、そう思い込む。「これはいけない。監督は気づいていない。教えて上げないと!」そう考えたのだ。つまり、実際に起こりえないことなのに「子供たちを守ろう」という責任感を感じてメッセージを送って来た。

その主婦に悪意がないのは分かる。が、僕はその人には会ったこともなく、個人的にメールのやり取りをしたこともない。そんな人から急に「***の記事はアップしないで下さい」といわれても、理不尽な要求にしか思えない。何よりその主婦が指摘する写真は使用していない。何より「写真を使うな」だけではなく「記事をアップしないで」と指示する。「御願いします」ではなく「**しないで下さい」と命じるメッセージだ。自身がどういう立場にいると考えているのだろう?

考えた。上記のことを説明する返事を出すのなら長い文章を書かねばならない。まず誤解ありきということ。また本業で忙しく、その人のために、時間を割くのは厳しい。その種のメッセージは頻繁に来る。ひとつひとつに返事していては、1日が終わってしまうので「返事は出せません」と日頃から記事内で説明している。

とはいえ、その主婦は自身が不快だからという訳だけではなく、子供たちへの悪影響を懸念したから。悪い人ではない。考えた末に説明しようかと、Facebookを開くと、その人から「友達」削除されたあとだった。



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「友達」が2000人を超えた頃からこの種の「友達」が出て来た。「監督のためだ!」「あなたは気づいていない」との思いで、いろんなことをコメントしたり、メッセージしてくる人が結構いる。ある時期は毎日のように、その種のコメントが書き込まれた。が、意見のほとんどが当て外れ。先の主婦と同じパターン。親切のつもりだろうが、こちらからすると中傷、嫌がらせでしかない。

繰り返すが,彼らに悪意はなく、むしろ親切な人たち。応援&心配してくれている。しかし、結果、助けにはなっていない。先の主婦も「この監督は駄目だわ。せっかく好意でいって上げたのに分からないみたいね」そう思って「友達」を削除したのだろう。悲しい構図だ。が、それでなくても映画監督はいつもやること山積み。仕事の連絡も常に返事が遅れ関係者に迷惑をかけている状態。多くの人の誤解を解き、お返事する余裕がない。

これはFacebookの問題だけではないだろう。選挙のときに***候補を支持する。「素晴らしい人だ。だから、あの人のために対立候補をディすろう!」という人たちも同じ。原発反対といいながら、原発に興味を持った若い人たちに「勉強不足だ!」と批判し、若者たちのやる気を削ぐオヤジたちも同類。正義を掲げて、他人を傷つけている姿をときどき見かける。結果、それは何のプラスにもなっていない。人は「自分は正しい」と思ったとき、残酷なことでも平気でできてしまう。自らの立場を忘れて他人に命令したり、攻撃してしまうところがある。そのこと考えてみたい。








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【世の中、何が正しいのか? ミステリーの方法論で現実を見抜く】  [【再掲載】]

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【世の中、何が正しいのか? ミステリーの方法論で現実を見抜く】 

今の時代、非常に複雑で分かり辛い。人は本当にダマされやすく、本質に気づかないものだ。例えば「あの政治家を支持する!」という人がいるが、同じ人を「あいつだけは信用できねえ!」という人もいる。
それらの人たちは、敵対する政治家を支持する人のFacebookに長々と批判コメント。実際、僕のFacebookにもたまにそういうコメントが入る。

先の知事選(2014)のときは酷かった。僕のタイムラインにも同じ人から何度も批判コメント。注意すると「これは批判ではありません」といいながら、その候補者への批判が長々と綴る。「そんなことはご自分のFacebookで!」と削除した。批判どころか、嘲るようなコメント、上から目線で中傷を書く人もいた。

一部は組織的に動く人たちだったと思うが、ほとんどは真剣にその人を嫌い、許せないという意見の持ち主。だが、攻撃される政治家たちを見ていて、本当にこの人は間違っているのか? 誤解されてはいないか?と考える。そして批判する人たちのコメントを読み、かなり思い込みが強い。何を根拠にそこまで嫌うのか? と思えることも多い。

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その候補者の一部だけを見て、過去の行いを見て、単なる思い込みだけで、憎しみを込めて批判し、自分に正義があるかのように感じている人もいる。よくいるのは「テレビで批判していたから」「番組のコメンテーターが言っていたから」ということを鵜呑みにする人たち。

確かに個人で何が正しくて、何が間違っているのか?を判断するのはとてもむずかしい。そんなとき僕は、ミステリーの方法論を使って、考える。そう、推理小説の定番。「誰が犯人か?」を探偵が推理するとき、必ず用いられる方法。「被害者が死んで一番得をするのは誰か?」「殺人を犯した動機は何か?」である。

僕はミステリー小説(2時間ドラマではない)が好きで、子供の頃から読みあさっていた。一時は将来、探偵か刑事になりたい!と思っていたくらいで、興味惹かれる現実の事件があると探偵気取りで推理していたことがある。が、事件でなくてもミステリーの方法論を使えば、結構、真実が見えてくるので、いつの頃からか、そんな発想で現実を見つめている。

例えば、先の知事選。この人が知事になって得することは何か? 損することは何か? を考える。その人が当選して喜ぶのはどこの団体か? その人が落選して喜ぶのはどの組織か? そして動機。なぜ、その人は立候補したのか? 権力が欲しいのか? 金か? それ以外の目的があるのか? さらに、誰が、どの団体が、誰を応援しているか? 考えて行くと、あれ? ん? どーして? という疑問が出てくる。


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さらに、関係者に聞き込み。「****さんは実は****なんだ」と言う情報。でも、それを鵜呑みにせずに、別の人にも訊く。もちろん、情報提供者の背景も大事。その人が***さんを批判して、何の得があるのか?をまた考える。そうやって考えると答えが出た。 

芸能人や有名人も同じ。「あの人。何でワイドショーであんな発言するんだろう? 許せない!」と思いがちだが、テレビ番組内での発言はほとんど局側の意見を代弁している。あるいは議論を展開するために、あえて悪役を担当していることもある。そんなことを知らずに「許せねえ!」という人が多い。

が、それも「誰が得をするのか?」考えれば答えが出る。その意見をいうことで番組に出られるタレント。それを言わせることでスポンサーが喜ぶ局。その意見を放送することで、視聴者の支持が得られる。特定の人たちが喜ぶ。そこを考えれば簡単だ。

誰を支持するのもしないのも自由だが、いろんな面を見つめ、その人がなぜ、そんな行動を取るのか? それによって誰が得をし、本人にはどんなメリットがあるのか?それをあらゆる面から考えることでマスコミが報道しない真実や大切なことが見えて来るはずだ。これは政治家だけではなく、会社内、友達関係、サークル内でも何か問題が起きたとき。

この論法で考えると誰に問題があり、どうすれば解決するか?見えて来る。ミステリーの方法論。かなり使える。2015-5





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【「考え過ぎじゃないの?」と言うことありませんか? その背景にある怖いもの】 [【再掲載】]

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【「考え過ぎじゃないの?」と言うことありませんか? その背景にある怖いもの】

テレビのいうことを鵜呑みにして、嘘や詭弁でも信じてしまい、疑いを持たない人が多いという話。以前に書いた。それに対してネットをやっている人の多くは、テレビの嘘に気づき、ネットで発信される情報を探し、事実を求めている。が、それでも、やはり「考える力」が育たない日本の教育に縛られている人が多くいる。

先日、ある記事を掲載。もの凄い反響で、多くの人が支持してくれた。が、数人だけ「考え過ぎじゃないですか?」というコメントをしてきた。だが、「どう考え過ぎなのか?」は書いていない。それは反論ではなく、自分の思いを綴っているだけ。

この件に関わらず。昔から「考え過ぎじゃないの?」という人と話していて感じること。「考え過ぎ」ではなく、その人の「考えが足りない」ことが多い気がする。頭が悪いという意味ではない。その人なりに考えているのだが、結論に到達できないときに「私はその答えにたどり着けません」とは言わず。相手に「考え過ぎじゃないの?」というのだ。

言い換えれば、ミステリードラマで、Aさんはアリバイがない、動機がある、凶器を使う技量もある、現場に指紋が残っている、だから犯人だ!と、論理の積み重ねにより、探偵が犯人を特定しいく。ほとんどの人がその過程を納得するのだけど「考え過ぎじゃない?」というタイプの人は、どこかの過程で理解できなくなる。そんなとき「自分が理解できないのではない。その論理が間違っている。考え過ぎなのだ!」と解釈。要は「考える」ことを投げ出すのだ。

だから、そのタイプの人。「考え過ぎじゃないの?」とはいうけど、どこがどう考え過ぎか? どこの何が間違っていると指摘することはできない。これは何かというと、日頃から「考える」という行為をしていないから、積み重ねる論理についていけないのだ。繰り返すが、頭が悪いということではない。日本の教育16年間で、考えることより、与えられたことを暗記する作業を続けて来たからだ。

上から言われたことは素直に受け入れる。先生がいうことは正解という教育。それ以外は素直に受け入れないくせに矛盾を感じても、明確な反論ができない。考えるという教育を受けて来なかったからだ。だから、その能力が育っていない。反論ができず。自分の考えが至らないことを棚に上げて「考え過ぎじゃないの?」といってしまう。

上の人たちからすると、非常に都合のいい存在。「右向け右」と言われれば、何も疑わずに右を向くくせに、それ以外の事実に対しては正確な反論もできないのに批判する。

例えば「原発再稼働」について、多くの人が反対している。が、同時に多くの人たちが、マスコミの流す上辺だけの情報を鵜呑みにして、反対する人たちを批判「心配性だなあ」「もう大丈夫だよ」「福島も収束したんだろ?」とか思っている。知ろうとしない。考えようとしない。自分が理解できないことは「考え過ぎ」と結論づけ、何もしないでいる。

同じことはネットをする人たちにも言える。ネットにはいろんな情報がある。テレビで伝えない真実もあるが、デマ、ウソ、も溢れている。なのに、そのひとつを盲目に信じてしまい「陰謀だ」「圧力だ」「不正選挙に違いない」と主張。そんなコメントの多くは論理的でなく思い込みで書かれている。「なるほど!」と思えるものは少ない。テレビ情報を鵜呑みする人たちと同じ。深く考えることをせず、整合性のないことを「私は裏を知っている!」と思い込む。

ある著名人。とてもいい発言をする。「この人は凄い!」と思うと盲目にその人を支持する人たちもいる。いくらいい発言をしても対局的に見ると問題があるのに「私はあの人を信じる!」とその人を批判する人を攻撃。これでは「麻原尊師は絶対だ」というオウム信者と同じ。なぜ、そんなふうになるか? それは考える力が不足しているから。

目先のことしか考えず、自分に都合のいい情報だけを受け入れて、頑に信じてしまう。大切なことは考え、疑い、比較して「本当はどうなのか?」を考えること。でないと、とんでもないことになる。時代のキーワードは「考えること」ではないだろうか? 2014−10


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【Facebookは心癒される喫茶店か? それとも閉鎖的な田舎町か?】  [【再掲載】]

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【Facebookは心癒される喫茶店か? それとも閉鎖的な田舎町か?】 

 Fbは近所の喫茶店。という例えをしてみる。会社に行く前に立寄り、モーニングサービスを食べる。昼休みにランチを食べる。休憩時間に珈琲を飲みに行く。帰宅前に寄ってビールを1杯。そこに行けば、誰か知っている人がいて、話ができる。

 訪れるたびに知り合いができて、話ができる。ときには懐かしい友人がいたりする。Facebookはそんな店のようなもの。と、いえば、とても素敵な場所に思える。が、その店に通い始めると、次第に中毒症状になり、1日に何回も通ってしまう。次第に嫌な思いをすることになるのだけど、止められず、辛い思いをしながら通うことにもなる。

 実際、ある地方で素敵なバーがあった、仕事が終わると仲間が集まり乾杯。そこに行けば、高校時代の友人がいたり。寂しいときでも、誰かいて心温まる場所。ああ、こんな店がある町で暮らしてみたいな。と思ったことがある。特に都会暮らしをしていると、1人で寂しいことが多く、親しい友人が集まる店。映画「セントエルモス・ファイヤー」のような店に憧れる。

 だが、少し考えて、いや、僕はこの町では暮らせないな.....と思えた。店には気心が知れた友人ばかりではなく、無神経な連中も集まるからだ。田舎町なので互いに顔は知っている。あれこれ仕事やプライベートに口を出して来る。揉める。そうやって店を訪れることはなくなり、町でそいつと会うたびに嫌な思いをする。

 まさにそれがFacebookの構図なのだろう。最初は早朝でも深夜でも、自分の書いた記事にコメントが入り、あーこんな時間でも読んでくれる人がいるんだ。と、嬉しかった。が、次第に、喫茶Facebookに行くとと、知人が増えて来て、あれこれ言われるようになる。「野菜が足りませんよ」「運動した方がいいですよ」「目薬はダメですよ」なんだか、実家に帰った大学生のようだ。

 彼ら彼女らに悪意はない。が、親に言われてもうるさいと思うことを、良く知らぬ他人から言われたくない。中にはあれこれ議論を挑んでくる人もいる。自分の価値観を押し付けて来る人もいる。こちらの意見を述べても、曲解して、或いは誤解して、当て外れな反論が返ってくる。心の安らぎとして、訪れた店なのに、いつしか、ややこしい人たちが絡んで来る場所になってしまう。

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 それでも店に行くと、声をかけてくれる友人や話を喜んで聞いてくれる人もいる。僕が店に来るのを楽しみにしてくれている人もいる。だから、毎日、訪れてしまうのだが、行くたびに顔見知りが増えて、どんどん面倒な人間関係も広がって行く。それが「喫茶Facebook」なのだと思える。

 ここに興味深い構図がある。人は寂しくて、人と会いたくなる。自分の話を聞いてほしい。自分の思いを分かってほしい。受け入れられると嬉しい。が、人の数だけ意見や価値観があり、なかなか、分かってもらえない。また、理解力が低い人もいる。勘違いが激しい人もいる。そんな人たちと交流を持つと、イライラしてしまう。そして、分かってくれる人はごくわずかであり、自分の立場を考えず、あれこれ言って来る人も多い。

 この構図は同時に、田舎町の構図にも似ている。その村にはいろんな人がいる。分かってくれる人、くれない人。そして、あれこれ、うるさく言って来るオヤジがいる。噂話が好きなおばさんがいる。小さな世界。互いに価値観を押し付け合う。我慢して生きなければならない。それが嫌な若者は村を出て行く。でなければ、プライベートなことをあれこれ言われるのが嫌な人は、交流を断ち、「アルプスの少女ハイジ」のオンジのように孤独に暮らす?

 どーも、Facebookというのは新しい出会いや懐かしい出会いを求めて、新しい世界に踏み入れるものだと思っていたが、結果として村社会に住むことになっているような気がする。しかし、都会で暮らす孤独な青年であれば、それも楽しい時間だろう。会社でも友達がおらず、人見知りが激しい。いつも満員電車に揺られて通勤しているのに、自分を知る人はいない。そんな中で、昼休みに「ランチ」の写真を上げれば「いいね」がたくさん着く。「おいしそうだね!」とコメントが入る。ささやかな喜びかもしれない。

 僕の友人で直接会うと言葉が少ないのに、Facebook上だとやたら陽気にコメントするヤツがいる。一度しか会ったことのない人に、親友同士のような突っ込みをする。見ていて危ないものがある。「友達申請」して「承認」されれば、それが本当の友達だと思い込んでいるのかも? 別の「友達」から「あの人ちょっとヘンですよね?」と聞かれたので「うん、おかしいよ」と答えた。悪いヤツではないが、少々問題がある。

 たぶん、その種のタイプが日本には多いと思える。果たして、Facebookはいつ行っても知り合いがいる癒しの喫茶店なのか? それとも閉鎖的な田舎町のコミュ二ティ? いろいろと考えてしまう。



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「許せない!一言いってやれ」でも、嘘の情報に乗せられてはいないか? [【再掲載】]

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【テレビに出ていた総理。非難轟々なのに弁護する女性。でも、その番組見てないんだよね? なんで?】

2015年7月20日

少し前になるが、長崎で行われた終戦記念のイベントに総理が出席。式典中「早く終わらないかな〜」という退屈顔。カメラマンはそれを撮影。どアップでテレビに映し出していた。ナレーションでも、総理が献花の場面で「集団的自衛権を閣議決定した」ことを説明。「右向け右」の局なのに、こんな人たちもいると感銘を受け、そのことをFBで記事にした。すると、こんなコメントが書き込まれた。

「そうとは限らないでしょう? 総理はただ、疲れていただけかもしれないし。退屈していたかどうか?は本人にしか分からないものです!」

さらに、その人は

「私はその番組は見ていませんが」

と書いている。ん〜〜〜、見てもいないのに批判してくるなんて。。。。どういう人?と思ったが、実はこんな人。結構多い。

自分が見て「私は***と思いました!」という意見はアリだ。でも、見ていないものに対して「そうとは限らないだろう?」というのはどういう意味なのか? 以前にも僕の「朝日のあたる家」ブログにこんなコメントが寄せられた。

「原発を題材にした映画だから映画館上映を拒否されたのではなく、映画のクオリティが低いから拒否されたんですよ。僕はまだ映画は見ていませんが、そうとしか思えません」

これも映画を見た上でいうのなら分かる。が、見てもいないものを想像で「クオリティが低い」と決めつけてコメントするというのは、どういうことなのか?

これらの人々。決して悪意があってコメントしているのではないと信じる。が、思い込みが強く。根拠がなくても「一言いってやらなければ!」と思うのだろう。だから皆「私は見ていませんが」「行ったことありませんが」と正直に書く。でも、見てないなら反論も、意見もいう資格はない。自分が知らないものを「これは正しい」「いや、間違っている」と意見は言えない。

例えばロスアンゼルスに住んだことのある人が「犯罪が多く危険なところがある」といったとして、別の人が「あの街はとても安全です。私は住んだことも、行ったこともないですが」という意見をいう。それに意味があるだろうか? 議論にすらならない。意見をいうならその町に住んだことがなくても、経験者に聞く。旅行ガイドを調べる等の上で反論すべきだろう。

しかし、先に上げた特別な人たちだけじゃない。我々も似たようなことをしているのだ。ツイッターやフェイスブックで「**大臣が****と発言した。これは酷い!」と言う記事を見ると「それは許せない! Retweetとしよう」と、即座にその大臣のことを批判する。そんな経験はないだろうか?

でも、その人たちのほとんどは大臣の発言を直接聞いていない。ツイートを全面的に信じ込んでいるだけ。大臣から直に聞かなくても、***新聞でもそれは報道された。***ニュースでも伝えていた。という確認はできる。が、多くの人はそんな確認もせず、仲のいい友人でもない、いや、見ず知らずの他人のツイートを信じ込んで、その大臣を攻撃してしまう。いや、新聞やニュースだって、本来は信用できないのだ。

これも先に紹介した「知らないことを批判する人たち」に近い。自分が知らないことを安易に賛同、支持しているのだ。数年前にあった大臣による「放射能着けちゃった」発言。あれも実際に言っていないこと分かっている。それが一部マスコミがねつ造?して報道(最初に記事にした記者は大臣が発言した場にはいなかった!)。あとの社が確認取材もせずに追随したのだ。あの大臣はそれで辞任することになった。彼を辞めさせたい勢力がそんな嘘を流したかもしれないのに、皆、それを信じたのだ。

ツイートやFBだけでなく、テレビ、新聞だって間違いを犯すし、ある種の目的のために嘘の報道もする。それに乗せられているのが我々だ。「放射能は安全です」「ただちに健康被害はありません」「メルトダウンしていません」当初、それらを信じていた。我々は根拠のないことを批判したり、無警戒に信じたりすることが多いのだ。

「美味しんぼう」鼻血事件も同じ。ネットで「福島で鼻血を出している子供なんていない」と発言する人。やたらいた。なぜ、そう思うのか? 調べたのだろうか? その根拠を何も上げていない。こんな人もいた

「私は福島に住んでいるが、そんな子供は1人もいない!」

=>でも、福島県は広いんだよ。「自分のまわりにはいない」=が正解でしょう? 

もちろん、一般の人が現地に行って確認したり、大臣に直接訊くことはできない。でも、複数の情報を確認すれば、多少なりとも現実に迫れる。新聞とテレビだけでなく、ネットで調べる。或いは詳しい人に訊く。なのに何もしないで、すぐに憤り「***は許せない!」と発信してしまうのは、そこに誘導したい人たちの思うつぼではないか? 

見てもいない番組のことで批判してきた方、そのあとに書き込まれたコメントのほとんどが「あの総理の態度は酷い!」それを読んだのか? 批判コメントを削除した。思い込みで批判をしたこと気づいてくれたのだろう。ネットであろうと知らないことを批判してはいけない。想像で議論してはダメだ。何よりも事実を見つめ、ウソに振り回されないために....。




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上杉隆さんの言葉に励まされて「朝日のあたる家」製作時「圧力あれば全部ブログに書いてやる」と決めた。 [【再掲載】]

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ジャーナリスト上杉隆さんのいう

「テレビ局への圧力は局がさらすべき!」

に賛同

「朝日のあたる家」製作時「圧力あれば全部ブログに書いてやる」と決めた。

ら、圧力より自粛が多いことを痛感。

映画会社、テレビ局、映画館、マスコミ。

「朝日」を避けた社の多くは圧力を受ける以前に自粛。

自ら原発事故の映画を避けて通った。




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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー韓国メディアの記事翻訳3 [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」韓国メディアの記事翻訳3

(ネットの翻訳サイトで訳、言葉ヘンなところがあります)

http://www.vop.co.kr/A00000702632.html

オオタ監督は"原子力発電所の廃炉が最も重要なわけだが、それ以前に大多数の日本人が福島原子力発電所事故が何であったか?を把握していないのが問題"として"重要なのは原子力発電所に賛成するのかしないかの論争をする前に、福島の現実を見つめること"と強調した。 また"福島第1原電でどんなことが起きたか? 福島の人々がどんな思いをしているか? を知らなければならないこと"としながら"そういう現実を伝えるために映画'朝日のあたる家'を作った"と伝えた。

また、汚染水問題など韓国をはじめとする世界の憂慮が高まるのに対して"政府と東京電力は原子力発電所事故を小さく見せて、早期に収拾できる態度を見せているが、それでは国内だけでなく海外の不信が高まるだろう"として"現在問題になっている汚染水の場合、太平洋に流れたとすれば韓国にも流れ着く、地震で失踪した(日本の)物がカリフォルニアに漂流した事実を考慮すれば、福島原子力発電所事故は日本だけの問題でない"と指摘した。 安倍総理に対しては"オリンピックを開催するより先に、福島原子力発電所事故を収拾することこそ。世界が求めることではないか?"と訴える。






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反原発が嫌われるー勉強熱心な人たちがオタク化? [【再掲載】]

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原発問題をよく勉強している人。

 このところ問題あること感じている。もちろん一部の人だとは思うが、初心者をバカにしている事が多い。”そんなことも知らないのか!”と上からものをいう。FBのコメント欄に長々と正論(?)を書き込んでくる。なぜ、生徒でも弟子でもない相手に、そんな行為ができるのか?

勉強した人が知らない人に原発問題の知識を伝えることで、多くの人たちが現実を知る。それが大事なのに、上から目線。初心者はやる気をなくし、原発問題への関心をなくす。これでは推進派のまわし者と同じ。

朝日のあたる家ーを観てくれた人にも、

 そんなタイプがいた。”映画で描かれた事実は全て知っている。観る必要はなかった”或いは”これは初心者向けの映画。知らない人が観るべき”という感想をいくつも聞いた。

 そもそも、間違っているのは”朝日”は原発事故の隠された情報を伝える映画ではない。なの、“全て知っている”という当て外れなコメントがするのは、なぜか?多分その人、知らない事実を探して映画を観たのだろう。同時に”俺の知らない事実を描いていれば評価する!”自分はかなり知識豊富だ!という自負がありそうだ。だが、”朝日”はそれに応える作品でもない。

 ドキュメンタリーでは描けない。家庭内の悲しみ。憤り。失望。苦しみ。そんな葛藤を描けるのは劇映画ならでは。それによって福島の人たちの思い、経験を伝えたい。というのがひとつ。そして、すでに報道された事実も、ニュースで伝えるのと、ドラマで伝えるのとは全く違ってくる。

 日航機墜落事故も、ニュースで何度も見て事実を知っていても。映画”沈まぬ太陽”を見ると、より悲しみが伝わり、涙が溢れた。それによって事故の痛ましさを改めて感じることができる。その”沈まぬ”を見て”知っている事実ばかりだった”という人はまずいない。なのに、”朝日”ではそんなコメントをした人が結構いる。

 やはり、"これは初心者が見るべき映画だ”という言葉。

 その裏に、”俺はかなり勉強しているぜぇー。この程度のことは知っているよー”という自負が感じられる。それゆえ、知識のない者を不勉強だと批判するのではないか? それならぜひ、知識豊富な者として、映画のどの部分に着目すべきか?をブログ、FBで解説。原発に関心ない人に呼びかけてほしいのだが、そんな記事は見かけない。

 都知事選でも、そうだった。いろんなブログ、コメントを見て感じたのだが、原発に勉強熱心な人は、なぜか、問題点を広くアピールすることより、知らない人を叩くこと。批判すること、或いは自分の知識量を自慢することが多いように思えた。”俺はこんなことまで知ってるんだぜ!”そんな話をする人にも何度も出会った。

 なぜ、知識があるのに、初心者に分かりやすく解説しようとしないのか? ”朝日”の感想でも、”知っている事実ばかりだった”と批判するよりも、多くの事実の中でなぜ、それら事実が選ばれたか? その背景には何があったか? 映画では描かれなかった部分を豊富な知識で紹介してくれれば、まさに初心者も興味を持ち、”朝日”を見に行き、原発に関心を持つ人が増える。貢献できると思うのだが、その手の人がそんな記事を書いているのを見かけたことはあまりない。

 もちろん、全員ではない。一部だと思う。

 で、これは何かというと、原発反対者のオタク化ではないか? 原発をなくそう! 危険を伝えよう!という行為に繋げず。単に”俺はお前らと違うんだ。こんなことまで知っているんだぜ!”という小さな世界に立て篭って、知識を自慢するオタクと同じ状態になっているのだ。

 学生時代の友人。ガンダムのモビルスーツを数多く知っているというというだけで、得意になっていた 。彼はガンダムの魅力を伝えるより、自分の知識の豊富さのみを語り。初心者をバカにし優越感に浸っていた。同じ構図である。その種の人が主流ではないのに、それらオタクの存在がクローズアップされたために”ガンダムが好き”というだけで”オタクだ。暗い!”と批判される風潮があった。原発反対する人たちも、批判されがちなのも、同じ構図ではないか?

 せっかく、原発問題を勉強し、多くの知識を持つのならば、それを批判や優越感に繋げるのではなく。まだまだマジョリティーである、関心のない人たちへ発信する責任こそを感じるべきなのに.....そんなこと考えてしまう。


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「何事も疑ってかかろう。言葉の本質を見抜けないと結局利用されるだけ?」 [【再掲載】]

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いろんな記事を書いていると、ときどき反論が来る。

 例えば以前にこんな記事を書いた。「多くのプロデュサーは作品をよくするより、今後の仕事をやりやすくすることに重きを置きがち」とか書く。するとこんなコメントが来る。「そんなプロデュサーばかりではありません。いい作品を作ろうとする人もいます」という反論が来た。

だが、よく文章を読めば「多くのプロデュサーは」と書いているのであり、「全てのプロデュサーは」とは言っていない。つまり「少数だがそうでないプロデュサーもいる」という意味だ。なのに「そんなPばかりではない」というコメント。これは反論とか批判ではなく、しっかりと文章を読んでいないための誤解でしかない。

あるときは「原発問題は考えないようにしていますという女性」というタイトルで記事を書いた。ら、こんな批判が来た。「男性にもそんな人はいっぱいいます。女性差別です!」これも読解力の不足。記事を読めば、ある女性が原発問題を考えると悲しくなるので考えないという話を紹介していることが分かる。「女性が原発問題を考えていない。男性の方が考えている」という記事ではない。

たぶん、批判して来た方。

 記事を読まず、タイトルだけ見て批判していると思える。だが、タイトルさえしっかり理解できていない。「女性」と書いているが、「女性は考えていない」ということではなく、「ある女性」が「考えないようにしている」という意味。それを「全ての女性」「多くの女性」と思い込んだのだ。

「マルサの女」というタイトルを見て「マルサ(国税庁査察部)には男もいます!」と批判するようなもの。そんなふうに記事も読まず、タイトルだけ見て思い込みや間違った理解をして批判する人もときどきいる。

批判コメントを書くにも時間や労力が必要。

 その力と時間で、本文をしっかり読めば当たってない批判を書く必要はなくなるのになあ〜と考えていて、気付いた。よく、政治家やタレントを批判するコメントや記事をネットでは見かける。当て外れな批判が多い。

それらを書いた人も同じように、その人の発言を真剣に聞かず、聞きかじったことを、思い込みや勘違いで激怒。ネットで「許せねー」とか「あいつバカだよな」と書くのだろう。Twitterでも明らかなデマと分かるものも、多くの人がReTweet。間違った方向に怒りを向けることがある。

基本、ネット情報は疑ってかかった方がいい(テレビだってそうなのだけど)そして何より、すぐに反論したり、支持したりせず。その作者の狙いは何か? を考えることが大事だ。

ナチスも戦争を始めようとしたとき、

 政府はやたら「平和」という言葉を使ったという。「平和」と言ってるんだから「平和」だろう。と人々が深読みせず、真意を考えず、誤解して、思い込みで信じることを狙ったのだろう。そうやってドイツは第二次世界大戦に突き進み、多くの悲劇を起こす。日本人も同じだ。ダマされてはいけない。「景気がよくなった」なんて実感のない言葉を鵜呑みにせず、本当の狙いを考えよう。そこに真実が見えて来るはずだ。

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真実を伝えることーその力は国をも変える [【再掲載】]

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僕のブログを読んでくれる人たちは、勉強家が多いので、基本的なことを書くと、”そんなことは知ってるよ!常識だろ?”と言われるかと感じていた。でも、誰でも知っていると思ったことが”それは知らなかった!”という反応もある。

また、先にも書いたが”朝日のあたる家”を見て”描かれた事実は全部知っていた!”と得意げに言う人もいる。”朝日”は情報を伝える映画ではない(そもそも映画は物語を伝えるもの)が、それでも、いろんな人から”知らない事実がいくつもあった”と言われたりもした。

原発問題に関心のある人の層は厚いということなのだろう。学者並みに知識を持つ人から、最近になって関心を持った人まで。多種多様だ。

それを踏まえて思うのだが、テレビニュースというのは、常に新しい情報を発信するメディア。初期に報道したことはくり返し説明せず。最新情報のみ。報道を途中から見ると、そもそもの部分が分からない。

そのため、いくら原発事故の最新情報を報道しても、最近、興味を持った人はよく分からず。結局、関心を失うことに繋がる。昨日も書いたが、勉強熱心な人には、その知識量を自慢したいタイプや初心者をバカにするタイプがおり、それらの人と出会ってしまうと、これまた興味を失うことに繋がる。

大切なのは、問題の基本。基礎。そもそも、を長期に渡って伝え続けることではないか? テレビ、新聞の報道が最新情報であるなら、ネットでは報道機関が伝えない情報と共に、基本を発信続けることも必要だと思える。

そんな意味で、僕は専門家ではないが、見聞きしたこと。映画製作で感じたこと。映画上映で経験したこと。攻撃を受けたこと。様々なことを含め。基本中の基本であっても、このFBで発信して行きたい。

あの巨大国家ソ連が崩壊したきっかけ。それは小型になったビデオだと言われている。どんなに政府が情報を統制しても、海外から持ち込まれる、それら映像を見て自分たちがいかに不自由で貧しいかを国民が知ったのだ。

社会主義より資本主義の方が裕福になれる! そのことが次第に広がり、政府が間違っていることを国民が認識。ソ連の崩壊に繋がった。その原因はミサイルでも、軍隊でも、戦車舞台でもなく、情報だったのだ。

日本も同じ。時間はかかっても、本当のことが伝われば、変えることができるということ。伝える大切さを感じる。

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原発事故はもう収束した!という人たち? [【再掲載】]

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選挙も近いし、僕が思う「大切なこと」を分かりやすく簡単に書いてみる。が、ネットをやっている人はすでにご存知のことばかりだと思うが、最近ネットを始めた人。あるいはFacebookではお友達との交流しかしないという人もいると思うので書いてみる。

今の日本を知るのに一番の早道は

原発事故を知ることだ。そこに日本の問題点がすべて集約されており、消費税問題も、特定秘密保護法も、集団的自衛権も、すべてつながっていることが分かる。漢字ばかりで、わざと分かりづらいネーミングにして、本質を理解されないようにしているのは、本質が分かるとマズイからだ。でも、原発事故に目を向けると、背景はすべて同じであることが分かる。

映画「朝日のあたる家」が九州で公開されたとき。舞台挨拶で現地の映画館を訪れ、若い女性から話かけられた。先日、「朝日」を見てくれたとのことだ。

「福島で原発事故があったことは知っていました。

でも、大した事故じゃなくて、すぐに収束したと思っていたんです。私は新聞もニュースもみないし、遠い福島のことにも関心がなかったですし。それが『朝日のあたる家」を見て驚きました。あんなことになっているなんて、本当に知らなかった。何万人もが避難して未だに帰れないでいる。そして子供たちが病気になっている。本当に知らなかった...」

真剣な顔でそう話してくれた。その女性、決して特別ではない。福島から離れるほどに原発事故への関心は低くなり、その知識も少なくなる。いや、こんな人もいた。以前にも事故があった新潟の柏崎刈羽原発から30キロ圏内に住む中年女性はこういう。

「原発の近所に住む人たち。可哀想ね。事故があっても逃げることができない。本当に大変ね....」

いや、大変なのはその女性も同じだ。30キロ圏内に住んでいるのだから、福島と同規模の事故が起きれば避難対象のエリアなのだ。こんなふうに実は原発事故の現実を多くの人が知らない。今も福島では14万人が避難したまま、帰郷できずにいる。そして、線量の高いエリアに今も多くの人が住んでいるが、政府は「基準値以下だ」といい避難させずにいる。

チェルノブイリでは避難地区にあたる高い線量の地区でも、日本では「安全」という。そのチェルノブイリでは多くの子供が病気になり、死んで行った。そして、その子供たちが大人になり、結婚して生まれた子供までが病気になっている。原発事故で一番犠牲になるのは子供たちなのだ。そんな事実があるのに、日本は「安全です」「収束しました」「風評被害です」を繰り返すばかりなのだ。

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実際、福島第一原発からはまだ放射能が出ており、

風の強い日には東京まで飛んできている。すでに飛んで来た放射能は東京の各地にたまり、放射線を出し続けている。僕自身が測定したが西新宿は線量の高い場所が多い。そんなところで子供が遊んでいたら被曝することになる。それが原因で病気になっても、「医学的に因果関係は認められない」といわれ保証も何もされない。

福一の収束にはまだ何十年もかかり、構内では何人もが急性白血病で亡くなっている。が、すぐに新聞で「放射能との因果関係はない」と報道される。どこかの首相は「汚染水はコントロールされている」というが、実はだだ漏れ。コントロールされているのは国民の意識のようだ。

実際は何も収束せず、被害はどんどん増えているのだが、

マスコミはそれを次第に報道しなくなってきた。そのために多くの人が「もう大丈夫!」「原発より景気が大事!」と思うようになってきたのだ。しかし、事故の原因も未だに分からず(津波のせいといわれているが、実は地震が一番の原因といわれている)収束もしていないのに、他の原発の再稼動が進んでいる。

事故原因を特定して、その対処をしてから再稼動なら分かるが、原因が分からないのに、事故を起こした原発の建物にも入れないでいるのに再稼動? それは危険ではないか? なぜ、そんなに急ぐのか? 電気が足りないから? いえいえ、原発稼働ゼロの現在も停電どころか、電力会社は節電の呼びかけもしていない。電気は足りているのだ。答えはここまで上げた事実を結ぶと見えて来る。

実は原発というのは、いろんな企業が儲かるのだ。

建設会社、商社、電力会社、テレビ局、出版社、新聞社、日本の大企業に莫大な金が流れる。だから、原発を続けることで、大儲けし続けたいのだ。どこかの政治家がいったが「原発事故で死んだ人はいない。だから続けるべきだ」本当は多くの人が亡くなっているのだが、言い換えれば「多少の人が死んでも、儲かるんだから止められないわ〜」ということ。

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戦後日本は貧しかった。

とにかく金持ちになるために、金儲けをする。という思いで、がんばった。そして経済大国になり、バブルがはじけ、今は経済危機に瀕している。でも、まだまだ金儲けが大事だ!と思い続けている。それが暴走して「多くの人が被害に遭おうとも、儲かることは止められない!」と企業は思っているのだ。そして政府も、それを応援する。

そのためには原発事故は大したことはなかったと思わせたい。

もう収束したことにしたいのだ。危険性あっても、また事故が起きたらとんでもないことになると分かっていても、儲かる仕事を続けたい。それが再稼動なのだ。金、金、金で突進してきた日本は行くところまで行ってしまったということ。次に事故が起きたらこの国は終わるかもしれないのに、まだ金儲けをしたい人たちが多い。

それを推進しているのが、あの党。以前のマニフェストには「脱原発」という文字があったが、今は「重要なロードベース電源」つまり、「推進しまっせー。再稼動やりまんがな!」と詠っている。多くのマスコミもそれに同調。原発はもう大丈夫。という情報を流し、再稼動しやすくなる応援をしているのだ。

いろいろ複雑な構図もあるが、

簡単に、乱暴にいうと、それが原発事故の現状だ。次の選挙であの党が勝てば、国民は「再稼動に賛成!」ということになり、次事故が起きて、多くの犠牲者が出ても、死者が出ても、ふるさとを失う人が何十万人も出ても、もう文句は言えなくなるということ。その金、金、金という意識こそが、すべての背景。つまり、金持ちが貧乏人を踏みつけて、さらに金持ちになるという国になった理由でもあるのだ。2014-12-08(つづく)

 続きはこちら=> http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-11-28





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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ー美しい故郷を残してゆくために、この映画を広めて欲しい [【再掲載】]

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★感想文 01
私の息子達も 昨年東京から放射能を避けて三島へ引っ越してきました。

子供や孫たちに安心安全な場所を渡したい。つくづく思いました。私達も今「渡されたバトン-さよなら原発-」の映画上映に取り組んでいます。たくさんの人に観て欲しい。そして、一緒に考え 歩んでゆく人を と思います。普通の生活を送ることのできる日が続く幸せを!(伊豆の国市 70代)


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★感想文 02
良くできている映画でした。

 原発が憎い がよく伝わってきました。当たり前の幸せは 戦わないと維持できないことだ と思った。福島の人々は 未だに苦しんでいることを忘れず、生活していきたい。 原発反対! (御殿場 60代)

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★感想文 03
改めて原発の恐さを実感します。

放射能汚染が永久に消えない現実を見て 今こそ原発反対運動をしなくては と 安倍首相を始め 政府の考えを変えない限り 日本の未来はない。美しい故郷を残してゆくために この映画を広めて欲しい。観るに堪えない場面が多く 涙々--- (沼津 70代)




 
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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想/家族が2時間だけ一時帰宅をする場面で私は泣き出す [【再掲載】]

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札幌応援団Midori Sudoさんより

映画「朝日のあたる家」札幌シアターキノで見てきました。最終日もほぼ満席でした。私は今日でこの映画を見るのは4回目。一家が2時間だけ一時帰宅をする場面で私は泣き出す。ところが今日はこの場面に来る前に既に激しく泣いている人がいた。

最初の部分で平田家はけっこう愉快な家族として描かれている。次女の舞ちゃんは原発の事を全く知らないし。原発事故が起きてどんどん事態が悪い方に進展しても愉快な家族はそれを守ろうとするが事態は家族をどんどん追い込む。娘達が体調をくずしても平田家のお父さんはストレスのせいだという医者の言葉を信じようとする。

そのお父さんが故郷を捨てられないと言って泣く場面も悲しい。1回目見たときはただ悲しいと思って泣いた。でも回を重ねるごとに悲しいと一緒に悔し泣きでもあると思う。劇中ナレーションをしている長女の茜さんが「私達何も悪いことをしていないのに」という。

こんな風に福島やその周辺で普通の人々を不幸に押しやったのだと思うと悔しいのと怒りで涙が出てきたんだと思う。もしも近くにこの映画が来たらぜひ原発に無関心な人や再稼働してもいいと思っている人を1人つれて見に行って欲しい。

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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想/福島から避難した方からのお便り [【再掲載】]

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感想/福島から避難した方からのお便り

 昨日京都みなみ会館で見た「朝日のあたる家」の感想というか、

 感じたままを連ツイしてみる。

1)「朝日のあたる家」は予想以上でも予想以下でもなかった。たぶんそれは太田監督がこの映画で表現したかったことと私が震災以降に通過した経験や気持ちが同じだからではないかと思う。

2)映画を観る前から自分がバラバラになっていくのを感じた。映画を観る自分と映画を観ている自分を見ている自分、そして震災直後の自分。観ている内にだんだん3つ目の自分が幅をきかせ、最後に二つ目の自分が色々問うた。ていた。福島県人が見るには覚悟のいる映画だよ。

3)「おだやかな日常」を観た時は、正直、鼻で受け流すような部分が大きかった。勝手にやっててちょうだい。福島から比べりゃあさあ~みたいな…。(決してバカにしているわけではないですよ)この映画の舞台が福島そのものでなかったことは一つのポイントだな。

4)当時小6だった娘と高2だった息子のことが頭を過りっぱなし。そしてわが夫が映画の中のお父さんみたいでなくて本当によかったと改めて思った。夫や義父は今もいわきにいるわけだけれど。映画を観たあとメールした。そして今日は義父にも電話した。おだやかな会話。

5)子どもは親(もしくは親の役割を果たす人)でしか守れない。いや、親であっても守れないことさえあるのだ。特に緊急事態には、親の漠然とした愛情だけでは子どもは守れない。親の考え方、知恵、決断、経済力、行動力で子どもの運命が決まる。今は原子力緊急事態宣言発令中だ。

5)夫の弟は高校2年で白血病を発病し、21歳で亡くなった。「乳幼児期にレントゲンを沢山撮るとか放射線をたくさん浴びるようなことがありましたか?」福島県立医大で聞かれたそうだ。36年前のことだ。「何が悪かったんべかね。」義母は亡くなる前までつぶやき続けた。

6)義母の実家は原発から近い警戒区域だった町で、1号機の送電開始時に義弟は10歳。毎年夏休みには遊びに行って遊んだり泳いだりしていたそうだ。震災後、義父は「万一思い当たるとしたらそのことくらいだ。」と話した。

7)そんな家族背景があったから、子ども達だけでも先に避難させるという選択を夫も義父も賛成してくれた。転勤族(福島県内のみだけど)の家であったことも幸いした。

8)次男を亡くすという不幸を経験している義父は「みんな万一なんてことがないと思ってんだろうな。自分の子が自分より先に逝くなんてこと、万一起きたら…。」と。息子夫婦にもそんな悲劇が万が一でも訪れない最善を尽くさせてくれた。

9)「拳銃が重い。自分の子も救えなかったのに。」福島県警の警察官だった義父は次男を亡くし、定年まであと1年足らずで退職したんだと義母から聞いている。

10)「朝日のあたる家」を見て、改めて義父に感謝している。孫溺愛型の義父なんだけれども、自分や先祖のために孫をそばに置いておくという選択ではなく、孫の将来を考えて辛い選択をしてくれた。孫達もそのことはよ~くわかっているから、おじいちゃんにも優しい。

10)「故郷、「その場を離れたくない」は取りも直さず、その場での生活がいかに幸せだったかの証じゃないか。諦めきれないは強欲じゃないか。「朝日のあたる家」のお父さんに語りかけていた。

11)自分や家族の身を守るため、緊急事態に入手できる情報は一際大切だ。福島でも情報の入手先で決断は大きく分かれたと思う。また、遠方からの客観的情報も大切。山本太郎扮する叔父さんのように、心配して情報やアドバイスをくれる人がいるかどうか、そして、それをどう受け止めるか。

12)「直ちに人体、健康に影響はありません。政府は責任回避の余地を残してこう言うんだろう。私は「将来あぶないかもよ。あとで文句言うような人は、今の内に逃げる準備して逃げて下さいよ~」と解釈したんだ。

13)我が家は福島第一原子力発電所から45㎞。自主的避難地域であり、子ども達は3月13日の夜中にいわきを出て14日から姫路で暮らしている。私は幼稚園と病院の託児室の園長という職柄離れられないと考え、いわきに残り1年後に子ども達の元へ。

14)長男のセンター試験の時でさえ、傍にいてやれなかった。あの時くらいは休みを取って姫路へ行けばよかったと悔やんでいる。震災から二週間後、長女の姫路の中学校の入学式に出た時「地震がきた時、責任者がいなくてどうするのですか?」と職員に詰め寄られた記憶が邪魔をした。

15)もちろん園児のことは心配だったけれど、自分がいたからってどうにもならないことが多いんだ。いや、残留活動をしているようにさえ、感じていたんだ。結局は人目を気にしていたに過ぎない。園長の代わりはいても、母親の代わりになれる人はいない。

16)二人だけで避難して1年間過ごした息子や娘のことを考えると今でも胸が痛み、目頭が熱くなる。放射能による健康被害を避けるために、子ども達に精神的被害を負わせてしまうのではないかという心配。なかったわけではないが、この子達なら大丈夫だと思い、まず守るべきは何かを考え、避難、転校させた。

17)「ママ、私がメンタル強い子でよかったね。弱くて登校拒否起こすようだったら、避難させなかった?」「寂しかったと言うより、帰りたかった...。」つい先日の娘の言葉。小学校にランドセルを置いたまま避難して、友達に挨拶もできないまま、姫路の中学校に入学した。

18)志望大学を落ちた時、浪人を勧めたら「もうこれ以上自分の存在場所がはっきりしない生活はいやだ。」と長男は言った。来春は成人式だ。「成人式はいわきで出たいんだ。で、トンボ返りで戻って来て、姫路の高3時のクラス会にも出たい。」姫路の高校に転校し、今は京都の大学に通う長男の言葉。辛い反面、ほっとした。

19)元々兄妹仲が良かったのだけれど、今は私が入っていけないくらい益々仲の良い二人。「だって、戦友だもんな。」兄の言葉。いちごを独り占めすることはないと思う(笑)。

20)先月も夫が姫路に来て、家族4人揃った。「家族が一緒にいる」そんな当たり前そうなことに心底幸せを感じた。

21)「ご主人が一番辛いでしょう。もし、そこで気持ちを共有できないと益々辛い。」震災半年後『百人百話』のインタビューを受けた後の岩上安身さんのことば。この言葉のおかげで、私は気持ちを共有する努力をし始めた。そして、今、もしかしたら、一緒に暮らしていた頃より仲がいいかもしれない。岩上さん、ありがとう。

22)福島県内の転勤族だった義父の関係で夫も県内を転々とし、転校も4回経験したらしい。子ども達にそんな経験をさせたくないと、大手企業からいわきの地元企業に転職した夫。避難転校した子ども達の辛さも私以上にわかっているだろうし、転校させることは無念だったに違いない。

23)私は地球上、どこに住んでもいいじゃない。」と軽く思っていたのだけれど、そうもいかないこと、そうはいかない人がいることを福島で驚くほど味わった。「朝日のあたる家」のお父さんみたいな人が多勢。

19)人間が住めなくなるような場所を人間が作ってはあかんわな。もう福島では作ってしまった。まだ、作るつもりか!?そうそう、あの原発兄ちゃんには、もうちょっと頑張ってほしかったな。

23)終の住処と決めていわきに家を建てたのは2003年。まさか、こんなことで離れるなんてね。悔しいけれど、人あってこその家。

終わりに)まずは子どもを、自分の家族を守ろう。家族が元気で心身寄り添い暮らせる幸せに勝るものはないよ。そのためにもっと社会を知ろう。幸せに生きる権利を守ろう。地球上に住めなくなる場所を作るなんて、とてつもない罪悪だ。取り返しのつかない罪を重ねてはならない。

経済成長ありきで騙されていないか。本当の豊かさ、幸せってなんだろう。それは、誰かの犠牲の上に成り立つものではないはず

一生懸命生きるその懸命さの視線、もう少し後ろに引いて見てみようよ、考えてみようよ。「朝日のあたる家」はそのきっかけになる映画だと思う。





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【これからの時代を生きるために必要なことって何だろう?】 [【再掲載】]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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「世の中甘くない」と訳知り顔でいう大人たちの背景? [【再掲載】]

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 昔からよく「変わり者」だと言われた。が、決して、酒乱だったり、喧嘩して暴れたり、不思議なものを収集していたり「神様はいます」と説教したりはしていない。なのに「太田は変わっている」とよく言われた。

 だから映画監督というような仕事をするようになったのかもしれないが、そのせいで最近は「変わり者」と呼ばれることが少なくなった。映画監督=芸術家と思われるからだ。芸術家はもともと変わっている。岡本太郎さんもかなりユニークだった。ミュージシャンはよく(?)ドラッグで捕まる。高名な小説家は自殺する。普通ではない。と思われるので、映画監督業も変わっていて当然!と理解されるのだろう。

 Facebook問題を考えていて気づいたのだが、子供の頃からあれこれ言われるのが嫌いだった。なぜ、嫌いか? ワガママだから? それもあると思うが、別の理由もあった。例えば大人たちが「今時、大学くらい出るのは当然だ」という。「学生の本分は勉強だ。いい成績を取るのは当然のことだ」といったとする。実際、そんなことをいう大人。親戚、教師はいっぱいいた。

 僕自身の成績が悪いから反発したというのもあるだろう。でも、実は中学時代までは成績はよかった。学年でも30位以内に入ったこともある。高校も進学校だ。なのに、あるときから「こんな勉強をして何になる?」と思えて来た。英語教師なのに英会話ができない。微分積分や集合が将来役に立つのか? 漢文を習って何のプラスがある? そんなことを考え始めたのだ。


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 要は大人たちは絶対的な価値観を感じて「いい大学に行け!」とか「いい成績を取れ!」という。映画の仕事をしたいというと「世の中甘くない!」「もっと現実を見ろ!」「現実逃避だ」と説教する。しかし、そんなことをいう大人たちは誰1人として、映画界で仕事をしたことはなかった。友人が映画の仕事をしているという人もいない。

 つまり、自分の知らないことを偉そうに、上から断じているだけ。知識も経験もなく、一般論を振りかざしているだけなのだ。「俺は難しいと思うよ?」とか「良く知らないが、簡単じゃないぞ?」というのなら分かるが、ほとんどの大人は「世の中甘くないんだ!」「出来る訳がない!」と断言していた。その背景にあるのは、当時の僕より、彼ら彼女らは少しばかり長生きしている大人というだけのことなのだ。

 今考えると、それらの大人たちはせいぜい40代。教師たちは20代というのもいた。今の僕は50代。もし、大人というだけのことで、偉そうに人生を語るのなら、タイムマシーンで当時に戻り、彼らを説教してやろうか?と思ってしまう。それができないのが残念だが。つまり、大人たちは何ら根拠がある訳でもないのに、子供たちに貧しい人生経験で「世の中甘くない」「夢なんて適わない」と忠告していたのである。

 当時から、何か違う....と思いながら反論できなくて、悔しい思いをしていた。今だから、その発言の根拠がないことに気づくのだが、10代ではそこまで分からない。ただ、当時も「本当にそうだろうか?」「この大人が言っていることは正しいのだろうか?」「もっと、別の考え方もあるんじゃないか?」「なのに、なぜ、この人は自分の意見が絶対であるような言い方をするのか?」そんな疑問は感じていた。

 やがて、あれこれ人生について語る大人たち。親戚。教師というのは大きな問題があると思えて来た。この人たちの言いなりになりになっていたら大変なことになる....。似たようなことは誰しも10代の頃に感じたことがあるだろう。感じ方は違っても「うるせーなー!」という思い。その背景にあるのは、単に嫌なことを強要されるからだけではなく、時代の流れに敏感な10代が言葉にはできなくなくても、「何かが違う」と感じるからではないか?


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 それを言葉にしたのが尾崎豊というアーティストだったのだろう。だから、若い世代にもの凄く支持された。それほど若い頃は自分の気持ちをうまく伝えられないし、自分で自分の思いを把握できないことが多い。僕も当時は「何かが違う」と感じていはいたが、大人たちの言葉に明確に反論できないでいた。が、彼らのいうことは毎度同じ。それなら話を聞いても無駄だな?と思えて来た。

 親も、親戚も、教師も、そして訳知り顔の同級生も、あれこれ人の行動について、発言について、そして夢や人生について、あれこれいう人たちのほとんどは、経験もなく、知識もなく、聞きかじったことを鵜呑みにして「絶対的な事実」として断言することを感じた。そんな人たちと話をしても無駄。そう思えて来た。

 高校を卒業後、横浜時代に住み、映画監督を目指す同世代と出会った。皆夢を語ったが、次第にその難しさを痛感。いつしか夢を語ることはなくなり、そのための努力もしなくなり、1人2人と去って行った。この頃になり、僕は気づくのだが、そんな彼らのほとんどは何ら足掻こうともせず、夢を語るだけで、戦おうとはせず、世の中に失望して行っただけだった。そして、こう言い残す。

 「世の中、甘くない...」

 夢見る仲間たちが、あの日の大人にダブった。そして、あの大人たちがなぜ、あんなことを言ったか?その理由が分かった。そう、多くの大人は夢を見るだけで、行動しようとはせず、やがて夢破れて「現実は甘くない」というのではないか? その思いを子供たちに押し付ける。それが、あの日の大人たちではないか? そんなふうに思えて来る....。






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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想「1箇所だけではとても収まらない涙腺緩む数々のシーン!」 [【再掲載】]

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 一般の映画ファンの方のブログ

 「朝日のあたる家」についての感想

 許可を得て、掲載させて頂きます。

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見やすく、分かりやすく、そしてとても泣ける映画です。

「見やすい」というのは主人公が、原発事故に巻き込まれたごく普通の家庭の人だから。
映画は「災害に巻き込まれた人々」という、過去にしばしば描かれてきた、いわばディザスタームービーの形でお話が進みます。

原発を取り上げていても、政治的な主張に走ってはいないので、誰にでも取っつきやすいお話になっています。

「分かりやすい」というのは原発の何が問題で、何が危険かという、意外にテレビや新聞で語られない、そして語りにくい事柄をきちんと伝えているから。映画で語られるエピソードは福島で起きた数々の事象をベースにしているので、リアルなことこの上ありません。

「泣ける」というのはこの作品が「家族」を扱っていることで、タイトルに象徴されるようにホームドラマ(ちょっと過激な)になっているから。1箇所だけではとても収まらない涙腺緩む数々のシーンが、「幸せ」とは何かを語ってくれます。

家族の絆、故郷の絆、原発事故の恐ろしさ…映画はいろんな要素をもちながら、話が1ミリの破綻もなくまとまっています。そしていつもの太田監督の作品通り、キャストがどんぴしゃで、これ以上の役者は考えられない!名演を見せてくれます。

原発事故を取り上げた作品といえば、「希望の国」がありましたが、パフォーミングアートに走ってしまったようで感動もできませんでした。あれに比べるとこの「朝日のあたる家」はちゃんと「映画」になっています。僕は2回見ましたが、1回目より2回目の方が涙腺が緩みっぱなしになりました。

ロスアンゼルスでの上映も好評だったそうですが、世界中の人に見せても共感してもらえると思える内容です。近年の日本映画の「良心」を代表する作品です。


 元はこちら_> http://www.ss.em-net.ne.jp/~bingo/asahi.html






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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」東京上映会に寄せられた感想 [【再掲載】]

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主催者から観客の感想を頂いたので、ご紹介。(その1)

① 改めて福島原発の事故を思い出しました。そこで事実の大切さを学びました。1)政府は信じられない。2)自分で事実を確保(入手)する。3)直感を信じて生きましょう!原発は人類と共存出来ないと改めて思った。 (大田区 S.K)

② 見たいと思っていた映画、やっと見れました。もっと多くの方に見てもらいたいと感じました。   (茨城 反原発を指向する理科教師)

③ 本日は、大変貴重な映像を観せていただきありがとうございました。知らない知らされてない真実を改めて目の当りにして、これからの生活に活かせていきたいと思います。そして原発反対はどの活動にももっと積極的に取り組みたいと思いました。         

④ 命を守る為に総てをすてる。自分にも9才になるむすめがいます。東京ですんでいてよいのか、しんけんに考えます。やりきれない。     (K)

⑤ 日本中の皆にみて欲しい。素晴らしい映画をありがとうございました。そして、原発が安全で必要だと思いこまされ疑いも持たないで40年来てしまった私達。東電はじめ電力会社の人達も観るべき。もうこれ以上の“もっと便利”はいらない。地域の一部としての日本、地域に生きる生物と共存する生き方を真剣に考えました。 (横浜 Akko)

「朝日のあたる家」はこのあと、新潟の長岡アジア映画祭で招待上映、熊本での上映が決定。そして、カナダ、ニュージーランドでの上映も計画されています。上映希望の方はこちらを=>http://www.asahinoataruie.jp/


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太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由 [【再掲載】]

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 映画「朝日のあたる家」

 太田隆文監督インタビュー(LAのジャパン・フィルム・フェスティバル時)

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 Q. 太田監督の思いをこの映画に託していると感じましたが、どうしてこの重いテーマを映画にしたのでしょうか?

僕の映画のテーマは「親子につたえる大切なこと」―今の時代、いろんな問題があり昔のように簡単に答えが見つからない。だから何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。

 興味を持ち、いろいろと調べて行くとマスコミの伝えない過酷な状況、特に子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり死んでいきました。日本ではそこに目を向けずに「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。なぜ、危険性を認めようとしないのか? そこに疑問を持ちました。

Q. 政府や関係者が危険性をひた隠しにしている訳は?


 つづきはこちら=>

 http://josei-bigaku.jp/lifestyle/asahinoataruie35145/ 


 2013-07-27-26

 



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