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僕がFacebookをやめた理由③ 「野菜が足りませんよ」事件? [【再掲載】]

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 前回、説明したのは「Facebook」は「ブログ」より人と人の距離が近いということ。相手の経歴、顔写真(出してない人もいるが)、性別、年齢、職業、趣味、住む町まで分かる。

 コメントした人がどんな人か?分かる。

そして「友達」承認した人しか連絡は来ないので安心。ブログだとコメントをくれても皆、ハンドルネームなので誰だか分からない。よって、無神経な中傷批判も多くなる。Facebookはその辺、信頼性が高く安心。

 だが、長年使っていると問題が見えてくる。

 ブログの場合。悪意ある批判がときどき来るが、相手が何者か?は分からない。反撃できない安全に場所にいて、攻撃してくる。それに対してFacebookは身元が分かるので悪意ある攻撃はし辛い(それでもするヤツはいたけど)のだが、「友達」が2000人を超えたあたりから別の問題が出て来た。最初の事件。僕がランチで食べたものを毎日アップしていたときのこと。

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 「朝日のあたる家」の横浜公開中で、連日、横浜に通う。ランチときはいつも品川駅。そばやハンバーガーばかり食べていた。その写真を見たFacebook「友達」が

 「野菜が足りませんよー」

 とコメントした。僕の健康を気にしてくれているんだなあ。と、嬉しく思う。が、その人は「野菜足りない」コメントを毎日して来る。

 「今日も野菜がないですね?」「明日は野菜を食べましょう」「昨日も野菜不足ですよ〜」

 最初は親切だと思うが、母親ではないのだ。毎日、言われても適わない。おまけに品川駅では野菜サラダが食べれるような店もない。野菜不足を僕が自覚していないなら、何度もコメントすることにも意味があるだろう。だが、それは分かっている。野菜を食べる店まで行く時間がないだけだ。にも関わらず、他の「友達」ー会ったこともない人たち何十人もが同じコメントをするようになる。

 「野菜が足りませんよ!」「野菜は大切です!」「野菜を食べよー」

 これも最初は多くの人が心配してくれているのだと思ったので、野菜サラダを食べたとき、その写真をアップした。ら、こうだ。

 「緑黄色野菜が足りませんね」

 「繊維質の野菜も食べよう」「ドレッシングはかけないで」で、緑黄色野菜の入った、繊維質の野菜が入ったサラダの写真をアップ。すると

 「野菜ばかりでなく、肉も食べよう〜」

 「糖分も大切!」「水分は十分にとってますか?」

 毎日、毎日、10人20人から同様のコメントが1日に何回も届くようになる。


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 中にはおもしろがってコメントしている人もいる。こちらはいい加減うんざり。

 「今後、野菜は足りませんコメントは禁止! 」

 という記事まで書いた。が、コメントをくれる人たちに悪意はなく、批判をしている訳ではない。もともと好意でスタートしているということ。

 「監督、がんばっているなあ。野菜が不足しているなあ。気づいてないのかな? 教えてあげよう」

 そんな気持ちから来ているが、彼ら彼女らは僕が毎日、三食、何を食べているか?は知らない。ランチの写真を見ただけだ。もしかしたら夕飯で野菜を食べているかもしれない。が、そんなことは考えず、「野菜が足りない」とコメントする。

 品川駅で野菜をしっかり食べられる店はないと書いても、「野菜を食べよう!」とコメントする。つまり、1枚の写真を見ただけで、あれこれ口を出す。誰かが言い出すと他の多くも参加してくる。野菜だけでなく、肉も、糖分も、水もと言い出す。連日、そんなことを書きこまれたら、こちらはうんざりする。

 それでなくても神経をすり減らす宣伝活動だ。

 野菜のことをコメントする余裕と労力があるなら、「朝日のあたる家を見よう!」と自身のFacebookに書いてくれる方がよほどありがたい。なのに「野菜を食べよう」と毎日、コメントすることが僕のためになると思い込んでいるのだ。

 つまり、好意のつもりでも、何ら本人のためになってない。むしろ嫌がらせに近くなっている。もっと、応援してほしいことは他にあるのに、プラスにならないことを延々と続ける。それでいて「友達」たちは「監督を応援している!」と思っている。基本はありがたい話だ。しかし、無意味。そして悲しい。


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 この種の問題はブログでは起こりにくい。ブログではふざけたハンドルネームで誹謗中傷コメントをして来ても、遠慮なく削除できる。だが、「野菜食べよう」グループは悪意がない。好意なのだ。その後、騒動が治まり「野菜が足りないコメントは禁止。即、削除します」と定期的に告知するようにした。だが、同じコメントが来た。告知通りに削除。すると、その人から怒りのコメント。

 「心配して注意して上げたのに、なぜ削除するんですか! 

 そもそも、あんな貧しい食事の写真をアップすれば、誰だって心配になるのが当然です!」

 その人は何度も出している「禁止告知」を見ていないようだ。しかし、貧しい食事(ハンバーガー)の写真をアップしたら、何をコメントしてもいいのか? 「心配」という言葉のもとに、会ったこともない人の、食生活について、あれこれいっていいのか? でも、同時に、こうも言う人もいるだろう。

「その人は告知を知らなかったんだから仕方ないだろう?」

「悪気はないんだから、まず、経過を伝えて、次から削除すればいいだろう」

 そのためにどれだけの時間がかかるのか? 宣伝作業は過酷。睡眠時間を削って仕事をしている。だからこそ、野菜をしっかり食べる機会もない。そんなときに、事情を知らない人が好意とは言え、あれこれ指摘してきたことに、時間をかけて丁寧に応える余裕はない。

 といって放置しておくと、また先のように「野菜が足りない」コメントする人が増えて行く。つまり、悪意はなく、好意とはいえ、それが結果として、仕事の邪魔をしている、時間を取ることになってしまう。


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 これがブログならコメントを放置すればいい。承認せねば誰も読めない。が、Facebookのコメントは全て公開される。それを見た他の人もコメントしてくる。何より気軽にコメントできる。ブログだと面倒だが、Facebookなら簡単。

 だから「あ、野菜足りないなあ。ひとこと言って上げよう」とコメントできてしまう。ブログだとその程度でコメントする人は少ない。つまり、その気軽さがおせっかいに繋がる。それが近所の人や会社の同僚ならいいが、会ったこともないFacebook友達に同様のアプローチをする。

 好意、親切=>大きなお世話、嫌がらせ 

 になってしまうことがある。その「友達」たちが「好意」や「親切」でコメントしていることは理解している。それだけに悲しい。同じような理由で、友人でFacebookを辞めたヤツが何人もいる。そして問題なのは「野菜が足りない」コメントだけではない。

 「薬は飲んではいけません」「目薬は危険ですよ」「運動不足ですね」

 「ジムで体を鍛えた方がいいですよ」「うがいは毎日していますか?」「さっさと仕事しろ」

 そんなことをコメントしてくる人が、とても多い。これらも好意なのだが、会ったこともない人たちに言われて嬉しいものではない。これらはまだ丁寧な表現だが、誰だお前は?というのも多い。

 「目薬。俺嫌いなんだよね」「そんな考え方しているようじゃダメだよ」「考え過ぎじゃないの?」

 さらには、記事をしっかり読まずに、当て外れな批判をして来る人。完全に勘違いな反論をして来る人。「監督のために言って上げてんんですよ!」とコメントするが、あんた顔写真も出してないし、年齢も分からない、覆面して意見言ってるのと同じだよ?ということも結構ある。

 そのたびに返答していては時間が取られて仕事に支障を来す。それでなくてもこの4年間。時間がなく、1人で7人分の仕事をし、結局、過労で倒れた。仕事の上でも、誤解や行き違いがあり、そのやり取りに追われているのに、ネット世界での関わりで同じことをせねばならないのは厳しい....。そんなことがFacebookでは、ときどき起こっていた。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2015-12-28-3

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