体調不良の原因は副腎の疲労ではないか? [2022]
FB友達からコメント。体調不良の原因は副腎の疲労ではないか?
体調不良だと記事に書くと、思いつき、思い込み、聞き齧りの「提案」や「療法」を何ら根拠を示さずにコメントしてくる人がとても多い。もし、実践して悪化したらどうする?と言う想像もせずに「***したら?」「**が効くよ」と無神経に提案する人たち。その種は即、削除と告知したばかり。
そんな中、僕の記事をちゃんと読み、症状を理解したと思える方から「これではないか?」との提案を頂いた。動画のアドレスも添付してくれたので、これは真剣に考えてくれたものと、その動画を見てみた。そのサイトで指摘する症状を写真欄に転載した。さて、これに多く当てはまれば副腎に問題がある可能性が高い。
残念ながら、当てはまるのは「慢性的な肩こり」だけ、目眩は続いているのが、この表で指摘するのは「立ちくらみ」であり、当てはまらない。でも、一応、動画を最後まで見て、第二回の「原因解説」も見た。副腎が疲労する原因。一番は糖質の取り過ぎと言う。んーー残念ながらこれも当てはまらない。
僕は甘いものはほとんど食べない。以前も「砂糖を控えるだけでも、随分体質改善しますよ」とコメントして来た人もいるが、砂糖なんて40年以上使っていない。コーヒーはいつもブラック。キッチンに砂糖はない。さらにケーキ、お菓子はほぼ食べない。食べたいと思わない。本当に疲れた時、1年に1〜2回くらいアンパンを食べることはある。
砂糖ではなく糖質で考えても、ご飯は食べない。麺類もさほど好きではない。外食で定食を食べる時も、ご飯少なめ。多くはパン。それも1回に食パン一枚。甘い飲み物。コーラやポカリスエットも飲まない。そう考えると糖質の取りすぎはあり得ない。つまり、副腎疲労ではないだろう。症状も当てはまらず、原因になる食生活もない。
せっかくのご指摘だったが、これは違う。ここから言えること。多分、この方は僕の記事を読み、症状が当てはまると思った。が、しっかりと読めば、「目眩」と「立ちくらみ」が似た症状と言うだけ。記事に「体調不良が続く」とは書くが表にあるように「朝起きられない」「夜眠れない」と言う記述をしたことはない。「でも、これ近いよねー」と思い、コメントくれたのだろう。
この方は興味本意ではないことは分かるが、真剣に記事を読み、考えても、このように「ほとんど当たらない」ーという結果になる。もちろんコメントをくれる人たちは医者ではない、的確な診断をするのは難しい。この方以外は僕の記事をまともに読まずに、あれこれアドバイスすることが多い。的外れになるのは当然であり、いかに無責任であるか?も分かってもらえるだろう。先の「砂糖を控える」も完全な的外れ。
「いや、砂糖がキッチンにないことは分からないし?」と言うかもしれないが、ならコメントするべきではない。そして、いかに無意味か?を知ってほしい。親しい友達なら「お前、砂糖よく使うか?」と聞き「ああ、甘いの好きだから」と答えをもらい、その上で「控えた方が」と言う提案をするのが常識。
親しくもない、会ったこともない、よく知らない人にいきなり「砂糖を控えた方が」は親切ではなく、お節介。言いたいのは「親切」のつもりでも、親切になってないと言うこと。相手にはストレスになるということ。体調不良で苦しんでる僕にとって、見ず知らずの人から「砂糖を控えた方が」と言われても「俺は甘いの嫌いなんだよ!」「お前、誰だよ?」と憤りさえ感じる。全く「親切」になってはいない。
今回、体調不良の話を書いているのは、そんなふうにあなたの「親切」が「嫌がらせ」「ストレス」になっている現実も感じてもらうためだ。本人は親切のつもり。でも、知らない人に、専門家でもない者があれこれ言うことがどういうことなのか?感じてもらいたい!今回コメントをくれた方は、その辺も考えてのことなので感謝している。それでも的外れになる。病状を把握するとはそれほど難しいことなのだ。よろしく
原発事故以来。彼の番組を10年近く見続けてきた。 [マスコミ問題]
低血圧ーその後の展開? [2022]
低血圧ーその後の展開?
このところ減量前と同じ量の食事をしている。体重は少しずつ増えるが、血圧は上がらない。ただ、目眩はかなり減った。先に推理した「血が足りないから血圧が下がり、脳に血が十分に行かず、目眩を起こした」ーそれが正解なので目眩が緩和された?でも、それなら血圧も上がるはず。
もう一つ考えられるのは、血圧の低さに体が慣れて来たので目眩が減った? とも考えられる。また、食事量と血圧も関係ないかもしれない。あれこれ考える。ちなみに、何度もいうが、医療、薬学の知識のない人が聞き齧った療法をコメントして来ないように。似たような経験もないのに「**がいいよ」「***食べよう」とか「今すぐ病院に行って!」も要らない。あなたは僕の健康状態をどこまで把握しているのか?それを知らずになぜ、あれこれ言えるのか?
それは街で喧嘩している人たちに「やれやれ!」と野次を飛ばす人たちと同じ。責任を負わず、無神経な声援を送っているだけ。それを親切とは言わない。そんな勘違いはイラつかされるだけであり、ストレスになる。それを理解した上でコメントしてほしい。無神経なものは即、削除する。他人にもの言う時はそれなりの覚悟でしてほしい。
キャスターは真実を語らない=そこに期待する悲しさ? [マスコミ問題]
キャスターは真実を語れない=そこに期待する悲しさ?
玉川さんを応援するコメントをここ数日、やたらに見る。思い出すこと。原発報道の頃。テレビ朝日は頑張っていた。古舘さんの「報道ステ」と「モーニングショー」は爆進。特に玉川さんは凄く。「よし!行けー。そうだ。玉川!」と言いたくなる場面が多々あった。
だが、安倍政権に入り、官邸からテレビ朝日にクレーム電話が入るようになり、やがて寿司&天ぷら作戦が功を成したのか?局のトップが官邸と仲良しに!安倍友の監査員が送り込まれてからは、NHKと並ぶ大本営発表局へと変貌する。
コメンテーターだった古賀さんの降板も、安倍政権の圧力。古舘はあれこれ言わせてもらえなくなり、降板を決意。局がクビにしたのではなく、辞めるように仕向けたという。その後はもう「報ステ」ではなく「誘導ステ」になったのは、ご存じの通り。
「モー」も政権批判はなくなり、無難なワイドショーに成った。そこにトランプ事件。日本のテレビ局を上げて彼を攻撃した。「モーニングショー」も同様。ただ、見ていると玉川さんだけは直接的な批判をしていない(僕が見ていた限りでは)もしかしたら鋭い彼は気付いていたのではないか?
当時のコメンテーター青木さん。彼のトランプ批判も見ていて辛かった。イヤイヤのコメント。まじめな人なので思ってないことを言うのが苦手なのだろう。多分Dに言われての発言。情報番組は自分の意見ではなく、局の意見を代弁するのがコメンテーターの仕事である。その後、青木さんは降板。意に反することを言うのに疲れたのではないか?
トランプ批判をしなかった玉川さんも、消費税問題についてはこう発言した。「福祉のために必要なので、下げることはできない」財務省から言われたようなセリフ。まさか、玉川さんがそれを信じているとは思えない。が、テレビが絶対に言ってはいけないこと。言えるのはれいわ新選組と共産党だけだ。みな、財務省が怖いので本当のことを言えない。
その後「モーニングショー」はトランプのプライベート叩きを続けた。が、バイデンのプライベートには触れない。ハンター・バイデンの「ハ」の字も出さない。さらに567の恐怖を連日、煽る。近年「朝日」グループの劣化が言われる。テレビだけでなく新聞も酷い。戦時中に大本営発表を垂れ流したのが朝日新聞。今、また同じことをしている。その頃から「モー」は見なくなった。
玉川さんは頭脳明晰で鋭い指摘をする。それを局側は抑えにかかった。おまけに彼は社員。言ってはいけないことは把握している。だから原発事故以降はどんどん言えなくなり、番組自体も見る価値を失った。今回、騒がれているのも重大な問題を指摘したからではない。言ってはいけないことを言った訳ではない。
電通からの圧力でもないらしい。局側が忖度し玉川さんを謹慎させただけ。視聴者も菅のスピーチは、誰かが書いたであろうことは想像している。玉川さんが大暴露をした訳ではない。また、ゴーストライターが電通でも別の人でも大きな問題はない。つまり、その程度のことで人気コメンテーターを休ませるほどテレビ朝日のいう会社は、電通に頭が上がらないと言うこと。
玉川さんにしても古賀さんの事件があったし、事実を発言すると2度とテレビに出れないことは承知している。そう考えると彼が続投しようが、降板しようが大きな問題ではない。ただ「玉川さんは凄い発言をする」と思っているファンが番組を見なくなるだけ。
玉川さんだけではない。金平さんも、小川さんも熱い思いがあるだろう。が、決して本当のことは言わない。金平さんも伊藤詩織さんの会見で質問までしながら、自分の番組では扱わない。小川さんは投票日前に山本太郎を直接インタビューしたが、開票後数日しないと放送しなかった。それは彼、彼女の問題ではなく局側が報道させないのだ。そんな風に鋭い意見をいってるように見えるキャスター、コメンテーターたちも、局にいる限り本当に大切なこと、真実を発信することはできない。
そして、彼ら彼女らにも家族がいる。局を辞めれば収入がなくなる。その収入は莫大なもの。それを投げ出し、家族を困らせてまで真実を伝えようとは思わない。今いる場所からできることをしているだけ。しかし、それでは本当に大切なことは伝えられない。そして私たちは彼らを批判できない。FBでも、Twitterでも名前も顔も隠して政治家を批判している。その発言で今の仕事をなくしてもいいと言う覚悟もない。
その意味でキャスターたちは全国に顔を晒して発言している。ただ、だからこそ真実を伝えられない。その意味で玉川さんが降板しても、しなくてもあまり変わらない。ファンの不満が局に寄せられるだけ。そんなことで大騒ぎしている記事やコメントを読み、困惑するばかり。本当にことを伝えたえる人はテレビには出られない。すぐに降ろされる。大切なことはテレビ以外で探そう。
あの沖縄戦の映画ーなぜ、戦争推進者を県民を救った英雄として描いたのか? [「島守の塔」疑惑]
沖縄戦を描いた「島守の塔」ー戦争推進者を英雄として描いた映画。
なんと沖縄ではロングラン中。「これはフィクション!」と宣伝では言ってない。多くが「こんな素晴らしい人がいたんだ」と感動。これでは「永遠のゼロ」等の歴史修正映画だ。が、この映画はそれが意図ではない。別の悲しい理由があったのだ。以下でなぜ、歴史改竄した映画を作ったか?検証。
①あの映画はなぜ、実在の人物を美化して沖縄戦を描いたのか?
https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-09-02
②「戦争推進の知事」を脚色して「住民を救った偉人」に?まさに沖縄戦を再現。
https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-09-14
③映画監督の葛藤=地元の願いを無視? しかし、嘘で美化しないとこの映画は作れなかった?
https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-09-19-1
④島守の塔」やはり罪は重い。フィクションを事実の映画化と勘違いさせる宣伝。だが、監督は事実を描いてないことを認識?https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-09-20
⑤劇映画を実名で描く難しさ=「島守」「F50」「Minamata」自身への戒めも!https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-09-20-1
映画「島守の塔」=「戦争推進の知事」を脚色して「住民を救った偉人」に?(再掲載) [映画感想]
映画「島守の塔」=「戦争推進の知事」を脚色して「住民を救った偉人」に?(再掲載)
10万人を超える命を住民を救った「偉人」ーと、この映画は描く。まるで日本のシンドラーのような作品だが、かなり現実とは違う。フィクションを加えて映画を作る。劇映画では特別なことではない。が、この作品の場合。沖縄側の立場を考えるべきではなかったか? 主人公となる島田叡知事(演じるは萩原聖人)、荒井警察部長(演じるは村上淳)。本当はどんな人だったのか?
沖縄戦研究の第一人者が地元紙で解説している。=この映画のテーマとなる部分。核となるのは島田と荒井が「どんなことがあっても県民を守り抜くぞ!」と誓い合う場面。そこから彼らは住民を救うための努力と葛藤が続く=が、これは事実ではない。むしろ反対の行動をしていることが分かるという。
実際はこう「島田と荒井の住民保護は老人、婦女子に限られており青少年らが疎開を行おうとすれば、戦線離脱であり厳重取り締まりを要するーと警告を発している。また、疎開地では避難民を米軍に投降させないために。塩谷警察署を新たに設置、避難民の戦意高揚と彼らの監視強化を計った」
これは明らかに国の指示に忠実に従っただけ。県民を守るというより。管理し、国に従わせるという行為。偉人の行為とは思えない。専門家はこう結論づける「2人の本質は国体を守ることを前提とした住民保護だった」
映画の中で島田と荒井が雨の中、自ら住民を誘導する場面がある。2人の熱い思いが伝わる。だが、その記録はない。映画の創作。そのことで彼らは体を張って県民を守ろうとしたという思いが観客に印象付けられる。実際にはしていない感動的な行動の創作、彼らを偉人にするための手法である。
また、32軍の沖縄を捨て石にするという作戦。島田たちは知らなかったという場面もあるが、専門家はそれも疑問視。立場的に知らない訳がない。だが、知らないということにしなければ「住民を守る!」という思い、映画のテーマが成り立たない。本当に島田たちが「県民を救う」という強い思いがあれば、国や軍と正面衝突。左遷されるだろう。
そうはなってない。彼らは国の指示に従い行動していたから。だが、それでは物語が成り立たない。そこで映画では知らなかったことにした。「偉人にするための巧妙な脚色がある」と専門家は指摘している。
他にも、島田知事は少年兵である鉄血勤皇隊を作り、軍に協力させる案にゴーサインを出している。そのことで多くの少年兵が戦闘に巻き込まれ犠牲となっている。
映画では「住民を守り抜く」と誓った知事が少年たちを死に追い遣っている。そちらが事実だが、一切映画では描かれていない。これはフィクション!と謳えばまだ許される。が、この映画。全てが事実であるように宣伝。パンフ、チラシにも一切フィクションであるとは書いていない。