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「監督は優しい人だから、きっと上映時間も教えてくれる」と勝手に思い込むある女性?! [映画業界物語]

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「監督は優しい人だから、きっと上映時間も教えてくれる」と勝手に思い込むある女性?!

仕事柄いろんな会に呼ばれる。お世話になっている人たちの会もある。そんな時、業界の先輩なり、別業界の友人が連れて来たカタギの人。そんな人たちと名刺交換。後日、メールでお礼をくれたりする。業界関係の人であれば、あまり問題は起きないが、カタギの方の時はトラブルになることがある。

というのはFacebookと同じで、あれこれ質問をしてくる。まあ、先方にとっては僕のようなものでも、「映画監督と知り合えた。いろいろ話を聞きたい。女優の裏話を知りたい!」と思いがち。それをメールで聞いてくることがある。Facebook友達の場合。会ったこともない人たち一線を引く。が、この場合は一度お会いしているし、友人や先輩の知り合い、女性であれば彼女である可能性もある。あまり無茶な対応もできない。

「その後、映画準備は進んでいますか? 俳優はもう決まりましたか?」

そんなこと関係者でもないのに何で説明せにゃならん!と思う。僕のブログを読め!とか思う。そのために克明に進展を毎回、記録している。その話も会った時にしているのに、聞いてくる。これはちゃんと「あれからシナリオ直しをしています」とか一度しか会ったことない人に返事するべきなのか? 先輩が連れて来たカタギの若い女性がいた。超多忙な時にこんなメール。

「明日、監督の映画を見ようと思ってますが、新宿でもやってますか?上映は何時からですか?」

そんなことはネットで調べられるだろ? こちら猫の手も借りたいほど忙しいのに、そんなことを聞いてくるか? 先輩の彼女かも?と思ったが、そう素直に返事してした。流石にショックだったのか、それ以降メールは来なくなった。あとで聞くと

「監督は優しい人だから、きっと上映時間も優しく教えてくれると思ったのに...酷い...」

と先輩に不満を訴えていたらしい。が、そもそも僕はGoogleではない。おまけに上映中は宣伝で多忙。あれこれ関係者への連絡で追われている。自分でできることを、わざわざ聞いてくる神経が分からない。と本音を書き、映画監督は傲慢であり「親切でいい人ではない」ことを伝えたい。


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困ったちゃんとは仕事をしない=大切なのは素晴らしい作品を作ること [映画業界物語]

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困ったちゃんとは仕事をしない=大切なのは素晴らしい作品を作ること

困ったちゃん。とは仕事をしたくない。と言っても「困ったちゃん」=嫌い。ではない。まず政治家で説明しよう。「この議員さん。好き」「あの大臣。嫌い」と言う人がいるが、意味が分からない。

政治家が好みの顔である必要はない。2枚目や美女である必要はない。それより仕事する能力が高いか?誤魔化しがないか?国民のためになる仕事をしてくれるか?が評価のしどころ。だから、有能か?無能か?で判断したい。映画スタッフも同じだ。

真面目に仕事をするか? 腕はいいか? 文句ばかり言わないか? ギャラに応じて真剣度を変えないか? 誤魔化しはないか? 嘘はつかないか? 隠し事をしないか? 大声で怒鳴らないか? そんなところを見る。僕の主張の全てにYESと言わなくていい。ただ、それなら自分なりのアイディアを出してもらう。よければ採用する。ダメなら却下。決定したら従ってもらう。監督は僕だ。

それらができれば、大酒飲みで記憶をなくす奴でもいい。宗教に傾倒していてもいい(他人を勧誘せねばね!)女好きでもいい(女優にチョかいださねばね!)風俗大好きでもいい。しっかり仕事をしてくれればOKだ。監督が1人でいくら頑張ってもダメ。優秀なスタッフがいなければ素敵な作品はできない。

しかし、先に挙げたように金に執着する。ギャラが安いと手を抜く、やる気をなくす。文句を言う。腕が良くても、そんなスタッフはダメ。周りにも影響する。先輩が手を抜くと、後輩が真剣にやりにくい。1人があれこれ文句を言うと、他のスタッフも文句を言い出す。文句を言ってギャラが上がるのならいいが、最初から出せる限りの額を出している。無理なら最初から参加しないでいい。

そんな風に困ったちゃんを入れると、他のスタッフの士気も下がり、仕事がやりづらくなる。不満を抱えると誰かに当たる。若いスタッフが目の敵にされる。やる気をなくす。現場の空気が悪くなる。何もいいことはない。

悪意がなくても、そのようなタイプは「小池する」いや「排除する」。「仲間だろ?許してやれよ」と言われるかもしれないが、映画製作は「仲良しクラブ」ではない。手抜きを見て見ぬ振りをすることではない。そもそも、そんな輩は「仲間」とは言えない。やる気のある者を入れないと素晴らしい作品はできない。

会社ではそうは行かないかもしれない。嫌な奴でも、困ったちゃんでも、チームであれば、一緒にやるしかない。でも、映画スタッフは違う。現場は学校ではない。困ったちゃんを更生させる場所ではない。大切なことは「素晴らしい作品」を作ること。それがチームであり、映画製作なのだ。

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脚本の仕事をしていると、人の言葉が気になる=人の本心が見えてくることがある? [映画業界物語]


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脚本の仕事をしていると、人の言葉が気になる=人の本心が見えてくることがある?

映画監督。脚本は脚本家に頼んで書いてもらうのが基本。でも、自身で書いてしまう人もいる。僕の場合がまさにそれ。誰とも共作しない。誰かに書いてもらったこともない。原作もない。全てオリジナルでシナリオを作る。

男性だけでなく、女性のセリフも自分で書く。若い人のセリフ。お年寄りのセリフ。だから、電車に乗るとそれらの人たちがどんな言い回しで、どんな風に、何を語るか? 注意して聞いてしまう。学生たちが話していると、近い席に座り、会話を聞く。女子高生のグループにそれをすると痴漢と間違われるので注意。

日頃からそんなことをしているので「言葉」が凄く気になる。そもそも言葉というのは「背景」がある。その言葉の背景を探ると、真意が見えてくる。例えば喫茶店で若いカップルが注文する。女性が「コーヒーがいいわ」というのと、「コーヒーでいいわ」というのはどう違うだろう?「が」と「で」の違いだが、これがずいぶん違う。

「コーヒーがいいわ」というのは、いろんな飲み物の中で「コーヒーが飲みたい」という意味だ。が、「コーヒーでいいわ」というのは、いろいろ解釈できる。「大したことない店だから、どの飲み物も大したことないはず。だから、無難なコーヒーでいいわ」という意味にも取れる。あるいは「彼氏は金ないから、高いもの頼んでも困らせるだけ。あとで愚痴聞くのも嫌だから、コーヒーでいいわ」という場合もあるだろう。

「が」と「で」だけで、その言葉を発した人の心理があれこれ想像できる。「直ちに健康被害はありません」という有名な言葉がある。あれも聞いたときは「放射能は出ていないのだ、健康被害が出る状態ではないんだ。あーよかった」と思えたが、よく考えると「直ちに」が付いている。つまり、「今は大丈夫だけど、あとは分からないよ」「あとで健康被害は出るかもしれないけど、今すぐに被害は出ないよ」と言っているだけなのだ。

言葉を巧み使い嘘は言っていないが、誤解を招き安心させるような言葉使い。そんな言い回しをする人は信頼しづらい。この枝野発言は有名だし、すでに多くの人が本当の意味に気づいている。が、脚本業をやっていると、言葉の裏側がとても気になる。杉下右京ではないが、細かいところが木になるのが私の悪い癖。ということが多い。

昔は友達に「お前、細かいんだよ」「どっちでもいいだろう!」「言葉のあやということもあるだろう」と言われたりしたが、言葉には無意識に本心が出るもの。「あれ?この人、言ってること変だな」とか思う。友人は「そうか? 別に普通の人だと思うけど」というが、大きなトラブルを起こしたりすることがある。そんな経験は多い。やはり言葉に本心が出てしまうのだ。また、そんな話を書かせてもらう。



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俳優とはプライベートで会わない。連絡も取らない=全ては最高の作品を作るため? [映画業界物語]

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俳優とはプライベートで会わない。連絡も取らない=全ては最高の作品を作るため?

よく聞かれること「女優さんと飲みに行ったりすることあるんですか?」ー答え。「ない!」映画監督というと、女優にモテて、一緒に飲みに行ったり、あれこれおしゃべりしたりするのかな〜。いいな〜。と想像するのだろう。

もちろん。そんな監督もいる。女優の卵には「監督が飲み会をする」と聞けば馳せ参じる人もいる。監督のお眼鏡に叶えば映画出演ということもあるからだ。あるいは親しい女優さんと飲みに行って次回作の打ち合わせをしたり......と想像するのだろうが、僕はしない!女優だけではない。俳優とは基本、連絡も取らない。

だから、ダイレクトに連絡が取れるFacebookでは基本、俳優からの「友達申請」は承認しないことにしている。俳優とは知らなかった。あるいはかなり以前に「友達」になっている人は別にして、俳優とは距離を置く。すでに「友達」でも仕事についての問い合わせには答えない。

連絡を取り合える環境にいると、俳優は「監督。次の作品にもぜひ、よろしく。。。と挨拶をせねば!」と思ってしまう。あるいは「次の作品に役ないですか?」と聞きたくなる。また、監督も「**さん。次の作品に出てほしいなあ。最近人気だしな」と人気目当てにオファーしたい。事務所を通すと「スケジュールがない」と言われるかも?「だから本人に!」と考えてしまうかもしれない。

しがらみは映画をダメにする。親しいから出演させる。友達だから依頼する。それは「仲良しクラブ」だ。毎回、出演してもらっている俳優でも、次の作品は依頼しないこともある。その人に相応しい役がなければ頼まない。無理に出すのはいけない。親しいと「なんで、次は俺の役ないの?」と言われる。こちらも気遣って「すみません。次は依頼しませんが、プライベートではよろしく」というのも変だ。

また、プライベートで揉めたことでしこりが残り、現場に響くのも良くない。だから、俳優とは個人的に付き合わないし、交流を持たない。その人が必要な時だけ事務所を通して依頼する。現場で撮影。終われば、打ち上げで一緒に酒は飲むが、そのあとは会わない。次に会うのは撮影現場だ。もちろん、舞台やライブであれば、楽屋に挨拶に行く。が、そこで終わり。

全ては俳優たちに素敵な芝居をしてもらうため。そして妥協したり、忖度したりして欲しくないから。「監督と仲良くしておくと仕事もらえる」とか、僕も「仲良くしておくと、また出てもらえるかも?」と考えたくない。真剣勝負したい。だから、プライベートでは会わない。連絡もしない。連絡先も聞かない。全ては最高の作品を作るためだ。


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映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか? [映画業界物語]

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映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか?

映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか?

黒澤組、木下組、深作組と監督の名前で組(チーム)が呼ばれるように、僕のチームは太田組と呼ばれる。今は素晴らしいスタッフ、キャストが集まっており、予算以上のクオリティ高い作品を毎回作ることができている。監督1人の力ではない。スタッフ、キャストのおかげである。

だが、映画を作ると必ず良からぬ輩が寄って来て、入り込もうとする。当初は「僕のような監督のために、応援したい!参加したい!と言ってくれるのはありがたい!」と一般の人も受け入れていた。が、中には映画に関わることで利益を得ようとする者。有名俳優に近づきたいだけの人。工作員のような輩も出て来た。その辺は見つけ次第「小池!」ではなく「排除」する。

逆に悪意はない。むしろ好意的。見返りは求めない。あれこれ応援してくれる。ありがたい存在もいる。だが、その手の人も問題が出て来た。映画についてよく知らないのに、次第にあれこれ意見するようになる。いつしか気分はベテランスタッフ!?採用しないと「だったら、勝手にしろ!親切で言ってんだ」と言い出し、アンチになってしまう。

あちこちで批判を始める。というより悪口を言っているだけ。注意すると「あれは苦言だ」と言う。だったら直接本人に言え。なぜツイッターで発信必要がある? 彼らは映画に対して監督に対して独自のイメージを作り上げ、それから外れると「裏切られた!」「許せない!」「騙された!」と憤慨、批判する。

映画製作を知らない一般の人が、ハマりやすいところ。悪意はない。むしろ純粋で、まっすぐな人たち。でも、熱く、思い込みも強い。「こうだ!」と思ったら突き進んでしまう。別の世界の価値観を持ち込んで「違う」と言ったりする。こんな人もいた。「この映画のテーマ。おかしいですよ」と言う。彼が言うのは「俺ならこう言うテーマにします」ということ。「監督は優しい人だから、俺のアイデアを受け入れてくれるはず」と思った。

が、それは出来ない。何年も考え抜いたテーマ。思いつきで言わて変えることは出来ない。「監督はいい人だと思ったのに失望した! 俺のテーマの方がいいのに!」と以降、批判して回るようになった。ただ、彼にも悪意はない。むしろ勘違いさせてしまった僕に、責任がある。監督は「いい人」でいてはいけない。勘違いさせてしまってはいけない。ある時期から一線を引くことにした。

映画の世界は一般の世界と価値観が違う。分かりやすく言うと映画作りは民主主義ではなく独裁政治。1人のクリエーターの思いをプロフェッショナルが形にする世界。それを知らない人たちは「身勝手だ!」「みんなの意見を聞け!」「多数決で決めよう!」「会議を公開しろ」と言い出すことがある。それでアートはできない。そこが分からない人には、悲しいが外れてもらうしかない。

ここしばらくバッシングされているあの人。同じ構図ではないか? それぞれが、それぞれの価値観を掲げて「違う!」「変わった」「それではダメだ」と批判している。悪意はないのに愛しさ余って憎さ百倍。その「怒り」を「苦言」と称している人がいるのも同じ。先に上げた「利用しようとする人たち」と同様の存在も多数、見え隠れ。余計に混乱。さらに「この期に彼を潰そう!」と企む団体の思いも交差....多くが踊らされている。そんなことを感じてしまう。

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映画監督の多くは変人だ。一般常識があってはできない仕事。 [映画業界物語]

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映画監督の多くは変人だ。一般常識があってはできない仕事。

「映画監督」と言うと「凄い人」と勘違いする人もいる。もちろん「芸術家」と呼べる「凄い人」もいるが、そうでない「単なる変人」も多い。いずれにしても「世捨て人」「非常識な人」であり、世間に縛られないが、まともな人生を歩めない人たちだ。

だからこそ映画を作れる。安定した生活を求めず「この作品を作るぞ!」と金が十分になくても挑む。名誉や金ではなく、作品作りに命を賭けようとする。観客の心を打つ作品ができる。時には人の人生を変えるような作品も作る。もちろん、金や名誉が大好きな人たちも中にはいる。しがらみや圧力に弱い人もいる。与えられた仕事をこなすだけのサラリーマン監督もいる。が、それらに囚われる人が作る作品は、観客の心に届かないことが多い。いずれにしても映画監督というのはまともでない人たちだ。

僕もそんな1人。50代になっても結婚せず(できず?)、家庭も持たず、生活は安定せず、知名度も低く、厳しい生活を送っているのに、毎回、命がけで映画を撮っている。大手企業が関わらないものが多い。テレビ放映されることもない。中には「二度と商業映画が撮れない」と言われた原発題材の映画まである。それを「勇気ある監督」と評した人もいるが、世間的には「非常識でバカな奴」である。

そんなバカな奴なのに、時々「常識がない!」「おかしい!」「間違っている!」と批判する人がいる。ネトウヨとか、原発推進派なら分かるが、一般の人。それもまともな人。常識がある。「非常識な映画監督」に「常識がない」と批判して何になるのか?と思うのだが、真面目に怒っている人もいる。背景を考えた。どうも、彼ら彼女らは映画監督が良識あるまもとな人と思っているようだ。

「あんな感動する映画を作るのだから、素晴らしい人に違いない」「あれだけ泣ける作品なのだから、博学で世間を知っている人だ」「良識ある頭のいい人に違いない」と誤解する? 「素晴らしい人」と思っていたのにブログを読むと「極端なことをいう」「暴言が多い」「世間と逆行した意見だ」だから「おかしい!」「間違っている!」といいたくなるようだ。

でも、もともと常識がない。世間に縛られない。だから、感動的な映画が作れる。良識があり、空気を読み、波風立てないような奴には映画を作れない。池上彰が面白い映画を作れるか? どこにも差し障りのない発言しかしない奴に、企業や政府が困らないコメントしかしない奴が感動作を作れるか? 極端で空気を読まないからこそ、心を打つ映画が撮れるのだ。

世の中からはみ出しているから出来る仕事。そんな映画監督に「あんたはみ出してるよ!」という。言い換えれば「映画は面白いもの常識を破ったものを作って欲しい。でも、発言や意見は常識的なものにして欲しい」というのと同じ? 映画監督だけでなく、俳優でも、芸人でも、作家でも、芸術家でも、非常識だから出来る仕事。その人たちに「常識がない!」と批判して何になるのか? 時々、そんなことを考える。


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黒澤明を目指した若者たち=100点満点を求めると自分の首を締める? [映画業界物語]

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黒澤明を目指した若者たち=100点満点を求めると自分の首を締める?

「世界のクロサワ」と呼ばれる黒澤明監督は「完璧主義者」として知られている。撮影で家が邪魔だと言って取り壊したり、俳優に日頃から着物を着せて生活させたり、スタジオ内の酸素がなくなるほど強力なライトを使ったり、都市伝説とも言えるエピソードが多い。

そんな黒澤監督に憧れた若者たちは、映画は「完璧主義」でなければいけない!と思い込んだ。が、10万円程度の製作費で作る学生映画で「完璧」などできるはずがない。妥協の連続でないと完成するできない。

僕が8ミリ映画を作った時もそれを痛感。50人のエキストラを集めたいが、来てくれたのは5人。それでは迫力は出ない。が、ギャラも払えない。飯も出せない。交通費もなしで1日付き合ってくれる友人は5人でもやっと....。スタッフである友人たち。映画学校の生徒の彼らはいう。「あーまた妥協した!」映画監督を目指す彼らはこういう。

「映画を作る以上、いい加減なものはできない。真剣にやる。10万円では俺のイメージを映像化できない。最低でも10億かかる。何より俺はプロを目指す。8ミリ映画なんて子供の遊びだ。16ミリでもダメだ。やはり35ミリか70ミリでないと! 俺は完璧主義だからな....」

てなことを言って学生映画を撮ろうとしなかった。そんな輩は多い。「戦前の中国を舞台にした超大作を作る!」とか「1950年代のアメリカを再現した暗黒街ものをやりたい」と大きな話をする。「俺は妥協しない。それなりの製作費が出ないとやるつもりはない」すでに気分は「クロサワ」だ。だが、黒澤だって最初から100点だった訳ではないのだが....

気づくことがある。まず、彼らは映画学校の学生。そんな連中に10億もの製作費を誰が出すというのか? 何の実績もない、学校の実習さえやったことがない若者に、映画会社が製作費を出さないことはすぐに分かる。次に、奇跡が起こり10億円が出ても、映画スタッフ経験もない。現場も知らない。演出をしたことのない若者に素晴らしい映画......いや、完成させることができるのか?

なのに彼らは「10億出せば撮ってやるよ。俺はできるんだよ!」と言い切る。例の「認めたくない。若さゆえの過ちを...」というやつ。経験がないからこそ言えることだ。この手のタイプは俳優の卵にも多い。演劇学校等で教えていても、真面目にレッスンをしない若者がいる。明らかに手抜き。注意すると「映画で役をくれたら、凄い芝居を見せますよ。ただ、俺は主役しかしませんけどね!」と言っていた。勘違いもここまで来ると凄いが、そんな若者は意外にいる。

先の学生たちも同じ。まず「俺は才能あるんだよ」「10億あれば凄いの作ってやるよ」という何の根拠もない自信。「飛行機事故にあっても俺は死なない」「コロナに私は感染しない」という思い込みと同じもの。多くの若者はそう思いがち。自分は特別。だから彼らは10万円の学生映画を作らない。「俺は完璧主義だから、そんな額ではやらねえんだよ」という。

ただ、これらの若者は結局、何もしないまま消えて行く。当然、映画会社からの依頼もなく、彼らからアプローチしない。「依頼があればやってやるよ」というばかり。高いプライド。「俺は第二のクロサワだ。完璧主義だ。妥協はしない。だから、学生映画はしない」「100点取らなきゃ意味がない」と思っている。結果、自分を高いところに置き縛ってしまう。俺は凄いんだから(本人が思うだけ)いずれ大手が認める。でも、何もしないから認められない。

やがて学生映画を作った友人が賞を取る。「あんなものを作ってるようじゃダメなんだよ」友人がプロデビューする。「どうせダメになるよ」別の友人がデビューする。でも、誰も自分を認めてくれない。その段で10万円の学生映画を始めるのはもう恥ずかしい。そうやって友人たちを否定するばかりで、何もせず。就職せねばならない年齢になる。僕の世代の映画監督志望たちのよくあるパターンだ。

最初から100点を求めた若者たち。「最初は30点でいいじゃん?」とは思わない。30点取るだけでも大変なことを知らないからだ。その繰り返しで得点を挙げて行く。なのに努力をしたことのない者は他人の点数を平気で踏みつける。似たような人たちを最近見た。

「現総理はダメだ。でも、石破もダメだ。野党もダメだ。だから俺は投票しない」100点取れる政治家がいないという意味だが、その結果、あの人を応援していることに気づいていない。30点の政治家でもいい。マイナス100点の現職よりずっといい。でも、100点取れる人を求める。映画も政治も1回勝負ではない。最初は30点、次に40点と進めばいい。だが、最初から100点を目指す人がいる。結果、どちらも自分の首を絞めているだけだということに気づかない。



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映画主人公のモデルになった人。シナリオを読んで大激怒!その理由が残念すぎる? [映画業界物語]

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映画主人公のモデルになった人。シナリオを読んで大激怒!その理由が残念すぎる?

かなり前だが、友人の監督が平和活動をしているある中年男性をモデルにシナリオを書くことになった。取材すると「僕がモデルなんて嬉しい話です。でも、まあ、自由に書いてください。協力できることは何でもしますから!」と笑顔で言ってくれた。友人はある程度書けたところで、その人に見せたいと言うので止めた。まず、シナリオを途中で見せるのは危険。最後まで書いてない段階で見せると誤解を生むことが多い。

結末まで読めば納得する物語でも、途中だと「***がいらないんじゃない?」伏線なのに「ここよく分からない」と言う印象を持つ人が多い。分かりやすく言うとカレーライスを作る途中で、野菜を煮込み、ルーを入れる前に試食させるようなもの。「これカレーらしくないね」と多くの人は言うだろう。ルーも肉も入っていないから当然。シナリオも同様の反応になりがち。

おまけにモデルの人は一般の人。シナリオを読んだことがない。小説のつもりで読むかもしれない。登場人物の説明が足りず、分かりずらいとかいうかも? でも、それがシナリオ。小説ではない。僕も学生時代は「いろんな人の意見を聞くことは大事」とシナリオを複数の友人に見せたが、彼らは物語をイメージできなかった。当然シナリオを読んだことはない。なのにあれこれ意見を言う。青春ものなのにアクションシーンが欲しいとか、CIAが絡むと面白くなるとか、自分の趣味を語るばかり。全く参考にならなかった。

シナリオを読んだことのない人に、完成していないシナリオを読ませるのは特に危険。それもモデルとなる人。だが、友人は「とてもいい人で、自由に書いていいと言ってるので大丈夫だよ」と見せてしまった。不安は的中。こんなことを言われた。「この場所で私はこんなことを言っていません。誤解されるので正確に書いてください」「部屋の描写もおかしい。私の家に当時ビデオデッキはなかった」

それらは脚色された部分。映画というのはモデルがいても全て事実通りに描くことはしない。それでは見ている人が混乱する。物事を整理して、集約して、セリフも分かりやすくする。モデルはあくまでもモデル。名前も設定も変えて描くのが通常だ。にも関わらず、その男性は「これは事実ではない」「これは違う」「私はこんなことしていない」とか本筋とは関係ない部分を指摘した。

「これでは活動する仲間から誤解される。ちゃんと正確に書いて欲しい。でないとモデルになるのは辞める」とまで言われた。友人の書いたシナリオは決して彼を悪く描いてはいない。モデルがいるがフィクションの物語。なのに全てを事実で描けと言う。映画作り、シナリオ作りではありえない。

これが彼の自伝なら分かる。が、あくまでもフィクションでありモデル。そこが理解できていない。ただ、問題は友人の方が大きい。シナリオを読んだこともない人に、それも途中で見せること自体が間違い。誤解を生む。これが映画になり俳優が演じ、音楽が入り、スクリーンで見れば「ああ、なるほど、俺がモデルだけど映画になると別物だなあ」と思い。「これ見たら仲間も喜んでくれるだろう」と考えたかもしれない。が、シナリオの段階で読んだので、事実関係ばかりに目が行った。

友人はモデルの人に誤解されないように、より正確な事実を取り込めるように途中で見せた。そこは分かる。彼の誠意でもある。ただ、僕も似たような経験があるので分かるが、映画経験のない人には分からない。映像になるとどうなるか?想像できない。特に途中段階であれこれ感想を求めるのは危険。誤解、拡大解釈、思い込み、偏見、いろんなことで別物を想像。「違う」「これじゃダメ」と思ってしまう。ルー入れる前に味見して、素人が「これはいいカレーができそうだ」とは思わない。思えないのだ。

しかし、調理途中でも「味どうですか?」と聞かれれば、誰だって素直な感想を言ってしまう。つまり、それを聞いたプロがいけない。決局、その人はモデルを降りてしまった、友人はその役を無しにして、別の主人公ー創作したものでシナリオを完成させた。モデルだった人は「絶対にあの映画は見ない!」と憤り。仲間にも「嘘を描いた映画だ。酷い」と言っているという。誰にも悪意がないのに悲しい結末。映画でも料理でも、専門でない人は分からない。それをプロの側は注意すべきなのだ。


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悪意はないのに陥る心理。人はなぜ、価値観を押し付けたがるのか? [映画業界物語]

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俳優は人気商売。ファンにはおかしな人もいても、公然とは批判できない。映画監督はスタッフであり、本来は裏方だが、表に出なければならない時もあるし、巨匠になると下手な俳優よりも有名だったりする。黒澤明監督しかり、大林宣彦監督しかり。芸術家であり、文化人でもある。それゆえ俳優と同じような悩みやトラブルも出てくる。

僕の先輩監督。さほど有名ではないが、先輩のファンも多い。「あの監督が撮ったのなら見なければ」と言う観客もいる。監督作品も多く、業界では「何であいつが撮れんだよ?」と妬まれるが、それだけ努力している。そんな先輩に憧れて、撮影現場まで来るファンもいる。ボランティアでお手伝い。ロケ地での寝泊まりも自腹。先輩の映画が愛されていることを実感する。

だが、先輩も悩みがある。最初は応援してくれたファン。一緒に飲み食いしている内に、スタッフ気分になって来る。「次はあの俳優さんを呼びましょう」「あの事件を映画化するといいですよ」最初はファンの要望として聞いていたが、そのキャストを採用しないと文句を言い出す。「あの子を入れないなんて酷い。彼女も監督の作品に出たいと言っていたし、可哀相ですよ」

先輩は何も言わなかったが、それは僕が意見したい。映画製作はサークル活動ではない。仲良しクラブではない。「いい子だから」「頑張っているから」は関係ない。その役に相応しいか? 素晴らしい演技ができるか?が問題なのだ。つまり、その人は映画製作という視点も見ていない。そもそも、スタッフでもない、スタッフだとしてもキャスティングにあれこれ言うべきではない。にも関わらず、監督と親しくなったと言うだけで、あれこれ言って自分の意見が通らないと文句を言うのはおかしい。

彼はなぜ、そんな勘違いを始めたのだろう。先輩の話から推理した。彼はとても熱いタイプで、先輩の映画を絶賛する。行動力もあり、駄目元で撮影現場に押しかけてボランティアスタッフになった。明るく、元気なので、スタッフにも可愛がられた。監督にはいい作品を撮って欲しいと言う思いから、少しでも役に立とうとあれこれ意見を出した。が、一つも採用されない。当然のことで、映画のプロでない者だと、どうしても現実に即した提案はできない。

例えば、大好きな寿司屋があり、応援したいと思っても、寿司の味や素材を素人が意見しても有効ではない。職人さんからすると迷惑でさえある。だが、彼は先輩の作品を愛するが故に、黙ってられず意見を言うようになった。が、一つも採用されない。「なぜだ? 素人であることは分かっている。でも、一つくらい取り上げてくれてもいいだろう。俺の努力が伝わっていないのか? 俺の思いを分かってくれないのか?」そう考えるようになる。

先輩の話からすると彼は思い込みは激しいが、とてもいい奴だと思える。だが、残念ながら彼の発想はむしろストーカーの発想に近い。ストーカーは被害者を憎んではいない。愛している。彼女を守らなければ!と尾行し、危険がないようにと頑張る。が、彼女から見れば付きまとわれて怖い。恋人であってもそんなことをされたら恐怖。まして単なる顔見知りだと。だが、多くのストーカーは「彼女を脅かしている」ではなく「守っていた!」と考える。

先輩のチームでも、彼の行動や発言は問題になり、出入り禁止となった。そのことで彼は激怒。「こんなに尽くしてきたのに切り捨てるのか!」と冷静さを失う。もともと熱いタイプ。行動力もある。応援に費やしたエネルギーを先輩の誹謗中傷を振りまくことに注ぐようになった。「あの人は酷い」「利用された」「許せない」Twitterで毎日のように拡散。ネット上で先輩を実名で批判し続けた。その先輩は言う。

「でも、あいつは悪い奴じゃない。愛があるいい奴だ。手伝ってくれて、ありがたかった。悪いのは俺だよ。彼に勘違いさせた俺が悪いんだよ...」

映画の世界に限った話ではない。愛しさ余って憎さ百倍。悲しい...。



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映画監督業は言えないことがいっぱい=緊急事態宣言中も時間なし? [映画業界物語]

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映画監督業は言えないことがいっぱい=緊急事態宣言中も時間なし?

映画人だけでなくテレビマン、マスコミ関係もそうだと思うが、今作業している仕事のことを正直に言えないことがある。テレビなら秋から始まる新作ドラマを担当しても、直前まで秘密。スタッフが勝手にバラしてはいけない。そんなことをFacebookで記事にしたらクビになってもおかしくない。マスコミも同様。ある事件を追っていて新聞やニュースでない場所で伝えたら、更迭されて当然。

映画業界も同じ。製作発表があるまでは新作のタイトル、内容、ストーリーは一切内緒。Facebook、ブログ、Twitter等に書くことはご法度。そのことで問題が発生して製作が中止になることだってある。だから、書けない。で、観た映画のことばかり書いていると「監督、ヒマななんだあ〜」と「飲みに行きませんか?」と「***のライブ来てください」とかいう連絡が来ることがある。

でも、「新作準備中だから!」とは言えない。業界の人ならその辺を察してくれるが、一般の人だと「えー、何撮るんですか〜?」「誰が出るんですか?」と聞かれる。言わないと「どーせ、俺なんて信用できないんでしょう」と拗ねたり「だったら、次から応援しませんから」とか恨まれたりする。なので映画監督たちはあまりFacebookもブログもやらないのかもしれない。そして先のような連絡があると、とても困る。

ただ、僕は作品が出来てから宣伝をスタートしたのでは遅いと考えるので、日頃から映画以外の記事をアップしている。そのために別の問題も起こる。新作準備をしていないのに「本当は新作でしょう? 次は何ですか? 僕にだけ内緒で教えてくださいよ」とか聞いてくれる人がいる。そんな輩に限って他の人にも「特別に君だけに教えるけど、監督は新作を準備中なんだよ」といろんな言い触れ回る。

すると、俳優陣が「えーマジ? 出してもらおう!」と「出演したい」メールがいっぱい来る。でも、新作なんてない。断ると「あー俺なんかじゃダメなんだ。もう頼みません...」と恨みを買う。何もないのに多くの人があれこれ噂し、恨まれたり嫌われたり。時々ある。もし、本当に新作を準備していても同じ。「どこで撮るんですか?」「エキストラで出してください」「大阪の映画館でもやりますか?」とそんな質問がいくつも来る。

その手の質問には答えないと、日頃から言っているので無視する。が、親しい人、お世話になった人からも連絡が来る。流石に返事をするが、そのために時間を取られる。「よーし、またお手伝いするぞ〜」と愛ある人もいるが、返事で準備の時間が削がれる。また、あちこちで書かれたり発信されたりすると、肝心な製作発表の時にマスコミが扱ってくれなくなる。誰も知らないからこそニュースになるのだ。

そんなこともあるので、解禁日までは一切新作については書かないし、伝えない。また、新作でなくても言えないプロジェクトもある。先の「Z計画」も同様。いろいろ難しいことがあり、完成まで内緒で進めた。友人の作品のお手伝いも同様。なので、Facebookにあれこれ書かないからと「監督、ヒマそうだから〜」ではないことお伝えしたい。ちなみに僕は「暇ですることない〜」という時もまずない。緊急事態宣言中もあっと言う間に1日が終わった。不謹慎なことを言えば、もう少し続けて欲しかったくらい。映画監督業とは因果な仕事である。


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