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映画監督の多くは変人だ。一般常識があってはできない仕事。 [映画業界物語]

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映画監督の多くは変人だ。一般常識があってはできない仕事。

「映画監督」と言うと「凄い人」と勘違いする人もいる。もちろん「芸術家」と呼べる「凄い人」もいるが、そうでない「単なる変人」も多い。いずれにしても「世捨て人」「非常識な人」であり、世間に縛られないが、まともな人生を歩めない人たちだ。

だからこそ映画を作れる。安定した生活を求めず「この作品を作るぞ!」と金が十分になくても挑む。名誉や金ではなく、作品作りに命を賭けようとする。観客の心を打つ作品ができる。時には人の人生を変えるような作品も作る。もちろん、金や名誉が大好きな人たちも中にはいる。しがらみや圧力に弱い人もいる。与えられた仕事をこなすだけのサラリーマン監督もいる。が、それらに囚われる人が作る作品は、観客の心に届かないことが多い。いずれにしても映画監督というのはまともでない人たちだ。

僕もそんな1人。50代になっても結婚せず(できず?)、家庭も持たず、生活は安定せず、知名度も低く、厳しい生活を送っているのに、毎回、命がけで映画を撮っている。大手企業が関わらないものが多い。テレビ放映されることもない。中には「二度と商業映画が撮れない」と言われた原発題材の映画まである。それを「勇気ある監督」と評した人もいるが、世間的には「非常識でバカな奴」である。

そんなバカな奴なのに、時々「常識がない!」「おかしい!」「間違っている!」と批判する人がいる。ネトウヨとか、原発推進派なら分かるが、一般の人。それもまともな人。常識がある。「非常識な映画監督」に「常識がない」と批判して何になるのか?と思うのだが、真面目に怒っている人もいる。背景を考えた。どうも、彼ら彼女らは映画監督が良識あるまもとな人と思っているようだ。

「あんな感動する映画を作るのだから、素晴らしい人に違いない」「あれだけ泣ける作品なのだから、博学で世間を知っている人だ」「良識ある頭のいい人に違いない」と誤解する? 「素晴らしい人」と思っていたのにブログを読むと「極端なことをいう」「暴言が多い」「世間と逆行した意見だ」だから「おかしい!」「間違っている!」といいたくなるようだ。

でも、もともと常識がない。世間に縛られない。だから、感動的な映画が作れる。良識があり、空気を読み、波風立てないような奴には映画を作れない。池上彰が面白い映画を作れるか? どこにも差し障りのない発言しかしない奴に、企業や政府が困らないコメントしかしない奴が感動作を作れるか? 極端で空気を読まないからこそ、心を打つ映画が撮れるのだ。

世の中からはみ出しているから出来る仕事。そんな映画監督に「あんたはみ出してるよ!」という。言い換えれば「映画は面白いもの常識を破ったものを作って欲しい。でも、発言や意見は常識的なものにして欲しい」というのと同じ? 映画監督だけでなく、俳優でも、芸人でも、作家でも、芸術家でも、非常識だから出来る仕事。その人たちに「常識がない!」と批判して何になるのか? 時々、そんなことを考える。


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