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悪意はないのに陥る心理。人はなぜ、価値観を押し付けたがるのか? [映画業界物語]

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俳優は人気商売。ファンにはおかしな人もいても、公然とは批判できない。映画監督はスタッフであり、本来は裏方だが、表に出なければならない時もあるし、巨匠になると下手な俳優よりも有名だったりする。黒澤明監督しかり、大林宣彦監督しかり。芸術家であり、文化人でもある。それゆえ俳優と同じような悩みやトラブルも出てくる。

僕の先輩監督。さほど有名ではないが、先輩のファンも多い。「あの監督が撮ったのなら見なければ」と言う観客もいる。監督作品も多く、業界では「何であいつが撮れんだよ?」と妬まれるが、それだけ努力している。そんな先輩に憧れて、撮影現場まで来るファンもいる。ボランティアでお手伝い。ロケ地での寝泊まりも自腹。先輩の映画が愛されていることを実感する。

だが、先輩も悩みがある。最初は応援してくれたファン。一緒に飲み食いしている内に、スタッフ気分になって来る。「次はあの俳優さんを呼びましょう」「あの事件を映画化するといいですよ」最初はファンの要望として聞いていたが、そのキャストを採用しないと文句を言い出す。「あの子を入れないなんて酷い。彼女も監督の作品に出たいと言っていたし、可哀相ですよ」

先輩は何も言わなかったが、それは僕が意見したい。映画製作はサークル活動ではない。仲良しクラブではない。「いい子だから」「頑張っているから」は関係ない。その役に相応しいか? 素晴らしい演技ができるか?が問題なのだ。つまり、その人は映画製作という視点も見ていない。そもそも、スタッフでもない、スタッフだとしてもキャスティングにあれこれ言うべきではない。にも関わらず、監督と親しくなったと言うだけで、あれこれ言って自分の意見が通らないと文句を言うのはおかしい。

彼はなぜ、そんな勘違いを始めたのだろう。先輩の話から推理した。彼はとても熱いタイプで、先輩の映画を絶賛する。行動力もあり、駄目元で撮影現場に押しかけてボランティアスタッフになった。明るく、元気なので、スタッフにも可愛がられた。監督にはいい作品を撮って欲しいと言う思いから、少しでも役に立とうとあれこれ意見を出した。が、一つも採用されない。当然のことで、映画のプロでない者だと、どうしても現実に即した提案はできない。

例えば、大好きな寿司屋があり、応援したいと思っても、寿司の味や素材を素人が意見しても有効ではない。職人さんからすると迷惑でさえある。だが、彼は先輩の作品を愛するが故に、黙ってられず意見を言うようになった。が、一つも採用されない。「なぜだ? 素人であることは分かっている。でも、一つくらい取り上げてくれてもいいだろう。俺の努力が伝わっていないのか? 俺の思いを分かってくれないのか?」そう考えるようになる。

先輩の話からすると彼は思い込みは激しいが、とてもいい奴だと思える。だが、残念ながら彼の発想はむしろストーカーの発想に近い。ストーカーは被害者を憎んではいない。愛している。彼女を守らなければ!と尾行し、危険がないようにと頑張る。が、彼女から見れば付きまとわれて怖い。恋人であってもそんなことをされたら恐怖。まして単なる顔見知りだと。だが、多くのストーカーは「彼女を脅かしている」ではなく「守っていた!」と考える。

先輩のチームでも、彼の行動や発言は問題になり、出入り禁止となった。そのことで彼は激怒。「こんなに尽くしてきたのに切り捨てるのか!」と冷静さを失う。もともと熱いタイプ。行動力もある。応援に費やしたエネルギーを先輩の誹謗中傷を振りまくことに注ぐようになった。「あの人は酷い」「利用された」「許せない」Twitterで毎日のように拡散。ネット上で先輩を実名で批判し続けた。その先輩は言う。

「でも、あいつは悪い奴じゃない。愛があるいい奴だ。手伝ってくれて、ありがたかった。悪いのは俺だよ。彼に勘違いさせた俺が悪いんだよ...」

映画の世界に限った話ではない。愛しさ余って憎さ百倍。悲しい...。



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