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ジャズと太田組作品の共通点? [映画業界物語]

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ジャズと太田組作品の共通点?

先日、ジャズの映画を観た。ジャズはあまり聴かないが、観ていて映画作りとジャズの共通点が多いことに気づいた。ジャズは一人ではできない。映画も一人ではできない。ただ、メンバーが集まればいいというものではない。実力ある者たち。それぞれの個性がぶつかり合うことで、素晴らしい曲になり、作品になる。

それならロック、クラッシックも同じでは?と思う人もいるだろう。だが、ジャズのおもしろいところは「掛け合い」。ピアノとトランペットとか、二人のプレイヤーがアドリブでぶつかり合う場面。ジャズ好きの友人はそこが魅力だという。

実はそれは映画にもある。というより太田組作品はそこが見せ場となる。僕は事前にシナリオ段階でそれを計画。この二人の俳優が対峙するシーンがあれば盛り上がるだろうな?静の魅力の女優さん。動が魅力の若手。その二人がぶつかれば感動が生まれる。それを意識して、脚本を書く。或いはキャストが決まってから脚本を直す。

例えば「朝日のあたる家」では山本太郎さんに出演してもらった。単に姪を見舞うだけでは面白くない。そこで「故郷を捨てない」という父親と対決させようと考えた。まさに「掛け合い」太郎さんは本当に原発反対。当時は「福島から移住しよう」と訴えていた。

対するは文学座出身のベテラン俳優・並木史郎さん。経験、実力ともにトップクラスの方。だから、何ら演出しなくて二人に芝居をしてもらうだけで、感動の名場面が生まれる。ジャズの「掛け合い」と同じ構図。

また、ジャズには「ソロ」というのもある。一人のプレイヤーが延々と演奏。他の人はお休み?という場面。トランペットならトランペット。ピアノならピアノ。単独で演奏。もちろん、他の楽器の助けはない。その人に実力がなければ、客を惹きつけることはできない。だが、プレイヤーにとっては独断場。やりがいあるシーン。

映画も同じ。これも太田組ではシナリオ時から準備。長台詞だ。他の俳優はお休みで、一人だけが延々と喋る。これも俳優に実力がなければできない。他の俳優の助けはない。「向日葵の丘」で常盤貴子さんにそれをやってもらった。上映会でのスピーチシーン。5分ほどの長台詞。それをワンカットワンシーンで撮る。台詞を覚えるのが大変なだけでなく、言葉だけで5分持たすのは大変。

誰か他の俳優と一緒なら、何とか持たせることもできるが、一人でのスピーチ。これは常盤さんの実力を見込んだ上で、彼女の合わせて書いた場面だ。結果、感動の名場面が生まれた。

同じように「明日にかける橋」では鈴木杏ちゃんにスピーチ同等の場面を作った。神社で街の人たちに訴える場面。「ストロベリーフィールズ」では佐津川愛美さんと、谷村美月さんが延々と告白する場面。「青い青い空」では三美子役の橋本わかなさんが雨の中、一人で叫ぶ。どれも感動的な場面となった。

先の「掛け合い」でいうと「明日にかける橋」では鈴木杏ちゃんと板尾創路さんがお寺の前で親子のことを語り合う場面。見事なコンビネーションだった。「朝日のあたる家」では、太郎さんが姪である舞の病室を訪ねたシーン。涙なしで見られない掛け合いとなった。

太郎さんは力ある人だが、相手役の橋本わかなさんも天才的な若手女優。でなければ太郎さんに圧倒されて終わる。双方ともに力がり、個性がないと成立しない。

そんなふうに考えていくと、ジャズと映画作りは似ていると思える。そして太田組の芝居は、まさにジャズにおける「掛け合い」と「ソロ」を見せ場としたシナリオ作りをしている。だから、会話するだけの場面でも泣けたり。スピーチのシーンで感動したりする。俳優もジャズプレイヤーと同様に、それらの場面は見せ場であり、力が入る。全身全霊でかかる。だから、演奏が盛り上がる。映画が感動的になる。

そんなこと映画を観ながら感じていた。あ、映画は「ブルージャイアント」というアニメ映画。ジャズに詳しくない僕でも楽しめた。



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妄想で庶民を嘲笑う人物。笑われる庶民が「真相に気づいた人」を嘲笑う悲しさ。 [コロナウイルス]

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妄想で庶民を嘲笑う人物。笑われる庶民が「真相に気づいた人」を嘲笑う悲しさ。

コロナ感染が始まりマスクが奨励され始めた頃。この種のツイートを数多く見た。

「鬱陶しい。早くマスクを外して外出できる日が戻ってほしい!」

当時の日本人の気持ちがよく分かる。だが、そんな中で何度か奇妙なツイートを見つけた。

「もう、マスクを外す日なんて来ないんだよ。ずっとマスクはしなきゃいけないんだ。そんなことも分からず、日本人は愚かだね」

予言?というより、確定した未来を私は知っているという感じ?単に頭のおかしい奴かもしれない。気持ち悪いものも感じる。でも、その種の存在。分析してみたくなる。この上から目線のツイート。「私はお前らの知らない裏事情を知っているんだよ」ということだろう。コロナ感染は数年で終わらず、何十年も続く、だから「マスクを外す日は来ない」ということだ。

とすると、この人物はコロナ禍の背景を知っているのか? ここが特に興味惹かれたところ。当時、「生物兵器では?」という意見があった。僕もそれを疑っていた。通常の疫病であれば長くても数年で収束する。その人が指摘するように何十年も、あるいは永遠に続くとなると、自然発生の病原菌ではない。

人工的に創れられた生物兵器なら分かる。人類は免疫を持っているから、ある種のウイルスが流行してもやがて収束。それができないのは生物兵器として、新型を次々に開発し、ばら撒き続けるという場合。軍などが飛行機を使い空から撒く? そうやって地球上の人口を半分に削減する計画でもあれば、マスクは何年も外すことはできないだろう。

彼はそんな計画を知っている?だから「マスクを外す日は来ない」と予言。 だが、根本的におかしい。例え秘密計画があり、世界規模で行われていたとしても、そもそもマスクはウイルスに効果はない。すり抜けてしまう。その人物の言葉からすると、コロナが延々と続くから、マスクを外せないという。が、マスクは無意味。そんなものを人類が永遠と着け続けるというのか?その辺はどういう認識なのか?

この後、3年ほど経過しているが、意外なことに無意味なマスクを未だに着けているのが日本人。政府が「外では外してもいい」と言っても頑なに外さないという人たちがほとんど。ま、アホすぎる国民?ということなのだろうけど、先の人物。マスクの効果についてまで考えた上で、ツイートしていない気がする。「コロナが延々と続く」>「だからマスクを外せない」という単純発想でツイートしたように思える。

だが、3年目の今年。コロナ禍を煽り、推し進めた感が強い政府が収束させようとしている。3月13日からマスクを外してもいい宣言。2類を5類に昇格。これは「コロナ終了」ということだ。僕の周りにはマスクの無意味さを知る友人がたくさんいる。その輪はこれからも増えて行くだろう。彼の予言は外れることになる。

そして「マスクは外せない」という言葉が成立するであろう先の計画。コロナを延々と巻き続け、人類削減を進める計画。これはハズレだった。詳しく書くとまた「困ったちゃん」がグダグダとコメントしてくるので簡単に書くが、実はコロナではなくワクチンの方だったということが明らかになって来た。となると、彼はコロナ計画を知ったことで、上から目線で皆を嘲笑ったのではないということ。

そんな計画ではなかったのだ。とすると、その人物は思い込みの強い、ちょっと病的なところがある人かもしれない。「地球は来年、崩壊する!」とか予言する人。精神病ということがある。思い込みや妄想を現実だと信じてしまい「俺は神に選ばれた存在だ」と言い出す人。その辺の疾病について一時、勉強した。

その人も何かの拍子に、ありもしない計画を想像。「そうだ。間違いない。そんな計画が進められている! 馬鹿な庶民はそれにも気づかず、マスク外したいだと〜。一生外せないことが分からないのか?」と上から目線になり、嘲笑うようなツイートを発信した。これが一番、ありそうな線だ。

ただ、面白いのは超過死亡率が20万人を超え、戦後最大になっているにも関わらず「ワクチンしか考えられない」というと、「頭、おかしいんじゃないか?」「病気だな」「政府がそんな事するわけないよ」「妄想は終わりだ」と馬鹿にする人が多い。先の人物は明らかにおかしいが、その人物に嘲笑われた一般の人が同じように、真相に気づいた人を嘲笑う。何だか複雑な気持ちになる。本当に狂っているのは誰なのか?考えてしまう。


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