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れいわ新選組ー応援動画を収録したいが、喘息でできない! [れいわ新選組応援]

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れいわ新選組ー応援動画を収録したいが、喘息でできない!

YouTube動画「私の映画部屋」の収録もしたいのだが、喋ると発作が起きる。これまではしばらく喋ると咳が治まったのに、今は余計に咳が酷くなる。当然、収録ができない。

実は山本太郎とれいわ新選組について、語りたいことがある。今までも散々語ってきたが、ここしばらくの「れいわ」を取り巻く状況を見ていて異常なものを感じるからだ。一部の人たちが勘違いを起こし、暴走。仲間同士で批判し合うような場面をネットでよく見る。

一つには「れいわ」が成長したことで、危機感を持った大手政党の意図を受けた人、あるいはネトウヨたちが「なりすまし」で応援団を装い、わざと仲違いしているように思える。もう一つは純粋過ぎる支持者が視野が狭くなり「れいわ」のため!と思いながら、自分で自分の首を絞めている図である。

以前にも同じ危機感を持ち、映画ボランティアとの交流で経験した危うさ、問題点を紹介。れいわボランティにも当てはまることを動画で紹介。かなりな反響を頂いた。その際に「れいわボラと映画ボラは違います!」との指摘も受けた。が、僕は映画と政治ボラが同じとは言ってない。どんな分野でもボランティアをする人が陥る問題点、あることを紹介したのだ。

さらに興味深いのは「監督はれいわボランティを理解していない!」と詳しくそのあり方を説明してくれた方がいた。それを読むとある種の映画ボランティアとそっくりであることが分かった。結局、僕が言ってない「映画ボラとれいわボラが同じ」ではないが、とても似ていることが証明されてしまった。

ま、何よりれいわボラに詳しくても、映画ボラに詳しくない。いろんなパターンがあること知らずに「違いますよ」と指摘するところは問題。知らないことを「違う」「同じではない」といっても何も始まらない。とにかく、れいわと映画のある種のボランティアはとても似ている。また、どの分野でも陥るボランティアの宿命もある。

その辺を詳しく語りたいのだが、喘息で喋れない。悔しい。いろんな意味で太郎さんも厳しい状況にいることを感じる。日米合同委員会に切り込んだということは、もう殺されても仕方ない!という決意。それを多くが理解せず、あれこれ彼に要望や希望をぶつけることが多い。

彼はサンタクロースではない。今、応援団がやるべきは自分達の願いを押し付けるのではなく、山本太郎と新選組がよりアクティブな活動ができるように応援することだ。その辺を語りたいのだが、悔しい。

ブログでも書いたけど=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2023-02-23


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