予告編「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」(2022)全国公開 [YouTube]
予告編「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」(2022)全国公開
太田隆文監督のドキュメンタリー映画第二弾。ラスト30分は再現ドラマ(松村克弥監督、太田隆文脚本)。ひめゆり学徒だけではない、沖縄戦では多くの女子学徒が動員され、犠牲になっている。現在、健在で証言できる最後の元学徒である2人による証言。
「タクシードライバー」のトラビスは、あなたのそばにいる?! [my opinion]
「タクシードライバー」のトラビスは、あなたのそばにいる?!
以前、FBで応援してくれていた若い男性。僕の映画に寄付をしてくれ、試写会にも来てくれた。ネットでもあれこれ応援、映画を高く評価してくれた。それがある時から僕に対する個人的批判を始める。理由がまるで分からない。挙げ足取りのようなコメント。感情的な攻撃。何年にも渡って応援してくれたのに、何があったのだ?
長年支援、応援してくれたので即、友達削除とはできず、理由を聞いてみたが、「別に」と言うような返事。映画への寄付までくれた人が毎日、誹謗中傷コメント。上から目線で嘲るものばかり。読むのも辛く。悲しいが「友達」から削除した。そんな彼、どんな人物だったんだろう?一度だけ見かけたことがある。試写会に来てくれた時に会った。
試写場を受け取った時。簡単な挨拶をした。30代の若い華奢な男性。文学青年といった感じ。彼は何も言わずに会釈だけして会場に入った。終わってからロビーにいた。他の人は皆、感想を伝えに来てくれたが、彼はそのまま帰ってしまった。シャイな人なのだろうと思えた。
そこから考えると、彼は非常に繊細。僕のFB記事に共感。何か応援したいと思うようになり、映画の寄付をくれた。ネットでもあれこれ宣伝してくれた。僕の映画をいち早く見ようと試写会にも来てくれた。が、繊細な彼は僕に話しかけることもなく、帰る。恥ずかしがり屋なのか?話すのが苦手。孤独を愛する文学青年のような感じなのだろう。
それだけに感じる力が強く、いろんなことを感じる。この歪んだ社会に生きていると、色々と辛いこともある。それを人一倍感じるタイプだろう。会社で嫌なことがあったかもしれない。友達も少なく、話を聞いてもらう人もいない。自分の中で苦しさを溜め込んでしまう。イライラが込み上げる。
そんな時、僕のFB記事を見る。相変わらず社会批判、あれこれ意見を発信している。彼は思う。「いい気なもんだ。俺がこんなに辛い目をしているので、相変わらず正義の味方気取りかよ!」さまざまなストレスや抑圧が彼を歪めていた。「偉そうになんだ。あれこれ応援してやったのに、俺のことなんて考えてもいないだろう」こうして批判が始まる。
会社や社会で感じる屈辱や不満を、形を変えて僕にぶつける。いじめられた子供が帰り道で、動物や虫を虐待するのと同じ。しかし、僕には意味が分からない。だが、彼にも自分がなぜ、個人攻撃をするのか?分からなくなっていただろう。意識にあるのは「この監督。許せない。無神経だ」それだけ。
「何かあったのですか?」と聞かれても「別に」と答える。「今更、俺を気遣うようなことを言ってもダメだよ。お前は絶対に許さないからな」歪んでしまった彼はそう思い込む。そして「友達削除」。その後、彼がどうしているか?は知らない。まだ30代。これからどんな人生を送るのか?でも、僕には何もできない。そして、似たような心病んだ人は少なくない。
そこまで考えて気づいた。「タクシードライバー」のトラビスに似ている。孤独。友達がいない。ナイーブ。内に秘めたものを持つ。あるきっかけで議員候補に期待。ボランティアまでしようとする。が、その候補者のスタッフである女性(ベッツィ=シビル・シェパード)に振られると、候補者に怒りを向けて暗殺まで考える。
同じことは「れいわ新選組」でも聞く。太郎さん。素晴らしい」と支持していた人たち。やがて誹謗中傷、個人的な攻撃を始める。「太郎は間違っている!分かってない!」と声を上げる。
が、先の彼と同じように別のことで失望し、怒りを向けているだけではないか? もちろん、一部の人だが、同じような構図。意外に多いかもしれない。そんなことを考えている。