映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい! [映画業界物語]
映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい!
映画界では20%の手数料を撮るのが習慣。例えば1000万円の仕事を受ければ800万で製品を作り、200万を会社の儲けにする。阿漕な会社なら製品クオリティを落として500万で作り、残りの500万を儲けにする。もちろん500万ではドラマでも、ドキュメンタリーでも、PVでもロクでもない作品にしかならない。
が、製作会社は思う。「1000万程度で作品作りを頼む方が悪い。こちとら食って行けなくなるだよ!」社員もいるし、事務所代も払う。高熱もいるし、社長は家族を養わねばならない。でも、映画作家からすると、1000万で500万の作品を作ることに我慢ならない。その依頼自体がロクでもないものならまだしも、意味ある作品であれば、なおさら500万レベルで製作したくない。少なくとも1000万全てを作品に使いたい!
だから儲けは極々わずかにして、作品にほとんどの製作費を注ぎ込んでしまう。我が師匠、大林宣彦監督はそんな人だった。ある作品では1億の製作費なのに、そこから儲けを取らず。さらに自社から出資までして映画を完成させた。儲けようという気がないのか? いや、より良い作品を作りたい?というのが映画作家の思いなのだ。
その師匠の影響もあり、僕も製作費以上のものを作りたい!なら、師匠のように自から出資して?いや、悔しいがそれは出来ない。そもそも貯金がない。だから7人分働く。7人分働いて1人分のギャラにすれば、製作費が数百万円増えたのと同じ。タダで6人が働いてくれることになる。僕以外のスタッフも2人分3人分働いてもらう。が、こちらは割り増しギャラを払う。僕自身は何人分働こうとも、1ヶ月最低限の生活ができるだけの1人分のギャラにする。
そのことで500万の作品なら1000万。1000万の作品なら1700万の製作費で作ったのと、同じクオリティにできる。特に今回は50年ぶりに持病が再発するほど働いた。そのことで400万ほど製作費がプラスできたようなもの。キャッシュでもらった訳ではないが、健康を切り売りしたのだ。そのことで映画は良くなる。
スポンサーに不満がある訳ではない。意味ある作品を依頼し、いくらであろうと出資してくれたことに感謝する。そして本来、依頼の額が500万なら500万のものを作ればいいし、1000万なら1000万のものを作ればいい。そこから手数料を抜いて儲けにすればいい。でも、そんなことで良い作品は出来ない。映画作家は我慢できない。それなら身を削り健康を削ることで、7人分働くことで、より良い作品を作れる方が満足できる。
完成すれば多くの人が見て感銘を受ける。今回で言えば「沖縄戦の現実」を多くが知ることができる。テレビでその手の番組はない。そこから戦争について考える。話し合う。いろんな展開がある。なのにもらった製作費だけで作品を作ったら感銘を与えるものは出来ない。沖縄戦の現実を伝え切ることも出来ない。
映画作家はサラリーマンではない。与えられた給与の額分だけ仕事していてはいけない。僕には妻も子もいない。全てを作品に注ぎ込める。作品は僕が死んだ後も残る。だから手を抜けない。全力でかかる。毎回遺作。それが映画作家の定めなのじゃ。ははは。