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我が子を愛しているのに、ロボット工場に送りこむ愚かな親たち① 親からの希望NO1は「「いい大学に合格すること」? [日本の教育]

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我が子を愛しているのに、ロボット工場に送りこむ愚かな親たち① 親からの希望NO1は「「いい大学に合格すること」?

(2014年の記事)

「今時、こんな受験、受験という母親なんていませんよ!」

あるテレビ局のディレクターに言われた。僕が監督した映画「青い青い空」で描いた主人公の母親の話だ。娘に「勉強しなさい」「いい大学に行かないと!」とうるさくいう存在。友人はこう感じたらしい。

「昔は受験戦争と言われ、こんなタイプの母親がたくさんいたのは知っているが、今の時代、一流大学を出て、一流企業に入ったからと安泰という時代ではない。倒産したり、リストラされたりする。そんな可能性が強くいのに、ただ、勉強して、いい大学に行けというバカな母親はもういないんじゃないですか?」

 だが、そうではない。シナリオを書く前に受験生を持つ母親、高校の先生に何人も取材をして、ひとつの高校だけではなく、複数の学校の教師から話を聞いて現状を確認してある。

「一流大学に行かせたい!」

という母親は現在も数多く存在するのだ。先生方に聞いても親からの要望の一番はこれ。

「いい大学に合格すること」

だからこそ、受験シーズンが終わると私立高校は「***大学に**人、合格」と書いた紙を張り出したりするのだ。

学校が一流大学を目指せと煽るというより、親たち、特に母親が子供を一流大学に入れたいという希望が多いとのこと。少子化で生徒を集めるのが大変な学校はその希望に応えることで、生徒を集め学校を存続させようとしている。

しかし、友人のディレクターがいうように、今や一流大学を卒業して一流企業に就職してもリストラされたり、倒産したりすることがある。昔のように終身雇用、年功序列ではなくない。にも関わらず、相も変わらず、一流神話を信じて我が子を勉強させる親たちは何を考えているのか? 次回から具体的に考えてよう。

(つづく)


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「考える力」を育てない日本の教育。国にとってめっちゃ都合いい。=戦時中と同じ手法ってマジ? [日本の教育]

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「考える力」を育てない日本の教育。国にとってめっちゃ都合いい。=戦時中と同じ手法ってマジ?

「与えられたことを確実にこなす」優秀なサラリーマンを育てる教育。日本を経済大国にするためだった。これは分かる。「考える力を育てない教育」は上から指示したことに疑問を持ったり、批判したり、意味を考えたりされると面倒だから。考えずに言われたことをする人材が会社や政府は必要なのだ。なんて都合のいい人たちなんだ!という国民を育てて来た。そこまでは分かる。成果は上がり一時は経済大国になった。が、その教育は他にも目的があるだろう。

例えば「日本を戦争ができる国にしたい!」と思う人たちがいたとする。戦争放棄。軍隊を持たないという国。でも、国民の多くは「考える力」がない。だから、「アメリカとより仲良くなって平和を守る法案です」と言えば、深く考えないので「それはいいね!」と反対しない。「戦争準備をしていることが知られるとヤバイから、あれこれ秘密にしたい」と思えば「特定秘密保護法」表向きは「外国のスパイから機密情報を守るためです」と言えば「それは必要だよね!」と理解してくれる。

一部の「考える人」たちはその企みを見抜き反対するが、多くは気づかない。テレビや新聞を戦時中のように抑え込み、大本営発表にすれば国民はそれを鵜呑みにする。「野党は不甲斐ない」「悪夢の民主党時代」と連呼すれば「その通りだ!」と思い込み、一部は「やっぱJ党だ」多くが「投票したい党がねえなあ」と棄権してくれる。こうして自分たちの勢力を確保しながら、戦争に向かって突き進める。そして企業と共に大儲け!

こんな風に支配層が苦労せずに権力を維持し、好き勝手な政策を進められるようにすることも「教育」の目的ではなかったか? 戦時中に行われた沖縄の皇民化教育。これはまさに都合のいい人材を育てるためのもの。国民は自らを犠牲にしてでもお国のために尽くすという教育だ。

「ドキュメンタリー沖縄戦」でその辺も詳しく描いているが、その事実を知った時。ああ、それは戦時中だけではなく今も同じであることを痛感した。いつの時代も支配者が国民を操る方法は同じ。人々に「考える力」を持たせないこと。日本人は戦中に続き、また同じ手法にハマっているようだ。

特報(動画)=> https://youtu.be/Wv5MK0fRauI


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日本が三流後進国に落ちぶれたのは、国策教育の人材では通用しなくなったから?=「戦争発言」議員&オウム幹部が象徴! [日本の教育]

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日本が三流後進国に落ちぶれたのは、国策教育の人材では通用しなくなったから?
=「戦争発言」議員&オウム幹部が象徴!

「上から与えられたことを疑わずに確実にこなす」

という戦後の教育。優秀なサラリーマンを育てることが目的であったこと。ここ何回かの記事で理解して頂けただろう。その頂点が東大。まさに「与えられたことを確実にこなす」能力が高い人たちが集まる。だが、その教育でトップの大学を卒業したのが先日から話題の人。

「戦争するしかないでしょう〜」

発言をした維新の党・丸山穂高議員である。彼は東大経済学部。「何で東大出た賢い人が?」と思うかもしれないが、先にも書いた通り、日本の教育は

「上から与えられたことを疑わず...」

である。彼はどこかで(あの組織の中でしょうね?)「戦争は必要だ」と教えられたのでしょう。だから疑わず、その方向性を酔った勢いで言ってしまった。筋が通る話。オウム真理教の幹部たちも高学歴だった。当時も

「何であんなエリートばかりが?」

と言われたが、先の議員と同じ理由。

「上から与えられたことを疑わずに」

を実践したということ。だから、どこかの省では上から言われれば「公文書偽造」という犯罪でもやってしまう。オウム信者と同じなのだ。

つまり高学歴なものほど、疑わず、違法行為だと分かることでも上から言われるとやってしまう。そんな教育を10年もされて来たので、素直に従う。同時に「自分で考える」教育をあまり受けていないので余計に歯止めが効かないということだ。

与えられたことは犯罪でもやってしまうが、与えられないこと。これまでに例のない新しい局面にぶつかると何もできない。だから、バブル崩壊、リーマンショックという日本がこれまでに体験したことのない危機に対応することができなかった。にも関わらず消費税を8%に上げたことで20年に及ぶ不況から脱することができなかった。

相変わらず「不況」というと「公共事業」という発想しかなく、最近では不況からの脱却より、支配者階級と金持ちだけが生き残るために貧乏人の切り捨てにかかっている。本来、日本を経済大国にするために育てられた優秀な人たちも、新しい時代では役に立たないということが証明されたのだ。

にも関わらず、同じ国策教育は続いており、親たちは子供をそのベルトコンベアーに乗せることを躊躇しない。この先5年、10年を

「与えられることしかできない」

「上からの指示を疑うことができない」

大人に育てる教育に子供を委ねている。まあ、その親たちがその教育で「考える力」が育っていないので、自分たちが何をやっているか?も気づいていないというのが本当のところ。では、どうすれば? 考えてみたい。


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日本の教育に欠けるもの=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している? [日本の教育]

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日本の教育に欠けるもの
=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している?

日本は三流後進国になった今でも「優秀なサラリーマン育成教育」を続けている。そんな人材で日本再生は不可能なのだが、育てる側も「考える教育」を受けてこなかった人たちなので無理と言えば無理。ロボットがロボットを作っている状態。

幕末に上級武士が役に立たなことが分かり、下級武士からも人材を募ったことで勝海舟が登場。軍艦奉行になり、最終的には薩摩の西郷隆盛と対決。無血開城に導いたように、今は一流大学を出た人材より、はみ出しもの、オタク、芸術家、とメインストリートから外れた人たちの知恵を借りて再生するしかないと思うのだが、そんな動きもまだない。

あるいはアメリカの教育に学ぶ。ディベート、ペーパー(小論文)という自分の考えを告げる(書く)授業がある。ディベートは議論。2手に分かれて1つのテーマを論じ合う。自分なりの意見を持つことが苦手な日本人。それを人前で言うことがさらに苦手。でも、ディベートではそれを論理的に、説得力も持って相手に伝える。

その能力は実社会でとても大事。だが、それを日本では教育の場で教えない。だから、ネット右翼みたいにイチャモンをつけるだけ、揚げ足を取るだけと言う程度の低い反論しかできない大人が多くなってしまった。

さらにペーパー。小論文。これは自分の意見を文章で主張する。形式があり、まず結論。それを3つの角度から訴えて弁証し、最後に結論つける。僕も留学中に何度も書かされたが、面白かった。いわゆる推理小説のクライマックスで

「なぜ、彼が犯人であるか?」

を探偵が説明するのと同じ構図。論理性が大事。思い込みや感情的、飛躍があってはいけない。アメリカでは日本と同じ詰め込み教育も存在するが、自分の意見を持ち、主張する教育も行われている。ただ、それを導入するだけでも10年後に日本は大きく変わるだろう。ただ、年寄りからは

「最近の若い奴は文句が多い。黙って目上の言うことを聞くべきだ。非常に失礼だ!」

と言う不満は出るだろう。が、それは日本がよくなったと言うこと。何でも黙って受け入れるのではなく、意見を持ち、伝えることはたいせつなことだ。


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日本の戦後教育は国策? =戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。 [日本の教育]

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日本の戦後教育は国策?
=戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。

戦中の教育=「米英鬼畜」「欲しがりません。勝つまでは」という教育と戦後の教育が同じ構図であることを何度も伝えてきた。僕にとって10代の高校時代からの疑問であり、当時から「無意味な勉強」と思えていたが、40年近い月日の中で検証し、答えを得た。

確信するに至ったのは3年に及んだ沖縄戦ドキュメンタリーの取材だった。その中で当時を知る方々からお話を伺い、戦時中の皇民化教育とはどういうものか?を調べた。それがまさに、僕らが幼い頃から受けた戦後教育と同じ方法論であったこと。

「戦争をしろ!」

と上から命じるだけでなく、国民自らが

「戦争をせねば!」

と考え願うようになる教育。そして親や大人たちも推奨し褒め称える。戦後教育も同じ構図。

「しっかり勉強して、一流大学に行こう!」

子供達が自らそれを目指し、親たちもまた戦中と同じようにその考え、行為を褒め称える。国策は押し付けるのではなく、国民の1人1人がその価値観に賛同し、国が求める方向に努力して進むものであること。2つの時代を検証し痛感した。

もちろん、戦後は戦争といっても受験戦争。日本を経済大国にするための国策教育。その全てを否定するものではない。が、

「与えられたことを疑わずに確実にこなす」

そんな人材を育てるものなので、それ以外の素質があって、その素質に著しく欠ける者も、例外なくそのベルトコンベアに乗せられて選別され、それ以外の力を養う機会を失った。

そのような人材ばかりを育てたために、20年も続く不況を脱することができず、日本を三流の後進国に貶めた原因にもなっている。いずれにしても戦時中は戦争に反対すると

「非国民」「死ぬのが怖いのか!」

と言われた。受験戦争を批判すると

「落ちこぼれ」「お前は勉強するのが嫌なだけ!」

と言われた。国が思う方向に子供達を思想教育し育てようとすることは、賛同できないし、非常に危険であり、大きな犠牲を伴う。

だが、いずれも国策は国民全体に浸透し、それを疑うことなく親も子供も従ったことは恐ろしいとしか言えない。もし、戦争が再び起きれば、国は同じ方法論で教育を再開。国民はまた疑うことなく従い、太平戦争の悲劇を繰り返すことになるはずだ。そんなこと「沖縄戦」で取材した当時を知る方々の話を聞いていて強く感じた。その意味でも「ドキュメンタリー沖縄戦」見て頂きたい。

沖縄戦ブログ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp



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今、親が子供たちに伝えるべきは何なのか? =騙され続けた戦後70年。日本の教育は北朝鮮を笑えない? [日本の教育]

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今、親が子供たちに伝えるべきは何なのか?
=騙され続けた戦後70年。日本の教育は北朝鮮を笑えない?

学生時代。NHKの「若い広場」とか見ると「受験戦争」とか「学校」とかをテーマに討論する真面目な番組があった。「何のために勉強をするのか?」と言う話で、ある生徒が言っていた。

「何だかんだ言っても自分のためじゃないかなあ。勉強は嫌だけど、好きなことばかりやってられないし、自分を鍛えると言うことだと僕は考えています」

 一方でアメリカ人は「楽しむ」と言うことを大事にする。

「Aer you enjoing?」(楽しんでいるかい?)

とよくいう。だが、日本では「楽しむ」と言うことに罪悪感を持つ部分がある。皆が働いているときに、俺だけ遊んでいていいのか?というような。

「遊んでばかりいたらダメだ。勉強(仕事)しなきゃ!」

そんな強迫観念はないだろうか? 僕より若い世代になる程、その意識が少なくなっているとは思うが、「遊ぶこと」「楽しむこと」はいけないことで「努力する」「学ぶ」「頑張る」と言うことが人として大切なこと。と言う意識が日本人には強い気がする。

だからこそ、戦後、お父さんたちは夜遅くまで働いて、日本を経済大国した。優秀な電化製品を次々に開発して、世界マーケットをを独占した。当時は漫画を見てもスポ根ものが盛ん。ひたすら努力と練習を続ける星飛雄馬がいて、ボクシングに青春をかける矢吹丈がいた。そんな漫画を読んで育った僕らの世代は「遊んでいてはいけない」「努力しなきゃ」と言う思いが強いのだろう。

勉強することは努力すること。自分を鍛えることと思い込んでしまったのではないか? 花形満が体を壊してでも鉄バットで大リーグボール1号を打つ練習をしたり(よく分からない方は読み飛ばしてください)星飛雄馬が腕の筋が切れるのを承知で、大リーグボール3号を投げたり(説明大変なので気にしないでください)力石徹が体重を落とすために倉庫に寝泊まりしたり(先と同じです)

そんな努力を「苦しくても頑張る!」と言う解釈にして、大人は遅くまで仕事をし、子供たちは勉強をした。ある先生がよく金八先生を真似て言っていたこと。

「勉強と言う字はー勉めてー強くなるーと書く。それが勉強だ」

「嫌だと思っても、勉めてやるから強くなる」

それは飛雄馬であり、丈であり、力石だ。そこまで子供が考えてはないが、無意識に感じた。そして大人たちは司馬遼太郎の小説の武将や勤皇の志士たちに自分を重ねた。

先の「若い広場」の生徒の発言。今、考えれば、勉強は「自分のため」ではなく、国が経済大国を目指す重要な戦力(優秀なサラリマン)となるための訓練だった。与えられたことを確実にする優秀なサラリマーンになる努力させられていることに気づかず。「自分のため」と思い込んでいたのだろう。

国のため、経済大国を目指すため、それ自体は悪いことではない。が、そのために猫も杓子も動員、国のためではなく、自分のためと思い込んでいる。思い込まされていることが恐ろしい。それは戦時中と同じ構図。だが、良い大学=>一流会社=>安定した生活という流れはもう過去のもの。これからは「与えられことをするだけの会社員」では通用しない。大人は、親は、子供達に何を伝えればいいのか?



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国策に翻弄されていた同級生たち=あなたもきっと洗脳されている? [日本の教育]

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国策に翻弄されていた同級生たち
=あなたもきっと洗脳されている?

高校時代になると多くの同級生たちは夢を語らなくなった。

「将来、何になりたいか?」「どんな仕事をしたいか?」

言わなくなる。理由はいくつかあるが、将来の夢より

「どの大学に入れるか?」

ばかり考えていた。そして何を勉強したいか? 将来は****になりたいから、この大学!ではなく、知り合いに大学名を言って恥ずかしくないところに行きたいという同級生が多かった。僕は関西だったが、東京で言えば、

「東大は無理でも、早稲田、慶応と言いたい」

そんな感じ。そのくせ猛勉強することもない。そんな同級生を軽蔑していたが、彼らもまた国策に乗せられていたこと。今は分かる。

「優秀なサラリーマンを大量に育てて日本を経済大国にする」

それを目標に「与えられたことを疑わずに確実にこなす人材」を育成し、選別。優秀な人材を大手企業の社員や国家公務員第1種にする。選ばれれば生涯安泰。経済的にも豊か。という保証が得られる。親たちはそれを願って我が子は受験戦争に送り込んだ。

が、同級生たちは将来のことまで考える余裕はなく、人に言うときに恥ずかしくない大学に行きたがった。そんな世代がバブル直前のブランドブームに飛びついたのはよく分かる。一流大学は努力せねば行けないが、一流ブランドは金を出せば買える。当時での男の子ブランドで言えば、

Ys、issey Miyake 、Pacino、Kenzo 、McReger、Kansai、

等々のブランド服を着ることで、自分も一流になった気になれる。これは女子も同じ。グッチ、エルメス、のカバンやスカーフを身にまとうことで一流気分に浸る。金は大してなくてもローンがある。それと同じ。大学をブランドと考えていた。ただ、それを口に出して

「早稲田に行く」「東京外語に行く」

と言うと、すかさず

「アホか?お前に行ける訳ないやろ!」

と言うツッコミが飛んでくる。そして本当に行けるはずがないことは痛感しているので、志望校は絶対に言わない。想い出話をしているのではない。高校3年生。17〜8歳の子供たちは

大学をブランドとして認知していた。

成績というより人間のランク付け。三流大学は「アホ」。一流大学だから「賢い。凄い」。二流大学は「恥ずかしくて言えない」

一流大学なら自慢になる。

そんな意識。もし、野球が出来る。野球で有名な大学に入った。サッカーがうまい。地元のサッカーチームを持つ会社に就職した。本来はそれと同じだ。

絵が上手い。歌がうまい。魚に詳しい。それで大学に入る。でも、それを羨んだり、凄い!と思ったりしない。秀でた技能であり、技術だという認識。なのに成績だけは「人間レベル」だと思う同級生がほとんどだった。

「あいつ一流大学を出て、一流企業。一生安泰でいいなあ」

なら分かる。そうではなく「早稻田合格か...」「慶応ボーイか」そこを羨む。上の階層。別の世界。ステージが上。そんな認識。勉学による成績だけは他より重要視されていた。これも戦中の

「将来は兵隊さんになって国のために戦う」

と同じだろう。博士になり武器を開発する。農家を継ぎ米を作る。それらも戦争に貢献することなのに「兵隊になる」が一番評価された。どちらも国策。「優秀なサラリーマンになる」「兵隊になる」いずれも国のため。それを推進する中で洗脳された子供たちは、国が求める「兵隊」「優秀なサラリーマン」になることに憧れる。

その優秀なサラリーマンの第1歩が一流大学。誰も国策だなんて思わず、自ら憧れていると考える。それは今も同じ。本当に大事なことは何か?考えてみよう。



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国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな! [日本の教育]

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国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな!

高校時代。「勉強して何の意味がある?」と言うと教師にも、同級生にも

「勉強が嫌だから、言い訳をしているんだろ!」

と厳しく言われた。答えになっていない。その上、どんな意味があるか?どれだけ将来、役に立つか?を説明できた大人は1人もいない。そして僕も50年以上生きてきて、高校時代の教育はほとんど役に立っていないことを痛感している。また、友人知人で

「いやいや、勉強しておいてよかったよ」

と言う者も1人知らない。先にも書いたが、同じ構図がある。戦時中に「戦争は意味がない」と言うと

「非国民」「身勝手」「死ぬのが怖いんだろ!」

と答えにならない罵倒を受けたと言う。ただ、面白いのが僕の中学時代だったかに「東大不要論」とか言う本が出て話題になった。なぜ、話題になったか?と言うと、著者が東大を出ていたからだ。

「東大出た人が言うののだから言い訳じゃないし、一理あるかもね?」

と思ったのが背景だろう。もし、これが名も無い三流大学卒なら、

「東大に行けなくて、悔しいから言ってんだ!」

と批判されただろう。これらから見えてくるのは、当時(多分、今も)一流大学に合格することは憧れであり、凄いこと。そして、それは物凄く大事なことなのだ!!と言う強迫観念があるということ。「凄い」「憧れ」と言うだけなら、オリンピック選手だって同じ。努力だけではなれない。憧れであり、凄い!でも、

「オリンピック選手になるのが、全てではない!」

と言っても大きな批判は受けない。同意する人も多いだろう。なのに

「東大が全てじゃない!」

と言うと

「あの人、勉強ができなくて悔しいから言っているのよ...」

と言われる。そのくらいに「勉強して、一流大学に行く」と言うことは日本人が「やらねばならない!」と思い込んでいるのだ。

「大人になったら兵隊さんになって、アメリカ軍をやっつける!」

と子供が真剣に思っていた戦時中と同じ構図だ。ここから分かること。どちらも国策。その恐ろしさ、凄さ。そして、国民とは簡単に誘導されてしまうということ。例えば、改憲問題を国民投票することになった時、Y興行やJ系のタレントがCMに出て、朝から晩まで流され

「わしらも改憲賛成でっせー!」「僕らも改憲。賛成です!」

と呼びかけたらどうだろう? タレントが憲法に詳しい訳ないのが分かるのに「だったら、私も〜」と賛成してしまう人がゴマンと出るだろう。国が総力を上げれば思想操作は簡単。覚えておかねばならない。




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サラリーマン・ロボット製造教育②=与えられなければ何も出来ない若者たち? [日本の教育]

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サラリーマン・ロボット製造教育②
=与えられなければ何も出来ない若者たち?

大手企業社員の友人。何年も前から入社試験の面接担当をしている。彼が言うには、

「マークシート方式が導入されてから大卒のレベルが急激に下がった。言われることしか出来ない若者ばかり。自分で何も考えない!」

と言う。その辺りで「与えられたことを疑わずにを確実にこなす」人材を育てる教育システムが完成したのだろう。(詳しくは「日本人は考える力がない」シリーズ参照)別の会社で面接官をする友人も怒っている。

「最近の若い奴は何がやりたい!ではなく、会社が自分の長所を見つけて伸ばしてほしい。と言う奴が多くてムカつく。会社は啓発セミナーじゃない。自分の能力を発揮する場所だろ!」

それも教育システムの成果だ。自分から何がやりたいか?考えない。与えてやらないと出来ない。友人は怒るが、完成された教育成果を感じる。芸能関係の友人。タレント事務所のマネージャーもいう。

「俳優になりたい。歌手になりたい。タレントになりたい。何も希望がない。何でもいいから有名になりたい。事務所に入れば、手取り足取り、レッスンも全部やってデビューさせて、テレビ局に売り込んでくれると思い込んでいる子が、90%! それでは芸能界は生き残れないのよね」

こちらも成果。もともと、芸能界に進みたいのは個性が強く、はみ出しがちで、融通の効かないような型破りなタイプが多かったのだけど、そんな「はみ出し者」のカテゴリーの若者たちさえ教育が行き届き、自分の考えを持たない。与えられないと何も出来ない。成績がよくない子が目指すのが芸能。「与えられたことを確実にこなす」当然、その子らはその能力が低い。最悪のパターンになっていると言う。

ある意味で犠牲者。訓練すれば伸びる才覚や素質があったかもしれないが、学校教育ではそれを探さないし、伸ばさない。別の言い方をすれば、野球ばかり教えられた。バレーボールなら選手になれる素質があったのに、野球しか認めないというのが日本の教育なのだ。「与えられたことを確実にこなす能力」のみを鍛え、優劣を付け、選別する。

そこから漏れたら落伍者、落ちこぼれ、負け組と呼ばれ、3流、4流の会社に振り分けられる。今もそんな教育が続いている。それで日本がもう一度、経済大国になるならいいが、無理。これから必要なのは与えなくても自分で考え行動する人材だ。

でも、今までの教育ではそんな逸材は育たない。新しい教育を初めても、人材が育つのは20年後30年後だ。日本はそこまで衰退し続けるしかないのだろうか?


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サラリーマン・ロボット製造教育①=洗脳が解けない大人たち? [日本の教育]

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サラリーマン・ロボット製造教育①
=洗脳が解けない大人たち?

長々と連載してきたが、日本人は「考える力」が育てられていないこと。背景と理由が分かってもらえたと思う。ただ、ここまで克明に説明し検証しても、すでに「考えない教育」が浸透し、血となり肉となった大人たちは

「関係ないんじゃない? 私はちゃんと考えているし、意見も言うし、今でも学生時代にもっと勉強しておけばなあ〜と後悔するくらいだから!」

と言うだろう。同じことを言う元日本軍兵士がいた。

「あれは侵略戦争ではない。日本を守る戦いだった。俺たちは捨て駒ではなかった。今の日本があるのは俺たちが戦ったからだ...」

どちらの自分の人生を振り返った時、それが無意味なものではなかったと思いたい意識が働いてはいないか? 無意味だと認めると自分の存在が否定されるからではないか? 人は過去を肯定したい。「俺は頑張った」と思いたい。

解釈で意味ある人生にすることは自由だ。(自衛権で戦争ができると解釈する国もあるくらいだ)が、どちらも国策に乗せられ利用されたことには変わりない。そんな大人たちはもういい。大事なのは子供達だ。これまでと同じ「サラリーマン・ロボット製造教育」で育ててしまっていいのか? もちろん、僕の時代に比べれば教育内容は変化している。が、大筋では同じ。

「与えられたことを確実にこなす」能力を育てるもの。

だから、僕の時代以上に意見を持たない。考える力が弱い若者が増えている。多分、僕らの頃はまだ教育システムが完成されてなかったのだろう。僕みたいなはみ出し者もいるし、文句の多い連中もいる。僕らより上の世代はもっといる。それこそ全協徒世代。国にも学校にも逆らっていた。逆にあとの世代になると、どんどんおとなしくなる。システムが完成されたのだろう。

そんな教育で育てられた子たちがどうなったか? 次回、紹介する。(つづく)


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