サラリーマン・ロボット製造教育①=洗脳が解けない大人たち? [日本の教育]
サラリーマン・ロボット製造教育①
=洗脳が解けない大人たち?
長々と連載してきたが、日本人は「考える力」が育てられていないこと。背景と理由が分かってもらえたと思う。ただ、ここまで克明に説明し検証しても、すでに「考えない教育」が浸透し、血となり肉となった大人たちは
「関係ないんじゃない? 私はちゃんと考えているし、意見も言うし、今でも学生時代にもっと勉強しておけばなあ〜と後悔するくらいだから!」
と言うだろう。同じことを言う元日本軍兵士がいた。
「あれは侵略戦争ではない。日本を守る戦いだった。俺たちは捨て駒ではなかった。今の日本があるのは俺たちが戦ったからだ...」
どちらの自分の人生を振り返った時、それが無意味なものではなかったと思いたい意識が働いてはいないか? 無意味だと認めると自分の存在が否定されるからではないか? 人は過去を肯定したい。「俺は頑張った」と思いたい。
解釈で意味ある人生にすることは自由だ。(自衛権で戦争ができると解釈する国もあるくらいだ)が、どちらも国策に乗せられ利用されたことには変わりない。そんな大人たちはもういい。大事なのは子供達だ。これまでと同じ「サラリーマン・ロボット製造教育」で育ててしまっていいのか? もちろん、僕の時代に比べれば教育内容は変化している。が、大筋では同じ。
「与えられたことを確実にこなす」能力を育てるもの。
だから、僕の時代以上に意見を持たない。考える力が弱い若者が増えている。多分、僕らの頃はまだ教育システムが完成されてなかったのだろう。僕みたいなはみ出し者もいるし、文句の多い連中もいる。僕らより上の世代はもっといる。それこそ全協徒世代。国にも学校にも逆らっていた。逆にあとの世代になると、どんどんおとなしくなる。システムが完成されたのだろう。
そんな教育で育てられた子たちがどうなったか? 次回、紹介する。(つづく)
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