大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(6−終) [編集作業]
こうして、映画はエンディングを迎える。
平田家が仮設を去る日。
車で***を訪ねる。
ここは本当に凄い・・・・。
「故郷」それは人にとって何なのだろう?
そう考えずにはいられない。
あかねが叫ぶ。舞が叫ぶ。その声が故郷の草原にこだまする。
どこまでも続く道。
画面はフェードアウトする。
はあーーーーー、監督であることを忘れてしまう・・。
ただ、ただ、真剣に見てしまった。
(もちろん、問題がある箇所はチェック。直しをする目でも見ながら。注・念のため!)
平田家4人家族の演技を超えた演技。
そして、山本太郎、いしだ壱成の名演がさらに感動を呼ぶ。
これら俳優が本当に素晴らしい!
何度も胸に突き刺さり、2時間。画面に釘付けになった。
自分で作っておいて、自画自賛しているようだが、
今回の映画「朝日のあたる家」はやはり僕が作っているのではない。
多くの人の力で、素晴らしい俳優の力で、
「映画」が生まれて来ようとしているのだ。
怒濤の2時間。
早く完成させて、皆さんにご覧頂きたい!
(つづく)
大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(5) [編集作業]
次々に襲う不幸。
そして、病院で、重大な結果を知らされる。
仮設の夜。舞が母と思い出を語る。
ここがまた、溜まらない。
舞=橋本わかなも、凄い!
こちらも「青い青い空」の三美子とは別人。
さすが平成の北島マヤだ。
そのわかな演じる舞が語る台詞。優しく受け止める母役の斉藤とも子。
このシーン。胸に杭が突き刺さる思いで見てしまう。
「家族の幸せとは何か?」「親子との絆とは何か?」
僕がこれまで求め続けてきた「答え」が提示される。
原発事故という究極の惨劇の中で、その答えが見えてくる。
なぜ、人は不幸の中でしか、幸せの意味を見つけられないのか?
でも、遅くない。今からでも考えよう。
それを伝えるのがこの映画「朝日のあたる家」なのだ。
(つづく)
大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(4) [編集作業]
そこに光太郎伯父さんが見舞いに来る。
山本太郎さん。もう、圧巻!
ほんと、そのシーンを解説したいが、
細かく書いていると時間がなくなるので、どんどん行く。
編集に戻らねばならないのだ。
家族は皆、幸せになろうと前に進むのに、
結果は新しい悲しみを呼び込んでしまう。
さらに、健二と母の物語。
ここも凄い・・・。
息をつく間もなく、あかねと母のシーン。
平沢いずみ、凄い! 「青い青い空」のミチルとは別人。
演技もキャラも、まるで違う。
いや、あのときからすでに、これだけの表現ができる子だ!とは
思っていたが、大正解。
平沢なくして、あかねはあり得なかった。
いや、実は平沢をイメージして書いた役だが
期待に120%応えてくれた。
さて、つづきだ!
(つづく)
大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(3) [編集作業]
「朝日のあたる家」後半戦
早く続きが見たいので、トイレに行かずにすぐに後半のディスクをかけようと
思ったが、やはりトイレに行く。
そして後半開始。
一時帰宅。舞がブルース(犬)を探す!
あかねVS母のシーン
何度も何度も見ているのに、また涙が溢れる・・。
そして、病院。でも、被爆検査を拒否される。
実際、福島でも事故直後は同じ事例がたくさんあった。
さらに、健二とあかねの埠頭。
説明会。避難解除になるが、除染は帰宅後に行うと言われる
抗議する母。しかし、行政側は受け入れない。
家に帰ろうと言う父。線量が高いので危険と拒否する母。
父は1人。家に戻り、除染を始める。
家族がバラバラになっていく。
そして体調不良を訴える舞。
やがて、あかねもまた・・・
怒濤のように悲しい物語が進む。
(つづく)
大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(2) [編集作業]
「怖い」・・・ホラーの怖さではないが、
あかねたちの知らないところで
とんでもない事態が起こっていることが感じられ、「恐怖」を感じる。
サスペンス映画のようだ・・。
ヒッチコックか?
そこからもう目が離せなくなり、避難所、仮設のシーンだ。
ここはどうか?
避難所の場面ーーーリアリティが凄い!
ここは地元のエキストラの方々が好演。
皆、超真剣で場面を盛り上げる。
そして一時帰宅。
舞が車に忍び込み、放射線量の高い地域に行ってしまう。
そこで前半終了!
「えーーーーー、どうなるの?」
って、誰よりも続きを知っているのだが、そう思ってしまう。
これはよい反応。
自分でハラハラしないようでは、客はもっとハラハラしないのが
編集段階である。
さて、後半はどうか?
(つづく)
大型モニターで2時間。ノンストップで見る!(1) [編集作業]
壮大な失敗作を作っているのではないか? [編集作業]
編集作業をほぼ終え(あとあと、直したくなるとこがでる)
音の整理もほぼ終えた。あとは細かな手直し。
最初はDVD3枚分だった映像が
現段階では2枚に収まるようになっている。
イメージする音楽も合わせて、みる。
最終的には音楽家さんに作曲してもらうのだが、
「こんな感じの曲を作ってほしい!」
というものを、事前に映像に貼付けてお願いする。
監督によっては、音楽家さんにお任せ!という人も多いが
僕はかなり細かな注文をする。弦楽器。金管楽器。ここはピアノとか。
たぶん、うるさい監督・・・の1人と思われているだろう。
そんな音楽もつけて(その1曲はバーバー「管弦のためのアダージョ」)
書き出しをしてみる。
これまでも、3枚に分けて、前半だけ、後半だけ、中盤だけと
大きなテレビで映してみたことはあるが、
頭から通して最後まで見る。これは初めて・・。
かなり不安。先にも書いたが、もしかすると、
多くの人の支援、協力を得て、壮大な失敗作を作っているのかもしれない。
さあ、どうか?
(つづく)
老人の顔・・・。(下) [編集作業]
「ストロベリーフィールズ」に出演してくれた波岡一喜くんと
4年後の「青い青い空」で再会したとき言われた
「監督! 何があったんですか? 髪真っ白やないですか!」
そう、「ストロベリー」のときは、白髪は全くなかった。
それからの4年でかなり白くなってしまった。
今回で3本目。5年×3本目で、15年。65歳の顔でもおかしくない。
それが2週間ほど前。
先日、コンビニで鏡を見た。
もう老人の顔ではなかった。あのときは極端に疲れていたのかもしれない。
が、映画は魂を削る仕事。
毎回、遺作だと思ってかかる。
完成後に老人になっているかもしれないが、生きていれば恩の字だ。
編集作業はつづく!
(つづく)
老人の顔・・。(上 [編集作業]
この部屋は、蛍光灯というものがなく
(あの光が嫌い)
間接照明にしている。
(もちろん、LED!)
だから、暗い。
(暗いのが好き! というより、蛍光灯の無神経な明るさに耐えられない・・)
それが薬局の量販店なんかに行くと、今も311以前と変わらないほど明るい。
瞳孔が痛くなるほど。
先日、夜遅い時間に行き、ふと店内にあった大きな鏡を見た。
そこに写っていたのは老人の顔だった・・。
もちろん、自分の顔が写っているのだが、
まぎれもない老人の顔・・・。
昔から、「若い!」といわれ、30過ぎても「高校生?」と言われたのに
今もなかなか50歳には見られない。
子供からも「おじさん」と呼ばれることも少ない。
だが、その鏡に写った顔は、「おじさん」どころか、老人・・。
・・・・・ショックだった。
ついに、ここまで来たか・・。
でも、映画を作るとは、そんなものなのだ。
1本作るごとに、5年年を取る。「恐怖新聞」みたいな。
(つのだじろう原作の漫画です。恐怖新聞を一部読むと、1年寿命が縮まる
というオカルト漫画)
それを思い出した・・・。
映画1本は1年でなく、5年10年と歳を取るのだ。
(つづく)
編集を続けると、必ず襲われる不安感(下) [編集作業]
ある作品を編集中のとき
プロデュサーたちがこんなこと言ってきた。
「この映像では目が疲れるだけ、駄目だ。根本から編集をし直せ」
「2時間ドラマのような見やすい編集にしろ!」
なんて言い出した。僕自身も不安は感じていたが、
そこまで酷いものではない。が、
反論する自信があるわけでもなかった。
僕は頑固なので、結局、彼らの指摘を受け入れず
「だったら、クビにする!」
と脅されながらも、自分の思うように編集。
公開された作品を見た観客の多くが号泣した!
「ハンカチじゃ足りないからタオルを用意した方がいい」
そう言われた。
プロデュサーの指示通りに編集を直していたら、
あれだけの評価は得られなかった。
だから、自分を信じるしかないのだが
・・・・苦しい戦いは続く。
(つづく)