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SF映画。地球滅亡カウントダウン! 新しい星に移住する人類。でも、全員は行けない! [my opinion]

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SF映画。地球滅亡カウントダウン! 新しい星に移住する人類。でも、全員は行けない!

昔、こんなSF映画があった。巨大隕石が地球に激突することが確実となり、ノアの方舟と言える宇宙船を建造。人類は別の新天地を目指す。が、全人類が乗り込める訳ではない。選ばれるのは、若くて、有能で、技術や知識がある者。年寄り、持病持ちは落とされる。次の時代に必要とされない者は、宇宙船に乗れない。

その選別は大変だ。年齢を誤魔化す老人。手に職がある見せかける若者。金を使い乗船リストに乗る大企業の社長。政治力で割り込む議員。規定があっても揉める。そのために戦争が起こるかもしれない。宇宙船乗っ取り。あるいは「どうせ、乗れないのなら破壊しろ!」と言う過激なグループも出てくるだろう。映画では多くの犠牲を出しながらハコ船号は宇宙に飛び立つ。

この先は僕の想像。選別を揉めずに簡単にする方法がある。「誰を宇宙船に乗せるか?」を考えるのではなく、乗せない人間、乗せるべきではない輩を選ぶのだ。いや、地球政府が選ぶのではない。次の時代に必要とされない人たち自身が、不適格であると手を上げる環境を作り上げる。例えば、見え見えの伝染病を演出。どう考えて危ない治療薬を発表。「タダで投与できますよ〜」とアナウンスすれば、考える力のない市民たちが手をあげて集まる。

船に乗せてはいけないのは、その人たちと地球政府は判断する。考える力が欠如。言われたことしか出来ない。疑わず従うだけの人たち。文句は言うが行動しない。頑張る人の批判ばかり。その種の人の労働力なら次の星ではロボットが賄う。大切なのは自分で考え、疑い、行動し、技術を持った若い人たちなのだ。

その選別法なら、あれこれテストやリサーチをしなくても、簡単に結果が出る。薬を飲んだ人はある結果が出て、自動的に船には乗れなくなる。次の星で活躍するのは、そうではない人たち。と言う悲しいSF映画って近い将来、現実になるかもなあとか、考えてしまう。政府にすれば、その方が選ぶの簡単だし。ま、架空の物語だけどね。


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何もせずに優越感が持てる方法。若者編。大人編。 [my opinion]

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何もせずに優越感が持てる方法。若者編。大人編。

芸能事務所のスタッフに聞くと「最近の若い子は事務所に入れば、あれこれしてくれてデビューさせてくれる!と思い込んでいる。でも、大切なのは本人が努力すること。なのに何もせずに芸能人になれると思ってる・・」

最近の大人。自分からは何もせずアジアの国々を嫌い、批判し、踏みつけて「やはり日本は凄い!」と自慢。これも同じ。何の努力もせずとも「俺は日本人だ!」というだけで優越感を持てる楽な方法。(ネトウヨのルーツはこれだろう)

友達おらず、会社で認められず、世間から置き去りにされた寂しい大人。この方法で辛い環境に耐えながら、優越感を得ようとする。あるいは有名人や政治家を批判。「あいつら本当にダメだよな〜」とツイート。他人を批判すると自分が偉くなった錯覚に陥る。

数分間は満足。でも、それはすぐに消え去る。だから次のターゲットを探す。反論されず、多くが攻撃している有名人を探しまた、批判ツイート。ネトウヨも、ネトサヨも同じパターン。正義中毒も同じ構図。悲しいねえ。


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口ばかりの人たち。行動する人=口だけ出して自己満足? [my opinion]


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口ばかりの人たち。行動する人=口だけ出して自己満足?

また暴論を書く。捻くれ者の意見。承知で読んでほしい。過労でダウンしていると、「**を食べましょう」「**はやめましょう」「野菜が足りませんよ」と会ったこともない人たちがコメントしてくる。「砂糖は止めるべきです」って、うちに砂糖はない。甘いものも食べない。僕のことを知らない人があれこれ言ってくる。何も知らないでアドバイスもできないはず。それは親切ではなく、どこかで聞き齧った知識を押し付けているだけではないか?

街角で倒れている人がいて、知らない人なのに「ビタミンCを取った方がいいですよ」とアドバイスするか?それが親切なのか? 同じことをFBでしている人が多い。「病院に行きましたか?」「薬は飲みましたか?」となぜ、疑問文でコメントするのか? 返答を求めているのと同じ。ダウンしている人に労力と時間を使わせる、そんな要求をなぜするのか? 

自己満足?「私は優しいからつい、心配しちゃうんです〜」と深層心理で思ってはいないか? だとしたら、それは世の中に対して何もできずにいる無力な自分を慰めるための代償行為。みな、無意識にしてしまうが、相手のためでなく(実際何もできないし、相手のことを知らない)自己満足であることが多い。

なのに繰り返し「野菜が足りませんよ」とコメントするのは嫌がらせ。あなたは主治医でも栄養士でもない。何を持って判断、指摘しているの?あんた誰? でも、彼ら彼女らは、悪意もなく、罪の意識もないので始末に悪い。

そんな中、健康食品を送ってくれた友人がいる。これは感謝。あれするな!これするな!と言うだけの人たち。行動で示してくれるのが1番ありがたい。だからと言って「何か送ります!」というのは遠慮しておく。

以前にも書いたが、れいわ新選組に対して「学校を作ってください!」「太郎さん。***法を提案してください!」と頼み事をする人の多くは自分からは何もしない。なら寄付しろ、ボランティアしろ、ポスター貼りに行け。同じ構図に思える。何もしない人ほど口出しする。人にあれこれ指図する。



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テレビを信用してはいけない!? [my opinion]

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テレビを信用してはいけない!?

情報番組は批判と擁護の役割をコメンテーターに振り分ける。「両方の意見を公平に伝えます」というスタイルを取る。国葬賛成、反対。そのことで「偏向報道してませんよー」というアピール。官邸や視聴者からクレームが来ないようにする。

そのためにスシローは重宝。視聴者がいくら批判しても出る。必要なのだ。ちなみにいつも熱い玉川さんも本当にヤバいことはい言わない。嘘も言う。社員だし、番組の意向に沿わない人は即、降ろされる。

政府切り込むように見える硬派なあのジャーナリストも同様。上から指示があれば触れない。多くの人が絶賛するが真実を伝えてはいない。いや、体制の片棒を担いでフェイクニュースも流している。テレビ[TV]信じて見たら確実に誘導される。



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映画監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする? [my opinion]

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監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする?

ヒットしたドキュメンタリー映画の監督。その人の本を読み始めたら、アメリカ大統領選に話が出てきた。「トランプが群衆を扇動して暴動を起こした。怖くなった!」と書いている。あの素晴らしいドキュメンタリーは何だったんだ?と思える「見る目」のなさ。先を読む気がなくなった。

太平洋戦争題材の映画を作った監督。彼の本には「プーチンは征服者である」的な記述が出てくる。沖縄戦から何を学んだのか?と考えてしまう。だから、あの映画は真実が描かれていないのか?

どちらも映画監督。同業であり先輩だ。監督業は「嘘を見抜く目」が必要。なのに、まんまと誘導、印象操作され、著書で嘘を拡散?している。いや、彼らが問題なのではなく、嘘を見抜く仕事をする監督業さえも巻き込まれるプロパガンダが進んでいるのかもしれない。

いや、やはり、彼らに「見る力」がないだけ?と考えてたりもする。


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困ったちゃんと対峙すると、心に気持ち悪いものが広がる? [my opinion]

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困ったちゃんと対峙すると、心に気持ち悪いものが広がる?

自分のことは自分では分からないもの。「太田は変わってるなあ」とは子供時代から言われたが、僕自身は普通だと思っていた。が、少し前だが、ある若い女性からこう言われた。

「太田監督は感じる力が強い。だから、小さなことでも強く感じとってしまう。人一倍、疲労する。でも、感じる力があるから、あんな感動作をたくさん作れるんだと思う....」

その割に幽霊を見たことがない。感じる力あっても、それはダメなのはなぜか?とも考える。が、分かる部分もある。人と会うといろんなことを感じる。ま、先にも書いたが霊感が強い訳ではない。いつも言うように「細かいことが気になる悪い癖」はある。そのために、初対面で会った人の問題点を、あれこれ解明してしまう。

性格、価値観、趣味、嗜好、過去、経験。ちょっとした言葉から、ちょっとした仕草、目つきから、あこれこれ見えて来て「ああ、なるほど」と結論づいてしまう。監督業より刑事か探偵の方が良かったのか?その人が批判的な言葉を発しなくても、感じる。原発事故の悲劇を描いた「朝日のあたる家」の時は映画館でこんなふうに話かけられた。

「大変でしたね。こんな映画こそシネコンで上映すべきですよ〜」

褒めてるように聞こえる。が、本音はこうだ。

「偉そうに原発の映画撮って、調子に乗ってんじゃねえよ。あの程度の映画なら誰でもできるんだよ〜」

僕も黙っっていない。「いえ、各地のシネコンで上映されますよ!」本音を突かれた相手がムキになり、批判を始める。相手は貶してやりたい!貶めてやりたい!と言う思いがある。が、ことごとく論破。その人も反原発。映画を作った僕が新聞で紹介されたり、映画祭に呼ばれたり。それが気に食わない、だから一言言ってやろうと近づいてきたのだ。

もし、無神経なら「あーそうですか〜。頑張ります〜」で会話は終わっていたかもしれない。皮肉や嫉妬を感じ取れなかっただろう。だが、その方が気が楽。その後、しばらく嫌な思いが続く。心の中を気持ちの悪いものが数日間、戸愚呂を巻く。

困ったちゃんの相手。いかに傷つけずに、己の行動を把握させて反省。トラブルを止めるか?を考える。ストレートには言えない。しかし、遠回しに言っても気づかない。こちらはイライイライラ! 時々、怒鳴りそうになるが、それでは解決しない。仕事が終わっても気持ち悪さが続き、忘れられない。

あの時、どう言うべきだったか?こうか?ああか?そんなことを反省してしまう。細かいことが気になる困った性格。友人に聞くと「嫌なことがあっても一晩寝れば忘れるよ!」なんて裏やましい。そんな性格の方が長生きできる。

ただ、映画を作るのなら、いつまでもウジウジと考えて、過去の事件を忘れない。細いことが気になる性格でないとダメだ。苦しみ、悲しみ、嫉妬、羨望、怒り、そんなことをビビッとに感じ取れてこそ、人の気持ちを描くことができて、感動ドラマを作ることができる。

「絶対音感」は音楽家にとって大切な能力だと聞くが、雨の日など音で1日中気持ち悪い思いをするという。不揃いの不協和音を雨の間、聞かねばならないから。それに近いのか? 相手に悪い気がなくても、単に相手が無神経なだけでも、あこれこれ感じてしまい、気持ち悪さが残る。「あー近づかないでくれ〜」。フォー・ムラサメの気持ちが少し分かるような気がする。

だから、疲労困憊の時は人とは会わないで、静養する必要があるのだろう。と言って人付き合いは苦手ではない。難しい人と対応するのはむしろ得意。そんな人にこそ気に入られてたりもする。友達も多い。繊細な詩人タイプは孤独を愛し、友達も少ないはず。反対だなあ。

ま、でも、集団行動は無理。学校生活にも馴染めなかった。親切心でも、あれこれ言わないでほしい。放っておいてほしい。映画界、芸能界。そんなタイプ多いのかも?と考えたりする。


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会社員になれなかった理由。今頃、分かった! [my opinion]


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会社員になれなかった理由。今頃、分かった!

「何で枠店、打たないの?」と聞く同僚。

「マスクしなよ!」と言う上司

 それ最近のことでしょう? いえいえ、それ以前でも...

「髪、長いんじゃない?」と言う取引先

「ネクタイくらい着けなきゃ」と言う客。

即、会社辞める!言った奴、殴ると思う。<=ダメよー

そんな奴、絶対に会社員にはなれないよね。
美学、モットー、価値観の問題ではない。

あれこれ指示されるのが、嫌い。それだけ。
我慢が足りない? そう、足りないんだよ。へへへ。


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私の投稿動画が削除された件=人は自分が被害に遭わなければ、他人事? [my opinion]

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昨日、配信予定だった動画がYT社に削除された。マスクの無意味さを考える内容。要は「WHOの発表と違う、デマ。だから削除!」と言うこと。だが、マスクはウイルスを通してしまう。感染を防げないのは科学的な事実。それを無理やりデマと決めつけ配信前に削除するのは、言論弾圧であり、言論統制である。

現在はテレビ、新聞も同様。背後にいる人たち(スポンサー)に都合の悪い情報や意見は取り上げず排除。都合のいいーつまり、国民を誘導するために有効なー情報や意見を報道しているのが現在はマスコミ。そしてビックテック。


そんな記事をブログ、Twitterに上げたのだが、ほとんど反応がなかった。コメントも3つくらい。それも問題視しているものは1つだけ。そもそもが関心を示さなかった。FBにも記事を上げ、コメントはいくつか来たが、論点が「マスクの無意味性」についての賛同であり、強制的な削除されたことに触れるものは1つくらいだった。

今回のことは言論封鎖。戦時中と同じことが行われた。しかし、そこに関心を示さない人たち? 考えてみた。「最近よく聞く話だよ。珍しくないね」「あーあ、やられたんだ〜お気の毒」という感じか? それとも「コメントしたら俺もマークされるかも?」「危ない監督なんだ。距離を置こう」ということだろうか?

YT側に対する批判は一つもない。もしかして情報統制の社会を多くが受け入れてしまい、当たり前のことだと思っているのか? あるいは「俺にはどーすることもできないから、関わらないようにしたい」という表れなのか? いずれにしても戦時中の日本人と同じ反応。「触らぬ神に祟りなし」である。思い出すのはニーメーラーの有名な詩だ。

「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから」

情報統制があったことを知っても何も反応しない。あの時の再現か? ただ、偉そうなことは言えない。動画の削除は以前から聞いていた。直接の知り合いではないが、毎日見ていたYouTube動画が突然に削除されることがあった。

その当時は大統領選の話題だったが、最近は567、枠店の話をすると消されると聞く。が、僕自身はリアリティを持ててなかった。それが実際にマスクの話をして、配信前に消される。その理由もおかしなもの。完全に情報統制。言論封鎖である。ビッグテックはこの数年、国民をある種の方向に誘導していることは多くが知っている。国民に拡散してほしくない情報は削除。その一環なのだ。

理屈として情報としては分かっていたが、自身の動画が消されると言論弾圧とは何か?を痛感。巨大な力で押し潰されることを体感した。もしかしたら、記事を読んだ人たちも同じではないか?「監督の動画削除された?へーー」それで終わり。言論封鎖を実感できない。その危険性を感じることができない。だから、YT社への批判コメントもなく、現状の恐ろしさを論じることもない。

沖縄戦をー思い出す。言葉では説明しきれない、あらゆる地獄が繰り広げられた戦争。でも、興味がないと知ろうとしない。NHKスペシャル見ても「へー大変だったんだねえ」としか感じない。「だって、沖縄。遠いし関係ないし」という思いが根底にあるのだろう。同じように「だって私、YouTubeやってないし〜」「関係ないから」「消される話。よくあることだし」という感覚なのだろう。

それよりマスクの方が関心がある。だから、そちらのコメントばかり。なるほど、ニーメーラの指摘通り。多くの人は直接自分が被害を受けないことを実感するのは難しいのだ。それを利用したのが戦争。少しずつ情報統制を進めて、国民が反対しないように、他人事だと思わせておく。自身も関係することに国民が気づいたときは手遅れ。ニーメーラーの詩のようになる。

「そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

それが大手企業、国のやり方。そして国民は何度でも同じ手に引っかかる。僕を含めて、自身が痛い目に遭うまでは関心を持たない。


こちらで削除動画が見れます!=>https://www.facebook.com/takafumi.ota.52/posts/pfbid0y9Lc6C1XfQKu9tBtyTSdzC413xdyqsrQv65ruCpRJECni5LLzA9WrGUxp8DjXJHAl

Y社からの連絡(クリックすると大きくなります)
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誤解される映画監督業はウクライナ問題とダブる?ーデマと思い込みに振り回される日本人 [my opinion]

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誤解される映画監督業はウクライナ問題とダブる?ーデマと思い込みに振り回される日本人

以前にも書いたことがあるが、映画監督業は理解されない。というより圧倒的に誤解される。ありもしないことで妬まれたり、批判されたりする。一般的にイメージする監督像はこうだ。「金持ちだ」「芸術家、文化人」「女優とよく酒を飲みに行く」代表的なのはこんな感じ。芸術家というのは間違いではなく、感動作を作るアーティストではある。が、金持ちというのは違って、日本で金持ちといえる監督は10人いないだろう。ほとんどが貧しく、新人サラリーマン以下の年収。

「映画監督は遊んでばかりいて、仕事しない奴が多いからだよ!」と言う人もいた。全くの外れではないが、その種の人は極々一部。遊んでいるから貧しいのではなく、いくら仕事をしてもギャラが安いから貧しいのだ。それも長期間仕事せねばならない。映画が完成しても宣伝にも協力するのが慣習。そのギャラは出ない。舞台挨拶ツアーで全国をまわっても出るのは旅費だけ。その間の収入はない。

が、自分が作った映画をより多くの人に見て欲しくて、宣伝に協力。ギャラをもらわなくても、映画をアピールできることは大事。インタビューを受けても、テレビ、ネット番組出演しても収入にはならない。キャンペーンが1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と続くこともある。その間の収入はゼロ。映画がヒットしても、その利益はスポンサーに行き、監督には一切入らない。

その辺を知らない人は、宣伝や舞台挨拶でもギャラをもらい、映画がヒットすれば印税生活!と考える。いや、そこまで考えずに「テレビや新聞に出る人は金持ち!」と言う印象なのだろう。芸能人と同じと考える。だから「女優とよく酒飲みに行く」「遊んでばかりいる」と言うゴシップ紙に出る芸能人記事と混同してしまうのだろう。だが、芸能人でも毎晩、六本木で豪遊するのはごく一部。多くのタレントや俳優はアルバイトをしなければ生活できない。

僕の場合。舞台挨拶や宣伝をノーギャラでやる以外にも、予告編製作もタダでやる。本来、外部のプロダクションに発注するのだが費用がかかる。僕の映画の宣伝費はいつも少ない。節約のために僕が作る。ポスター、チラシのデザイン。説明文も僕が書く。最後はプロのデザイナーが仕上げてくれるが、その前部分は全部やる。これもノーギャラ。少しでも宣伝費が有効に使えるように、僕がタダでやれるものはやる。

ブログやFacebook。YouTubeも宣伝に一環。映画が出来てからHPを作っても、なかなか見てもらえない。それなら日頃から発信しておけば、映画公開の時に効果がある。だから毎日、更新しているのだが、その理由を知らない人は「監督。ネット依存症だね?」「毎日更新、暇だね〜」とかいう。ただ、ブログにTwitter、あれこれやるには時間を取られる。時々、本当に嫌になることがある。原稿料がもらえる訳でもない。

それでなくても映画制作では、監督、脚本、プロデュサー、編集、演出部、制作部(ロケハン)、宣伝と7人分の仕事をする。だが、ギャラはもらって2人分。乱暴に会社員で計算すると、残業も入れて1日10時間働くとして、その3人分の仕事をすれば1日30時間労働。寝る間もない。だから3倍のスピードでやる。土日も働く。盆暮なし。正月も仕事という生活がもう10年以上続いている。

だから1本の映画が完成すると、過労で倒れる。それ以前に医者から「いつ死んでもおかしくない!休みなさい」と言われるのだが、制作中は休めない。終わると倒れて数ヶ月寝込む。朝起きたら死んでた?ということになるかもしれない。ただ、それは覚悟。毎回遺作と思っている。観客が感動する作品ができればいい。

ギャラを上げて!とも言わないし、ノーギャラは嫌だとも思わない。十分な予算の作品であれば解決されること。今は低予算作品で倍以上のクオリティを上げたくて奮闘している。予算内で出来ることしても観客を感動させることはできない。貧しい作品になるだけ。なら僕が3倍4倍働くことでクオリティが上がれば!と思っている。

だが、倒れるまで仕事しても「毎日、遊んでばかりいるんだよね〜」と言いにくる輩がいる。地方で仕事すると「監督料取るの?自分が撮りたい映画を撮っただけだろ?」とか言われた。「映画監督は金持ち」という思い込みがあるので、そう考えてしまう。あるいは「女優と毎晩、飲み歩いてんだ〜ムカつくな〜」と妄想で嫉妬する奴もいる。現実を知らない人たちが、世間の噂やゴシップ紙を鵜呑み。それが赤の他人ではなく映画の関係者だったりもする。誹謗中傷、当て擦り、デマを流す。陰口。まあ、ありもしない事を言って回る。

それを信じてしまう人たちもいて「えー、あの監督。そういう人だったの〜気をつけないと!」と田舎でよくあるパターン。映画を依頼してきた実行委員まで巻き込まれて、デマを拡散。「あんたの街の魅力を伝える映画を作ってんだよ?」と言いたくなる。その街の人から批判される。「あの監督、ギャラ取るんだって!この町が好きだから監督したんじゃないんだよ!ボランティアじゃないんだ」とか、言われたこともある。

まあ、無神経な外野があれこれ批判するのは仕方ない。が、ありもしないことで、考えれば分かるデマを鵜呑みにして関係者が一緒になって「酷い!」「許せない!」「あの監督は悪い人だ。騙されてはいけない!」と言い回る。こんな人もいた「映画?面白そう〜」と寄ってきて、ボランティアでエキストラ。「え?ギャラ出ないの。酷い〜」という。ボランティアって言ったでしょう?なのに「監督に騙された〜」と言い回る人もいた。

そこでウクライナ問題を思い出す。「プーチン悪魔だ!」「ロシアは虐殺をやめろ」「ウクライナに平和を」「ゼレンスキーがんばれ」という人たち。ほとんどがウクライナに行ったこともない。現状も歴史も知らない。テレビが垂れ流す報道を鵜呑みにして「酷い!」「許せない!」と言っているだけ。同じ構図。おまけに「プーチンはなぜ侵攻したのか?」と疑問を持つだけで「ロシア擁護か!許さん〜」とコメントしてくる人たちも多い。戦時中の「非国民!」と同じ。

自分で調べ、考え、判断せずに、聞き齧った情報を鵜呑み、精査せずに信じ込む。その意見と違う人を糾弾。否定する。それをわざわざ本人に伝える。同調圧力をかける。そんな愚かな習性を利用。毎回、戦争は進められて行く。強制されるのではなく、人々が自発的に賛同し、参加して行くのだ。それは今回、急に始まったのではない。この10年の僕自身を取り巻く一部の人たちと同じ行動パターン。

山本太郎さんも同じような環境にいる。「日本を良くしたい。国民の生活を向上させたい」と活動しているのに、その国民が彼を批判し、ありもしないデマを触れ回る。日本を良くしたい彼を、政府に踏みつけられている人たちが攻撃する。こんな悲しいことはない。

僕の場合。最初は誤解を解こうと説明した。が、いずれの場合も理解を得られず、批判を続けるばかり。事実や現実を知ろうとせず、すでに信じ込んだデマや噂から逃れられない。その種の人たちに時間と労力をかけて、理解してもらうことに虚しさを感じた。それより、僕のやろうとしていることを理解、支持してくれる人のために時間と労力を使うべきだと考えるようにした。

ただ、今も思うこと。一時は本当に献身的に応援してくれた人たちが、デマを信じてしまい、手のひらを返して批判を始めたことがある。悪い人たちではないし、むしろ純粋で真っ直ぐ。そのことは今も感謝している。が、どう説明しても「お前に騙された!」と言い続ける。これはもう今後の行動で、いつの日か理解してもらうしかないと考えるようになった。

ただ、友人はいう「お前はいい人たちだったというけど、本当は左右されやすいタイプではなかったのか? 面白そうで近づいて来ても、映画製作は楽しいことばかりじゃない。少し嫌なことがあると、悪い噂を信じてしまう。悪気はなくても多くの人は、現実を判断する力は低い。この国は特にね」

そうかもしれない。そしてウクライナ問題ではそれが正解だろう。太郎さんの件も同じ。この間まで「がんばれ!太郎」と言ってた人が「太郎は変わった。初心を思い出せ!」と批判している。僕から見ると彼は何も変わっていない。移り変わる現実を理解し、新しい対策を打ち出しているのだ。その新しい現実を理解できない人たちが、批判をしているだけ。これも同じ背景。

大切なのは分からない人たちに、理解させることではないだろう。分かる者同士が集まり行動すること。あれこれ言ってくる人たちとは関わらないこと。彼らは愚かだが悪人ではない。結論が出れば理解するはずだ。その途中段階が理解できないだけ。ただ、デマを正義だとして、あれこれ言って来られても困る。無意味なことを強制されるのも邪魔になるだけ。悲しいが、例え罵倒されても、その種の人たちとは線を引き、自分が信じる方向に進むしかない。

答えが出るのは遠い未来ではないだろう。もう少しで誰もが分かる時代の答えが見えてくるはず。そこから新しい時代がスタート。だが、僕は今、かなり疲れている。この時期にあれこれ言って来られても、別の価値観を押し付けられるのも困る。Facebookと同じ。その種の人はブロックするしかない。見捨てるのではない。しばらくは遠くで見ていて欲しいのだ....。



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