困ったちゃんと対峙すると、心に気持ち悪いものが広がる? [my opinion]
困ったちゃんと対峙すると、心に気持ち悪いものが広がる?
自分のことは自分では分からないもの。「太田は変わってるなあ」とは子供時代から言われたが、僕自身は普通だと思っていた。が、少し前だが、ある若い女性からこう言われた。
「太田監督は感じる力が強い。だから、小さなことでも強く感じとってしまう。人一倍、疲労する。でも、感じる力があるから、あんな感動作をたくさん作れるんだと思う....」
その割に幽霊を見たことがない。感じる力あっても、それはダメなのはなぜか?とも考える。が、分かる部分もある。人と会うといろんなことを感じる。ま、先にも書いたが霊感が強い訳ではない。いつも言うように「細かいことが気になる悪い癖」はある。そのために、初対面で会った人の問題点を、あれこれ解明してしまう。
性格、価値観、趣味、嗜好、過去、経験。ちょっとした言葉から、ちょっとした仕草、目つきから、あこれこれ見えて来て「ああ、なるほど」と結論づいてしまう。監督業より刑事か探偵の方が良かったのか?その人が批判的な言葉を発しなくても、感じる。原発事故の悲劇を描いた「朝日のあたる家」の時は映画館でこんなふうに話かけられた。
「大変でしたね。こんな映画こそシネコンで上映すべきですよ〜」
褒めてるように聞こえる。が、本音はこうだ。
「偉そうに原発の映画撮って、調子に乗ってんじゃねえよ。あの程度の映画なら誰でもできるんだよ〜」
僕も黙っっていない。「いえ、各地のシネコンで上映されますよ!」本音を突かれた相手がムキになり、批判を始める。相手は貶してやりたい!貶めてやりたい!と言う思いがある。が、ことごとく論破。その人も反原発。映画を作った僕が新聞で紹介されたり、映画祭に呼ばれたり。それが気に食わない、だから一言言ってやろうと近づいてきたのだ。
もし、無神経なら「あーそうですか〜。頑張ります〜」で会話は終わっていたかもしれない。皮肉や嫉妬を感じ取れなかっただろう。だが、その方が気が楽。その後、しばらく嫌な思いが続く。心の中を気持ちの悪いものが数日間、戸愚呂を巻く。
困ったちゃんの相手。いかに傷つけずに、己の行動を把握させて反省。トラブルを止めるか?を考える。ストレートには言えない。しかし、遠回しに言っても気づかない。こちらはイライイライラ! 時々、怒鳴りそうになるが、それでは解決しない。仕事が終わっても気持ち悪さが続き、忘れられない。
あの時、どう言うべきだったか?こうか?ああか?そんなことを反省してしまう。細かいことが気になる困った性格。友人に聞くと「嫌なことがあっても一晩寝れば忘れるよ!」なんて裏やましい。そんな性格の方が長生きできる。
ただ、映画を作るのなら、いつまでもウジウジと考えて、過去の事件を忘れない。細いことが気になる性格でないとダメだ。苦しみ、悲しみ、嫉妬、羨望、怒り、そんなことをビビッとに感じ取れてこそ、人の気持ちを描くことができて、感動ドラマを作ることができる。
「絶対音感」は音楽家にとって大切な能力だと聞くが、雨の日など音で1日中気持ち悪い思いをするという。不揃いの不協和音を雨の間、聞かねばならないから。それに近いのか? 相手に悪い気がなくても、単に相手が無神経なだけでも、あこれこれ感じてしまい、気持ち悪さが残る。「あー近づかないでくれ〜」。フォー・ムラサメの気持ちが少し分かるような気がする。
だから、疲労困憊の時は人とは会わないで、静養する必要があるのだろう。と言って人付き合いは苦手ではない。難しい人と対応するのはむしろ得意。そんな人にこそ気に入られてたりもする。友達も多い。繊細な詩人タイプは孤独を愛し、友達も少ないはず。反対だなあ。
ま、でも、集団行動は無理。学校生活にも馴染めなかった。親切心でも、あれこれ言わないでほしい。放っておいてほしい。映画界、芸能界。そんなタイプ多いのかも?と考えたりする。
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