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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ーフィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。 [【再掲載】]

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 シアターキノでご覧になった方の「長崎昭子のブログ」より RT @PompinNiocki:


 役者・山本太郎、すばらしかった。それ以上にお父さん役の並木史郎、何気ない優しさと気弱さと、不安、怒り、やるせなさ…ものすごく伝わってきた。すばらしい役者さん。 #朝日のあたる家 . RT
@PompinNiocki:

  映画「朝日のあたる家」おそらく予算がないために映画として残念な部分もあったけれど、それを補って余りある内容だった。フィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。鳥肌たちっぱなし。

 
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原発事故の現実。皆が思うほど伝わってはいない [【再掲載】]

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 昨年は本当に「朝日のあたる家」に始まり

 「朝日のあたる家」に終わった1年。いや、まだ「朝日」日本縦断公開は続くのだが、いろいろと思い出すことがある。このFBでもいろんなことを綴ったが、日本中をまわり、様々な人と出会って感じたことも多い。

 この情報時代にいかに事実が地方に届いていないか?痛感。もはや原発問題はタブーではなく、テレビ新聞でもかなりなことを報道している。にも関わらず、多くの人が事実誤認をしていること。「電気が足りない」「原発がなくなると経済が立ち行かない」と思っている。テレビ番組のキャスターですらこんな発言をする。

 「原発がなくなると江戸時代に戻る」 

 そして何度も書いたが「福島の事故はもう収束した」「事故は大したことなかった」と信じている人も多い。さらに原発に関心ある人でさえ、そんな人が数多くいることを知らないという現実。「朝日」を観て「二度目の事故でこんな呑気に反応をするのはおかしい」と指摘する人が一部いたが、実はそれが現実。まだまだ、

 原発事故を取り巻く状況を知らない人。

 もの凄い数いるのだ。

 何よりも驚いたのは原発がある町では、未だに表立って「原発は危ない!」といえない空気があるということ。原発がある町ほど、福島の悲劇を痛感すると思っていたが、本当に人ごと。「この町は関係ないし〜」という人がもの凄くいる。

 ある原発立地県で「朝日の」前売り券をボランティアで売ってくれた方がいたが、1枚も買ってもらえなかったと嘆いていた。「何で原発事故の映画なんか観なきゃいけないの?関係ないでしょう?」てな感じだったらしい。単に原発の恩恵を受けているからではなく。こう考えている。

 「福島の事故は別の国で起きたこと」

 こうして原発に詳しい人はどんどん詳しくなり。そうでない人はますます福島への関心を失い。詳しい人たちは集まって原発ドキュメンタリー上映会をして、「そうだ!原発はいけない」と確認し合う。でも、その輪が大きく広がることはなく。毎回同じメンバーで確認を繰り返す。

 関心のない人は「脱原発より景気」と選挙で推進派を圧勝させてしまう。原発事故の現実は報道されても、それを受け止めているのは一部の人たちだけであり。これでは報道されないのも同じ。つまり、関心ある人は「誰もが原発の怖さを実感している」と思い込んでいるが、現実は違うということ。

 そこからスタートしなければ、いくら声高々に主張しても状況を変えることはできない。専門的なドキュメンタリーも必要だが、

 まず、福島で何が起こったか?

 専門的にはならない形で伝えることが必要だと思える。そんな寂しい現実を昨年1年で知った。その意味でまだまだ「朝日のあたる家」を多くの人に観てもらわなければ...と感じている。

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「朝日のあたる家」を応援してくれる人が、気づかぬ内にネガティブ・キャンペーン?! [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」は今年3月に、映画館ーシネコン公開が終わり、

直後にレンタル上映が解禁になった。それをネットで告知。これで一般の方、サークルや団体でも自主上映してもらえる。その記事を読んだある方が、僕の記事をシェア。コメントを添えていた。

「やはり映画館では上映できなかった。それで自主上映に踏み切ったのですね。 悔しい気持ちはよく分かります。でも、地道にがんばっていると、必ずいいことはあります。諦めずにがんばってくださいね!」

はあ? 日本全国27館の映画館で公開が終わったから自主上映募集をしたんだよ! ちゃんと告知を読んで? と、その人のFacebookに丁寧な文章で御返事。説明をしたが、反応なし。たぶん、本当にたまにしかパソコンを開かない方なのだろう。未だに「勘違いでした。すみません」という返事はない。

この人。勝手な思い込みで

「映画館上映はできないかった」という情報が日本中に発信されてしまった。それを読んだ人は「ああ、この映画はマイナーだから、映画館で上映されなかったんだ...」と思ってしまう。よくない!

「朝日」は全国の映画館、シネコンで公開。各地でヒット。海外でもアメリカ、ドイツ、ニュージーランド、シンガポール等でも上映。多くの人が見てくれた。なのに勘違いおじさんの記事を読んだ人は「やっぱり映画館では上映できなかったんだ.....」と事実ではないことが伝わる。

誹謗中傷の記事より、タチが悪い!

例えば菓子メーカーが新製品のチョコレートを出し、大ヒットした。にも関わらず「あのチョコは売れなかったんだね。応援してんだけどなあー」とネットで発信するのと同じ。つまり営業妨害だ。シェアしたおじさんに悪気はないが、これはネガティブキャンペーンと同じ。マイナスイメージを振りまいているのだ。他にもこんなツイートがあった。

 「自主制作映画ー朝日のあたる家。***ホールで上映。ぜひ、ご覧ください!」

 
「朝日」は自主映画ではない。プロの俳優とスタッフが作り、映画館で上映される商業映画である。自主映画というのは基本学生やアマチュアの映画好きの人たちが、製作費を自腹で出して作る映画のこと。基本、映画館では上映されず、自分たちでホールを借りて上映する。原発だけでなく、人権、差別問題を扱う作品にはその手の自主制作が多い。ツイッターの主は事実を確認することなく、そう思い込んだのだろう。

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だが、その手の映画。大切な主張はしているが、

説教臭いものが多い。自主制作というだけで「見たくない!」という人も多い。「朝日」はそうではなく、一般の商業映画として、普通の娯楽映画にしてある。

なのに「自主制作映画」と、事実でないことを付け加えてツイートされるのも、ネガティブキャンペーンと同じ。「朝日」は家族の物語。主義主張を押し付ける教育映画ではない。なのに「お説教映画」と思い敬遠する人も少なからずいる。その種のツイートも映画を歪めてしまう。そして、悲しいのは、そのツイートの主もまた、本当に映画を応援してくれている人であるということ。

「朝日」は多くの方の応援で、日本を超えて世界に

発信できた映画だ。今も感謝している。が、そんな中の一部の人たちが、本人が意図しないのにネガティブキャンペーンをしていること。本当に悲しい。それでなくても悪意を持って批判する人、誹謗中傷を続ける人たちが多くいる。

なのに、応援してくれる人が「よかれ」と思って、映画のイメージダウンに力を入れる。本当に悲しい。そんなコメントやツイートを見つけたら、説明メールを送るのだが、僕1人ではとても追いつかない。もし、その種の文章やコメント等見かけたら、ぜひ、説明あげてほしい。

そんなことで、ここ数ヶ月。心を痛めている。よろしくお願いします。

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「朝日のあたる家」予告編ロングバージョンを見た方の感想 [【再掲載】]

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静岡県、柳さんからのコメント

はじめて、この映画を見たときのことを思い出しました。あの時やはり私は唖然、愕然として泣くも泣いたけど、驚きの方が大きかったことを思い出しました。

その現実に、そしてその現実を映画にしてくれた監督さんがいるということに、ものすごいショックを受けました。そんな人がこの世にいるということに、という感じ。この監督さん命狙われたりしないのかしら、なんて余計な?心配したことを覚えています^^;

そして短い方の予告編は見てたはずなので、ある程度の心構えはできていたはずなのに本編では大ショック・・ということは、やはりこのロング編は刺激強烈「動かす何か」があるのかなと。そうだ。これもっともっと、シェアします!!

ショック=現実だよ!伝わりやすいように思います。ありがとうございます!!(^^)//

予告編=>http://youtu.be/rP2ztda0kpg





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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」に寄せられた感想(3) [【再掲載】]

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tomomi ‏@oddity_pure 10月11日
生徒 原爆も原発も一緒でしょ? 先生 原爆は戦争をする為に使う武器。原発は電気を造るもの ・・・って原発も原爆も要は一緒なのに、先生もっと勉強して欲しい・・・ 朝日のあたる家より・・・

kumiko sekioka #脱被曝 ‏@kumiko_sekioka 10月10日
昨日、「朝日のあたる家」を観てきた。いろいろと追体験し苦しくなる場面もあった。そんな中、太郎さんの登場場面では「今」に引き戻された。あれは台本があったのたろうか?太郎のセリフは常日頃彼が語っていることであり、視線の先には被曝に晒されている子どもたちがいるように思えた。

wako ‏@wako_66 10月10日
「朝日のあたる家」太田隆文監督と切通理作さん(批評家)との対談は興味深く、「世界大戦争」や「ゴジラ1」を観たくなった。しかし、ドラえもんには原子炉があって、食べたものを原子レベルにまで分解してエネルギーを作り出すとは。。(UやPuなど核分裂でエネルギーを作っているわけではない。)


映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「特に子供たちに観てほしいと思った。このタイミングで皆さんに観てもらいたいけれど、今の子供達だけじゃなく、何十年後先の子供達が、福島第一原発事故ってなんだったんだろうと不審に思った時に残り続ける映画になるんじゃないかなと思う」

映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「こういうストレートな作品があっていいんだよな。ドキュメンタリーとかはあったけれどフィクションとしては多分ないですよね。こういう作品をこのタイミングで残せ、後世に語り継がれていくものとして非常に重要な映画なんじゃないかと思う」

平和への道@彡トシピコ彡 ‏@toshipiko1 10月10日
「朝日のあたる家」よかったです。観た価値がありました。現実に添ったドキュメンタリー映画で、原発事故にあった家族の悲しさが描かれています。涙が出るくらい。チャンスのある人は、是非!観てください。#原発ゼロ @asahinoataru_ie

REIJI WAKAYA ‏@g69w 10月10日
映画『朝日のあたる家』の太田監督とおしどりマコさんケンさん夫妻、それぞれの伝え方で私達に意識の『今』を伝えてくれました。#69の会 http://instagram.com/p/fRNpRzv7YT/



miyako_nskw ‏@yukimisabou 10月9日
『朝日のあたる家』@渋谷UPLINK。冒頭、物語世界にひきこむ風光明媚な景色が、ラストでは胸をしめつける光景となり迫ってきた。原発事故により悲劇に見舞われた家族の時間、日常の輝き。希望をどこにみつけていくのか、移住しても終わりはこない、やるせなく静かな訴えがそこにはあった。


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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】 [【再掲載】]

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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】

 映画撮影では地元の方にとてもお世話になる。僕の場合は地元支援で映画製作を何本もしている。だから余計に応援を頂く。同じように、地元の支援で映画を作った後輩がいる。ある街で映画を作ろうとしたとき。Bさんという人が応援してくれた。

「この街も不況で大変だ。映画で街をPRして観光客に来てもらう! そのためには映画はとても有効なPRになる。応援するよ!」

 地元の人を何人も紹介してくれたり、飯を食わせてくれた。こうもいってくれる。

「オレが経営するレストランがあるんけど、撮影で使うなら、タダでいいよ!」

 ありがたい存在だったが、後輩監督が街の事情を知るに連れ、Bさんの事情も分かって来た。彼は地元でレストランを経営していた。不況で客が来ない。近所には全国チーェーンの大手ファミレスがある。多くの客を奪われている。

 だから、映画撮影をすることで宣伝。店をアピールしたい!という思惑があったのだ。確かに映画でロケ地になれば注目されるし、映画ファンはロケ地巡りと称して店に来てくれるだろう。雑誌や新聞等で紹介されることもある。

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 ただ、後輩は映画にとても厳しい。

 プロデュサーが女優のAさんを使えといっても、レコード会社が売り出し中の歌手C子の曲を使えば、協賛金を出すと提案してもOKしない。その作品のプラスになるのなら受けるが、そうでなければ、どんなに高額の支援をしてくれても断る奴だ。

 それが映画を駄目にする一番よくあるパターンだからだ。低予算の映画でも、映画というと、いろんなメリットが生まれるので、あちこちから、その手のアプローチが来る。が、そのことで映画の中身が歪られたり、クオリティが落ちるのであれば絶対に受けてはならない。

 なのにプロデュサーに嫌われたくなくて、物語に相応しくない俳優をキャスティングしたり、映画のイメージに合わない主題歌を流したりする監督もいる。いろんな圧力がかかり、仕方なしに受け入れる監督も多い。

 「なんで、あんな歌が最後に流れんの? 感動が台無し!」

「あの女優は違うだろ? 何で出したの?」と思う映画は、そんな事情が背景にあることが多い。ロケ地も同じだ。自治体から「**公園を売り出し中なので撮ってほしい」とか、地元の団体から「商店街でロケしてほしい」とか、リクエストが来る。

 が、それで映画がよくなるならいいが、物語に合わない場所を無理に受け入れても、その店や公園も映えない。映画も駄目になる。だから、断るのだが、そのことで、その人たちとの関係が崩れたり、トラブルになることもある。後輩はまさに、そんな立場に陥ったのである。

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 Bさんも次第に主張が変わって来た。

 最初は「うちの店で撮影してもいいぞ」だったのが「うちの店で撮影するだろ?」になり、他では「うちの店で撮影することになったんだ!」というようになる。どうも既成事実を作り、撮影しない訳にはいかないように仕向けているようだ。

 友人を紹介したり、飯を食わせたりしたのも恩を売って断れないようにしていたことも分かって来た。しかし、彼のレストランはあまりにも平凡で、その映画には合わない。さらにBさんの友人から「あのレストランで撮った方がいいよ」「彼とは揉めない方がいいよ。あとあと大変だから」と言われる。

 ただ、Bさんが応援してくれたのは事実。自分の店のアピールが目的ではあったが、応援は応援だ。が、撮影を断ればBさんの性格からして、いろいろと揉めるだろう。

 後輩は悩んだ。

 製作が正式に決まり、いろいろと考えて後輩は断った。理由はやはり映画に合わないから。そう伝えると、Bさんは態度を180度変えた。あちこちでこう言い触れ回った。

「あの監督は薄情だ。いろいろ応援してやったのに、映画製作が決まっても挨拶なしだよ。何だったんだよなあ〜。オレの友人もいろいろと応援したのによーほんとバカ見たぜ」

 彼はロケ地として選ばれなかったことは言わず、そう言って回った。それに彼がしたのは地元の人を数人紹介したこと。誰も映画製作に寄与していない。あとは一度、ランチをごちそうしたことのみ。多くの人が彼以上にいろんな形で映画を応援してくれている。見返りを求めず、様々な形で支援してくれた。あることないこといい触れ回るのはBさんグループだけ。

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 映画は無事に完成。地元では大ヒットとなり、

 多くの人が喜んでくれた。ただ、事情を知らない地元応援団がBさんの店にポスターを貼ってほしいと頼んでも、彼は頑に拒否。「あの監督だけは許せない、恩知らず!」と言い続けている。後輩はいう。

「Bさんも悪い人ではない。レストランをアピールしたいのも分かる。店の前まで行けば、通りを歩く人は皆、近所の大手チェーンのファミレスに入っていく。何とかしたい!という気持ちは理解する。でも、今回の映画はレストランが重要な舞台。Bさんの店では成り立たない。なぜ、個人ではなく街のための映画だと分かってくれないのだろう…」

 僕も同じタイプの人たちと何度も会った。さして応援してない人ほど、あとになって「オレが面倒見てやったんだ」といい、あれこれ見返りを求めてくる。「応援してやったんだから、今度はオレのいうことを聞け」とか言ってくる。

 が、それもおかしい。映画を作ったのは街のためであり、僕自身は毎回、借金が残るだけ。なのに個人に見返りを求めてくる。でも、そんな要求をして来る人は毎回いる。後輩にもBさんだけでなく似たようなこと言う人。批判する人がいるという。だから、こう話した。

「映画を作るには、多くの人の応援が必要。

 でも、メリットのなかった人は批判しがち。そして応援してくれても、あとになって批判する人もいる。けど、憎んではいけない。映画の世界は分かりづらく、誤解もされやすい。説明してもわかってもらえない部分もある。その町のためにがんばっても、理解されないことが多い。

 ただ、いつか分かってくれると信じて、その街で映画が撮れたことを感謝すること。僕らの仕事で全ての人に喜んでもらことはできない。できるのは、いい映画を作り、応援してくれた人たちに感動してもらうこと。町の魅力を再発見してもらうこと...映画屋にできるのは、そんなことぐらいなんだ...」


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宮崎駿監督はなぜ「風立ちぬ」を引退作に選んだのかー原子力ムラとの決別? [【再掲載】]

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今までのようなファンタジーではなかった「風立ちぬ」

なぜ、そんな作品を宮崎監督は引退作にしたのか? だいぶん前にそれを書こうとしたが、なかなかチャンスがなかった。編集も落ち着いたので、それを書いてみる。これはあくまでも僕の推理であり、ご本人に訊いた訳ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。

まず、なぜ、今回はファンタジーではなく。戦中に飛行機を作る現実的な物語を選んだのか? 宮崎監督はいう「この時代。ファンタジーはもう通用しない」それは凄く納得する意見だった。

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つまり、平和な時代でこそ、

荒唐無稽なファンタジーの世界でドキドキして、夢想することができるが、今の時代。特に311以降は現実がファンタジーを超える困難が続出している。悪夢のような時代。その中でファンタジーを観ることは無意味であるというのだろう。

ファンタジーは現実逃避のジャンル。2時間の間。その世界に浸り、現実の嫌なことを忘れる。映画が終わると平和な現実に戻り。また平凡な生活を送る。だが、映画以上の悪夢が現実の中で続いている。そんな時代に映画館で現実逃避をしていてどうする? 今こそ、厳しい現実を見つめ。どう生きるか?を考えなければならない、映画はその助けとなるべき存在ではないか? 僕は宮崎監督の台詞をそう解釈した。

今は現実を見つめる時代。

劇中では関東大震災から太平洋戦争までが描かれる、まさに今の日本ではないか? 東日本大震災があり、今また戦争に向かって秘密保護法や集団的自衛権を持ち出し「戦争の出来る国」になろうとしている。

そこで「風立ちぬ」とはどういう物語か? 思いだそう。簡単にいうと、飛行機が大好きな設計士の主人公が、大嫌いな戦争が勃発したことで、夢が叶い飛行機が作れるようになる。という物語だ。もう、分かったと思う。物語背景が現実を反映しているように、主人公にも反映がある。

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映画というのは基本、主人公は監督の分身である。監督の思いが主人公を通して観客に伝えられる。その意味でこれまでの宮崎作品は女の子が主人公だったが、「風立ちぬ」では男性なので、宮崎監督自身がダイレクトに投影されていると思える。そうすると、答えが見えてくる。

宮崎監督の発言を思い出そう。

「原発でない電気で映画を作りたい」

と発言したのを始め、彼は反原発を訴えていることで有名だ。そんな彼と「風立ちぬ」の主人公は大きな共通点がある。主人公は飛行機が好きだが、戦争は嫌い。けれど、その戦争のおかげで飛行機が作れる。宮崎監督はアニメーションは大好き。でも、原発は嫌い。けれど、、、、、、、、、そう、スポンサーの多くは原発推進企業なのだ。

あのテレビ局も、あの広告代理店も、皆、推進派。そんな企業からお金を出してもらい、自然の大切さ、子供たちへの思いを語り続けて来た宮崎監督は、まさに「風立ちぬ」の主人公そのもの。この作品を引退作に選んだのも。その思いを描くためではないか? そして引退宣言も。体力的なことより。そんな企業から金を出してもらって映画を作ること自体を止めたかったのではないか? 本当はこういいたかったのではないか? 

「原発推進企業でない会社のお金で映画を作りたい」

だから、映画を見ている間中。宮崎監督の思いを感じ、涙が何度も溢れた。人殺しのための戦争のお陰で飛行機を作れる主人公。原発推進企業のお陰で映画を作れる宮崎監督。本人にとって、こんな苦しいことはないだろう。

だからこそ、終わらせよう。

最後にその思いを伝えよう。それが「風立ちぬ」という作品だったのではないか?






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「朝日のあたる家」韓国メディアでニュース配信。英語圏向け記事も! [【再掲載】]

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 映画「朝日のあたる家」

 世界に広がっています。

 先にご紹介した台湾メディアの記事に続き、以下の言語、国でも紹介されています。

  台湾=>http://www.lihpao.com/?action-viewnews-itemid-133576###

 環境前線:由眾人集資完成的核災電影朝日之家

 以下から動画が見られます。

http://www.newslook.com/videos/644929-a-japanese-director-takes-on-the-nuclear-lobby

 英文での紹介記事
 
 http://nuclear-news.net/2014/01/02/a-japanese-director-takes-on-the-nuclear-lobby/

 記事頭の部分だけ、ネットの翻訳サイトで訳してみました。

 彼は、福島の後の原発問題に疑問を持ち、映画化のための製作費を必要としました。しかし、どの企業も彼のプロジェクトに従来の方法で資金提供することに興味を持ちませんでした。
 日本の映画産業も無視。「それは、主な映画会社だけでなく。私の計画に対する関心を示さなかったDVD会社(映画に投資することに、通常興味を持っている)も同じでした」と52歳の太田監督(賞賛された2006年の映画(カンヌ国際映画祭出品)「ストロベリー・フィールズ」を)はそう言います。「先輩監督は私に伝えました「原発事故の映画なんて作ったら、お前は二度と商業映画を撮れなくなるぞ」"


 韓国での紹介記事

http://www.vop.co.kr/A00000702632.html


 これは以前にインタビューを受けたもの。記事最初の部分だけ、
 ネットの翻訳サイトで訳してみました。こんな感じです。

韓国政府はいつも日本、福島原子力発電所汚染水流出によって国内に及ぼす影響はないと強調する。 先月26日原子力安全委員会では国立水産科学院が国内最南端東シナ海駅、鬱陵島(ウルルンド)などの海水成分を調べてみると放射性物質が発見されなかったという結果も発表した。 だが、国民は不安だ。 日本国内でも韓国やはり福島原子力発電所事故のような仕事が起きない可能性はないと話す。 記者は日本国内で原子力発電所事故を眺める多様な声を聞きたかった。 そうするうちに福島原子力発電所事故を背景に映画を作った太田隆文監督に会った。 彼は韓国国民に警告した。 "福島事故のような事故が韓国で起きても変でないこと"と話だ。


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僕がFacebookをやめた理由③ 「野菜が足りませんよ」事件? [【再掲載】]

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 前回、説明したのは「Facebook」は「ブログ」より人と人の距離が近いということ。相手の経歴、顔写真(出してない人もいるが)、性別、年齢、職業、趣味、住む町まで分かる。

 コメントした人がどんな人か?分かる。

そして「友達」承認した人しか連絡は来ないので安心。ブログだとコメントをくれても皆、ハンドルネームなので誰だか分からない。よって、無神経な中傷批判も多くなる。Facebookはその辺、信頼性が高く安心。

 だが、長年使っていると問題が見えてくる。

 ブログの場合。悪意ある批判がときどき来るが、相手が何者か?は分からない。反撃できない安全に場所にいて、攻撃してくる。それに対してFacebookは身元が分かるので悪意ある攻撃はし辛い(それでもするヤツはいたけど)のだが、「友達」が2000人を超えたあたりから別の問題が出て来た。最初の事件。僕がランチで食べたものを毎日アップしていたときのこと。

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 「朝日のあたる家」の横浜公開中で、連日、横浜に通う。ランチときはいつも品川駅。そばやハンバーガーばかり食べていた。その写真を見たFacebook「友達」が

 「野菜が足りませんよー」

 とコメントした。僕の健康を気にしてくれているんだなあ。と、嬉しく思う。が、その人は「野菜足りない」コメントを毎日して来る。

 「今日も野菜がないですね?」「明日は野菜を食べましょう」「昨日も野菜不足ですよ〜」

 最初は親切だと思うが、母親ではないのだ。毎日、言われても適わない。おまけに品川駅では野菜サラダが食べれるような店もない。野菜不足を僕が自覚していないなら、何度もコメントすることにも意味があるだろう。だが、それは分かっている。野菜を食べる店まで行く時間がないだけだ。にも関わらず、他の「友達」ー会ったこともない人たち何十人もが同じコメントをするようになる。

 「野菜が足りませんよ!」「野菜は大切です!」「野菜を食べよー」

 これも最初は多くの人が心配してくれているのだと思ったので、野菜サラダを食べたとき、その写真をアップした。ら、こうだ。

 「緑黄色野菜が足りませんね」

 「繊維質の野菜も食べよう」「ドレッシングはかけないで」で、緑黄色野菜の入った、繊維質の野菜が入ったサラダの写真をアップ。すると

 「野菜ばかりでなく、肉も食べよう〜」

 「糖分も大切!」「水分は十分にとってますか?」

 毎日、毎日、10人20人から同様のコメントが1日に何回も届くようになる。


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 中にはおもしろがってコメントしている人もいる。こちらはいい加減うんざり。

 「今後、野菜は足りませんコメントは禁止! 」

 という記事まで書いた。が、コメントをくれる人たちに悪意はなく、批判をしている訳ではない。もともと好意でスタートしているということ。

 「監督、がんばっているなあ。野菜が不足しているなあ。気づいてないのかな? 教えてあげよう」

 そんな気持ちから来ているが、彼ら彼女らは僕が毎日、三食、何を食べているか?は知らない。ランチの写真を見ただけだ。もしかしたら夕飯で野菜を食べているかもしれない。が、そんなことは考えず、「野菜が足りない」とコメントする。

 品川駅で野菜をしっかり食べられる店はないと書いても、「野菜を食べよう!」とコメントする。つまり、1枚の写真を見ただけで、あれこれ口を出す。誰かが言い出すと他の多くも参加してくる。野菜だけでなく、肉も、糖分も、水もと言い出す。連日、そんなことを書きこまれたら、こちらはうんざりする。

 それでなくても神経をすり減らす宣伝活動だ。

 野菜のことをコメントする余裕と労力があるなら、「朝日のあたる家を見よう!」と自身のFacebookに書いてくれる方がよほどありがたい。なのに「野菜を食べよう」と毎日、コメントすることが僕のためになると思い込んでいるのだ。

 つまり、好意のつもりでも、何ら本人のためになってない。むしろ嫌がらせに近くなっている。もっと、応援してほしいことは他にあるのに、プラスにならないことを延々と続ける。それでいて「友達」たちは「監督を応援している!」と思っている。基本はありがたい話だ。しかし、無意味。そして悲しい。


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 この種の問題はブログでは起こりにくい。ブログではふざけたハンドルネームで誹謗中傷コメントをして来ても、遠慮なく削除できる。だが、「野菜食べよう」グループは悪意がない。好意なのだ。その後、騒動が治まり「野菜が足りないコメントは禁止。即、削除します」と定期的に告知するようにした。だが、同じコメントが来た。告知通りに削除。すると、その人から怒りのコメント。

 「心配して注意して上げたのに、なぜ削除するんですか! 

 そもそも、あんな貧しい食事の写真をアップすれば、誰だって心配になるのが当然です!」

 その人は何度も出している「禁止告知」を見ていないようだ。しかし、貧しい食事(ハンバーガー)の写真をアップしたら、何をコメントしてもいいのか? 「心配」という言葉のもとに、会ったこともない人の、食生活について、あれこれいっていいのか? でも、同時に、こうも言う人もいるだろう。

「その人は告知を知らなかったんだから仕方ないだろう?」

「悪気はないんだから、まず、経過を伝えて、次から削除すればいいだろう」

 そのためにどれだけの時間がかかるのか? 宣伝作業は過酷。睡眠時間を削って仕事をしている。だからこそ、野菜をしっかり食べる機会もない。そんなときに、事情を知らない人が好意とは言え、あれこれ指摘してきたことに、時間をかけて丁寧に応える余裕はない。

 といって放置しておくと、また先のように「野菜が足りない」コメントする人が増えて行く。つまり、悪意はなく、好意とはいえ、それが結果として、仕事の邪魔をしている、時間を取ることになってしまう。


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 これがブログならコメントを放置すればいい。承認せねば誰も読めない。が、Facebookのコメントは全て公開される。それを見た他の人もコメントしてくる。何より気軽にコメントできる。ブログだと面倒だが、Facebookなら簡単。

 だから「あ、野菜足りないなあ。ひとこと言って上げよう」とコメントできてしまう。ブログだとその程度でコメントする人は少ない。つまり、その気軽さがおせっかいに繋がる。それが近所の人や会社の同僚ならいいが、会ったこともないFacebook友達に同様のアプローチをする。

 好意、親切=>大きなお世話、嫌がらせ 

 になってしまうことがある。その「友達」たちが「好意」や「親切」でコメントしていることは理解している。それだけに悲しい。同じような理由で、友人でFacebookを辞めたヤツが何人もいる。そして問題なのは「野菜が足りない」コメントだけではない。

 「薬は飲んではいけません」「目薬は危険ですよ」「運動不足ですね」

 「ジムで体を鍛えた方がいいですよ」「うがいは毎日していますか?」「さっさと仕事しろ」

 そんなことをコメントしてくる人が、とても多い。これらも好意なのだが、会ったこともない人たちに言われて嬉しいものではない。これらはまだ丁寧な表現だが、誰だお前は?というのも多い。

 「目薬。俺嫌いなんだよね」「そんな考え方しているようじゃダメだよ」「考え過ぎじゃないの?」

 さらには、記事をしっかり読まずに、当て外れな批判をして来る人。完全に勘違いな反論をして来る人。「監督のために言って上げてんんですよ!」とコメントするが、あんた顔写真も出してないし、年齢も分からない、覆面して意見言ってるのと同じだよ?ということも結構ある。

 そのたびに返答していては時間が取られて仕事に支障を来す。それでなくてもこの4年間。時間がなく、1人で7人分の仕事をし、結局、過労で倒れた。仕事の上でも、誤解や行き違いがあり、そのやり取りに追われているのに、ネット世界での関わりで同じことをせねばならないのは厳しい....。そんなことがFacebookでは、ときどき起こっていた。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2015-12-28-3

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組織のトップがバカだと、会社や国まで滅ぼしてしまう? [【再掲載】]

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もう5年以上前になるが、ある製作会社からシナリオを依頼された。会いに行くと小さな会社だが、社長は若くて、まっとーな人。業界によくいる怪しげなタイプではなく、やる気のある出来る!というタイプだ。社員もそこそこいるし、これまでも映画も何本か製作していた。

スポーツものを書いてほしい。「セント・エルモス・ファイヤー」のような感動の青春映画を作りたいという。そして僕の担当プロデュサーが紹介され、彼と共に作業を進めることなる。出版でいうと、編集者と作家の関係である。

ところが、その社長、次第に????ということが分かって来た。シナリオの第1稿が上がり、社長に見せると、こう言われた。「真逆なんだよー。今回のイメージは『アニマルハウス』なんだよ」と以前とは180度違うことを言い出した。その映画は感動の青春ドラマではなく、笑いの連続というおちゃらけ映画。

なぜ、方向性が変わったのか? 質問するが、的外れな答えばかり。訊いたことには答えず、「製作開始まで時間がない」と言うばかり。その上、同席した担当Pがこう言い出す。「僕は何度も注意したんですが、太田さんが勝手にシナリオの方向性を変えてしまったんです!」

はあ? 「セントエルモス・ファイヤー」方向で、何度も話合ったでしょう? 「アニマルハウス」なんて話。一度もしていないじゃない?と言いたかったが、Pまで社長と同じことを言い出した。そもそも、僕は青春映画が専門。コメディは書いたことはない。もし「アニマル」なら僕には依頼をするはずがないのだ。

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が、Pは会議が終わると何ごともなかったように、「まあ、文句をいっても始まらない。時間ないから、がんばりましょう」と笑顔でいう。しだいに分かった来たのは、その社長。ちょっと精神状態がよくないようだということだ。

ありもしないことを思い込んだり、絶対にできないことを出来ると信じたり、自分に逆らう者に圧力をかけたり。だから、社長が明らかに間違っていることでも社員であるPは、批判できず迎合してしまう。「そんなテーマの映画を今作ってどうするの?」というものを「これこそヒット作になる!」と思い込んで必死で進めようとする。

誰も止める人がいない。止めると会社から追い出される。友人たちに聞くと「あの会社で仕事をしたらダメ。社長が変人なので関わったら負け」と言われた。その情報。先に聞いておけば良かった。結局、その映画は潰れ、僕は半年近く、シナリオを何度も直したのに、中止の連絡さえなく、ギャラも払おうとしない。

何ヶ月も連絡を続け、ようやく社長を捕まえたら「お金はないの!」といわれ、殴ってやろうかと思った。けど、そんなことの多い社長で、不払いの連続。成立した映画はほんの数作だけだという。それから1年くらいで、その会社は倒産した。

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ま、当然だ。社長の話はかなりな部分が妄想や思い込み。話もコロコロ変わるのに、自身でそれに気付いていない。そして、他者に対して無神経。数ヶ月も働いたのにギャラも払わない。聞くと、その担当Pも契約制で月給をもらっている訳ではなく、撮影がスタートしたらギャラが出るということだ。

それになのにPは、社長が180度違うことをいっても、何ら指摘せず、それに従う。社長からの信頼を失わないように、僕自身の落ち度でシナリオが違う方向に行ったかのように批判、自己保身に走った。しかし、組織にいると、そんなふうになってしまうのかもしれない。

ある百貨店。社長の放漫経営で経営破綻した。誰も社長を止められず、会社が崩壊した。やはり、上がバカでも、なかなか、身の回りの者はそれを止めることができず。全てを失うまで何もできないものなのかもしれない。

会社だけでなく、国、政府であっても同じ。明らかに筋の通らぬ発言を繰り返し、間違った方向に暴走するトップであっても、まわりは必死で追随。外から見ていると滑稽なのだが、彼らはトツプに嫌われまいとする。関係者も寿司や天ぷらを振る舞われると批判しなくなる。

第二次世界大戦のドイツがまさにそれ、狂った指導者のもとで多くの不幸を招いた。同じことが身近な国でも起きようとしている。国民との約束を「新しい判断」という言葉で平気破る。狂ったトップはまわりをまきこみ、組織ごと。国ごと、崩壊させてしまう。なのに今そこにある危機に気付いていない人が意外に多い。



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