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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー客が入る見込みないから、上映拒否されたんだよ」と言う人たち [【再掲載】]

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 「私は原発問題に関しては中立」=「他人事。私には関係ない」的な思いの人が結構いること。以前に書いた。その逆で、誰かが何かを主張すると、それを否定したくて溜まらない人も多くいる。

 すぐに思い出すのは山本太郎さんを批判した人々。福島のこと。原発のこと。子供たちのこと。彼が主張することは、どれひとつとして間違っていないのに彼の存在自体を批判する声を多く聞いた。

 「朝日のあたる家」が映画館から次々に上映拒否を食らったときも同じ。こんなコメントが投稿された。

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 上映拒否とかいってるけど、映画があまりにも詰まらないので、前売り券が売れる見込みが無い。だから、映画館館が上映しないだけでしょ?­それを「上映拒否された!表現の自由の侵害だ!」とか言って­る奴ってどこまでアホなの?

 「赤字垂れ流しても、俺の崇高な映画を見ろ!」って意味な­の?それ自体が表現の自由侵害なんだよ。そーゆーことを平気で主張する馬鹿がいるから、反原発派は政権取れ­ないんだよ。

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 一体、どんな人なのか? どんな職業で、何歳で、どんな思いで毎日を行きているのか? 文章から分かるのは、映画自体より反原発を訴える人たちをバカだと思っていること。苛立つので、一言いってやらねば!という気持ちであること。しかし、この手の人。調べてみると、その理由が分かって来る......。

 反原発活動を批判する人たち。反原発活動で迷惑を受けていることはまずない。「見ていてウザイ」というだけで批判している。なぜ、そんな風に思うのか? その手の人に聞くと、こんな答えが返って来た。 

 「オレだって毎日、働いて、安い月給で苦労してんだよ。

 何が反原発だ。何がデモだ。そんなことしてられる暇人はいいよな。原発事故は福島だろ? 関係ねえんだよ。危険危険ってヒステリーなんだよ。オレはそれどころじゃねえよ。ほんとウザイ連中だよ、死ね....」

 つまり、彼等は福島の原発事故がどれだけ危険で他の原発も同じような事故を起こすこと。福島だけでなく日本全土が危険であること。知らないで、原発推進派のマスコミが流す大本営発表を鵜呑みにしている。

 だから、原発事故を他人事だと思うことができ「ウザイ」などといってられる。(同時に、反原活動をする人が決して経済的に恵まれていたり時間的に余裕があって活動している訳ではないことも想像できていない)

 結局「私は中立です」という人と同じ。事実を知らないから「中立」といえる。事実を知らないから「ムカつく」などと思える。全てはテレビが伝えない「福島で何が起こったか?」を知るところからスタートしなければ反原発を主張する人も、それを批判する人も次に原発事故が起これば、一緒にお陀仏。

 それを中立の人にも、反反原発の人にも伝えるのが「朝日のあたる家」。僕なりの戦いである。

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子供たちのためにできること。まず、親が本当の現実を知ること。 [【再掲載】]

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僕の映画のテーマは当初「子供たちに伝える大切なこと」。

なので、子供たちの気持ちを知るべく、中学生や高校生からも話を聞いた。教育関係者も取材。世間ではよく「今時の若者は...」なんていうけど、彼ら彼女らと話すと、凄く真剣にものごとを考えていた。

むしろ問題なのは親。親がバカだから子供たちが、悩み苦しんでいることが分かって来た。それからテーマは「親子に伝える大切なこと」になった。親の考え方が狭く、世間に振り回されているので、子供が苦労することが多いのが現実だと思えた。

では、親はなぜ考え方が狭く、世間に振り回されるのか? それを考えて行くと「教育システム」に問題があることが分かって来た。以前にも書いたが、日本の教育は「優秀なサラリーマンロボット」を育てるためのもの。与えられたことを確実にやり、上に逆らわず、余計なことを考えない歯車のような大人を大量に育てることで、それを原動力として企業を飛躍させようというのが目的。その優秀な歯車を選ぶ手段が偏差値であり、大学受験なのだ。

その方法論は成功して、日本は経済大国になった。

が、やがてバブルは崩壊。通用しなくなった。もはや言われたことを確実にするだけのサラリーマンロボットでは、厳しい経済戦争に勝ち抜いていけない。だから、替えの効く歯車は企業が危機的状態になると、使い捨てられる時代になってしまった。

しかし、日本の教育は未だに「サラリーマン・ロボット」の育生。自分で考えることができる人材が必要とされている時代に、まだ過去の価値観で教育を続けている。多くの親たちは気づかず、自分たちの時代と同じように、いい大学に行き、優秀なサラリーマン・ロボットに我が子をなれば、「将来は安泰!」と信じている。だから今も「勉強勉強!」と子供たちに、うるさくいい、よりよい大学に行かせようとする。

でも、それでは子供たちを幸せにすることはできない。価値観がどんどん変わり、未来が見えない時代に、考えるより暗記を中心とした教育を受けた子供たちでは、自分で考えて、困難を超えて行くことはできないからだ。

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そう考えると、親もバカだが、

国にも問題があることが分かってくる。が、僕は青春映画ばかり作って来て、「政治」に関しては不勉強。そこで、以前から、なぜ、国は時代遅れの「教育」を未だに続けているのか? いつか調べてみようと思っていた。そんなときに311が起こり。日本は大変なことになった。

中でも、よく分からなかったのが、原発事故。直後にテレビを見ていると大きな惨事にはならなかったと思えた。が、いろんな著名人が声を上げ、町角では大々的なデモが行われるようになった。そこで、仕事とは関係なしに、原発事故を勉強。心の底には高校時代に見た「チャイナ・シンドローム」の記憶。日本では事故は起きない、と言われていて起きた福島の事故。あの映画と同じ背景があるのではないか?というのも関心を持った要因だ。

このあとのことは、このFacebook、「朝日のあたる家」監督日記に何度も詳しく書いてきた。あっと驚くタメゴロー! こんなことが日本では行われ、様々な大企業がそこに関わり、膨大な利益を得て、政治をも動かしていたことを知り驚愕した。

学生時代に読んだ劇画。「愛と誠」

や「男組」そして「スケバン刑事」に出てくる政界財界を操る黒幕のような存在。「あれは劇画だとは思うが、現実はどうなんだろう?」とよく考えていたが、個人ではないが、日本の政治を動かすといっていい企業や団体が存在したことを知り、大きなショックを受けた。

日本と言う国は一部の人が大儲けするために、多くの庶民に厳しい負担をさせて、或いは犠牲にして成り立っていること。実感。それは今も続けられる時代遅れの「教育」と同じ背景でもあった。企業や金持ちだけが得をするためのシステム。江戸時代と同じ、一部のサムライのために、多くの農民が苦労して働く。それが日本という国。

ただ、それを気づかれないように巧妙にテレビや新聞を使って誘導している。そして一部の企業や団体だけが潤い、庶民に苦労をさせようという国作りをしようとしているのが、どこかの党なのである。

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といっても、一般の人は

「そんなスパイ映画の陰謀論みたいなこと。ある訳ないじゃん!」

といいそうだが、ネットをやっている多くの人はもう気づいている。アメリカだって同じ構図。日本も民主主義になったとはいえ、江戸時代と似たような状態なのだ。

それが分かりづらいなら、

日本全体がブラック企業だと思ってもらえればいい。

儲かるのはトップだけ、労働者は過労で死ぬまで長時間働かされるのに、安い給料しかもらえない。今、日本という国はそんなブラック企業を超えることをやろうとしている。

では、具体的に説明するとどうなるのか? それを何回かに分けて記事にしていく。親がバカだと、結局、子供を不幸にする。親がまず、賢くならなければならない。

そのためには、自分たちが生活する環境や状況を把握せねばならない。ダマされていることに気づかないといけない。それをまず、知らなければ親子共に不幸になり、「何でこんなことになったの! 私は何も悪くないのに」と後悔することになる。その前に、現実を知ってほしい。(つづく)


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「この映画の本当の価値は、残酷なまでのリアリティだと思う」 [【再掲載】]

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 いつも素敵なコメントをくれる

 和歌山の梅茶さんから、また投稿を頂いたのでご紹介。

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BY梅茶 日時 2013-12-08 07:29

 私の娘も、この映画を見てくれました。

  彼女はいわゆるアニメおたく…。 あまり普通の映画を見ることは少ないです。

 そしてシャイなので、あまり感動を口にすることもありません。

 けれど、この映画が、あの場面で終わっていたこと…、

 そこに彼女は悶々としたようです。

 あそこで終わること…、

 置き去りにされたように感じたのか、 報われない家族に心痛めたのか…、

 何も解決できない現状に恐怖を覚えたのか…。

 涙を誘う映画ではあるけれど、 この映画の本当の価値は、

 この、残酷なまでのリアリティ、だと思うのです。

 なにも解決されない、できない現実…。

 映画がここまで、悶々とさせられるものだったことが、

  彼女には新しい体験だったようです。

 快い体験ではないかもしれません。

  カタルシスも得られないでしょう。

  けれど、この体験は、無駄になることはない…、

 そう信じています。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」感想ーフィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。 [【再掲載】]

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 シアターキノでご覧になった方の「長崎昭子のブログ」より RT @PompinNiocki:


 役者・山本太郎、すばらしかった。それ以上にお父さん役の並木史郎、何気ない優しさと気弱さと、不安、怒り、やるせなさ…ものすごく伝わってきた。すばらしい役者さん。 #朝日のあたる家 . RT
@PompinNiocki:

  映画「朝日のあたる家」おそらく予算がないために映画として残念な部分もあったけれど、それを補って余りある内容だった。フィクションとノンフィクションの狭間で混乱する体験。鳥肌たちっぱなし。

 
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原発事故の現実。皆が思うほど伝わってはいない [【再掲載】]

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 昨年は本当に「朝日のあたる家」に始まり

 「朝日のあたる家」に終わった1年。いや、まだ「朝日」日本縦断公開は続くのだが、いろいろと思い出すことがある。このFBでもいろんなことを綴ったが、日本中をまわり、様々な人と出会って感じたことも多い。

 この情報時代にいかに事実が地方に届いていないか?痛感。もはや原発問題はタブーではなく、テレビ新聞でもかなりなことを報道している。にも関わらず、多くの人が事実誤認をしていること。「電気が足りない」「原発がなくなると経済が立ち行かない」と思っている。テレビ番組のキャスターですらこんな発言をする。

 「原発がなくなると江戸時代に戻る」 

 そして何度も書いたが「福島の事故はもう収束した」「事故は大したことなかった」と信じている人も多い。さらに原発に関心ある人でさえ、そんな人が数多くいることを知らないという現実。「朝日」を観て「二度目の事故でこんな呑気に反応をするのはおかしい」と指摘する人が一部いたが、実はそれが現実。まだまだ、

 原発事故を取り巻く状況を知らない人。

 もの凄い数いるのだ。

 何よりも驚いたのは原発がある町では、未だに表立って「原発は危ない!」といえない空気があるということ。原発がある町ほど、福島の悲劇を痛感すると思っていたが、本当に人ごと。「この町は関係ないし〜」という人がもの凄くいる。

 ある原発立地県で「朝日の」前売り券をボランティアで売ってくれた方がいたが、1枚も買ってもらえなかったと嘆いていた。「何で原発事故の映画なんか観なきゃいけないの?関係ないでしょう?」てな感じだったらしい。単に原発の恩恵を受けているからではなく。こう考えている。

 「福島の事故は別の国で起きたこと」

 こうして原発に詳しい人はどんどん詳しくなり。そうでない人はますます福島への関心を失い。詳しい人たちは集まって原発ドキュメンタリー上映会をして、「そうだ!原発はいけない」と確認し合う。でも、その輪が大きく広がることはなく。毎回同じメンバーで確認を繰り返す。

 関心のない人は「脱原発より景気」と選挙で推進派を圧勝させてしまう。原発事故の現実は報道されても、それを受け止めているのは一部の人たちだけであり。これでは報道されないのも同じ。つまり、関心ある人は「誰もが原発の怖さを実感している」と思い込んでいるが、現実は違うということ。

 そこからスタートしなければ、いくら声高々に主張しても状況を変えることはできない。専門的なドキュメンタリーも必要だが、

 まず、福島で何が起こったか?

 専門的にはならない形で伝えることが必要だと思える。そんな寂しい現実を昨年1年で知った。その意味でまだまだ「朝日のあたる家」を多くの人に観てもらわなければ...と感じている。

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「朝日のあたる家」を応援してくれる人が、気づかぬ内にネガティブ・キャンペーン?! [【再掲載】]

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「朝日のあたる家」は今年3月に、映画館ーシネコン公開が終わり、

直後にレンタル上映が解禁になった。それをネットで告知。これで一般の方、サークルや団体でも自主上映してもらえる。その記事を読んだある方が、僕の記事をシェア。コメントを添えていた。

「やはり映画館では上映できなかった。それで自主上映に踏み切ったのですね。 悔しい気持ちはよく分かります。でも、地道にがんばっていると、必ずいいことはあります。諦めずにがんばってくださいね!」

はあ? 日本全国27館の映画館で公開が終わったから自主上映募集をしたんだよ! ちゃんと告知を読んで? と、その人のFacebookに丁寧な文章で御返事。説明をしたが、反応なし。たぶん、本当にたまにしかパソコンを開かない方なのだろう。未だに「勘違いでした。すみません」という返事はない。

この人。勝手な思い込みで

「映画館上映はできないかった」という情報が日本中に発信されてしまった。それを読んだ人は「ああ、この映画はマイナーだから、映画館で上映されなかったんだ...」と思ってしまう。よくない!

「朝日」は全国の映画館、シネコンで公開。各地でヒット。海外でもアメリカ、ドイツ、ニュージーランド、シンガポール等でも上映。多くの人が見てくれた。なのに勘違いおじさんの記事を読んだ人は「やっぱり映画館では上映できなかったんだ.....」と事実ではないことが伝わる。

誹謗中傷の記事より、タチが悪い!

例えば菓子メーカーが新製品のチョコレートを出し、大ヒットした。にも関わらず「あのチョコは売れなかったんだね。応援してんだけどなあー」とネットで発信するのと同じ。つまり営業妨害だ。シェアしたおじさんに悪気はないが、これはネガティブキャンペーンと同じ。マイナスイメージを振りまいているのだ。他にもこんなツイートがあった。

 「自主制作映画ー朝日のあたる家。***ホールで上映。ぜひ、ご覧ください!」

 
「朝日」は自主映画ではない。プロの俳優とスタッフが作り、映画館で上映される商業映画である。自主映画というのは基本学生やアマチュアの映画好きの人たちが、製作費を自腹で出して作る映画のこと。基本、映画館では上映されず、自分たちでホールを借りて上映する。原発だけでなく、人権、差別問題を扱う作品にはその手の自主制作が多い。ツイッターの主は事実を確認することなく、そう思い込んだのだろう。

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だが、その手の映画。大切な主張はしているが、

説教臭いものが多い。自主制作というだけで「見たくない!」という人も多い。「朝日」はそうではなく、一般の商業映画として、普通の娯楽映画にしてある。

なのに「自主制作映画」と、事実でないことを付け加えてツイートされるのも、ネガティブキャンペーンと同じ。「朝日」は家族の物語。主義主張を押し付ける教育映画ではない。なのに「お説教映画」と思い敬遠する人も少なからずいる。その種のツイートも映画を歪めてしまう。そして、悲しいのは、そのツイートの主もまた、本当に映画を応援してくれている人であるということ。

「朝日」は多くの方の応援で、日本を超えて世界に

発信できた映画だ。今も感謝している。が、そんな中の一部の人たちが、本人が意図しないのにネガティブキャンペーンをしていること。本当に悲しい。それでなくても悪意を持って批判する人、誹謗中傷を続ける人たちが多くいる。

なのに、応援してくれる人が「よかれ」と思って、映画のイメージダウンに力を入れる。本当に悲しい。そんなコメントやツイートを見つけたら、説明メールを送るのだが、僕1人ではとても追いつかない。もし、その種の文章やコメント等見かけたら、ぜひ、説明あげてほしい。

そんなことで、ここ数ヶ月。心を痛めている。よろしくお願いします。

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「朝日のあたる家」予告編ロングバージョンを見た方の感想 [【再掲載】]

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静岡県、柳さんからのコメント

はじめて、この映画を見たときのことを思い出しました。あの時やはり私は唖然、愕然として泣くも泣いたけど、驚きの方が大きかったことを思い出しました。

その現実に、そしてその現実を映画にしてくれた監督さんがいるということに、ものすごいショックを受けました。そんな人がこの世にいるということに、という感じ。この監督さん命狙われたりしないのかしら、なんて余計な?心配したことを覚えています^^;

そして短い方の予告編は見てたはずなので、ある程度の心構えはできていたはずなのに本編では大ショック・・ということは、やはりこのロング編は刺激強烈「動かす何か」があるのかなと。そうだ。これもっともっと、シェアします!!

ショック=現実だよ!伝わりやすいように思います。ありがとうございます!!(^^)//

予告編=>http://youtu.be/rP2ztda0kpg





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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」に寄せられた感想(3) [【再掲載】]

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tomomi ‏@oddity_pure 10月11日
生徒 原爆も原発も一緒でしょ? 先生 原爆は戦争をする為に使う武器。原発は電気を造るもの ・・・って原発も原爆も要は一緒なのに、先生もっと勉強して欲しい・・・ 朝日のあたる家より・・・

kumiko sekioka #脱被曝 ‏@kumiko_sekioka 10月10日
昨日、「朝日のあたる家」を観てきた。いろいろと追体験し苦しくなる場面もあった。そんな中、太郎さんの登場場面では「今」に引き戻された。あれは台本があったのたろうか?太郎のセリフは常日頃彼が語っていることであり、視線の先には被曝に晒されている子どもたちがいるように思えた。

wako ‏@wako_66 10月10日
「朝日のあたる家」太田隆文監督と切通理作さん(批評家)との対談は興味深く、「世界大戦争」や「ゴジラ1」を観たくなった。しかし、ドラえもんには原子炉があって、食べたものを原子レベルにまで分解してエネルギーを作り出すとは。。(UやPuなど核分裂でエネルギーを作っているわけではない。)


映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「特に子供たちに観てほしいと思った。このタイミングで皆さんに観てもらいたいけれど、今の子供達だけじゃなく、何十年後先の子供達が、福島第一原発事故ってなんだったんだろうと不審に思った時に残り続ける映画になるんじゃないかなと思う」

映画「朝日のあたる家」公式アカウント ‏@asahinoataru_ie 10月10日
岩井俊二監督『朝日のあたる家』についてのコメント「こういうストレートな作品があっていいんだよな。ドキュメンタリーとかはあったけれどフィクションとしては多分ないですよね。こういう作品をこのタイミングで残せ、後世に語り継がれていくものとして非常に重要な映画なんじゃないかと思う」

平和への道@彡トシピコ彡 ‏@toshipiko1 10月10日
「朝日のあたる家」よかったです。観た価値がありました。現実に添ったドキュメンタリー映画で、原発事故にあった家族の悲しさが描かれています。涙が出るくらい。チャンスのある人は、是非!観てください。#原発ゼロ @asahinoataru_ie

REIJI WAKAYA ‏@g69w 10月10日
映画『朝日のあたる家』の太田監督とおしどりマコさんケンさん夫妻、それぞれの伝え方で私達に意識の『今』を伝えてくれました。#69の会 http://instagram.com/p/fRNpRzv7YT/



miyako_nskw ‏@yukimisabou 10月9日
『朝日のあたる家』@渋谷UPLINK。冒頭、物語世界にひきこむ風光明媚な景色が、ラストでは胸をしめつける光景となり迫ってきた。原発事故により悲劇に見舞われた家族の時間、日常の輝き。希望をどこにみつけていくのか、移住しても終わりはこない、やるせなく静かな訴えがそこにはあった。


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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】 [【再掲載】]

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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】

 映画撮影では地元の方にとてもお世話になる。僕の場合は地元支援で映画製作を何本もしている。だから余計に応援を頂く。同じように、地元の支援で映画を作った後輩がいる。ある街で映画を作ろうとしたとき。Bさんという人が応援してくれた。

「この街も不況で大変だ。映画で街をPRして観光客に来てもらう! そのためには映画はとても有効なPRになる。応援するよ!」

 地元の人を何人も紹介してくれたり、飯を食わせてくれた。こうもいってくれる。

「オレが経営するレストランがあるんけど、撮影で使うなら、タダでいいよ!」

 ありがたい存在だったが、後輩監督が街の事情を知るに連れ、Bさんの事情も分かって来た。彼は地元でレストランを経営していた。不況で客が来ない。近所には全国チーェーンの大手ファミレスがある。多くの客を奪われている。

 だから、映画撮影をすることで宣伝。店をアピールしたい!という思惑があったのだ。確かに映画でロケ地になれば注目されるし、映画ファンはロケ地巡りと称して店に来てくれるだろう。雑誌や新聞等で紹介されることもある。

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 ただ、後輩は映画にとても厳しい。

 プロデュサーが女優のAさんを使えといっても、レコード会社が売り出し中の歌手C子の曲を使えば、協賛金を出すと提案してもOKしない。その作品のプラスになるのなら受けるが、そうでなければ、どんなに高額の支援をしてくれても断る奴だ。

 それが映画を駄目にする一番よくあるパターンだからだ。低予算の映画でも、映画というと、いろんなメリットが生まれるので、あちこちから、その手のアプローチが来る。が、そのことで映画の中身が歪られたり、クオリティが落ちるのであれば絶対に受けてはならない。

 なのにプロデュサーに嫌われたくなくて、物語に相応しくない俳優をキャスティングしたり、映画のイメージに合わない主題歌を流したりする監督もいる。いろんな圧力がかかり、仕方なしに受け入れる監督も多い。

 「なんで、あんな歌が最後に流れんの? 感動が台無し!」

「あの女優は違うだろ? 何で出したの?」と思う映画は、そんな事情が背景にあることが多い。ロケ地も同じだ。自治体から「**公園を売り出し中なので撮ってほしい」とか、地元の団体から「商店街でロケしてほしい」とか、リクエストが来る。

 が、それで映画がよくなるならいいが、物語に合わない場所を無理に受け入れても、その店や公園も映えない。映画も駄目になる。だから、断るのだが、そのことで、その人たちとの関係が崩れたり、トラブルになることもある。後輩はまさに、そんな立場に陥ったのである。

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 Bさんも次第に主張が変わって来た。

 最初は「うちの店で撮影してもいいぞ」だったのが「うちの店で撮影するだろ?」になり、他では「うちの店で撮影することになったんだ!」というようになる。どうも既成事実を作り、撮影しない訳にはいかないように仕向けているようだ。

 友人を紹介したり、飯を食わせたりしたのも恩を売って断れないようにしていたことも分かって来た。しかし、彼のレストランはあまりにも平凡で、その映画には合わない。さらにBさんの友人から「あのレストランで撮った方がいいよ」「彼とは揉めない方がいいよ。あとあと大変だから」と言われる。

 ただ、Bさんが応援してくれたのは事実。自分の店のアピールが目的ではあったが、応援は応援だ。が、撮影を断ればBさんの性格からして、いろいろと揉めるだろう。

 後輩は悩んだ。

 製作が正式に決まり、いろいろと考えて後輩は断った。理由はやはり映画に合わないから。そう伝えると、Bさんは態度を180度変えた。あちこちでこう言い触れ回った。

「あの監督は薄情だ。いろいろ応援してやったのに、映画製作が決まっても挨拶なしだよ。何だったんだよなあ〜。オレの友人もいろいろと応援したのによーほんとバカ見たぜ」

 彼はロケ地として選ばれなかったことは言わず、そう言って回った。それに彼がしたのは地元の人を数人紹介したこと。誰も映画製作に寄与していない。あとは一度、ランチをごちそうしたことのみ。多くの人が彼以上にいろんな形で映画を応援してくれている。見返りを求めず、様々な形で支援してくれた。あることないこといい触れ回るのはBさんグループだけ。

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 映画は無事に完成。地元では大ヒットとなり、

 多くの人が喜んでくれた。ただ、事情を知らない地元応援団がBさんの店にポスターを貼ってほしいと頼んでも、彼は頑に拒否。「あの監督だけは許せない、恩知らず!」と言い続けている。後輩はいう。

「Bさんも悪い人ではない。レストランをアピールしたいのも分かる。店の前まで行けば、通りを歩く人は皆、近所の大手チェーンのファミレスに入っていく。何とかしたい!という気持ちは理解する。でも、今回の映画はレストランが重要な舞台。Bさんの店では成り立たない。なぜ、個人ではなく街のための映画だと分かってくれないのだろう…」

 僕も同じタイプの人たちと何度も会った。さして応援してない人ほど、あとになって「オレが面倒見てやったんだ」といい、あれこれ見返りを求めてくる。「応援してやったんだから、今度はオレのいうことを聞け」とか言ってくる。

 が、それもおかしい。映画を作ったのは街のためであり、僕自身は毎回、借金が残るだけ。なのに個人に見返りを求めてくる。でも、そんな要求をして来る人は毎回いる。後輩にもBさんだけでなく似たようなこと言う人。批判する人がいるという。だから、こう話した。

「映画を作るには、多くの人の応援が必要。

 でも、メリットのなかった人は批判しがち。そして応援してくれても、あとになって批判する人もいる。けど、憎んではいけない。映画の世界は分かりづらく、誤解もされやすい。説明してもわかってもらえない部分もある。その町のためにがんばっても、理解されないことが多い。

 ただ、いつか分かってくれると信じて、その街で映画が撮れたことを感謝すること。僕らの仕事で全ての人に喜んでもらことはできない。できるのは、いい映画を作り、応援してくれた人たちに感動してもらうこと。町の魅力を再発見してもらうこと...映画屋にできるのは、そんなことぐらいなんだ...」


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宮崎駿監督はなぜ「風立ちぬ」を引退作に選んだのかー原子力ムラとの決別? [【再掲載】]

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今までのようなファンタジーではなかった「風立ちぬ」

なぜ、そんな作品を宮崎監督は引退作にしたのか? だいぶん前にそれを書こうとしたが、なかなかチャンスがなかった。編集も落ち着いたので、それを書いてみる。これはあくまでも僕の推理であり、ご本人に訊いた訳ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。

まず、なぜ、今回はファンタジーではなく。戦中に飛行機を作る現実的な物語を選んだのか? 宮崎監督はいう「この時代。ファンタジーはもう通用しない」それは凄く納得する意見だった。

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つまり、平和な時代でこそ、

荒唐無稽なファンタジーの世界でドキドキして、夢想することができるが、今の時代。特に311以降は現実がファンタジーを超える困難が続出している。悪夢のような時代。その中でファンタジーを観ることは無意味であるというのだろう。

ファンタジーは現実逃避のジャンル。2時間の間。その世界に浸り、現実の嫌なことを忘れる。映画が終わると平和な現実に戻り。また平凡な生活を送る。だが、映画以上の悪夢が現実の中で続いている。そんな時代に映画館で現実逃避をしていてどうする? 今こそ、厳しい現実を見つめ。どう生きるか?を考えなければならない、映画はその助けとなるべき存在ではないか? 僕は宮崎監督の台詞をそう解釈した。

今は現実を見つめる時代。

劇中では関東大震災から太平洋戦争までが描かれる、まさに今の日本ではないか? 東日本大震災があり、今また戦争に向かって秘密保護法や集団的自衛権を持ち出し「戦争の出来る国」になろうとしている。

そこで「風立ちぬ」とはどういう物語か? 思いだそう。簡単にいうと、飛行機が大好きな設計士の主人公が、大嫌いな戦争が勃発したことで、夢が叶い飛行機が作れるようになる。という物語だ。もう、分かったと思う。物語背景が現実を反映しているように、主人公にも反映がある。

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映画というのは基本、主人公は監督の分身である。監督の思いが主人公を通して観客に伝えられる。その意味でこれまでの宮崎作品は女の子が主人公だったが、「風立ちぬ」では男性なので、宮崎監督自身がダイレクトに投影されていると思える。そうすると、答えが見えてくる。

宮崎監督の発言を思い出そう。

「原発でない電気で映画を作りたい」

と発言したのを始め、彼は反原発を訴えていることで有名だ。そんな彼と「風立ちぬ」の主人公は大きな共通点がある。主人公は飛行機が好きだが、戦争は嫌い。けれど、その戦争のおかげで飛行機が作れる。宮崎監督はアニメーションは大好き。でも、原発は嫌い。けれど、、、、、、、、、そう、スポンサーの多くは原発推進企業なのだ。

あのテレビ局も、あの広告代理店も、皆、推進派。そんな企業からお金を出してもらい、自然の大切さ、子供たちへの思いを語り続けて来た宮崎監督は、まさに「風立ちぬ」の主人公そのもの。この作品を引退作に選んだのも。その思いを描くためではないか? そして引退宣言も。体力的なことより。そんな企業から金を出してもらって映画を作ること自体を止めたかったのではないか? 本当はこういいたかったのではないか? 

「原発推進企業でない会社のお金で映画を作りたい」

だから、映画を見ている間中。宮崎監督の思いを感じ、涙が何度も溢れた。人殺しのための戦争のお陰で飛行機を作れる主人公。原発推進企業のお陰で映画を作れる宮崎監督。本人にとって、こんな苦しいことはないだろう。

だからこそ、終わらせよう。

最後にその思いを伝えよう。それが「風立ちぬ」という作品だったのではないか?






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