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なぜ、日本人は政治家に完全無欠のスーパーヒーローを求めるのか? [【再掲載】]

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なぜ、日本人は政治家に完全無欠のスーパーヒーローを求めるのか?

(1年前2019年に書いた記事です)

BS番組で小沢一郎がこんなことを言っていた。

「前の選挙(2017)で小池百合子は総理になる可能性があったのに、それを自分で潰してしまったんだよ」

これ、本当にそう思ったが、指摘する人が意外に少ない。ネットでは「ザマーミロ」とか「最初から信用してなかった!」とか喜ぶ人が多く、え〜〜〜と思った。あの選挙で期待したのは野党が政権奪還すること。もっと言えばあの首相を引き降ろすことだった。そこに登場した希望の党。みどりのタヌキと呼ばれたりしたが、多くの人が希望を感じ応援した。

「このまま行けば自民を倒せるかも?」というときに「排除発言」で人気急落。排除された枝野ら立憲民主党が同情票で、野党第一党になったあの選挙。安倍政権を終わらせる大きなチャンスだったが、反安倍の友人たちはみどりの党を支持しなかった。理由は

「小池もタカ派。安倍が辞めても小池では同じだ!」

今の自民は戦後最悪。日本を戦争できる国にしてしまい、金持ちを優遇、庶民に重い負担。年金を使い込み、オスプレイを爆買い、一刻も早く止めねばならない。誰でもいいから止めることが大事なのに「小池ではダメだ!」という。そんな余裕ないだろ? 当時から言われていた「安倍以外なら誰でもいい」が正解のはず。

ベストでなくてもいい、ベターでなくてもいい、かなりダメでも、あの人以外ならいい!という状態。なのに「小池ではダメだ」という。彼女は決して有能な政治家ではない。むしろ世渡りが上手いだけの人。実力ある男性政治家を渡り歩き、のし上がったと言われている。

でも、「戦争するぞ!」という強い願望はない。「あいつは日本会議だ」と批判する人もいるが、以前は幸福の科学の応援も受けている。要は何でもいいから当選したいという人。確固たる信念がない。風見鶏なので受けることをする。その意味で国民が反対することはしない。大きな期待はできないが、誰かのように全力で日本を奈落の底に引きずり込むようなことはしないだろう。すると後輩は「だったら先輩は小池を100%信用するんですね?」と言われたが、そんなことは言っていない。なぜ、そう極端な意見しか言えないのか?

小池が総理になれば現政権が終わる。彼女では大したことは出来ない。人気はすぐ落ちる。その時に別の人を選べばいい。なのに後輩は「それじゃダメだ。あいつは暴走する!信用できない!」という。完全無欠のスーパーヒーローを求めているのか? 欲得のないウルトラマンのような存在が怪獣を倒すのを期待しているのか? その後、後輩は自分が嫌いな安倍ではなく、小池百合子を潰そうと毎日、批判をツイート。彼以外にもそんな人は多く結果、安倍を応援しているのと同じに思えた。

「安倍を下ろしても、次に出てくるのは石破だと意味がない! あいつは戦争を始める!」

その意見も違う。石破の方が100倍マシ。軍事オタクだが「中国と戦争したい!」と心底願ってはいないだろうし、意味不明な「新しい判断」はしない。何より彼は薬の副作用でおかしな発言をしない。それだけでも意味がある。後輩はその背景も知らず一つでも問題があると「ダメだ!」と否定。だから、今の総理を引きずり下ろす可能性がある人でも皆、攻撃してしまう。これでは安倍防衛隊だ。彼が嫌うネトウヨと同じことをしている。

「あの人以外なら誰でもいい!」

という状況まで日本が追い込まれているという実感がないのだろう。ただ、総理になる可能性があった小池百合子は「排除発言」で支持を失う。後で出たリストは自民が作った偽物だったが、国民からのイメージは決定的になった。もう一つ。本来は小池、前原、小沢で希望の党を推進していくという動きがあったのに、小沢を外し、前原と2人で進めた。それも大きなマイナスとなった。小沢を入れておけば「排除発言」で足を救われることもなかっただろう。

選挙は一生住む家を買うわけではない。今、1年ほど住む家を見つけ家賃を払い、不具合があれば、別の物件を見つければいい。問題ある家でも今住む倒壊しそうな家よりベターならいい。またすぐに引っ越せばいいのだ。先の心配より今、あの人を下ろすことが未来を築くことになると思える....。

(1年前に書いた記事です)



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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体? [【再掲載】]

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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体?

映画監督の仕事は「俳優への演技指導」と思っている人がいるが、芝居をしたこともない監督が指導なんてできない。伊丹十三やC・イーストウッドなら元俳優なので可能かもしれないが、演技指導というのは違う。ただ、その芝居が素晴らしいか? ダメか? を判断するのは監督。つまり、本物か? 偽物か?を見抜くのが仕事。

もちろん、人を殺すシーンで本当に相手を殺すわけではないので、演技はどこまで行っても嘘。でも、限りになく本物に近い嘘が素晴らしい演技。そのために俳優はずば抜けた演技力が必要であり、監督もまたずば抜けた「見抜く力」を要求される。

つまり素晴らしい映画を撮れる監督というのは、物事を見る目もあると言うこと。でも、トランプが大統領選に出た頃。「とんでもない奴が出てきたのなあ」と世間と同じように、僕自身もそう感じていた。その見方が変わったきっかけは、2人の名監督の言葉。C・イーストウッドとオリバー・ストーンである。

2人はアメリカの巨悪や醜い現実を抉り出す社会派作品を作り続けている監督。一番にトランプを批判しそうなのに、認めていた。逆に名優のロバート・デ・ニーロやメリル・ストリープは完全否定。公の場でトランプを否定した。これら俳優の発言を見て日本ではこう言われた。

「俳優があそこまで言うのだからトランプはよほど酷い奴。その発言をした俳優たちは素晴らしい!」

でも、それはおかしい。元々、アメリカの俳優は政治的な発言をする。日本の方がおかしいのだ。政治と宗教は語らない方がいいと言う変な空気がある。だから、ローラの辺野古発言とか批判される。そのくせデ・ニーロが言うと褒めるのはおかしなもの。また、俳優は若い頃から演技!演技!で社会を知らない人が多い。

デニーロが名優だからと、彼の批評が正しいか?は別問題。作家や評論家と違い、俳優は政治や社会を見つめ発信する仕事ではない。日本でも政権に利用され、PRに一役買う有名俳優やタレントがいる。同じように世間のことが分かっていないので、乗せられているのだ。実はデニーロも同じであること。あとで知るのだが、イーストウッドに話を戻す。彼は言う

「悪くないと思う。まあ、しばらく見てみようじゃないか?」

慎重な言い方だが、かなりの評価だ。尊敬する2人の監督が認めたと言うことで、僕も毛嫌いするのを止め、トランプ研究を始めた。巨匠が言ったからと正解とは限らないからだ。

その後、いろいろ情報を集め、事情通に聞きトランプはアメリカのドブさらいが目的であると分かる。彼のイメージを落とす大ネガティブキャンペーンが行われていたことも知った。多くの日本人、そしてマスコミまでもがそれに引っかかっている。それを詳しく書いた記事が先日の「トランプの目的」だ。2000「いいね」をもらった。多くの人が賛同してくれたが、今も「トランプは大嫌い!」と言う人は多い。

そのほとんどが断片的に見た彼のスピーチや否定的なマスコミの論調を鵜呑みにしている。巨大勢力は都合の悪い人たちを、思想操作した国民に攻撃させる。利用されてはいけない。そんなとき、また、超評判の悪い奴が登場した。「N国」の立花孝志である。これもとんでもない奴だ!が、同じくYouTubeや政見放送。暴力動画だけで決めつけず、研究してみたい。

トランプ記事=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-06-30-2



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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる? ただ、今年一番の傑作だ。 [【再掲載】]

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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる?

昨日は1日、気分が滅入り立ち直れなかった。映画「ジョーカー」を見たせいだ。予感はあった。見たらヤバイ。ハリウッド映画の爽快感やエンタテイメントを期待したら大変なことになる。その通りだった。上映中。早く終わってくれと願いながら見ていた。辛すぎる。闇の世界に心が引き摺り込まれていく。

物語は「ダークナイト」等でお馴染み

の悪役ジョーカーの若き日を描いたもの。ノーランのシリーズでいうと「バットマン ビギンズ」以前の部分。青年がいかにして悪のジョーカーになるか?物語にはのちにバットマンとなるブルース・ウェインの幼い頃の姿も描かれ。彼の父、ウェイン財閥の創始者も登場する。だが、ノーランが描いた「ダークナイト」シリーズ以上にダークでヘビーな世界がある。

「ビギンズ」で描かれたブルースの両親の死が、犯罪者側から描かれる。そこに至るまでジョーカーはどんな環境で、どんな生活を、どんな思いでしていたのか? 映画はそれを瞬きせずに見つめる。だが、それはあまりにも悲しく、あまりにも陰惨で、あまりにも希望のないジョーカーの若き日。予想外に自身を重ね共感してしまう。そう、ジョーカーは誰の心にもいる。

この映画は「タクシードライバー」

の影響を多大に受けている。監督自身が愛する作品なのだろう。いたるところにオマージュがあり、先の作品を知っていると感嘆する。ジョーカーは「タクシー」の主人公トラビスでもあるのだ。そのトラビスを演じたロバート・デ・ニーロもこの作品に出演している。そこにも監督の強い思いが感じられる。

「タクシー」を見ていても多分、気づかないであろうところを紹介すると、ジョーカーの職場にいる黒人。衣装やファッションが「タクシー」の夜カフェにいる黒人と同じ。ジョーカーが愛する黒人女性。デ・ニーロが私生活で黒人好きだったことを踏襲? しかし、「タクシー」のオマージュというだけでない、重く、暗く、やり切れない世界が展開する。

それは主演俳優と監督の執念

ともいう「思い」がなし得たもの。アメリカでは上映中の映画館に警察官が配備されているという。「ジョーカー」を見た観客が暴動を起こすかもしれないからだ。実際、映画を見ると闇の世界に引きずり込まれ、皆、ジョーカーになってしまう。人の心に住む邪悪な世界に引きずり込む映画。痛快なハリウッド映画を期待する人は見ない方がいい。だが、今年のベストと言える傑作である。



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テレビ局は中立公正ではない。圧力に弱く忖度する組織だ=れいわ新選組、完全無視をもう一度考える [【再掲載】]

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テレビ局は中立公正ではない。圧力に弱く忖度する組織だ=れいわ新選組、完全無視をもう一度考える

「れいわ」がテレビで無視されている!取り上げてくれたのはテレビ朝日だけだ。と記事に書くとこんなコメントが来た。

「テレビ局が特定個人を取り上げると、不公平になるので紹介しないのですよ!」

何を言ってんの?報道番組を見ればいつもよりは少ないけど(これも政府からの要請で選挙を盛り上げたくないから)この数日も選挙選についてのニュースが流れた。女性候補が少ないとか、イージス問題の街の状況とか、特定された個人の候補を紹介している。何より個人を特定して紹介してはいけないなら、誰も紹介できないでしょう? また、こんなコメントもあった。

「れいわ新選組は政党ではないので取り上げられません」

それなら無所属の候補者はどうするのか? 今回は野党共闘ルールで政党名を上げず無所属で出馬している候補が多い。また、もともと、どこの政党にも属していない人もいる。その指摘が正解なら既存の政党に所属していないとテレビでは紹介されないことになる。が、一昨日のニュースで無所属候補が報道されていた。この指摘も間違い。

ちょっと考えれば分かることに気づかない人がいるから、マスコミがとんでもないことをしていても、平気ということになる。その辺を、あるテレビ局に問い合わせると以下のような回答があった。

「我が社として、様々な線引きをし、ルールを決め、その中で番組で取り上げるには相応しい候補者に取材。放送しています」

優等生の回答に思えるが、これは...

「俺たちがいいと思った候補を紹介してんだよ。気に入らない奴は取り上げないんだよ」

という意味ある。政府から「あの人はどうもねえ〜」と言われば完全無視しても「取り上げるに相応しい候補者でないので」と弁明できるのだ。その線から考えると、テレビ朝日以外は「れいわ」を全く取り上げなかった事実は「取り上げるには相応しくない」と判断したということ。

しかし、障害者、現役学会員VS公明党、タレント議員の再挑戦、市民の寄付だけで活動等のニュースバリューがあり、それらは本来マスコミが大喜びするネタばかり、それらを「相応しくない」というのならマスコミ失格だ。とすると、やはり政府に忖度したか?圧力に屈したか?ということになる。彼らは中立とか客観とか言いながら、圧力に弱く、平気で偏向報道をする。その辺はまた詳しく書く。テレビを信じてはいけない。


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日本人は考える力がない③ =東大を出て「戦争しよう!」という人。その背景は? [【再掲載】]

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日本人は考える力がない③
=東大を出て「戦争で北方領土を取り返そう!」という人。その背景は?

東大卒というと、めちゃめちゃ頭がよく、何でもできる人って印象ある?でも、今、話題の議員。北方領土で「(ロシアと)戦争するしかないっしょ」と驚愕発言し、非難殺到した彼も東大の経済学部。「まあ、東大でもいろいろいるよねえ?」と思うかもしれないが、ちょっと考えてみよう。

今、北方領土を占領しているのはロシアだ。

プーチン率いるロシアの軍隊は世界最強と言われている。実はアメリカでさえ今のロシアには勝てないいうのが事情通の意見。日本が軍事費をかなりつぎ込んでいるとはいえ、不良品の戦闘機や直ぐに不時着(本当は墜落)するオスプレイなんかを買い込んでいる。その国の自衛隊で本当に勝てると思っているのか?という疑問がまず起こる。

プーチンとトランプは友好な関係。そんなロシアを日本が攻撃したらどうなるのか? 北方領土を取り戻すどころか、それを口実に北海道まで占領されるのではないか? 自衛隊員が多く死亡した上に、莫大な賠償金を要求され、北方領土は完全にロシア領として認めることにならないか?

その議員は「酒に酔っていた」というが、

酒に酔っての発言はほとんど本音だ。また、百歩譲っても、それを国会議員が発言すればアウトだろ。つまり、彼の発言はちょっと考えれば「戦争で取り戻すのは不可能」と分かる。成功の確率はまずない。失敗した時のリスクはとんでもないものになることも、直ぐに想像できる。にも、関わらず、そんな発言をした。

街のアル中オヤジが自宅で、テレビ見ながら言うのならまだ分かる。が、彼は最高学府の東大。それも経済学部を卒業し、経産省に就職。衆議院議員になった人なのだ。ここから言えることは「単なるアホ!」ではない。前回、書いたように日本の教育は「考える」力を育てない。「与えられたことを確実にこなす」能力を育てるだけのもの。

東大もまた、その能力が高い者を上から順に合格とする。聡明で分析する力がある者を探してはいない。当然、彼も「考える力」があまり育っていない。想像力がない。戦争とはどういうものか? 映画で見る程度のかっこいい場面しか想像しないだろう。自衛隊員の気持ち、その家族の気持ちを考えることができない。戦争後のことも想定できない。そんな能力を育む機会が教育の中ではなかったからだ。

実は、僕の知る高校生。東大に合格した。

親しくはないが、彼のブログを読んでいたのでいろいろ知っている。朝から晩まで勉強。たまに映画を観に行くことだけが楽しみ。世間を知らない。考え方が著しく幼い。なのに、人のブログに「あなたは間違っています!」と強烈なコメントをする。高校生だからなあとも思ったが、東大生になった。そのあと経産省に就職したなら?

幼稚な考えを持ったまま大人になってしまう。与えられることしか出来ない公務員になる。社会経験が少ない。「自分の発言がおかしい」ことに気づかない。あの議員と共通のものを感じる。東大でなくても、他の一流大学でも同じ。いずれでも日本人は「考える力」を育てる教育は受けていない。

有名大学を出て、若手議員として活躍する知人

が何人かいるが、彼ら彼女らを見ても、「へ?」と思うことがある。なのでその議員だけが特別とは思えない。ただ、それでも一流大学に行く者は「与えられたことを確実にできる」では、そんな偏った教育の中で、優秀な成績があげられない人たちはどうなのか? 社会に出て何が待っているのか? 次回、考える。





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「本当に嫌な奴!最低!許せない!人間じゃない!」と思う人いませんか? 相手はもしかしたら***かもしれません。 [【再掲載】]

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「本当に嫌な奴!最低!許せない!人間じゃない!」と思う人いませんか? 相手はもしかしたら***かもしれません。

約束したことを守らないどころか、あとになり「あれは決意を語っただけ」と言い訳する人。みんなで決めたことなのに、勝手に反故にして違うことを始めてしまう。指摘すると「決定は覆したのではない、新しい判断だ」と言う。そんな人がたまにいる。それでは会社だろうが、プライべートだろうが、町内会でも、サークル活動でも混乱を来してしまう。

「私はそんなことを言った覚えはありません」

「私は前々から、そのことを繰り返し皆さんに言ってきました」

でも、その人は何度も繰り返しそう言っていたのに平然と「言ってない」と否定したり、一度も言ったことのないことを「前から言っていた!」と断定する。

180度違うことを平気でいう。ごまかすならもっとうまい嘘をつけ!と腹立たしい。嘘や誤魔化しをするとき、人はどこか後ろめたいものがあり、言葉に力がなくなったり、目を反らせたりする。が、その種の人は堂々と嘘をつく。

質問をしても、聞いていることには答えず、関係にないことを延々と話し続ける。「誤魔化してんだな?」と思え、

「聞いたことに答えろ!」

と言う。と、

「答えているじゃないか? お前こそ同じことを何度も聞くな!」

と怒り出す。話にならない。最初はこちらの勘違いがあるのかも?と思うが、事件が繰り返されるので、その人に問題があることは分かる。そんな人と会社や学校。仕事やプライベートで接したことはないだろうか? 

相手はそのことでどれだけ大変なことになるか?迷惑をかけているか?考えもしない。平気で追い込み、心を踏みにじり、辛辣なことを要求。約束は平気で破る。言ったことを言わないといい。言わないことを自分は言ったと主張。聞いたことに答えず、独断で勝手なことを続ける。

頭が痛いのは、第三者から見ると原因がその人であることが分からず「仲良くやれよ」と性格が合わないかのように言われる。人に話しても分かってもらえないで、1人で苦しむ。そんな経験はないだろうか? 

それは性格が曲がっているのではなく精神病という可能性がある。今回紹介したのは双極性障害。一言でいうと情報処理能力の欠如だ。決して頭がおかしいとか狂っているということではない。病気というより障害。以前の呼び名でいうと「躁うつ病」最近では「双極性障害」という。

ただ、マスコミは精神病を極端に避けたがる。人権問題に関わるので情報番組でもほぼ触れない。扱わない。そのために、多くの人はどんな病気か?障害か?知ることもなく。患者と揉めると障害とは思わず「嫌な奴」と認識してしまう。病状は先に紹介した以外にも

「私は経験がないことでもできる! どんなことでもやれる!」

という万能感を持ってしまうことがある。私財を投げ打って専門的に機械を購入したり。新しいビジネスを始めたりしてしまう。当然、できる訳がなく大失敗し財産を失う。そのために家族が路頭に迷ったり、社員がいるのに倒産して大変なことになる。まわりの人がそのたびに振り回される。

ただ、統合失調症のように「俺は神だ」とか「家族が宇宙人と入れ替わっている!」という誰が聞いても奇異に思う発言はなく、常識レベルのことなので、病気であることに気付きにくい。専門医でも診断がむずかしいので、多くの人が分からず。性格の不一致でもめているだけのように思われ、相手はは孤独感に苛まれる。

患者も自分が病気であることに気付き辛く。「相手の方がおかしい。私がこんなに誠実に対応しているのに、残念だ」とさえ思う。問題が起こっても自分のせいとは考えない。こうして誰が悪い訳でもないのに、トラブルが起こり、周りが巻き込まれ、不愉快な思いをし、ときには家庭や会社をメチャメチャにしてしまう。

僕が以前、仕事した会社の社長がまさにその症状。大変な目に遭った。今回の記事に書いた通りの発言行動ばかり。おまけにトラブル起こっても、社長に問題があることに気づかない人が多く、あちこちから「仲良くやれ」と注意された。似たような体験をされた方もいるだろう。そんなときはぜひ、一度、そのことを疑ってほしい。

精神病というとすぐに「差別だ。人格否定だ」と騒ぐ人がいるが、患者を差別するのではない。相手は病気。悪意はない。トラブルを避けることは患者のためでもある。できれば患者が気付いて病院に行くことになれば好ましいが、なかなか気づかない。相手を憎み、攻撃しても何ら解決はしない。一度「病気ではないか?」と考えてみるとこと双方にとって大事だと思える。

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(今夜放送の作品ー劇場公開時の感想)宮崎駿監督はなぜ「風立ちぬ」を引退作に選んだのかー原子力ムラとの決別? [【再掲載】]

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今までのようなファンタジーではなかった「風立ちぬ」

なぜ、そんな作品を宮崎監督は引退作にしたのか? だいぶん前にそれを書こうとしたが、なかなかチャンスがなかった。編集も落ち着いたので、それを書いてみる。これはあくまでも僕の推理であり、ご本人に訊いた訳ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。

まず、なぜ、今回はファンタジーではなく。戦中に飛行機を作る現実的な物語を選んだのか? 宮崎監督はいう「この時代。ファンタジーはもう通用しない」それは凄く納得する意見だった。

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つまり、平和な時代でこそ、

荒唐無稽なファンタジーの世界でドキドキして、夢想することができるが、今の時代。特に311以降は現実がファンタジーを超える困難が続出している。悪夢のような時代。その中でファンタジーを観ることは無意味であるというのだろう。

ファンタジーは現実逃避のジャンル。2時間の間。その世界に浸り、現実の嫌なことを忘れる。映画が終わると平和な現実に戻り。また平凡な生活を送る。だが、映画以上の悪夢が現実の中で続いている。そんな時代に映画館で現実逃避をしていてどうする? 今こそ、厳しい現実を見つめ。どう生きるか?を考えなければならない、映画はその助けとなるべき存在ではないか? 僕は宮崎監督の台詞をそう解釈した。

今は現実を見つめる時代。

劇中では関東大震災から太平洋戦争までが描かれる、まさに今の日本ではないか? 東日本大震災があり、今また戦争に向かって秘密保護法や集団的自衛権を持ち出し「戦争の出来る国」になろうとしている。

そこで「風立ちぬ」とはどういう物語か? 思いだそう。簡単にいうと、飛行機が大好きな設計士の主人公が、大嫌いな戦争が勃発したことで、夢が叶い飛行機が作れるようになる。という物語だ。もう、分かったと思う。物語背景が現実を反映しているように、主人公にも反映がある。

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映画というのは基本、主人公は監督の分身である。監督の思いが主人公を通して観客に伝えられる。その意味でこれまでの宮崎作品は女の子が主人公だったが、「風立ちぬ」では男性なので、宮崎監督自身がダイレクトに投影されていると思える。そうすると、答えが見えてくる。

宮崎監督の発言を思い出そう。

「原発でない電気で映画を作りたい」

と発言したのを始め、彼は反原発を訴えていることで有名だ。そんな彼と「風立ちぬ」の主人公は大きな共通点がある。主人公は飛行機が好きだが、戦争は嫌い。けれど、その戦争のおかげで飛行機が作れる。宮崎監督はアニメーションは大好き。でも、原発は嫌い。けれど、、、、、、、、、そう、スポンサーの多くは原発推進企業なのだ。

あのテレビ局も、あの広告代理店も、皆、推進派。そんな企業からお金を出してもらい、自然の大切さ、子供たちへの思いを語り続けて来た宮崎監督は、まさに「風立ちぬ」の主人公そのもの。この作品を引退作に選んだのも。その思いを描くためではないか? そして引退宣言も。体力的なことより。そんな企業から金を出してもらって映画を作ること自体を止めたかったのではないか? 本当はこういいたかったのではないか? 

「原発推進企業でない会社のお金で映画を作りたい」

だから、映画を見ている間中。宮崎監督の思いを感じ、涙が何度も溢れた。人殺しのための戦争のお陰で飛行機を作れる主人公。原発推進企業のお陰で映画を作れる宮崎監督。本人にとって、こんな苦しいことはないだろう。

だからこそ、終わらせよう。

最後にその思いを伝えよう。それが「風立ちぬ」という作品だったのではないか?






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【人はなぜ、他人のことをあれこれ言いたくなるのだろう?  そして大切なことを見失っているのではないか?】 [【再掲載】]

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【人はなぜ、他人のことをあれこれ言いたくなるのだろう? 
そして大切なことを見失っているのではないか?】

ここ数ヶ月。忙しくて食事の時間も取れないことが多かった。移動中にコンビニで菓子パンを買って歩きながら食べるということが何度もあった。先日、カレーパンを食べながら歩いると、80歳前後の腰の曲がったおばあちゃんが前方からやってきた。僕の前で立ち止まり、笑顔でこちらを見てこういった。

「パン食べてるの?」

会ったこともない人だし、ちょっと不審に思ったがお年寄りだし、答えた。

「はい…..」

すると、そのおばあさんは急に険しい顔をしてこういう。

「だから、そんなに太るんのよ!」

と言って立ち去って行った。何なんだ? あの婆さんは????? 想像するにお婆さんは「この人は座らずに食事をしている」と思った。しかし、僕が座って食事をする時間がないとは考えない。座って食事をするだけでなく、歩いているときも食べていると考えた=>賎しい=>だから太るんだ=>一言いってやろう!という理屈だったのだろう。だとしても、見知らぬ他人にそんなことをいうだろうか?

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と思っていると、自転車に乗ったおばさんが通りかかり、目の前で止まる。「あんた。あの人知ってるの?」そう聞かれた。「いいえ。今、会ったばかり….」そういうと、おばさんは「あの人。町内でも有名なのよ…」といい、ため息をつくと自転車を漕ぎ去って行った。

何なんだ??? 

想像するに、あのお婆さんは見知らぬ他人にやたら話かけては、あれこれ顰蹙を買うことをいうことで有名な人なのだろう。耄碌しているのかもしれない。

詳しいことは分からないが、耄碌したから見知らぬ人にまで余計なことをいうのか? 或いは耄碌したから思ったことを誰彼構わずにいってしまうのか? どちらかだろう。しかし、近所のおばさんたちの立ち話を聞いていても、「**さんがどうした」とか人の噂や批判ばかりしている。基本、人は他人のことをあれこれ言うのが好きなのだろう。

Facebookでも同じ。僕が書いた記事に対して、あれこれ首を傾げるコメントを書き込んでくる人たちがいる。「目の手術をしたので化膿止めのため毎日、目薬をささねばならない」と書くと、こんなコメント。

「オレ、目薬嫌いなんだよね〜」

ーはあ? あんたに目薬させとは言っていない!或いはこんなの

「目薬はいけない!さしては駄目だ」

これは一般の目薬についてよく言われることなので意味は分かる。が、記事を読めば手術後の化膿止めであることは分かる。が、その人は文章を読まず、「目薬をさした」という部分だけ見て「駄目だ」とコメントしたのだ。

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2人ともFacebook友達ではあるが、面識はない。ネット上で会話したこともない。なぜ、親しくもない相手にあれこれ注意を促したり、必要のないことを言って来るのか?何度も紹介したが、こんなコメントも以前は山のように来た。

「野菜が足りませんよ!」

「もっと運動した方がいいですよ」

「タンパク質が足りませんよ」

—大きなお世話だ! もちろん、僕の健康を気にしてくれているのは分かる。が、当時も多忙で野菜を食べる余裕なんてない。駅そばがランチてなことが多かった。そんな事情も説明しているのに「野菜が足りません」「サラダを食べましょう!」と連日コメント。「品川駅のどこでサラダ食えるか教えてくれ!!」といいたくなる。会ったこともない人たちが毎日のように、そんなことを書き込むので、一時期「プライベートなことは今後書かない!」と宣言したこともある。

僕が監督したある映画がDVD化される予定はない、と記事に書いたときもそうだった。何十人もが「だったら、***に頼むといいですよ」「台湾で作ると安くできますよ」といろんなアイディアが寄せられた。が、それらのコメントは100%当て外れ。

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何より、DVDのプレスができないと書いたのではなく、

メーカーから発売できないという旨を伝えたのに、「資金がないからプレスできない」と勘違い。おまけにコメントをくれた全員が業界の人ではなく、「よく分かりませんが***社に頼んだらどーですか?」とか自分の知らない分野のことに、あれこれコメントしていた。

これも「親切」「好意」と解釈することはできる。が、自分の知らないこと。専門外のことを想像でアドバイスすることに意味があるだろうか? その上、アイディアを募集した訳でない。さらには記事の意味を理解していない。問題点ではないことにコメントする。決して悪い人たちではない。少しでも知恵をしぼって助けになれば!という思いで書いてくれたのだとは思う。が、同時に、他人のことを、専門分野でもないのに、あれこれ言いたくなる人の心理が働いてはいないか?

つまり、先のお婆さんも、近所のおばさんも、Facebook友達も皆、同じで、自分がよく知らない人に対しても、あれこれ口出ししたい!という思いがとても強いのだ。それを指摘すると「親切で言って上げてるのに失礼な!」と怒り出したり「だったら勝手にしろ!」と逆切れされたり。意味が分からない。

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なぜ、人はあれこれ他人のことに口出しするのか? 困ってもいない人にアドバイスしたがるのか? 専門外なことまで分かったようなことを言いたがるのか? 映画の世界で仕事をしだしてからも、飲み会に行くと、人の噂話しかしない会が多い。

「***監督は才能ないのに何で毎年撮るんだ?」

「役者の***はもう駄目だ。仕事がなくなるよ!」

とか、そんなことばかりいう飲み会が結構あって、近年は忘年会にも出ない。成功している人や失敗した人たちの仕事ぶりを分析、自分のプラスに繋げるのならいい。が、あれこれ聞きかじったことを、あれこれ批判していても何のプラスにもならないと思うのだが……、

ふと気づくとFacebookも似たような一面のある世界だと思える。一時に比べて、その手のコメントは激減したが、僕自身もその手の人たちの輪の中に陥っているのではないか? と思うことがある。

大切なのは何か? 

日常に忙殺され、自分を顧みる余裕もなく。隣の芝生をうらやみ、嫉妬して、批判し、否定することだろうか? そうやって憂さを晴らすことではないはずだ。大切なことは何か? それを考えなければならない。



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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「想像とは大きく違い、単純に福島原発の映画ではなかった」 [【再掲載】]

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 「朝日のあたる家」を

 小倉コロナで観てくれた女性の感想

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映画「朝日のあたる家」を観て来ました。
一人でふらぁ〜りと行動する私には珍しくえむさんを
誘って。
せっかくなので感想文を書いておこう。



この映画はフィクション。
実際に平田家は実在しないし、フィクションという想像の産物なので、
辛いこと、悲しいことをいくらでも盛り込めるお涙ちょうだいの映画。
原発、放射能のドキュメンタリー映画、DVDをすでにいくつも観て来た自分は
そう思いながらさほど期待せずに観に行った。



福島原発事故後、住まいの近くの原発が事故を起こしたという設定。

福島原発をそのまま再現したような表現や政府の対応ではあるけれど、
今の政府をみれば、311のときと変わらない対応しか出来ないことは
誰でもわかることなので、隠蔽主義の政府の対応はいちいち納得出来る。

平田家周辺の人たちの心情がストレートに入ってくるのは、
さすがフィクション、演技だからかえって伝わりやすい。
その辺はフィクションならではの良さかも。
私たちは想像でしか被災した人たちの心情をくみ取れないから、
このようにストレートにわからせてくれることはとても大切なことかも知れない。

この映画は日本中どこにもある原発の危険を訴えているものだし、
明日は我が身であることを教えてくれるもの。

原発の話しとかもう聞きたくない、飽きたと言う人こそ観て欲しい。
この家族と同じ思いで3度目の冬を迎える人たちが東日本にいることを知っていて欲しい。


そう言えばアナタ、これを観ずにいっちゃったのね。
こういう映画をたくさんの人に観てもらうことも被ばくへの啓蒙活動だったね。それが私たちの共通した目的だったのにね。

〜〜〜

福岡では小倉コロナワールドのみの上映で11月29日(金)まで
映画を観た後は、同じ施設内にある温泉にえむさんと楽しんで来ました。

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「シン・ゴジラ」素晴らしかった! ゴジラ=原発事故を描いた傑作!!解説する。 [【再掲載】]

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【「シン・ゴジラ」素晴らしかった! その魅力を分析。実はあの映画....】 

期待をしながらも不安も大きかった。が、「終」の文字が出ると思わず拍手してしまった。今年の日本映画ではベスト1。「ゴジラ」映画でもトップクラスのクオリティと思える。その魅力とテーマを僕なりに分析した。

(以下、ネタバレ多数あり)

名作と言われる第1作の「ゴジラ」は水爆ー原爆。そして太平洋戦争の象徴がゴジラだった。街を破壊し、人々を恐怖に陥れる巨大な怪物。しかし、シリーズを追うごとにゴジラは正義の味方となってしまった。そのゴジラを悪役に戻しただけでなく、1作目で原爆や戦争の象徴として描いた怪物を今回は「原発事故」の象徴として描いている。ここが本当に凄い。映画界では原発事故はタブーだ。それを大ヒットシリーズである「ゴジラ」を使って描いてしまったのだ。

物語は東京湾に怪物が現れるところから始まる。そこからもう聞き慣れた311のときの台詞が次々に発せられる。「ただちに被害はありません」「想定外だ」「御用学者」そしてゴジラが津波のように東京に襲う。ここでもう津波ー原発事故を連想させる。あの福島の原発事故と同様、御用学者は何の役に立たず、自衛隊もゴジラには通用しない。ただ、都民は避難するだけ。そしてゴジラが移動したあとには放射能が検知。これは動く原発事故だ。

よくあの東宝がこの映画にゴーサインを出したものだと驚く。黒澤明監督の「夢」。あの映画では原発事故のエピソードがあるが故に製作費を出すのをしぶり、結果アメリカのワーナーブラーザースが出資と聞く。結果「夢」は日本映画ではなくアメリカ映画となった。その東宝がよくぞ!と思うほどに、「シン・ゴジラ」は原発事故映画なのである。そのことはゴジラとの最終決戦からも伝わる。



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第1作の「ゴジラ」はオキシジェン・デストロイヤーという新兵器で倒すのだが、今回は違う。新兵器ではなくゴジラを冷却するのだ。つまり、メルトダウンを冷温停止するという行動。ミサイル等を打ち込むのではなく、ゴジラの口から冷却液をクレーンで流し込むのである。

その行為は福島原発の原子炉を冷やすために水を流し込んだ巨大なクレーンを思い出させる。1作目の「ゴジラ」が単なる怪獣ものでなく名作となったのは単に怪獣が暴れるだけの物語ではなく、その背景に戦争や原爆の悲劇を描いたからである。同じように「シン・ゴジラ」は原発事故の悲劇を怪獣映画として描いている。

といって、社会派映画か?というとそうではない。特撮ファンが大喜びする場面が連続する。その前にこの映画一番の功労者は誰か?というと、やはり総監督の庵野秀明だ。「エヴァンゲリオン」の庵野だ。「シン・ゴジラ」は完全に彼の映画である。何より、ゴジラが最初、登場するところは使途かエヴァか?というルックス。さらに放射能光線を吐くときはもう巨神兵だ。そう宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」に登場する炎の巨人。あの動画は当時無名だった庵野が描いている。そんなふうに「シン・ゴジラ」では庵野ワールドが次々に登場する。

また、庵野監督は「ウルトラマン」好きでも知られる。「シン・ゴジラ」でも後半のストーリーは「帰って来たウルトラマン」のあるエピソードをベースにしていると思える(庵野監督が学生時代に作った自主映画「帰って来たウルトラマン」も同様のエピソードが下敷き)。パクリではない。あのエピソードが好きで溜まらないのだろう。実は僕も「ウルトラ」シリーズ屈指と思っている大好きな1編。そう「決戦! 怪獣対MAT」(脚本・上原正三)の回である。

グドンとツインテールが東京を襲う。ウルトラマンさえ歯が立たないので、MATの岸田長官(藤田進)はスパイナーという小型水爆と同じ破壊力のある爆弾で怪獣を退治しようとする。そんなことをしたら東京は死の街になる。

なのに都民を避難させてスパイナーを使うという。MAT隊員たちはその命令を待ってもらい2大怪獣に捨て身の攻撃をかける。もうお分かりだろう。「シン・ゴジラ」でアメリカがゴジラを核爆弾で攻撃するというのは、その話を踏襲している。「帰って来た」の名曲「ワンダバ」が流れるのではないか?!と思うほどだった。



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さらに最終決戦では「地球防衛軍」のマーチ等。以前の「ゴジラ」映画の名曲が次々に流れ、ファンとしては狂喜乱舞の連続。庵野監督の特撮マニア振り全開の展開となる。だが、単なる特撮ファンのための映画という訳ではない。後半戦。特別チームを編成してゴジラと戦う展開。ここにメッセージがある。

劇中の台詞でもあるように、縦割りで役所同士がいがみ合い争うから前に進めない。しかし、役所には優秀な人材がいる。プライベートを犠牲にしてがんばる人たちがいる。はみ出し者、嫌われ者、異端児、オタク。でも、優秀な人材を集めて、詰まらない枠を外して行動すればゴジラは倒せるという展開なのだが、これは原発事故にもいえる。英知を傾けて努力すれば福1も本当の意味で収束できる! そして、不況が続き未来が見えない社会にも「日本はまだまだ行ける。必ず困難を克服して前に進める。がんばれ!」という日本人への応援歌なのだ。

この部分が本当に素晴らしい。1作目の「ゴジラ」が戦争や原爆の恐怖を伝えたが、今回は原発事故の恐怖を伝えるだけでなく、希望を描き、日本人にエールを送る物語となっている。アメリカからいろんな横やりが入るが(核爆弾を使うとか内政干渉)それを撥ね除けて、各国に根回しを行けば、未来を掴めるという具体的なメッセージなのである。

だから、最終決戦の前。防護服を着た数多くの自衛隊員を前に主人公はスピーチをするが、隊員たちの顔や表情を見せない。なぜか? 本来なら彼らの決意の顔を見せるのが映画。でも、そうではない。この場面のスピーチは隊員たちより、この映画を見ている観客に向けてされたものだからだ。だから、隊員たちの顔を見せない。映画を見ている僕らへのメッセージなのだ。

「みんな死んでしまえ!」がキャッチコピーだった劇場版「エヴァンゲリオン」の1作目。その庵野監督が「希望」を語っているのだ。その変化は2作前の新劇場版「エヴァ」からも感じていたが、そのメッセージは今の日本に本当に必要なものだと思え、心から共感した。


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その「シンゴジラ」のラストシーン。どんな場所だか覚えているだろうか? ビルの屋上から冷温停止?したゴジラを見つめる主人公たち。あの場所。「太陽を盗んだ男」のクライマックスの場所。沢田研二と菅原文太が死闘を演じるあの屋上ではないか? 庵野監督あの映画が大好きなようで、2作前の新劇場版「エヴァ」でもそのテーマ音楽(山下警部のテーマ)をこっそり使っていた(「怪奇大作戦」の「京都買います」のテーマ。フェルナンド・ソルのあれも使われていた!)僕も「太陽を」は大好きなので、あのロケ地!あーーと思ってしまった。

では、なぜ、あのロケ地を使ったのか? 単に「太陽」ファンということではない。沢田研二扮する高校教師木戸は原爆を作る。それを爆発させまいと菅原文太演じる山下警部がその屋上で戦う。原爆を使う者、止める者の最終決戦の場だ。そこから原発=ゴジラが冷温停止した姿を、原発=ゴジラを止めた主人公たちが見つめる。その構図をダブらせたのだ。最後の最後まで庵野監督の趣味や世界観を生かした作品となっている。

そしてエンドロールの旧「ゴジラ」のテーマミュージック集。素晴らしい。アメリカ版「ゴジラ」を遥かに超える映画だ。スタッフ・キャストに大いなる拍手。贈りたい!







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