ロサンゼル国際空港から東京へ! [LA 想い出の旅]
ロサンゼルス国際空港から。
シンガポール航空の飛行機で、成田へ
様々な思いを胸に、テイクオフ。
窓からLAの街を見下ろすと、
”アメリカングラフィティ”の主人公カートの気持ち
あの映画でも、ラストはカートが飛行機で故郷を離れる場面。
窓から街を見下ろすと、白いサンダーバードが見える。
同じように、僕もLAの街を見下ろした。
さて、この監督日記も、そんな場面で完結している。
その続きを綴ろう。
(つづく)
詳しくはこちら=> http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-05-08-10
ひとつの時代、長い物語の終章 [LA 想い出の旅]
LAの映画祭。ついでに母校を訪問 [LA 想い出の旅]
2010年 春
LAの映画祭。
1週間ほど滞在したので、母校・USC(南カリフォルニア大学)を訪ねた。
20年前。この大学の映画科で学んだ。
USCの映画科は全米で最も、有名なシネマスクールのひとつ。
多くの有名監督がここで学んでいる。
”スターウォーズ”のジョージ・ルーカス
”ダビンチコード”のロン・ハワード
”遊星からの物体X””ハロウィン” のジョン・カーペンター
”ビッグウエンズデー” のジョン・ミリアス等
”スターウォーズ/帝国の逆襲”のアービン・カシュナーは
ここで教鞭を取っていた。ルーカスはその頃の生徒。
今回、映画科を訪ねてみて驚いたのは、
ルーカスやスピルバーグの寄付で、もの凄く豪華な建物になっていたこと。
僕が学んだ頃でも、彼らの寄付で新しい施設ができていたが
そんなものじゃない。
まるでクリスタルスカルの王国!
ダグラス・フェアバンクスの像まであり
王国としていいようがない。
後輩たちはこんな恵まれた場所で、ハリウッドデビューを目指し
学んでいるのだ。
母校USCを訪ねる旅=>http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23
LAの映画祭。
1週間ほど滞在したので、母校・USC(南カリフォルニア大学)を訪ねた。
20年前。この大学の映画科で学んだ。
USCの映画科は全米で最も、有名なシネマスクールのひとつ。
多くの有名監督がここで学んでいる。
”スターウォーズ”のジョージ・ルーカス
”ダビンチコード”のロン・ハワード
”遊星からの物体X””ハロウィン” のジョン・カーペンター
”ビッグウエンズデー” のジョン・ミリアス等
”スターウォーズ/帝国の逆襲”のアービン・カシュナーは
ここで教鞭を取っていた。ルーカスはその頃の生徒。
今回、映画科を訪ねてみて驚いたのは、
ルーカスやスピルバーグの寄付で、もの凄く豪華な建物になっていたこと。
僕が学んだ頃でも、彼らの寄付で新しい施設ができていたが
そんなものじゃない。
まるでクリスタルスカルの王国!
ダグラス・フェアバンクスの像まであり
王国としていいようがない。
後輩たちはこんな恵まれた場所で、ハリウッドデビューを目指し
学んでいるのだ。
母校USCを訪ねる旅=>http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23
日本映画だって外国に通用する! [LA 想い出の旅]
2011年 春
1985年から6年。
ロサンゼルスに留学していた。
ジョージ・ルーカス、ロン・ハワード、ジョン・カーペンターら、
ハリウッドの巨匠たちが学んだ
南カリフォルニア大学の映画科に合格。映画の勉強を。
しかし、本当の勉強は大学ではなく、街の映画館だった。
ほとんどのアメリカ人は日本映画を見ない。見ても首を傾げる。
そんな中、彼らが熱狂し、支持するのが黒澤明作品。
他の日本映画と何が違うのか?
それを知りたくて映画館に通う。アメリカの生活を体験する。アメリカ人と話をする。
いつか、アメリカ人が拍手喝采する映画を作りたい。
世界に通用する日本映画を作りたい。
人生の目標のひとつとなった。
それから20年。
日本で映画監督になった僕は、
”青い青い空”という青春書道映画を作った。
アメリカ人にも分かる。アメリカ人も感動する。
そのことを意図して作った。
今年春に参加したLAの映画祭、それが支持されるかどうか?ハッキリする機会。
20年の成果が問われる。
そして、映画が終わった瞬間。観客は一斉に拍手喝采。
上映中も、笑い声と涙が絶えなかった。
出口に立つ僕に、多くの人が駆け寄り”素晴らしかった!”と声をかけ
握手を求められた。
黒澤明でなくても、日本映画はアメリカに通用する!
そう確信できた瞬間だった。
詳しくはこちら=> http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-27-8
20年振りのLA、嬉しさと淋しさが交差! [LA 想い出の旅]
まずは、”青い青い空”監督日記、LAの映画祭レポートから
振り返ってみる。
2011年 春
LAで毎年開催されるジャパン・フィルム・フェスティバル・LA。
そこで我が”青い青い空”が上映されることになり、LAへ!
本当に、壮絶な日々だった。
何といってもLAは大学時代を過ごした街。
USC(南カルフォルニア大学)映画科で学んだ。
LAはどこに行っても、
想い出がいっぱいで、
もう苦しいくらいだった。
同時に、想い出の店がことごとくなくなっていて
友人、知人も1人もいなくなっていて
心がズタズタ・・ということもあって
懐かしさと淋しさが交差する毎日。
20年も経っているのだから、当然なのだけど
本当に月日の長さを思い知らされた。
映画監督を夢見て日本に戻り、6年かけて監督になり
さらに何年もかけて、ようやくアメリカで上映される映画を監督した。
でも、そこまでに20年という歳月がかかってしまった。
嬉しさと淋しさがここでも交差。
LAでの1週間は、そんな連続だった。
LAの映画祭レポート=>http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-13-1
2012-08-31 21:05
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