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映画「Fukushima50」と「戦争を美化する人たち」=国民を誘導する手法が同じ? [Fukushima50を検証]

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映画「Fukushima50」と「戦争を美化する人たち」=国民を誘導する手法が同じ?

「2度と戦争をしてはいけない」

 僕が子供の頃、大人たちは繰り返し言っていた。それがいつしか日本はまた「戦争ができる国」になっている。なぜか? それは戦争したい人たち。戦争で儲かる人たちの世論誘導があったからだ。同じ手口で作られた映画が「Fukushima50」。

戦争は悲惨なもの。多くの犠牲者が出る。国民が苦しむ。被害が出る。だから「戦争はしてはいけない」ということになる。それは原発事故も同じ。犠牲者が出る。被害が出る。国民が苦しむ。だから「原発はいけない」となる。だが、どちらも国策。権力と金にものを言わせて国民を誘導する。

「Fukushima50」も誘導があった。「原発事故は悲惨だ。でも、50人の職員が決死の覚悟で対応。日本は守られた!」という事実ではない作品になっている。住民の被害は描かない。避難するだけ。未だに家に帰れない人がいることにも触れない。また、50人が必死で対応したのは事実だが、彼らは爆発を止められなかった。そのために放射能は飛び散り、日本中に降り注いだ。多くが被曝。故郷を追われる。自殺した者もいる。が、その辺も描かない。

勇敢な職員の活躍だけを描き。それを「日本を守った」という結論に無理やり結びつける。そして官邸を悪者にし、事故は天災が原因にして、東電も被害者という構図を作った。当時は事故を起こした責任者=悪役であった東電の人たちを日本を救った英雄にすり替える。つまり、事実を捻じ曲げて解釈を変えて、別の美しい物語を創り上げたのだ。

戦争をしたい人たちも同じように「太平洋戦争」の解釈を変える。「特攻隊は若くして命を散らした。それは日本を守るため。彼らによって日本は守られた。今、日本があるのは彼らのお陰である」という物語を吹聴する。だが、特攻という非人道的な攻撃法。それは指摘しない。悲劇を強調。

隊員たちは被害者。それを英雄に仕立てる。特攻はほとんど効果がなく、無駄死にと言われる。それを日本を守ったと解釈をする。「多くの兵士が犠牲になったが、お陰で日本は守られた」という事実とは違う結論を導き出す。原発事故と同じ方法論で、全く別の結論に誘導している。比較しよう。

●東電の職員、命がけで対応した=特攻隊。命を捨てて戦った。

(どちらも、そもそもを忘れている。事故が起こるような原発の問題。命を捨てさせる非人道的な攻撃法。それを指摘しない)

●職員50人が日本を救った=特攻隊は日本を守った=どちらも英雄だ!

(50人は奮闘したが日本を救っていない。爆発が止まったのは偶然=特攻はほとんど意味なく、日本は敗北。占領された。守れていない)

こうして都合の悪いことは全て伏せて、そもそもの目的や原因に触れず、命がけで戦った人たちを美化し、日本を守ったということにしてしまう。そして原発を推進。もう一度、戦争をやろうということ。しかし、原発も戦争も金持ちたちが金儲けをするためのツール。美しい言葉で国民を誘導して、犠牲を強いるだけ。そしてさらなる金儲けを続ける。美しい話に騙されてはいけない。






俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08

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