Facebookに毎日記事をアップする理由④=最後の理由。人に読んでもらうためではなく? [my opinion]
Facebookに毎日記事をアップする理由④=最後の理由。人に読んでもらうためではなく?
基本、記事をあげるのは誰かに読んでもらいたいからだ。旅行に行った。友達が読めば「いいなあ」と思ってくれる。お誕生日だ。お祝いコメントもらえる(ちなみにこのお誕生日おめでとうは、本当に嫌い。だからバースデーを公開していない。知っていてもお祝いいらないからね)だが、基本は読んでほしい、伝えたいと言う記事を書く。
ただ、僕が書くいくつかの記事は読んでほしくて書いていない。自分が今、考えていることを整理するために書く。頭で考えると堂々巡りになったり、論理性、客観性をなくしがち。だから、友達の少ない人の説明は分かりづらいことが多い。人ごろから第三者の意見や指摘を聞かないので、矛盾点が分からず、客観性がないからだ。
一番、いいのは人に話すこと。相手が分かるように説明することで、自分の中で考えが整理できる。矛盾があれば、相手が「そこ分からない」と指摘してくれる。その意味でコメント欄に意味不明のことを書く人は友達が少ない。あるいは周りの人が呆れて質問しない。家族から放置されている人が多いはずだ。自分だけ理解し、言葉が足りない、的確な表現ができなくなる。
僕は多くに読んでほしい話でなくても、記事にするのは、例えば567の正体。寅の実態。枠てんの本質。ま、これらは多くの人が興味を持つネタではあるが、その他のことでも、疑問点をあげて、それに対して事実をあげていき、答えを探す。マスコミはこう言うが、矛盾するではないか?とか真相追求の記事を書く。
これはミステリーで「犯人は誰か?」と同じ手法。論理性が何よりも大事。証拠はなくてもいい。裁判ではないし、一般人に捜査はできない。が、いろんな側面から見てきて整合性を考えると、多くの答えは出る。確定はできなくなくても、これが答えだ〜と思えるものにたどり着く。
そのことで自分の考えも整理される。1人で考えると、それがなかなかできない。その意味でFacebookという存在は有用。簡単に書ける。反応も来る。来なくてもいいコメントも来るが、それはすぐに消す。そんな利用もしている。
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