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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。 [映画業界物語]

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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。

地方映画の場合。一般の人が実行委員となり、映画製作をする。最初は「監督、よく頑張るなあ」「凄いなあ」と評価してくれるが、完成後にギャラを請求すると「金を取るのか!」「結局、金のためか!街を愛してくれたので、頑張っていると思ったに失望した」と言われたことがる。考えれば分かるが、1年も映画に専念して、どうやって生活をするのか? 家賃、食費、交通費。物凄い金持ちで道楽に映画を撮っていて「ギャラなんていりませんよ」なんて奴。見たことない。けど、そう思い込む。ゲゲゲの鬼太郎か? 妖怪退治して金も貰わずに去っていく。それを期待したのか?

でも、地元の社長とか、それなりの街の名士でも、そんなことをいう人もいた。こちらは監督料をもらっても完全に赤字。残るのは借金の山だったりする。それを全く想像しないで、失望したと言われ、批判される。あるいはこう言われる。「監督は撮りたい映画を、俺たちを騙して撮ったんだ」と言われたこともある。これも誤解がある。映画監督は自分が撮りたい映画を撮ってこそ、いいものが出来る。嫌なものをいやいや撮ってもダメ。それを「自分が作りたいものを作っただけ」といわれる。もし、街の魅力を語る映画なのに、意味不明の実験映画やホラーものになっていたら、その指摘も分かる。が、映画館では皆、大感動していても、そう言われる。

その背景にあるのは「仕事は嫌だけど、やらなければならないもの」「趣味は楽しく好きでやるもの」という思いがある。多くの人は好きな仕事を選べず、いやだけど会社員になる。工場で働く。その代わりに固定給をもらう。映画監督は好きで選んだ仕事。その代わり生活は不安定。だけど、自分が信じるものを作る。根本的に違う。また、映画監督でも押しつけられたものを嫌々やる人がいる。が、僕は自分が「これ!」と思わないものは絶対にやらない。その代わりに最高のものを作る。そこが理解されない。だから「自分の撮りたい映画を撮っている」=「好きでやるのは趣味だ」「俺たちは利用されたんだ」という判断をする人が出てくるのだ。

映画の評判が悪ければまだ理解するが、ほとんどの人が「よかった」「感動した」と言ってくれる。そして、それこそが僕が目指したもの。感動し、泣けて、希望を感じる映画が作りたい。その意味でも自分のやりたいことをやっている。映画界でも僕のように「本当にやりたいものだけ作る」監督は少ない。だから業界でも「わがまま」「身勝手」と批判する人もいる。あるいは「物凄く恵まれている。悔しい」と思われる。が、そう思うなら「やりたい映画だけ監督すればいい」それができないなら他人を嫉妬するな。思いを突き通すのは大変。毎回、遺作のつもりでやらないと出来ない。その手の人に説明しても分からないので、相手にしない。理解される必要はない。批判されるということは、自分の思いを貫いているということ。そう考えている。


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