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「朝日のあたる家ーはシュミレーション映画だ」という支配人(4) [作品紹介]

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 「朝日のあたる家」で描かれる物語。

 地震が起こり、原発で爆発、官房長官の会見があり、

 避難、仮設住宅、一時帰宅と

 原発事故の展開をリアルに描いてあるのだが

 それらのほとんどは福島で起こった事実である。

 それを映画では同じ展開で、同じ時間に地震が起こり、官房長官会見があり、と

 同じ時間軸で描いている。

 さらに、官房長官、御用学者の台詞も当時とまんまにした。

 一字一句。現実の彼らと同じことを話している。

 と書くとこういう人が出てくる。

 「そこまでするなら、なぜ、福島を舞台にしないの?」

 それこそ「再現ドラマ」意味がないのだ。

 福島を舞台にすると、観客はこう感じる。

 「こんなことがあったのか....福島大変だったなあ」

 でも、それは他人事。今の風潮と同じ。

 自分のこととして考えていない。

 だから、舞台を静岡県に移し、311以降の物語とした。

 ロケ地である湖西市は日本の原風景が残る素敵な町

 その風景を観ていると、こう思えてくる。

 「うちの田舎に似ているなあ」「昔はうちの町もこうだったなあ」

 そして、知らないうちに自分の町で、自分の古里で原発事故が起こると

 こうなるんだろうなあ......という視点で物語を観ていく。

 主人公の平田家は4人家族だが、気づくと観客であるあなたが

 5人目の家族となり、原発事故を体験することになる。

 つまり、福島の原発事故が自分の住む町で起こったら?

 という体験をするのである。

 だから、人が死ななくても悲しみは溢れるし、

 押さえようない苦しみや怒りがこみ上げる。

 これを所謂「再現ドラマ」にすると、他人事となり「福島大変だったなあ」で終わるし

 「シュミレーションドラマ」にすると、

 「へーー原発事故って大変だなあ」

 とは思ってもリアリティは感じない。

 いずれのドラマにもいえることは、自分とは関係のない事件に見える。

 見終わったらすぐに忘れる。

 そもそも、近未来を描いたシュミレーションドラマを観て、涙がこぼれることはない。

 いくら「東京は津波に教われる!」といわれても「ふーーーん」と思う人が多数。

 同じ手法で福島の原発事故を描いていも

 別の町でシュミレーションして描いても、

 「悲しみ」や「恐怖」を伝えることはできない。

 だからこそ、「シュミレーションドラマ」でも「再現ドラマ」でもない

 (それらで「朝日の」物語は描くことはできない)

 新しいスタイルを作り出し描いたのである。

 (つづく)



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