全てはLAから始まった(下) [ロサンゼルスの映画祭]
映画界の友人たちは言う。
「原発映画はタブーなんだよ! そんなものに出資する企業はないな」
「原発映画なんて撮ったら、お前、二度と商業映画を撮れなくなるぞ」
「推進派に消されるぞ。原発にはもの凄い金が絡んでるんだ。気をつけた方がいいぞ」
そんなこと。あちあこちで言われた。
しかし、「青い青い空」のとき、過労死しそうになった。
医者が「よく、死ななかったねえ?」といったほどだ。
それはたぶん。神様がこう言っているということ。
「生きて、もう一本映画を作れ!」
誰も原発映画を作らないなら、僕が作る。
本当のことを伝えたい!
徹底した取材を続け。
いろんなことがあったが、
それから1年。湖西市の三上市長の応援。
そして湖西市、浜松市の方々の支援。さらには全国からの応援も頂き、
映画「朝日のあたる家」を完成させた。
その初上映が、2年前に参加した、全ての出発点である
このジャパン・フィルム・フェスティバル・LAだった。
これも何かの巡り合わせ。運命的な気がする。
しかし、アメリカ人観客はハッピーエンドが好きだ。
サクセス・ストーリーを好む。
悲しい現実を直視した「朝日のあたる家」を受け入れてくれるだろうか?
その結果は間もなく出るだろう。
上映のスタートだ。
(つづく)
2013-05-21 21:00
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