五年も待ってられないという人 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
”青い青い空”東京公開を控えたある日。
映画界で働くある若い女性と話をした。
完成までの話をすると、こう言われた。
「へーーーー、1本の映画を撮るのに5年もかかったの?
私なら、待ってられないなぁ〜」
ん? 勘違いしている。5年かかったとは言ったが
”5年待っていた”なんて言っていない。
彼女の発想はこうなのだろう。
企画会議で提案して、5年ほど待たされてやっと許可が降り
製作費が出て撮影した。だから、待っていたと考えたのだ。
だが、それ以前に待っていて映画が撮れることなんて、あ・り、え・な・い!
映画だけではない。待っていて、誰かが何かをしてくれることなんてない!
分かっていない!説明する。
「5年間。待っていたんじゃないよ。書道の取材、シナリオ執筆
資金集め、ロケハン・・それを全部片付けたら、5年経っていたということ。
待っていた訳じゃない。ただ、待っていて映画が出来る訳ないだろ?」
だが、彼女はいう。
「どっちにしても、5年もかかったら、その企画をやる気はなくなるわね。
別の企画をやるわ〜」
はあーーー。本当に分かってないな!!
「5年の間に、やる気がなくなるようなら、その企画はあなたが本当に
やりたい企画ではなかったということだよ。
本当に、心から映画にしたいなら、5年が10年でも必死になって
形にする。それができないなら、作るべき作品ではないということさ」
彼女はヘンな顔をしていた。
5年かかったと言うと、5年待ったと考える。
自分で決意し、自分で努力して、
何かを作り上げるということ。会社員の彼女には分からないのだろう。
それに1年で、”やっぱやーーめた!”という程度の情熱しかないなら
映画を作る資格はない。
だが、本当は、彼女の発想が映画界では主流。
映画会社やプロデュサーという人は、何か問題にぶつかるとすぐに諦めてしまう。
”ストロベリーフィールズ”のときも、
”一緒にやりましょう!”
”うちで製作しましょう!”という会社やPが
何人かいたが、壁にぶつかるといとも簡単に投出し、逃げてしまった。
根性がない!!!当時はそう思っていた。が、今考えると、やはり
5年というのは、とんでもなく長い月日なのだ。
(つづく)
2012-09-02 17:19
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