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原子力ムラの手口は悪徳プロデュサーと同じ?(5ー終) [2012]

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 原発再稼働問題5。

 政府のやり方は悪徳製作会社と同じ。

 そんな会社を何社も見て来た。

 しかし、スタッフや監督も、いつまでも同じ手で騙されてはいない。

 やがて、皆、離れて行く。

 残った者も真剣に仕事をしない。当然、素晴らしい映画はできない。

 絶対にヒットしない。だから会社は倒産する。

 残っているところも、いつ潰れるか?

 という感じだ。

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 原発も同じ。

 理不尽な手を使ってでも再稼働すれば、

 その原発を資産として、電力会社の経費に上乗せできる。

 総括原価方式なので儲かる。

 安全面に金をかけずに再稼働する。
 
 再稼働によって、メンテナンス。ウランの輸入業者という

 原発ムラの人たちが潤う。

 だが、大切なことに金と労力をかけず、ごまかしで進めれば

 必ず、崩壊が待っている

 映画は製作会社が潰れるだけで済むが

 原発は多くの人を巻き込み、多大な犠牲を出すことにはなるが、

 そうやって製作会社も原発も終わって行く。

 人はいつまでも騙されてはいない。

 (つづく)

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原子力ムラの手口は悪徳プロデュサーと同じ?(4) [2012]

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 2012年6月

 原発再稼働問題4。

 政府のやり方は映画の悪徳制作会社と同じ。

 どんなに約束していても、プロデュサーは平気で破る。

 例えば

 映画の予告編は監督の了承を得てから製作、世に出される

 が、プロデュサーはときおり了承を得ずに、無断で予告を製作。

 流してしまうことがある。

 だから、僕は事前に了承を得るようにプロデュサーに約束させる

 にも関わらず。無断で予告を製作したヤツがいる

 本編の内容が全く伝わらないものを作り、世に出してしまった。

 激怒して、問いつめると、

 ”そんな約束はしていない!”と繰り返すばかり。
 
 で、筋を通して、説明した。

 ”映画の責任者は監督でしょう? その監督の承諾を得ない。

 作品内容を反映しない予告を作ってどうするの?”

 と問いつめても、

 ”時間がないので仕方なしにやった!”

 と繰り返すばかりだった。

 筋を通さず、勝手な判断で、良からぬことをする。

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 原発ムラも同じ、

 大飯原発は安全面ではまだまだ不十分。

 免責事務棟もない。原発への道もひとつしかない(地震で分断したら援助もできない)

 原子力保安院の班目委員長も”安全”を認めていない。

 なのに、野田総理は”安全は確認された”と発言。

 焦って再稼働に踏み切ろうとする。

 その結果、原発は危険を腹んだまま動き出す。

 映画界と同じ。

 理屈が合わず批判されても、間違った懸案を無理矢理進める。

 そして最低の映画が出来上がり、

 赤字になると”私に責任はない”と逃げる。

 これも同じになるだろう。

 (つづく)

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原子力ムラの手口は悪徳プロデュサーと同じ?(3) [2012]

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 原発再稼働問題3。

 政府の手口は映画の悪徳プロと同じ。

 なぜ、プロデュサーはウソで脅迫。監督やスタッフを誘導するのか?

 自分の思う方向に進めたり、映画をねじ曲げようとするのか?

 よい作品を作るためではない。

 努力して、映画をヒットさせようとはせずに、

 利権や余録にたかり。

 スタッフを踏みつけていることに気づかず

 会社のみが潤うことのみを望むからだ・・。

 しかし、それで儲かるなら分かるが、

 目先の小さな利益に囚われ、映画の質をも落としてしまう。

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 これも原子力ムラと同じ発想。

 原発で一番大切なのは安全だ。

 それを疎かにして、儲けに走る。

 映画で一番大切なのはクオリティ

 観客が笑い、ドキドキし、感動してもらうこと

 それを疎かにして、いかに安く仕上げて製作費を残し自社のものとするか?

 いかにピンハネして、自らの利益とするか?

 発想は同じなのだ。

 そのために原発が事故を起こし、国民が被曝する可能性を考えない。

 安全対策には金をかけず、少しでも早く再稼働して儲けたい!

 製作会社は観客からブーイング出ても、監督やスタッフの思いを潰しても

 わずかな金を手にすること選ぼうとするのだ。


 (つづく)

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原子力ムラの手口は悪徳プロデュサーと同じ?(1) [2012]

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 2012年 6月

 橋下市長ら首長らが組織する関西広域連合が

 原発再稼働容認

 そのとき僕は風邪で寝込んでいた。

 が、そのニュースを見ると、怒りが爆発。

 今から官邸前のデモに参加しに行こうか!?と思ったほどだ。

 新聞やニュースでは、

 橋下市長らの意見が変ったことを批判するものが多かったが

 元経産省官僚の古賀茂明さんが解説していたように

 原子力ムラからスゴイ圧力が彼等に降り注いだのだ。

 その手口を見ていると、映画界の悪徳製作会社と同じ!

 ちょっと例を上げてみよう。

 悪徳製作会社のプロデュサー

 思うように映画スタッフを誘導したいときは・・。

 起きてもいないのに

 ”トラブルが起きた”

 と告げることがよくある。


 ”製作費が底を突きそうで、困っている・・・・”

 ”原作者からクレームがあった・・”

 そんなことを理由に

 ”だから、***ロケは中止しよう!”

 ”だから、**シーンは別の形に変えよう”

 ”だから、主役は***さんにしてほしい”

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 そうやって、プロデュサーが望む方向に監督やスタッフを誘導。

 シナリオを直させたり、キャスティングをねじ曲げたり、
 
 ロケ地を変更させたり、映画内容を思う通りに変えようとする。

 それでもスタッフが反対すると

 ”ギャラが払えなくなるかもしれない・・”

 ”撮影を中止にせねばならない・・”

 と脅迫。或いは

 ”関係者に迷惑がかかる・・”

 等のウソをついて、スタッフを抑え込む。

 同じように”計画停電をせねばならない。電気が足りない!”

 そんな典型的なパターンの手を使い

 原子力ムラは橋下市長たちに圧力をかけ

 容認をさせたのだろう・・・。

 (つづく)


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たね蒔きジャーナル/2050年代前半に原発ゼロ実現? [2012]



 民主党エネルギー環境調査会が

 原発ゼロ実現を2050年代前半との案を

 まとめた…が

 小出裕章さんが語る

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大飯原発再稼働問題。なぜ、容認なのか?(下) [2012]

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 2012年 6月

 関電から”計画停電をせざるを得ない!”と言われた(脅迫された)企業

 各地方の市長や知事に、陳情。

 何とか容認してほしいと頼む。

 彼等の中には大手企業の支援で、現在の立場を得た人もいる。

 断れば次期選挙で応援してもらえない。

 現在の政策を支持してもらえなくなる。

 こうして、彼等は渋々”容認”というしかなかったのだ。

 以上が古賀茂明さんの解説に、僕が知る情報と意見を付け加えて書いてみた。

 しかし、酷い話だ。

 何より橋下市長は飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家。

 その彼をも押さえ込んでしまうほどの、巨大な力を持つのが原子力ムラなのだ。

 マスコミも以前は批判することさえできなかった。が、

 3/11以降。諸悪の根源であることが分かって来た。

 今では世論の厳しい批判を受けているが、彼等はまだまだ強大な力を持ち

 王国を維持しようとしていること。痛感した。

 様々な思いがあるので、また続きを書く!

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大飯原発再稼働問題。なぜ、容認なのか?(上) [2012]

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  2012年 6月

 大飯町原発の再稼働問題。

 病の床(といっても単なる風邪)で見ていた。

 それはもう理不尽なもので、熱があり外出もできないが

 怒り心頭。今から官邸に抗議に行くぞ!と思えるほどだった。

 あれほど、再稼働反対と訴えてきた橋下市長ら関西広域連合の首長たち。

 一転して、容認?!

 その裏を想像しながら、テレビニュースを見まくっていた。

 このところ、1日に6番組ずつくらい録画して原発報道をチェックしている。

 それを順に見ながら、考えていると、

 元経産省の古賀茂明さんが解説していた。

 それが正解だと思える。

 そう、首長たちは巨大な圧力を受けて、容認せざるを得なかったのだ。

 再稼働を望む原子力ムラの人々は様々な経路で、彼等を追いつめたのである。

 まず、関電が企業をまわり。

 ”再稼働がなければ、計画停電をせねばならない”

 と伝える。

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 しかし、当初、関電は”大飯原発を動かしても電力は足りない”といっていたのに

 15%節約が必要に変り、その後は5%節約でも大丈夫とコロコロ主張が変った。

 いろいろと調べると、足りないのは一昨年夏並みの猛暑で、夏の数日、数時間だけが問題

 節電すれば乗り切れる数値だ。

 なのに、この1年。何の対応も、努力もせずに

 今になって”原発を動かさなければ停電!”

というのは、何なのだ?

 要は電力不足ではなく、やはり再稼働が目的。

 実際、昨年、都内で行われた計画停電も本来、必要なかったと言われている。

 ”原発ないとこうなるよ!”

と、いう見せしめに停電させたのだ。

 (事実、東電はJRには間引き運転を依頼したが、もっと電力を消費している

 テレビ局には一切頼んでいない。電車の本数が減った方が都民が困る。思い知る

 それが理由ではないか?)

 関西でも、それをやられたら溜まらない。

 電力が足りても、計画停電をする可能性がある。

 企業はこぞって、市長や知事に陳情したのだ・・。

 (つづく)

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この週末。いろんなことが同時多発? [2012]

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 2012年 6月

 この週末。いろんなことが重なりパニック状態。


 友人の映画初日。お手伝い。

 友人の芝居に招待される(2件)。

 協会の総会出席。

 友人からの頼み事。

 2つのブログの更新

 トークイベントの告知

 トークイベントの打ち合わせ

 溜まっている大量のメールに返事書き。

 法的な手続き。

 イベント上映の連絡。対応。

 これだけ重なると、猫の手も足りない?

 シナリオ執筆もストップ。

 おまけに、全てがノーギャラの仕事。

 或いは交友関係のことがら。

 でも、日頃、お世話になっている方々の

 或いは友人との関連事項。

 疎かにはできない。

 (つづく)


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ドナサマー死去。ホットスタッフの想い出  [2012]

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 先日、ドナサマーが死去。

 えーーーという感じで

 その前に亡くなったホイットニー・ヒューストンより衝撃だった。


 ドナサマー。
 
 僕の高校時代に人気爆発。

 ”ホットスタッフ”は行く先々で流れていた。

 いわゆるディスコブームの幕開け。当時、大ヒットしたアルバム

 このあと、あの”サタデーナイト・フィーバー”が登場するのだ。

 そんなドナサマーの

 Bad Girls 華麗なる誘惑(1979年)

 シングルカットの”ホットスタッフ”と”バッドガール”

 2曲ともにヒットチャートの一位。


 当時、アメリカでは

 summer と書けば、夏を意味し

 SummerとSを大文字で書けば、

 ドナサマーのことだと言われるほどの人気。

 あまり知られていないが、映画”ザ・ディープ”の主題歌もそう。

 人気爆発の前の作品



 僕がドナサマーを聴いていた

 というと不思議に思う人がいるかもしれない。

 ストーンズ、スプリングスティーンはお馴染みだが

 あの時代は流行りの洋楽も好きで、いろいろ聴いていた。

 ディスコミュージックもお気に入りで

 (横浜時代。ディスコの帝王?と呼ばれていたが、今では誰も信じてくれない)

 ビージーズ、ビレッジピープル、シスタースレッジも、テープに入っていた。

 でも、そんな中でドナサマーは別格。

 

 高校を卒業してからも、ドナサマーの進撃は続き

 当時はレコードだったが、

 ベストアルバムともいえる

 On The Radio オン・ザ・レイディオ (1979年)

 LPで買った。二枚組だが、日本では(1)と(2)に分かれた版もあり

 その(2)を買った。


 前年の暮れに話題になった、バーブラストライザンドとのデュット曲

 No More Tears (Enough Is Enough) 「ノー・モア・ティアーズ」(1979年)

 今、聴いてもスゴイ迫力。そして

 The Wanderer ワンダラー(1980年)


 来日したときは、よるのヒットスタジオに登場。

 それをテレビで見ていた中森明菜

 スタジオに駆けつけた。

 ファンだったのだ。

 そう言えば、歌うスタイルが似ている。髪型も?

 洋楽ばかり聴いていた僕だが、中森明菜は好きでアルバムを買うほどだったが

 共通するものがあったのだろう。

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 そして僕がアメリカ留学中も、ドナサマーは活躍していた。

 MTVで、何度もその姿を見かける。

 シングルの

 She Works Hard For The Money 「情熱物語」(1983年)

 当時はもう CDの時代。4枚のアルバムを買ったのを思い出す。

 Another Place and Time アナザー・プレイス・アンド・タイム(1989年)

 しかし、なぜか、コンサートだけはやらない。

 高校時代から好きだったアーティスとのライブ。

 LAでほとんど行ったのに、行けなかった数少ない人の1人。


 その後、日本でのコンサートを待っていた。

 1991と94年に来日しているが、当時は映画監督を目指し

 必死の毎日。全然気づかず、後悔している。

 そして永遠にライブに行くこともなく終わってしまった。

 また、ひとつの時代が終わったという虚無感に襲われる。

 この数日、オンザ・レディオを繰り返し聴いている。


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