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僕が書いた「**事件の推理」記事=あれこれ否定したがる人たち、彼らの背景にあるもの?れ [my opinion]

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僕が書いた「**事件の推理」記事=あこれ否定したがる人たち、彼らの背景にあるもの?

時々、事件や社会を推理した記事を書く。「真相はこうではないか?」というもの。子供の頃は「将来は探偵になる!」と思っていた時期もあり、今でも疑問や謎があると挑戦したくなる。

だが、その種の記事を書くと決まって反論がコメントが来る。「なるほど、その指摘は鋭い!」「その推理も成り立つな!」というものならいいのだが、首を捻るものばかり。皆、それなりの大学を出た50代、60代の方々なのだが、なぜ、こんな文章しか書けないのか?不思議に思うことが多い。皆、長々と自身の推理を書いてくるのだが、何が言いたいのか?分からないものもある。

また、僕の推理に反論を延々と書いたものもあるが問題が多い。反論というのは反証を①②③と上げていき、結論として***ではないか?という形が多い。なのにあれこれ批判するばかりで、最後もまとまらずに終わる。要は僕の推理に対して「そうとは限らないだろう?」「***さんは***と言ってるぜ」というものばかり。反論ではなく、イチャモン、重箱の隅を突いているだけなのだ。

結論もなく、ただ「お前の意見は正しいとは限らないんだよ」という意味にしか取れない。では、あなたの意見は?と思うのだが、それは書かれていない。まさにイチャモン。反論コメントのほとんどが、このタイプ。正直にいうと「なるほど、それはあり得るな」と思ったコメントは皆無。別に僕の推理が正しいと言いたいのではないが、ほとんどの反論は論理性がなく思いつきで書かれている。

思い出すのは学生時代の後輩。僕は何か事件があると、あれこれ推理して友人に話していた。卒業後もそんな話をした1人。後輩は僕の推理を聞くと必ずこう言った。「ま、そうとは限らないと思いますけど」じゃあ、お前はどう思うんだ?と聞くと「ま、いろんな事情があると思いますよ」と逃げる。何なんだ? 

あるときはこういった。「でも、証拠はない訳ですね?」裁判をしている訳ではない。素人推理。とにかく論理性や整合性を持って考えれば真実に近づく。その答えを知りたい。そして警察ではないので証拠なんて出せる訳がない。なぜ、後輩は正面から反論せず、自分の意見も言わず、話をはぐらかすようなことを言うのか?

その内に気づいた。僕があれこれ推理するのを聞いていて、後輩はムカついていたのだ。「先輩はペラペラ、あれこれ喋りやがって、警察でもないのに、正しいかどうかなんて分からないだろう!」だが、その思いの裏に別の思いも見えて来た。自分が考えもせず、想像もしなかったことで「お前は何も考えてないだろう。そんなことにも気づかなかったのか?」と問われているような気になったようだ。

彼は社会的な事件に興味はない。説明されてもピンと来ない。「お前は馬鹿だ」「もっと社会に興味を持て」と言われているような気持ちになる。反発を感じる。「俺は馬鹿じゃない」でも、僕の推理に反論し、ギャフンと言わせたい。何より推理を認めたくない。認めれば「俺は馬鹿だ。社会に関心を持たないダメな人間だ」と思えてしまう。まあ、僕はそんなこと言ってないんだけど、彼は強いコンプレックスを感じた。

「先輩(私です)は大した人じゃない。映画が好きなだけのお人好しだ。俺の方が人として上のはずだ。なのに反論できない。何も言えない。悔しい」と内心思っていたようだ。だから、僕の推理をとにかく否定したい。が、何をどう批判し反論するか、思いつかない。だから「とは限りませんよ」と言った。ーだったら、どう思う?と言われた。答えられず黙ってしまう。

同じような人は多い。ニュース番組を見てキャスターの解説に「そうとは限らないだろう?」とテレビの前で呟いたり「政治家なんて馬鹿ばかりだな」と怒ったりする人たちだ。「俺はキャスターでも政治家でもない。でも、大学も出ているし、新聞も読む。馬鹿じゃない。社会にも関心がある。このキャスター偉そうに解説しやがって、何様だ。お前が正しいとは限らないだろう」とか思えてテレビに向かって文句を言う。

毎日、会社で遅くまで働く、酒を飲んで帰る。ヘトヘト。でも、生活はよくならない。とは言えより給料の良い会社に変わることもできない。社会を変えることもできない。何もできない無力感。でも、俺だって一生懸命働いている。なのにテレビでは高額のギャラをもらうキャスターが、偉そうに語っている。

「お前に俺の仕事ができるのか?長時間が工場で作業して、安月給で」そんな反感がキャスターの存在を否定したくなる。「とは限らないんだよ」「政治家はバカばかりだ」後輩も似たような立場にいただろう。僕はすでに映画の仕事をし、彼は映画の仕事を夢見ながらアルバイト。「こんな先輩でも仕事あるのに...俺の方が優秀なはず」

しかし、先の男も、後輩も馬鹿ではない。これも教育が原因。日本の教育では論理的に考えて、それを第三者に説明するという授業はない。与えられたことを記憶し、それに逆らわず疑わず再現するだけの教育だ。アメリカではハイスクールからディベートの授業がある。議論を学ぶ、実践する。自分の意見を伝える練習をする。が、日本ではない。アメリカの大学。小論文は自分の考えを三段弁証法で説明。その正さを論理的に立証する勉強がある。学期間に何度も提出せねばならない。日本の大学で同じことをしているのだろうか?

そんな日本の教育で育った人たちが、ー自分の意見をいう。他人の意見に反論する。議論する。論理的に説明するーということが出来ない。子供の頃からやったこともないのに、大人になり長々と推理を聞かされ「どう思う?」と言われても答えられない。が、素直に「分からない」と言うのは悔しい。「何を偉そうにペラペラ語りやがって」と言う反発を先に感じる。認めたくない。「とは限らないだろ?」となる。

先のFB記事へのコメントも同じ。推理の端々に「**さんは**と言ってる」「証拠はないな」と言う反論は「とは限らないだろ?」と同じ。偉そうに長々と推理を書きやがって!」その反発でコメントしただけなのだ。僕はたまたま、子供の頃からミステリー小説が好きで、昔から事件の推理をしていた。あれこれ友達に話して回った。だから、アメリカ留学時代。大学での授業はとても面白かった。そしてアメリカでは政治のことを、学生同士で議論するのは日常茶飯事だ。

日本では政治の話はタブーという側面もある。原発事故以降はかなり変わった。が、日本の教育で育った多くの人たちは自分の意見を持たず、与えらていないことを、あれこれ論理的に考えることをしない。だから、あれこれ意見を言われると、意見を求められても何も言えない。悔しい。反発を感じ、同時にコンプレックスを持ってしまう。だから否定したくなる。しかし、それこそが支配者層が目指した国民の形。上からの指示は疑わず受け入れる。が、同じ国民同士であれこれ言うと、否定し、潰そうとする。国にとって、こんな都合のいい国民はいない。そんなことを考えてしまう。


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