大統領選を昔話に置き換えてみた=知らないことを論じる人たち? [トランプ問題]
昔々、ある山奥にあった村。こんな話で持ちきりとなった。「隣村で長老選挙があったんだけど、選挙で負けた前長老が辞めないとダダを捏ねているらしい」それを聞いた村民たちは「ひどい話だなあ」と呆れ顔。こういう話もある。「前長老は差別主義者で、酷いやつらしい。見るからに悪人顔なんだそうだ」村民たちは納得。そういう奴だから常識がなく、長老の座を譲ろうとしないんだと。
この村の人で隣村に行ったことのある者は、ほとんどいなかった。また隣村はかなり習慣が違い、生活様式も違う。言葉も違う。が、多くがその違いを詳しく知らなかった。ただ、隣村の住人が時々、やってきて瓦版を村で配って行く。前・長老が差別主義者だという情報はそこから広がった。しかし、以前に隣村で生活したことのある人が数人いた。彼らは「この瓦版はおかしい。あの長老は差別主義者ではない」という。
それを聞いた村人たちは「差別主義者を庇うのか!」「お前も差別主義者か!」とバッシング、村八分にした。彼らはいう。「新長老は村人を買収して票をとったに違いない。あの村ではそんなことが平然と行われる」でも、誰も信じない。その村の住人は真面目な人が多く、悪いのは前長老だと思い込んでしまった。
もう一つ理由があった。その村の長老も問題ある人。皆は批判していた。その長老と、隣村の前長老は似たようなところがあり、同類だと思い込んだ。瓦版の情報。それが決定的。「同じだ。許せんねえ」いくら隣村を知る人たちが言っても、信じる人はいなかった。彼らは知らなかったが、新長老はトップに立ったら、隣村を攻める計画をしていた。小さな村を叩くだけの武器はある。でも、隣村ではその新長老を支持。前長老が引き下ろされることを願っていた。
現在の大統領選を昔話にするとこんなところだろうか? 昔であろうが、現在だろうが、瓦版がテレビや新聞に変わっても、現地を知らない人。その国を知らない人は、誘導されがち。特に「差別主義者」とかいうレッテルがあれば、感情的に批判してしまう。「許せん!」と思う。この構図は戦争を始めるときと、同じ。あれこれ別の設定に置き換えてみると、いろんなものが見えてくる。
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