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後輩を否定する先輩監督=彼が抱える歪んだ心理? [映画業界物語]

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ある中堅の映画監督。デビューからもう30年以上経つが、監督作は数本。もう10年撮っていない。その監督が10年ほど前に見た新人監督(僕の後輩です)の映画。「ダメだこリャ!」と思ったそうだ。そして昨年、その新人監督が新作を撮ったと知る。「あいつ、まだやってるのか?」と思って映画館で見た。「やっぱりダメだな〜」と思ったそうだ。が、その新人は10年の間に6本の映画を撮っていた。

その新人。その中堅監督を尊敬していたと言う。だから、その話を聞いて落胆。「まだ、やっているのか?」と言うことは「あいつは才能ない。1本で終わると思ったら、まだ、やってる。才能ないのによく撮れるよな。多少は成長したかと思って映画館に行った」と言う意味だろう。そして「やっぱりダメ」と言われたと知り、落ち込んだ。

客観的に見ると見えるものがある。実は後輩監督。その中堅監督の作品が好きなだけあって両者の作品は同じテイスト。中堅監督は後輩を可愛がってもいいようなもの。だが「ダメだ。こりゃ!」と思った。あまりに方向性が近いので近親憎悪したのだろう。もしかしたら中堅の先輩より力があった。だから認めたくない。あるいは、少しばかりテイストが違った。先輩は「それじゃダメなんだよ!分かってないな」そう考えたかもしれない。

別の推察をすると、自分はこの10年映画を監督していない。なのにその新人は6本も撮った。「許せない。あいつに才能があるのではなく、世の中が間違っている。あるいはPに取り入るのがうまい。その辺を見極めてやろう」と見た。

ただ、認める訳には行かない。認めると、同じスタイルでは後輩が優れているから何本も監督できる!と思えてしまう。絶対に認められない。後輩はダメな奴であらねばならない。そんな深層心理も働く。そこで悔しがる。憤ると言うことがあれば、まだその先輩も可能性がある。が、それを自分の価値観だけで「やっぱりダメ」と断定してしまうのは、悔しいとか嫉妬を超えて、感性が固まり自分の価値観やテイスト以外を認める余裕を失っているからだろう。

手塚治虫は若き石森章太郎に「お前のは漫画じゃない」と言ったが、あとで嫉妬だと認めて謝罪した。その嫉妬が手塚の原動力だという人もいる。「若い奴には負けたくない」。だが、その中堅監督は嫉妬ではなく否定するだけ。なぜ、自分が監督できないか?と結びつけて考えていない。映画界だけではない。どの世界も同じ。頑張る奴を「あれじゃダメだよ」と言う人に限って自分は何もせず、自身の問題点を顧みないことが多いように思える。


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