コメント欄で否定、反論してくる人たちの心理を探る? [my opinion]
コメント欄で反論、否定してくる人たちの心理を探る?
緊急事態宣言でも忙しい。あれこれ部屋でやることがある。それでもいつもよりは時間があるので、あれこれFacebookで記事を書く。と、こんなコメントが来ることがある。
「だからと言って***とは限りませませんよ」
「だとしても一概には言えませんよ」
何だか上から目線。慇懃無礼な感じ。反論にもなっていない。どんな意見に対してでも言える表現。「それで?」と言う感じだ。この手のコメントを書き込む人の心理、想像してみた。
まず、完全否定ではない。もし、そうなら、この手の人は「分かってないなあ〜」とか「もう少し勉強してから書きなさいよ」とかいう言い方をしがち。「俺は鋭いんだぜ」と思っており、人を否定することで自己の優越感を持ちたいタイプ。では、「***とは限らない」というコメント。どういう心理で書くのか?
「この監督がいうことも分かる。当たっている部分もある。俺が考えていた説とは違う。でも、俺の説の方が正しいはずだ。けど、反論できない。と言って、この記事を認めたくない。たかが映画監督のくせに、ムカつく。でも、反論をして論破されたら悔しい。そうだ...」
という葛藤があったと想像。だから、
「だからと言って***とは限りませませんよ」
とコメントした。これは「お前のいうことには一理ある」「が、それが正しいとか限らない」「俺は認めないぞ」「自惚れるんじゃないぞ」ということだ。認めないということで自身のプライドを守っているのだ。詰まらない話だ。誰しも自分の説が論破されたら気分が悪い。傷つく。でも、そこで素直に自分の過ちを認めることで視野が広くなる。なのにプライドを守ろうとする。
同じことをやっていたのが、戦時中の日本軍。嘘の戦果を大本営から発表。負けた戦闘を勝ったと伝える。退却したのではない「転進」全滅ではない「玉砕」。死ねというのではなく自決しろ。全てプライドを守り、自らの失敗を認めないだけの言葉のすり替え。先のコメント書き込む人も近い状態にいるように思える。
記事やコメントは勝ち負けではない。会ったこともない同士。バックグランドもあまり分からない。年齢を出していない人。写真がない人。そんな同士が議論して勝った負けたと感じることに意味はない。いちいち反論しなくても「こんな意見もあるんだね〜せいぜい、がんばりや〜」と思うだけで十分ではないだろうか。
コメント 0