SSブログ

日本人は考える力がない!(完結編)=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図? [日本の教育]

61295978_2705989072808713_8929303318384082944_n.jpg

日本人は考える力がない!(完結編)
=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図?

日本人は自分の意見を持たない。言えない。上に対して不満を言えない。上(会社、テレビ、新聞)からの言葉は疑わない。そして「与えられたことを確実にこなす」能力のみがとても優れていること。多くの方が「確かになあ〜」と感じてくれたと思う。

詳しくは=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-05-27-1

それは日本人の特性ではなく、すべて教育によって刷り込まれ、訓練された結果である。子供の頃から野球ばかりをやっていたら、野球しかできない大人になってしまうのと同じだ。しかし、教育はそこまで大きな効果があるのだろうか? 僕が高校の頃。こう感じた。

「こんな勉強をやって何になるんだろう? 英語教師だって英語話せない。因数分解や連立方程式が社会に出て役立つとは思えない。漢文を学ぶことが会社で必要になるのか? もっと意味のある勉強をすべきではないか?」

しかし、同級生はいう。

「そんなことを言ってもムダ。教育が変わるはずがない」

教師はいう。

「お前は勉強が嫌だからそんなことを言ってるんだろ? 嫌なら学校を辞めろ」

どちらも答えにはなっていない。今、思うと同級生たちはすでにシステムにハマってしまい「不満があってもおとなしく従う」という対応をしており、教師は質問に答えていない。「勉強に意味がない」という問いに対して「嫌なら辞めろ」と答えている。大人の対応とは思えない。

43172433_2198164496924509_3540851079832928256_n.jpg

が、その教師も考えれば当時、大学を出て数年の20代くらいと思え、生徒に教える意味、生徒たちの将来、を考えることもなく、与えられた仕事として科目を教えるだけ。システムにはめ込まれた大人だったのだろう。

注目すべきは勉強の意味を問い出す生徒を「勉強が嫌だ」というカテゴリーに押し込めていること。彼らの中で「勉強」=「意味がある」=「やらなければならないこと」という疑いようのない認識が根付いていたのだろう。これは親や大人たちも同じで、

「勉強しない」=「怠け者」

「勉強は無意味だ」=>「言い訳するな」「勉強が嫌なだけだろ?」

「成績が悪い」=「頭が悪い」

「成績がいい」=「立派な人」

とさえ思い込んでいた。そして、当時の大人(いや、今の大人も!)教育の目的が「与えられたことを確実にこなす」逆らわないサラリーマンを育てることであると、ほとんどが気づいていない。

いい成績を取り、よりいい大学に行き、一流企業に入ることこそが人生で大切なこと。その意味や意義を深く考えずに、親たちは受験戦争に我が子を送り込んだのである。

この構図。何かと似ていないだろうか? そう戦時中の日本だ。兵隊になり戦争に行くことこそが大切。その意味や意義を深く考えることなく、親たちは息子を戦争に送り込んだ。同じではないか?

そう、どちらも国策なのだ。つまり、国がその気になり教育に力を入れれば、国民はそれに従い、意味を考えずに、鵜呑みにしてしまう。そして、

「勉強しても無意味だ」=>「落ちこぼれ」

「戦争は無意味」=>「非国民」

批判する者は落伍者としか思われない。国に強制されるまでもなく、国民の1人1人が「受験戦争」=「戦争」に対して前向きに努力して、参加する。

そう考えれば、ほとんどの日本人が無意味な教育(無意味な戦争)を積極的に受け入れ、国の求める方向に進んだことも理解できる。そして戦争時は「勝って日本の領土を広げ、資源を獲得する」ことが目的であり、受験戦争は「優秀なサラリーマンを量産し経済大国になる」という目的で推進された。

しかし、太平洋戦争は負け、バブル崩壊で日本経済は破綻。これまでの方法ではもう立ちいかなくなった。ここでも共通するのは、戦争に勝てないことが確実となった段階でも、国民に対して命を賭けた戦闘を強要。多くの犠牲の上に支配者階級だけは生き残ろうとした。

今の日本も金持ちと支配者階級だけが裕福になる税制を実施して国民を切り捨てにかかっている。大きな力に操られ扇動され、不満も言わず、踏みつけられた日本人。「教育」による洗脳が原因と言える。



57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 1

佐藤公作

いつも長文すみません。以下はこれを言いそうな人たちに対する反論です。「英語教師だって英語話せない。」= 私は話せますし、読めます。しかし日本の教育で話せたわけではありません。日本の教え方は逆に話をややこしくしています。
「因数分解や連立方程式が社会に出て役立つとは思えない。」「漢文を学ぶことが会社で必要になるのか?」=どのように役に立つのか教えていない。「そんなことを言ってもムダ。教育が変わるはずがない」「お前は勉強が嫌だからそんなことを言ってるんだろ? 嫌なら学校を辞めろ」= 負け犬たちの遠吠え。あと、進学校の先生ほど、勉強のことを知らず、また落ちこぼれの人たちはいません。逆に進学塾の先生は面白い人多たちがたくさんいます。ただそれはその人たちのことであり生徒の資質は関係ありません。

「勉強しない」=「怠け者」、「勉強は無意味だ」=「言い訳するな」「勉強が嫌なだけだろ?」= そもそもこれをいう人たちは本当の勉強を知らない人たち。自分たちの無能力者を生徒に転移しているだけの人たち。
「成績が悪い」=「頭が悪い」= 日本の試験には間違った回答がたくさんありますので成績と頭の悪さに因果関係はありません。盲信する人は頭が悪いとも思います。
「成績がいい」=「立派な人」= 成績がいいのは素直だということだけです。私はこれは悪いことだとは思っていません。単に間違った相手の意見でも受け入れられる能力が身につくからです。思考停止にならず、一旦受け入れる能力にするのであれば重要です。
「勉強しても無意味だ」=>「落ちこぼれ」= 勉強をすることと、落ちこぼれに関係性はありません。
「戦争は無意味」=>「非国民」= 日本の場合、なぜ太平洋戦争がアジアや海外の研究者に評価が高いかというと、それは植民地開放戦争だからです。日本人が知らないだけです。最も太平洋戦争は日本に大きな弊害をもたらしたのは事実です。さらに今の日本人には太平洋戦争をする気概も感じられません。ですから非国民かどうかは別問題です。おしまい。
by 佐藤公作 (2020-12-02 03:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。