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境界性パーソナリティ障害 ー人間業ではない?神との対峙を感じる [【再掲載】]

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【境界性パーソナリティ障害 ー神との対峙を感じる】 

今回は映画作家としての意見を中心に書かせてもらう。僕のまわりにも何年か前。患者がいた。あまりにおかしいので、精神科の先生に相談したら、典型的な症状だと言われて驚愕。えーーーまさか、僕のそばにそんな人がいたなんてー。と思い。勉強を始めた。

何年か前。おかしな奴がいた。Facebook上で執拗に接近。「応援してます!」「がんばってください!」と毎日コメント。近づいて来て、親しくなろうとする。だが、気に入らないことがあると、ネット上で相手を批判。「騙された!」「利用された!」と事実ではないことまで共通の「友達」に言ってまわり同情を集める。病的なものを感じ、精神科の先生に相談したら

「典型的な境界性パーソナリティ障害の症状。関わってはいけません!」

と言われて驚愕。えーーーまさか、僕のそばにそんな人がいたなんてー。と思い。勉強を始めた。これまで、友人たちの中に精神病と思える人が数人いた。統合失調症。双極性障害。合わせると5人ほど。不思議なもので、それらの病気の症状にぴったりの行動や言動をするものなので、素人でも勉強すると分かって来る。だが、そんな話を友人にするとこう言われる。

「俺のまわりには精神病なんて1人もいないなあ。お前はおかしいから変な奴が寄って来るんだよ」

それは違う。彼は「まわりにいない」というが、精神病とはどんな症状なのか?を知らない。そう聞くと「頭がおかしくなって、包丁を持って暴れるような奴だろ?」という。やはりステレオタイプを上げるだけ。自分が知らないものを「まわりにいない」と断言するあたり、とても危険。でも、多くの人はそう思いがちだ。

だから、患者とのトラブルに巻き込まれても、まわりの人は単に揉めているだけとしか考えず。患者の問題点を指摘しても

「その人のFacebook見たけど、変じゃなかったよ」

と言う。ネットで「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」とか書いていると思ったのだろうか? その意味で世間の理解は低い。だから、当事者は大変なのだ。

そんな精神病。境界性パーソナリティ障害を勉強していて、いろんなことを考えた。病気というと「病原菌に犯されて体の不調を訴えるもの」と思いがち。精神病というと=気が狂う=知能が下がる=常識を失う=錯乱する。というふうに考えがちだ。が、パーソナリティ障害だけではなく他の精神病も、それには当てはまらない。

むしろ、狡猾。知能犯。といった言葉が当てはまることが多い。だが、決して悪意がある訳ではない。そして感じるのはパーソナリティ障害の場合は、患者の所行と似たような行為は生物界、植物界にある。

ドンピシャの例ではないが、植物の実は色鮮やかで、いい匂いを発する。それは鳥や獣に実を食べてもらうため。そのあと捨てられた種が、新しい生命となっていく。そのための手段がおいしい実なのだ。だが、植物は自身で「いい匂いの実を作れば、動物が遠くへ運んでくれて、食べたあとに種を捨てる。そうすれば別の場所で、子孫が育つ」なんて考えてはいないだろう。でも、そうやって命を繋いで行く。

患者も自分が求める「愛情」や「認知」を得るために、最初は愛想良く、けなげなキャラで好感度を上げ、やがて暗い過去を告白して、相手の同情や共感を誘い、心に飛び込む。やがて相手を自由に操り、求める愛情を極限まで受けとろうとする。が、患者自身がそんな手法を使えば、欲しいものが手に入ると思ってはいない。他で学習した訳でもない。なのに、多くの患者が同じ手法を駆使して、ターゲットに近寄り、取り憑く。それが症状なのだ。

そして患者は強い「愛情」や「認知」を求めるくせに、そこまでやったら相手は離れて行くだろう?ということまでしてしまう。ヤクザでも「今日はこのくらいにしといたるわ!」というように、追いつめたら逃げ出し、飯の種を失ってしまうので限度を考える。にも関わらず、患者は相手がボロボロになるまで離れない。それでいてターゲットを失っても、苦しまないで済むように、日頃から「種まき」をし、次のターゲットに狙いをつけておく。これをどう捉えればいいのだろう?

例えば覚せい剤中毒になると、薬ほしさにどんなことでもしてしまう。それを利用して暴力団は若い女性を中毒にして、売春をさせたりという事件を聞くことがある。禁断症状になると苦しくて、何をしてでも薬がほしいと思うからだ。

その状態と、患者の意識には近いものがあるように思える。しかし、中毒患者は苦しさから逃れるために、薬を買うために金を手に入れようとする。そのために体を売る。金を盗む。法に触れる行為をするが、パーソナリティ障害の患者はそうではなく、対人関係における策略でターゲットを確保する。

ヤク中患者は人としての思考をし、自分の経験や知識を駆使するが、パーソナリティ障害の患者は教えられてもいない手法や方法論を使い、驚くべき行動でターゲットを囲い込む。この辺の本能的とも言える行動が、人というより自然界の生き物に近い気がするのだ。
 
残念ながら、専門書を読んでもそこまでは書かれていない。ただ、分かってもらいたいのは、植物や動物。さらには麻薬中毒やアル中の人たちに対して、理路整然と反論しても無意味なように、患者に対して批判しても同じだということ。それどころかパーソナリティ障害の患者は反論、批判を期待して、先制攻撃をしてくるのだ。「批判」されるのも「認知」であり、自分のことを気にかけてくれていると、患者は喜ぶのだと言う。

その時点で患者の思惑に嵌っている。それに気付いても人はなかなか反撃を止められない。それは患者ではなく、人対神。そんな戦いであるかのようにすら感じてしまう。反撃するということは、自身で「怒り」を止められず、「耐える」ことができず、結果は相手に踊らされてしまうだけ。人間性を試されているかのようだ。まるで神から挑戦のように感じる。IMG_9591.jpg
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コメント 3

Kei

境界性人格障害で検索していて拝見しました。相手の女性は喧嘩が原因である日突然いなくなり、何もかも中途半端な状態のままでしたのでその後の対応に苦労しました。今はどこに住んでいるか分かりませんが、別居している状態です。ネットや書籍で勉強して1年くらいになりますが、だんだんとこれでよかったのかもしれないと思うようになりました。普通の人と変わらないのではないかと思うと危険で、ある傾向性、パターンが共通している点でこの記事の表現が参考になりました。毎日落ち込んでいる日々ですが、それさえも攻撃の範囲内ということで、少しずつ忘れて被害から逃れられたほうがいいと思いました。

by Kei (2019-03-10 07:54) 

Kei

すみません、一般人だと勘違いして記事の下の方にあったコメント欄から送信してしまいました。たまたま明日は3.11ですし「朝日のあたる家」はぜひ拝聴したいと思っております。境界性パーソナリティ障害についの恐ろしいまでの分析力に敬服いたしました。テレビでは取り上げないという記事も納得がいくものなのですが、僭越ながら映画では無理なのでしょうか?例えばオムニバスでこの傾向性を重ねますと浮き出る気もいたします。リアリズムという点と、被害者を少なくするという意味では監督様に期待したいと感じます。
by Kei (2019-03-10 13:56) 

Kei

昨日話題のカメトメを観ました。ある程度予想通りでした。J-WAVEの朝の番組で監督が出演されていて低予算で制作したことをヒットの裏で自慢気に語られていた感じが嫌悪感をそそったのですが、内容は日本風な事なかれ主義で、メイキングを見せて「みんな仲間だから大丈夫だよ」みたいなウソくさく、ハリウッドに勝てないなら話題性とか、トリッキーな展開しかないという場末のラーメン屋みたいなジリ貧な気がしました。予想外に「君の名は。」がヒットしても結局意味不明なロリコンアニメであっても方向感は全くないと思います。漫画原作か、ジャニーズ頼りで制作費くらいは回収したいとか、東野圭吾とか、ただ、そういったスポンサー絡みの何とかとかあるという前提で、最近の日本映画って監督様はどうお考えでしょうか?
by Kei (2019-03-10 20:34) 

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