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「親子に伝える大切なこと」僕が作る映画のテーマ。 [my opinion]

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 「幸せって何だろう?」その答えを探して毎回、映画作りをしている。「幸せになるためにはどうすればいいのか?」それを子供たちに伝えるのが僕の映画である。

 デビュー作の「ストロベリーフィールズ」では、「友達」について描いた。「幸せ」のひとつは本当の友達がいること。でも、どうすれば本当の友達ができるのか? 今時の子供たちはテレビゲームをしたり、クラスメートだったり、同じファッションが好きということで友達になる気がする。でも、それって本当の友達なんだろうか? どーすれば、本当の友達になれるのか? そして友達に意味って何だろう? そんなことを幽霊ファンタジーで描いた。ジャンルはそんなだけど、テーマはNHKの「中学生日記」みたいだった。

 2作目はそのテーマを前に進めて、「友達作り実践編」と言える「青い青い空」を作った。書道部を 舞台にした青春ものである。「上手な字を書くのではなく、自分らしい字を書く事が本当の書道」という話を聞き、それもテーマだと思えた。そして、前回の「ストロベリーフィールズ」では背景で描かれただけだった家族問題が前面に出て来た。子供たちが幸せになれない理由。その一つは教師=教育の問題であり、家庭の問題があると強く思えて来たのだ。

 日本の詰め込み教育。暗記中心の授業。考える力を育てないカリキュラム。それらが子供たちを不幸に導いていると思える。では、どーすればいいのか? そこで書道のあり方「自分らしい字を書く事」をモチーフに物語を作った。故・長門裕之さん演じる和尚が語る。「コピーロボットを作るような教育ではもう新しい時代には通用しない」この言葉は現代ではより強い意味を持つようになった。本当の友達を作ること。同時に、学校教育では手のまわっていないところを書道を通じて描いた。

 その「青い青い空」で描いた「家族問題」親が教育に振りまわされて、子供たちを不幸にするために努力している現代の一面。それをさらに掘り下げたのが3作目の「朝日のあたる家」である。題材は原発事故であり、その危険性を描く作品だが、同時に家族問題をまっすぐに描いた。これまでの作品では、子供たちの夢や思いを踏みつぶしている親たちを見つめて来たが、ここではそんな親たちに対して、子供たちとどう向かい合うか?を突きつけている。

 原発事故。放射能問題。内部被曝。避難生活。除染。家を失い。仕事を失い。友達を失う。そんなとき、家族は何を見つめるのか? そんな究極の不幸の中だからからこそ、見えて来るものがある。本当に大事なものが見つかるという物語。劇中でヒロインの舞が呟く。「幸せった何だろう? どこにあるんだろう」その言葉は4作目のヒロイン・常盤貴子に引き継がれる。

 4作目「向日葵の丘 1983年夏」は久々に友達の物語である。が、同時に家族の物語でもある。そして「幸せ」の形を探し求める作品だ。金持ちになること。有名になる事。いろんな幸せの形があるだろう。でも、本当の幸せは意外に近いところにあること。それを日本人は見失っているのではないか? ある意味で「ストロベリーフィールズ」「青い青い空」「朝日のあたる家」で描いたテーマの集大成でもある作品だ。

 親は子供に幸せになってほしいと思い、勉強しろという。一流大学に行って、一流企業に入れば生涯安泰だ。だから、うるさく勉強しろ!という。だが、バブル崩壊後の日本は変わった。不況が続き、大企業が倒産。多くがリストラされたり。就職がむずかしくなったり。ブラック企業が横行して、深夜まで働いても、大した給料がもらえない。過労死したり、自殺する者までいる。一流大学を出て、一流企業に就職しても安泰な時代ではなくなったのだ。にも関わらず、親たちは未だに子供たちをいい大学に入れたがる。それって意味あるのだろうか? 

 同時に、考えねばならないのは教育。親たちが望む一流大学に入るには、いや、一流でなくても大学、高校、中学校、そして小学校で我々日本人が受ける教育は、暗記が中心。与えられたことを確実にこなすという勉強なのである。考える。想像する。分析する。という自発的なことではなく、命令されたことを確実に行なうという作業だ。つまり、優秀なサラリーマンを育てるための教育なのだ。

 命令に逆らわず、言われた以外のことはしない。余計なことは考えない。本当に大切なことに気付かない。ロボットのような大人になるための教育システムなのである。そんな人間を大量に育てたことで日本は経済大国になった。が、今ももう、それでは立ち行かない。いくら優秀なサラリーマン・ロボットでも上からの命令が間違えば、間違った行動しかできない。それが現代である。時代の行き先が見えなくなったことで、企業が正しい指示をできなくなった。だから、倒産に追い込まれる。その失敗の責任を自分たちではなく、社員に押しつけリストラ。

 そんな時代。考える力のないサラリーマン・ロボットでは生き延びることができない。与えられたことをやっているだけでは、今の時代を生き延びることができない。しかし、考える力を育てる教育を受けてことなかった子供たちは、自分の力で危険を察知し、考えて、切り抜けることができない。にも関わらず、多くの親たちが今も、そんな教育を信じて、子供たちを学校に送り込むのである。そんな子供たちが幸せを掴めるだろうか?

 金持ちになることが幸せのひとつの形だとよく言われるが、今の時代、金持ちどころか、生活して行く事すらできない状態に追い込まれて行く。親たちが今、行なっているのはそんな時代を生きることができる能力が育たない教育を子供たちに受けさせているのだ。極端な例を上げれば、あのオウム真理教のサティアンに子供たちを預け、幸せになってほしいと願っているようにさえ感じる。つまり、親たちが子供たちが立派な大人になり、自分の力で生きて行くことを望むのであれば、子供たちの幸せを望むのであれば、これまで通りの教育を受けているだけではダメだということ。

 親たちが時代の流れを把握し、大切なことは何か?を知り、それを子供たちに伝えること。それでこそ子供たちは幸せになれる。多くの親が今、行なっているのは子供たちが幸せになると思いながら、不幸に追い込んでいるようなものなのだ。「幸せ」とは何か?を考えていると、そういうところまで来てしまった。

 別のいい方をすると、時代は過去と違う価値観が必要となっているのに、親たちは古い、役に立たない価値観を子供たちに押し付けているのだ。幸せを願う親が子供たちを阻害し、踏みつぶすために必死になって努力しているのである。こんな悲しい構図があるだろうか? 当初、僕のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」だったが、いつしか、子供たちを一番不幸にしているのは親たちだと気付いた。だからテーマは「親子に伝える大切なこと」になった。

 その親子に伝えることこそが「幸せとは何か?」なのである。親が子供を幸せにしたくて、何の役にも立たない教育システムに送り込むことより、子供たちを信じること。愛すること。大切なことを伝えることこそが大事だと思える。しかし、その親たち自身が「考える力」を育てない教育を受けて大人になっている。そして与えられないことはしない。だから、教育システムを疑うこともしない。以前はそれでよかったのだけど、今はもう違う。そこにまず、気付かなければ、子供たちを幸せにすることはできない。それを伝えることこそが、僕のテーマなのだと思える。



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