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Facebookを休止して5日目。禁断症状? [FB問題]

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 Facebookを休止して5日が過ぎた。

 休止してからかなりの月日が経った気がするが、まだ5日なのだ。タバコの禁煙と同じでテレビを観ていると、手持ち無沙汰になりiPadを手に取ってしまう。が、頻繁に更新されるのはFacebookくらい。Twitterを観ても、メールを確認してもそう返信は来ない。

 そして、Facebookを止めたので、「友達」だけでなく、現実の友人たちの動向も分からない。A君は正月何してんだろう? Bさんは帰郷しているのかな? Cさんは仕事だろうな。てなことを考える。Facebookを続けていれば、手に取るように分かるのだ。しかし、それらが分かったことでどんなメリットがあるのか? 考える。実は大きなメリットはない。動向が分からないと寂しいような気もするが、分かっても寂しさは解消しない。

 そんなことを考えていると、

Facebookをやっていると人の行動や意見にさらされ、知らない間に影響を受けたり、意識したりしていたのではないか? 無意識に他人の視線や考えを気にしていたのではないか?と思えてくる。記事を書くときも「****と思われないかな?」「***さんはこう感じるだろうな?」「****君は文句いいそうだな」「****が好きな人は支持しないかもな」とか、いろんな人の気持ちを考える。

 もちろん、読む人が傷ついたり、嫌な思いをする記事は書くべきではない。でも、例えば原発問題を語って、推進の人が反感を持つのは当然だが、反対派の人でもいろんな価値観があり、批判してくることがある。むしろ、推進派より反対派からの反論や不満のコメントが多い。

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 些細なことでも、

 いろんな意見があり、賛否両論あり、まじめに意見を言う人もいれば、もの凄く無責任な反論をコメントしてくる人もいる。ま、そんな状態に無意味さを感じたことが、休止した理由のひとつでもあるのだが、とにかくFacebookをやると、人の気持ちを日常以上に考えねばならないということがあった。

 それが習慣化してしまい。人の目や意見を気にするようになっていた気がする。日常で毎日、ハンバーガーを食べても、誰も批判しない。が、Facebookに写真を上げると「野菜が足りませんね」と言うコメントが山ほど来る。写真や記事をアップするのは基本、自分の存在をアピールしたり、賛同や支持をもらうためだ。或いは情報を伝えたり、喜んでもらったり。でも、逆に、批判や否定。誹謗中傷が返ってくることもある。

 そうすると無難な写真を上げて、無難な記事を無意識に書いてしまうことにもなる。ランチの写真は「いいね」が多いけど、政治ネタ、社会ネタの記事だと「いいね」を押しただけで「あの人****党じゃない?」と思われたり「反日か!」と言われたりするかも?という不安があるという人もいる。その点、ランチの写真なら思想は関係ない。

 だが、そのランチの写真でも

 僕の場合は「野菜が足りません」と言って来る人たちがゴマンといた。Facebookに何を書くか? どんな写真をアップするか? 考えないといけない。かなり面倒だ。それでもやめられないのは、やはり先にも書いた通り、中毒になっているからだと思える。その症状が他人の目を気にする。意見を気にするということだろう。

 僕は仕事がら人が「えーーー」というような作品を作る必要もある。誰もが喜ぶ物語は無難で感動できないことが多い。それなのにFacebookを続けることで無意識に人の目や意見を気にしていたような気がする。本来、自分がよく知らない人に悪く思われても全然OKなのだ。でも、Facebookをやると、会ったこともない「友達」の目も気にするようになる。ネットに繋がってる、その「友達」を傷つけたくない。嫌な思いをさせたくない。という思いを持つ。


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 が、誰もが不満を持たない記事、写真というのはむずかしい。ハンバーガーの写真でも好意とはいえ、あれこれ批判してくる人も多数いたのだから。そう考えると、テレビ番組が面白くない理由も実感する。3000人くらいのFacebook「友達」でも、いろんな人がいるのに、何百万人も観ているテレビは、本当にいろんな意見が寄せられるだろう。

 クレームも山ほど来るだろう。

 だから、無難な番組を作るようになる。文句が来ないものを心がける。そのせいで、近年のテレビはつまらない。その点、映画は自分で選び、お金を払って見に行く。誰もが文句を言わないものではダメだ。より大きな感動がある作品ほど、批判もされる。それが大事。無難よりセンセーショナル。その映画を作らねばならない自分が、テレビと同じ構図のFacebookをやっているのは、やはり間違いだった気もする。

 もちろん、協調性は大事。まわりの人たちを気遣うことも大切。しかし、ネットの中。3000人の「友達」がいれば、それが先方から「申請」があったものだとしても、いろんな意見がある訳で。それを気にして日々を過ごすことに、時間を取られることも問題。

 ただ、面倒臭い人や無責任な人はごく僅かであり、それらの人たちも常に無神経ということではない。そして、コメントはして来ないけど、多くの人が僕の記事を楽しみにして、毎日読んでくれていたというのも事実。Facebookを休止すると宣言したとき、多くの人が残念に思ったようだ。コメントもたくさんもらった。そこは申し訳なかった。で、ブログは続けることにした。とにかく、

 Facebookは現実を反映している。

 今の日本人はあまりにもまわりの視点や意見を気にし過ぎていないか? 無神経な意見や無責任な言葉に振り回されていないか? そのために心を痛め、イライラしてはいないか? 会社や学校ではそれに耐えなければならないこともあるだろう。けど、ネットをするときまで、そんなことに振り回される必要はない。Facebookはそんな問題点があること。感じる。

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