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【「ウォーキングデッド」シーズン5後半戦② 絶望的な時代に僕らは何を信じ、何を求めるべきか?】 [2015]

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【「ウォーキングデッド」シーズン5後半戦② 絶望的な時代に僕らは何を信じ、何を求めるべきか?】

感じたのは、やはり今の時代が描かれていることだ。ドラマ内ではゾンビが世界中に広がり、人間が食い殺されて行く。どこに行ってもゾンビだらけ。やっと安全な町にたどり着いたと思ったら、権力欲に囚われた人たち、人を犠牲にして生きる人々の町であったという展開。全てを解決するチャンスを掴みながら、それがウソだったり、直前で機会を失う。見ていて本当にイライラする。

何も悪いことをしていない人たちが悩み、傷つき、虐げられて死んでいく。まさに、今の日本。今の世界なのだ。今回登場する「壁の町」以前登場した「ガバナーの町」もそうだが、どちらも昔のドラマによく出て来た「悪の帝国」的な描き方はしていない。むしろ、平和な町。安全な町としてアピールしている。なのに実は....という形。敵のボスも「悪の権化」というキャラではなく、平和主義者、市民を思いやる支配者という形で登場する。昔のドラマのような「世界を制服する!」という独裁者は出て来ない。

つまり、今の時代。「平和のための安全法案」といいながら実は「戦争法案」であったり、「大量破壊兵器を持っている」だから、止めなければと、戦争を仕掛けるとか、「テロリストがいる町だ」と空爆して罪のない市民をどんどん殺してしまうとか、「平和」や「安全」を前面に出しながら、実は一部の人たちの利益のため...ということが多々ある。そんな部分が「WD」の物語を見ていても感じられる。主人公リックたちが、「この町は本当に信じて、安住していいのかも?」と思いながら毎回裏切られて行く姿。今の世界情勢と同じなのだ。

そんな中、興味深いのは主人公リックのグループ。白人、黒人、東洋人。老人、子供、男性、女性と、ありとあらゆるタイプの人たちがいて、最初はいがみ合いながらも、悲しみに耐え、共に戦い、チームワークを作り上げ、助け合っていく。まさにアメリカの象徴。人種も、性別も超えて、一緒にやれるはず!という思いを描いているのだ。そんな意図で作られているので、いろんな人がいろんな見方をすることができる。

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例えば、映画監督業をやっている僕が見ていると、リックのチームは撮影クルーに思えてくる。映画スタッフはかなり個性的であり、それぞれの価値観を主張する。古い人。新しい人。杜撰な人。やる気のない人。ごまかしの多い人。いろんな人がいる。プロデュサーなど、おいしい話を持って来ておいて、裏切ることが多い。「WD」の世界も同じ。シーズン5も牧師や「壁の町」の若者。今回も登場する(?)ガバナーもそうだが、自分の古い価値観や権力欲を振り回す。

いろんな価値観があるのは当然だが、目的は「安全な町」を探すことや「事態を解決すること」である。その人の主義や欲得を満足させることではないのに、それを振りかざし、裏で工作したり、罠にはめたりして、自身の思いを遂げようとする。或いはことごとく反対意見を出し、足を救おうとする。映画の世界でもよくあることだ。僕のチームも今では信頼できる人たちばかり、太田組作品の方向性を理解、全力でがんばってくれるが、以前は古い価値観を振り回し、目先のことに囚われる人もいた。「WD」の世界と同じである。

リックが「この町の住人を信用していいのか?」と悩むところは、僕が「この製作会社を信用していいのか?」と悩んだことを思い出す。笑顔で、いい話ばかりするガバナーを信用して、酷い目にあう人々。同じように、僕も信じた相手に何度も裏切られた。また、今シーズンの牧師のように、危機から救ったにも関わらず、チームを危険に陥れる存在もいる。そんなタイプにも何度も出会い、煮え湯を飲まされた。バカな奴に扇動され、悪意はないのにトラブルをお越してしまう奴。期待していたのに自分のことで精一杯になり、仕事を投げ出した奴もいた。「何を信じればいいのか?」そんなことをドラマを見ながら考える。

この物語主人公リックも同じ。昔のアメリカンヒーローのように、迷いなく、正義を掲げて突進するようなことはしない。悩み、苦しみ、時には自分を見失う。彼はいつも正しい訳ではなく、間違ったこともする。ドラマとしてもどうか?と思うようなこともしている。ただ、品行方正で、いつも正しい主人公であったとしたら、この時代、共感し辛かったと思える。間違うからこそ、迷うからこそ。共感できるのだ。

そしてリックに一番共感できる部分は最後の最後は「家族のため」「息子のため」という部分だろう。彼は間違いを犯しても、それは「金のため」「権力のため」ではない。「子供たちのため」「仲間のため」なのだ。「WD」を見ていると、「金や権力が人を狂わせてしまう。でも、本当に大切なのは何だろう? 」ということを問いかけているような気がする。彼らの旅はその答えを探す旅であり、その行方を見守る僕らもまた、その旅で「本当に大切なもの」を一緒に探しているのだ。だから、見出すと止まらないのではないか?


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